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とも さんのレビュー一覧
ともさんのページへレビュー数28件
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ここ最近、当たりの作品を手にしていない。
そんな本に当たれば、ほんとうに寝るのも忘れ読み続けてしまう。 逆に 途中で気乗りのしない作品にあたってしまうと、ついつい 途中で他の本に手が伸びてしまい、進まない頁が更に停滞してしまう。 そんな訳で 現在6冊を回し読み中、ということは6冊すべて大したことがない、という悲しい現実ではあるのだが (;´д`)トホホ… この作品は、コンゲーム的要素を取り入れたクライムノベル。 一言で言えば、詐欺まがいの方法で集めた10億円を巡り 3組の凌ぎ合いをするストーリー。 とはいえ、この手の作品の常道で ポップには仕上げてあり、少々の犯罪など吹き飛んでしまう爽快感はある。 が、いいところといえばそれくらいで、プロット、スピード感、人物描写、リアリティ、全てにおいて 中途半端で浅すぎる。 特に、思いのほか 迫力のないスピード感、いまいちキャラクターがありきたりで中途半端な登場人物、コミカルチックにしたかったのだろうがそれも弱いし、完全犯罪といいながら 手抜きの計画は作家の怠慢か能力か(;´д`)トホホ… これが例えば、道尾秀介「カラスの親指」なんかだと、徹底的にストーリー構築しキッチリと笑いを取っているし、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」「グラスホッパー」なんかだと、圧倒的なスピード感と悪役が憎々しいほどにワルであるので 主人公との対比でキャラクターが引き立ち 作品にのめり込んでしまう。 もし、これらの作品を読む前に この作品を手に取っていれば、もう少し違った感想になったのかもしれないが。 とはいえ、病人を病院を徹底的にパロディー化した かの名作「イン・ザ・プール」や、圧倒的なキャラクターを描ききったクライムノベル「サウスバウンド」と同じ作者かと思うと、相当に残念な作品。 了 |
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初めてこの作家の本を読んだのは『黒い家』。
これには衝撃作だった。 ただただ、怖かった。 それ以来、この作品は 私の中では、ホーラーとしてはダントツに怖い作品のトップに君臨し続けている。 そうしてそれ以降、この作家の作品には 折に触れ 手にとってきているのだが、これといった作品に出会うことはなく、実は万を持して この作品を手に取った。 結果的には、残念ながらこの作家とは相性がよくないのだろうか、全く心を打たない。 内容としては、母の別れた義父が、家に押し入り住み込み始めることから、この作品は始まる。 義父は危険人物である。 だから消さなければ、母と妹は守れない。 真面目で少しばかり頭はよい優等生の少年が、狭い視野、少ない知識で可能な限り考え抜いた殺人計画。 それが成功に終わるのか失敗に期すのか、そんなストーリーではある。 犯罪に手を染めるまでの、その後の精神状態についは、実にリアリティーがある。 とはいえ、おそらく主人公が高校生ということで意図的に考慮されてなのではあろうが、その分内容が貧相で視野が狭く。。。 結果的には、私にとっては 薄っぺらなないように感じてしまったのも事実。 殺人というものはおそらく、殆どの人が経験しない世界である。 その1線を越えた先にあるものがどのようなものなのか、勝手な想像は出来ても実際のところは分からないし。 が、しかし その中でも 「タガが外れ」易くなることは、これは人間の弱さとして想定できる間違いない事ではあろう。 それが故に、人間社会には 法律があり、道徳があり、倫理があり、常識や慣習があり、規制されるのである。 それが時には、煩わしくもあり縛られることに対する息苦しさもあるが、換言すれば 外圧からの抑制になっていることも事実なのである。 少年から青年に移行する時代の、特に男子諸君には、殊のほか この制約が煩わしく感じらせる時期があり、無意味に抵抗/反抗してしまう経験をするものである。 そんな 逆にバランスの悪い時代を生きる青少年に対して、意図的に緩和する少年法は必要なのだろか、小賢しいガキどもにとっては逆に犯罪を助長させるきっかけにはならないだろうか。 そんなことを感じながら、自分の青春時代を思い出しながら、犯罪に手を染めるかどうかは、紙一重のことなんだろうと。 よくぞ前科を受けることなく生きてこられたことにただただ感謝するばかりでありながら、だからこそ こういった特に少年の悲しい犯罪小説に対しては厳しい評価になったかもしれない。 評価は低いが優秀な作品ではありますので、一度手に。 了 |
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時事や登場人物等が中途半端に実在しており、ノンフィクションとは思えないリアル感満載は、当作家 いつもながらの作風。
当作品は、鳩山政権下で実際にあった韓国哨戒艦沈没事件や宮崎の口蹄疫、沖縄基地移転、サリン事件、警察庁長官狙撃事件なんかと絡ませて、このヤコブ病激増の真実を突き詰めていくというもの。 冒頭 ニューギニアで実際にあった笑い死病、その後 日本で起こる一見なんの関わりもない殺人事件が、どうやらクロイツフェルト・ヤコブ病と関係があるのではないかということを、曰くあるジャーナリストや警官、病院関係者が 関係者がどんどんと亡くなることから なんとなく気づき始め、調査していく中でつながっていき、真相を探っていくうちに、驚くべき真実が浮かび上がっていく。 とはいえ、中国が毒物の入った食品を輸出し続けていることは事実で、既に中国産がとんでもないものと忌避されてはいる。 とはいえ、分かりながらも市場に出回る毒食品、それをする中国はもちろん悪であるのは間違いないが、輸入品に対する国や納入業者の管理や意識の体制の不十分さもあるのではないだろうか。 とくに政府側としては、政治のカードとして押さえつけられ、軍事力でビビらされている現実。 わかってはいるものの、今更ながらに対外戦略(それが戦略と呼べるものなのか迎合なのかは別に)と称して必死に隠す政府や官僚の弱腰外交にも辟易とする。 人命に関わる食品である。 購入者側責任といっても、加工前の食品には産地明示義務が出来たが、加工品には未だに明示義務ない。 とはいえ、数年前 日本で大ブームになった、産地偽装はなにも中国だけではない所をみると、日本人のモラルも相当に低下してはいるのだが。。。 全てが、金や利権に関わるからこそ難しいのだが、もう少しなんとかしろよ!と言いたくなる、ある意味 結論の出ない後味の悪いテーマに対する追い打ち作品となっていたため、評価は低めとする。 とはいえ、単に読み物としては十分にスピード感も迫力も真実味もあり楽しめるので、そこは読み手に委ねられるのであろうが。 了 |
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探偵役を信長に据え、時代背景は歴史的には少々マイナー気味な第一次木津川沖海戦で大敗北を喫した以降、鉄甲船を製造する間の出来事となっている。
実は日本の歴史でも、思いのほか海戦は数少なく、源平の盛衰を決した屋島・壇ノ浦の戦い、この信長対石山寺本願寺での勝敗を決した今回の第一次、第二次木津川沖海戦、あとは第二次世界大戦で日本の敗北を決定づけたマリアナ・レイテ沖海戦くらいしかなく、ただしこれら海戦はその後の歴史に大きく影響する戦いであったことは間違いない。 文頭の第一次で壊滅的敗北を喫した信長側九鬼水軍が、数年後には圧倒的逆転勝利を修たのに鉄甲船は不可欠であった。 この鉄甲船、単に船に鉄板を張ったというイメージくらいは浸透しているかもしれないが、日本海軍的には革新的な船なのである。 もちろん、名前は有名かも知れないものの 単に船の周りに鉄板を貼っただけではない。サイズは20mを越える当時の最大サイズなれど、その上に3層の天守閣、3門の大砲を備え、ぐるりと鉄砲用の穴が空いている。 構造的にも、それまでの箱型(ボートの様なもの)の不安定な形状から、ヨーロッパで開発された最新式竜骨(船首から船尾まで一本の軸を通した様が龍の背骨の様に見えることからそう呼ぶのだが)式で、更に船底に穴があいても沈没しないよう、細かな間仕切りがされたというから、その最新の技術力を取り入れる信長の柔軟性には感服するものがある。 まぁ、そんなこんなでここからは歴史的事実かどうかはわからないが、本願寺側の毛利家のブレーンである小早川隆景(毛利元就の三男で、秀吉5大老の一人)、信長がこんな船を作っていると知れば、いてもたってもいられなかったであろう。 そんな訳で、鉄甲船を製造しようとすsる信長軍団とそれを邪魔する毛利の裏で行われた高いをミステリー調にしたのが当作品となっている。 ミステリー的には、最初の被害者 船大工の棟梁を殺したのは誰か?なのだが、登場人物が信長はじめ、蘭丸、滝川一益、九鬼嘉隆、本願寺顕如、下妻頼廉、小早川隆景等々と、実はオールスターとは言い難い二軍選手感はあるものの、逆にそれが歴史好き玄人はだしにはたまらないのではないだろうか。 ミステリー的には作家得意の暗号が用いられるが、残念ながらこれは大したひねりもなく、評価を下げはしたものの、歴史的側面では そこは作家の十八番、キッチリと押さえるところは押さえられており、暇とエンターテインメント、あと少々の知的好奇心があれば、肩肘張らずに楽しめる一冊であることは間違いない。 了 |
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加賀恭一郎シリーズの記念する第一弾。
時は加賀の大学4年の卒業までの1年を描いた作品。 ストーリーは、加賀の友人が理由もなく原因(自殺か他殺か)すら分からず突然亡くなるところからスタートする。 そうして第二の殺人なのか自殺なのかが起こり・・・。 このころよりストーリーテラーのきざしは見えるものの、全体的に古臭く文庫では副題「雪月花殺人ゲーム」が示すとおり、少々この面白くない謎解きのしつこさに辟易されられるところは、まだまだ駆け出し作家の思い入れが見て取れる。 従い、読者はおいて行かれた気分満載で、まだまだ多分に作家としては洗練されておらず青臭い作品。 まあ、面白くないわけではない程度か。 とはいえ、最後はきっちり締めるところなどは、現在の東野に通じる記念すべき作品であることは、間違いない。 了 |
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井沢作品は基本歴史をベースに、歴史の真実を解き明かす作品と歴史をネタに物語を創作する2つのパターンがあるが、当作は残念ながら後者。
また彼得意のテンポやスピード感もなく、駄作としかいいようがない。 概要としては、平将門の至宝「三宝の神器」をめぐり、将門の娘瀧夜叉姫がその祖先 竜野隆之の夢に現れるところから物語は始まる。 神器を集めることがこれから発生する国難に対抗できる唯一の策であると告げられ その捜索、さまざまな妨害、そうして国際テロにまで巻き込まれるが、という作品である。 了 |
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何故か「神」という言葉に惹かれる。
別に過去になにかの宗教に偏ったこともないし、今後もおそらくないであろう。 とはいえ、なぜかしらに この語句があると手に取ってしまうのだ。 今回 当書は再読であったのだが、それは結局のところたまたま 題名に興味が惹かれて手にとってしまったとしか言いようがない。 要は、以前に読んだことすら忘れていて、読み始めても全く読んだことを思い出さず、半分位に差し掛かった時になって初めて、「あれっ!読んだかも?」ってことで、読書メモを引っ張り出して初めて確認が出来た、がもう半分位読んでしまったし 「最後まで読んでしまえ」ってことで、読んだに過ぎない。 それくらいに陰も薄く、というよりは数年前に読んだ当時のメモでは、相当の酷評だった。 では、今再読して何か変わったかといえば、同じく酷評になってしまうのだが、それでは面白くないので 良いところだけを拾い出してみようかと思う。 概要としては、ある言語学者が謎の言葉「古代文字」の書かれた石室に連れ出されることから始まる。 彼がこの言語を「神の文字」と認識する過程には論理学が用いられている。 わたしも一時、論理学をかじったことがあるのである程度は分かるが、作家の知識は相当に希薄で、(論理記号は最低5つなど)極論すれば間違っているのではあるが、それでもサイエンスの部分を化けや物理、数学にもってくるSFが多い中で論理学を用いたSFは数少ないであろう事から、それだけでも評価の対象かと。 そして、その論理が神の存在の根拠としまた、世界各国に散らばる奇跡と呼ばれるものと結びつける所などは、まぁこの時代 日本SFの創世記の作品としては、致し方ないというか、頑張った作品であろう。 そういった点を甘く見て、SFのフィクションではなくサイエンス部分を取り上げた点だけでも、評価しておこうかと思う。 最終結末が赦せない部分はあるにしても、全体を通して読み物として楽しめはするかと。 ということで、評価は前回に比べると少々アップすることになった。 了 |
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作家の3つの人気(?)シリーズものの美人探偵3人が勢ぞろいして旅行へ。
それも行き先は、邪馬台国の所在と考えられている有名な3地点、九州 吉野ヶ里、畿内 纒向、あと東北 三内丸山。 ということで、初めから期待値はあがる。 その各地で邪馬台国や卑弥呼に纏わる殺人事件に遭遇するのは 探偵もののとして当たり前で、もちろんこの3探偵が解決していくのも普通の話し。 要は、この邪馬台国をどう処理していくのか。 望むべくは、彼の名著『邪馬台国はどこですか?』をどのように深堀していくのかにあった。 が、しかし、期待に反し 全くと言っていいほど彼の著の歴史推理には触れず、結局はその地で起こる殺人事件の解明に留まるのみ。 なぜにこの本を書いた?という作家の意図も全く見えず、得るところもない全くの期待はずれに相当のガッカリ本であった。 了 |
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お気に入りの作家で、もともと非常に高いレベルに期待値がある為、通常レベルの作品では満足できないところに、ほかの作家の作品を読む場合と異なり、大きなビハインドを背負っている。
そういったことが前提とはなるものの、伊坂作品としては、内容も登場人物もパンチのない作品。 ヒトは自分の理解できる範囲でその少し上の能力を持ったモノを天才といって賞賛するが、理解不能な上回り方をした場合、嫌悪感を抱くしかない。 例えば陸上で、100mを10秒を切れば凄い、おそらく今後9秒を切るようなものが出てくれば おそらく世界の賞賛を浴びるであろう。が、仮に100mを5秒で走る人間が出てきた場合、ヒトは彼に喝采を浴びせるであろうか。。。 この作品の主人公もそういった、理解不能なレベルで野球の能力がある人間であり、それが故に なにかと不幸がもたらされる。 しかし、彼得意の登場人物の魅力も得意の伏線も、プロットも徹底的なヒール役も出てこない。 時と場合により、僻み根性の小悪党がちょっかいを出す程度。 そうして ファンタジーもワクワクドキドキの高揚感もなにもないままに、なんとなく終息を向かえる。 あと、シェークスピアのマクベスを知らなければ、更にこのおもしろみは半減するであろう。 とはいえ、どちらにしても、ん~非常に残念な駄作。 了 |
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終戦後から数年間にあった未解決事件を解明していく。
GHQ占領下の時代とあって、偏った犯人にはなっているものの、あたかも本当に答えのように思えてきて、読み物として十分に楽しめる。 が、この時代に生まれてなくてつくづく良かったと思う。 |
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前読 「カエル男」や「ドビュッシー」に引き続きの3作目。
過激なミステリーの期待値をもって手にとったため、大幅な主観をもって読み始めたことは否めない。 前半は楽器の盗難や破損という小さな事件はあるものの 淡々と音大生の学生生活やその苦悩、葛藤がクラシック音楽の楽器、オーケストラなどの説明とともに語られる。 それがあまりに淡々としすぎて、ミステリーを読んでいるのか音楽小説を読んでいるのかわからなくなってくる。 中盤よりは、徐々に主人公の恋人?親友の病、脅迫状と話しが展開していく。 とはいえ、それでも大きな変化ではない。 その後 表題のラフマニノフやチャイコフスキーの調べとともに、ほぼ予測出来る程度のわずかなどんでん返しはあるものの、最後まで静かに終息に向かう。 期待値が違うところにあったため、非常に物足りないと思ったものの、それを除いたとしても凡作としか言いようのない残念といわざるを得ない一作。 了 |
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この作家の作品は、以前 『夜は短し~』と『有頂天家族』以来の久しぶりとなる。
その時には、巷で絶賛の『夜~』は理解が出来ず 続いて『有頂天~』では全く合わずに途中で断念したことから、この作家の作品はもう読むまいと思っていた。 今回なぜにこの森見作品に手を出したかというと、単に表題が気になったから。 個人的に、岡本太郎は 大のお気に入りなのである。 もともと京都の町屋で生まれ育ち、少なからず作品の主人公同様 「塔」には親近感はあった。子供の頃の太郎のイメージは、「芸術は爆発だ~」と喚いている変わったおっさんくらいしかなかったのだが、その後 抽象というものに対する知識がわずかながら増えて 彼の作品、特に「塔」に接した時に、ピカソに通じる 彼の天才性に衝撃を受けた記憶がある。 そんなこんなで、ほぼ表題だけで 久しぶりにこの作品に手を出した訳である。 読み始めて感じたのは、以前に比べ比較的入り込みやすかった。 内容としてはなんの事もない、青年がモテず振られた理由を、うまく回らない人生を自己弁護し現実逃避するために頭の中で「妄想」を繰り返す。 ただ その「妄想」レベルが、頻度もレベルも半端なく、言えばその妄想活劇だけで最後まで突っ切つのである。 なので、ある意味ついて行くには疲れる。 テンポはあるのの、非常に読みづらく 遅々として進まない。 しかし、昔を思い出して、そうそうこんな事を考えていたという記憶とともに若さに圧倒されながら、無意味に最後まで突っ切るパワーは、この年代にしか書けないものかと。 何とはなしに、万城目学のデビュー作「鴨川ホルモー」を思い出し、彼も森見とほぼおんじような経歴かと、外からやって来て京都で学生として過ごすうちに、京都という伏魔殿に取り込まれしまったということか。 ハードカバーの帯に遠藤周作の名を見て、なるほど狐狸庵先生の随筆もこんな感じだったなあと、昔読み耽った事を思い出しながら、なぜか郷愁に耽ることのできる作品であった。 |
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この作家の作品は、いままでにも何度も手にしている。
なかでも、『家守奇譚』は極上の傑作で、それゆえに自然と期待値はあがる。 というわけで、ひさびさに梨木香歩作品に読み始めることにした。 彼女の作品はもともと、和風ファンタジー色が強く、それはこの作品でも同じである。 が少々異なるのは、和と洋が入り混じっていることであろうか。 あらすじとしては、双子の弟が死に、残った姉のことを両親は見て見ぬ振りをすることで、つらい現実から目を背けている家族、となる。 その様な孤独な生活の中、友人の祖父と仲良くなりいろいろと昔話を聞くなかで、近所にある洋館の裏庭の話を聞く。 あるときその友人の祖父が倒れたと聞き、自然と足がその洋館に向く。 自然と飛びがが開き 家屋のなかには、悠仁の祖父が語っていた異世界=裏庭と繋がっている大鏡を目にする。 その鏡は異世界への入口で、裏庭の世界に入り込み 少女は自分探しの旅を始める、という物語。 なれど、前半のテンポの悪さと、現実の世界と異世界の話の混同、主人公の少女、その母、祖母もまたその洋館とその住人に関わっており、それぞれの少女時代に纏わる話が混在するためか、非常にわかりづらく、それ故に物語の世界に入り込みづらい。 とはいえ、ファンタジーで物語に入り込めないのはある種致命的で、その面白みに欠ける作品となってしまっていた。 期待したがゆえに、残念な作品であった。 了 |
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初めて読む作家であり、非常に評判の良い作品だったので 期待して読み始めた。
ジャンルは、SF新本格というSF的要素を取り入れたプロットの組まれた推理小説とのこと。 ストーリーとしては、主人公があるタイミングになると、9度 同じ1日が繰り返されるという突拍子もないもので、確かにSFではある。 が、SF的要素は この同じ日を何度も繰り返す能力(?)があるというだけであり、それ以外はごくごく普通のストーリー。 とはいえ、主人公の意思で戻れるわけではなく たまにその周期に「落ち込んで」しまうだけである様に受身的な能力だし、その間の出来事も深夜12時にほぼリセットほされてしまうので、実質的にはほぼ無意味な繰り返しが生じる。 唯一リセットされないのが主人公の記憶だけで、彼の体験した記憶だけは残る。 確かにそれまでリセットされてしまえば、その事実を知る人が一人もいないことになり、小説として成り立たなくなる。また、この彼の8回の記憶のみがあることと、繰り返しの最中に主人公は行動を変えてもいいというルール(というよりはルールがないだけなのではあるが。。。)が、この作品のミソになっている。 そうして9回目(最終回)が、最後の正規の周回としてその日が最終として消えずに残り、やっと本当の次の日を迎えることになる。 ここで少々設定として面白いのは、なにをしてもいいということ。 よくSFタイムトラベルモノとかでは、歴史を変えてはいけないというがあるが、この作品では前向き、実験的にその中間の周回を使う点であり、この発想は奇抜であり感心する。 そういう設定の中で、殺人事件が起こる。 その原因を突き止め事件を阻止しようと、主人公はひとり 毎回条件を変更しながらに奮闘するのだが なかかなに思うように行かず、さあて上手く殺人を阻止できるでしょうか、という内容。 とはいえ、読んでいても入り込めない。 それはストーリーの突飛さに起因するところが大きいのかもしれないが、それよりかは読みづらいのである。表現力が稚拙で奥行がなく、情景が浮かんでこない。 あとこの9回の繰り返しも、主要な回だけ深掘りし大したことのない回は流すのではなく、毎回をひとつの章としてこれも平面的に語られる。 確かに毎回、なにかを変化させようとするので内容は異なるのだが、同じ日を9回もパターンを変えて繰り返す。 途中でいい加減にしつこくて、 飽きと嫌気がさしてくる。 というわけで、わたしとしては期待していた分 非常に残念な作品であり、がっかりな作品であった。 了 |
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やっと読み終わった、シンドかった!というのが、正直な感想。
おおまかなスジとしては、自殺した主人公が辿り着いた場所は、現世と天国の途中地点。 そこには既に、年齢も死んだ時代も異なる3人の先着者がいて4人チームで地上へ幽霊となって舞い戻り100人の自殺を止める事ができたら成仏させてあげると半ば強制的な神様ミッションに引きずり込まれる、つまらないストーリー。 こうして自殺しそうな人を思いとどまらせせる事を目的としたチームが結成され、その活動方針と目標が設定されて物語が動き出すのだが・・・。 主人公は自殺した幽霊4名で、彼らが相対するのは登場人物は自殺する直前の人たち。 自殺を考えるまで追い込まれるくらいだから並大抵ではなく、そんな彼らを説得するのだから 至る状況を理解しベストな説得方法を導き出していくといういろいろなケースはあれど、ストーリーの流れはパターン化されてい進む。文体や表現、4人の世代による異なる時代の流行語やジェネレーションギャップを会話に織り交ぜることで、全体的には軽い文体でコミカルにしているので、読みづらさはない。 そのなかで人が自殺を思い立つのには ひとつのバターンがあることを見出す。それは、 ①自分の心身/②人とのつながり/③経済力 このどれかひとつでも欠けた時、その状況によっては、人は究極、自殺という判断をする危険性があるということ。 ただし、この判断は客観性のある確固としたものではなく 一種のうつ状態による判断なので、ほとんどの場合なんらかの外的要因があれば思いとどまらせる事が可能であり、その外的要因を当書では「人命救助隊」などとふざけた名前を付けているが、変えることが出来るのである。 スパイラル、というものがある。これは意思や行動とは別の力が作用することであるが、『正のスパイラル』にある時は、自分の持っている以上の力が発揮できる。よくノっているやツイている状態の時で、この波に乗れば物事がスムーズに優位に働きやすい。 が、いったん 『負のスパイラル』 に陥いってしまうと厄介で、自分の力以上の外因がかかるわけであるから、ある意味蟻地獄のようなもの。個人の力だけで脱出するのは非常に難しい。 作者は 自殺はすべては一時的な感情(うつ)状態によるもの考えて、その時に差し伸べられるものがあるかないかが実行に移すか否かの分岐点となる。その一時的な状態さえ越えて冷静になれれば、死に至るほどのことはない。その波が引くまで待てない人にでも、なんらかの外因(それがこの作品では救助隊として現れるのだが)があれば思いとどまらせることも可能であると訴えかけているのである。 「人命救助隊」などと銘打ったりして、作品全体をおちゃらけ軽くしていますが、当書の隠されたテーマは、『自殺抑止マニュアル』である。 もし暇であれば こころが健常な間に、自分のため 、自分のまわりにいる人の為に、一度は読んでおいた方が良いかもしれません。 ただし、当初はあくまでマニュアルなので、単なる読み物として楽しみは期待しないことです。 了 |
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まったくの期待はずれ。
ホラーは好きではないが ホラーというほどの怖さもなく 、SFチックであるが深みがなく、サバイバル性もそれほどでなく、ゲーム感覚といってもおもしろみもなく、バトルロワイヤル的なれどそれほどの殺し合いもなく、とにかく いろいろな要素がこれでもかと詰め込まれてはいるものの、すべてが中途半端。 以前に読んだ 『黒い家』、これは究極のホラーであった。 それ故か、期待値が高かった分、その失望も大きい。 内容は極めてシンプルでネタバレになるために書く事ができないが、目を覚ませば見たこともない奇妙な形をした岩山に挟まれた峡谷にいて・・・・という、小説ではよくよくある 「ここはどこ?わたしは誰?」的なスタートで、無理やりに読者を物語に引きずり込む。 そうして、やはりヒロインと出会い、敵とであい、知恵を使い、戦い、はてさてハッピーエンドになるのかバッドエンドなのか。 そうして、最後にタネ明かしをするというだけの、しつこいようだがありきたりのストーリーと使い古された肉付けがひたすらになされているだけの娯楽小説。 というわけで、わたしにとっては 残念ながら読む価値のない一冊だが、あまりこういったタイプの小説を読んでない方には、読みやすくスピード感も臨場感もあり、ストーリー性もそれなりにあるので楽しめるかも。 評価が分かれる作品ではあろう。 |
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湊かなえの作品には、1本の主柱と2つのパターンがある。
柱とは、人に対する悪意である。特に子供に対して相当の悪意がある。一般的に子供は真っ白で純粋でと考えるのが正しいとされる世の中に真っ向対立する珍しい作家である。 ただし、その部分に対してはわたしも 基本性悪説であり、それは子供においても全く同じであることから否定的ではない。 次に2つのパターンというと、 1つは全面的に悪意を放出する感情的作品であり、代表作としてはデビュー作の「告白」となろう。まぁひらすら感情的であり、ほとんどヒステリーを文書化したようなものであるが、このタイプ非常に珍しくもう笑えるレベルである。 もう1つは、なぜか作家として認められ、その余裕なのかそれともプライド、地位向上、なんなのかはわからないが、感情を抑え理性でもって作品に仕上げ様と体裁を整えた作品。 基本彼女はプロの作家ではない。しかし悪意を前面に出した時にはその感情が筆に乗り移り、生き生きとした勢いのある作品となることがある。 それが理性をもって書いた時、途端に勢いもプロットも内容も在り来りな作品となる。 そうして、当作は悲しいかな後者に含まれる。 過去から多くの作家が嫌というほどに書いてきた有名な事件(事象といった方がいいのか)の焼き直しとして、既に物語の中盤でその結論は目に見えている。そんな訳で、全く面白みのない作品ではあった。 ほんの少しだけ光明があるとすれば、最後に中途半端ながら悪意が残っていたことであろうか。湊かなえの作品には、1本の主柱と大きく2つのパターンに分かれる。 彼女の柱とは、人に対する悪意である。 特に子供に対して相当の悪意がある。一般的に子供は真っ白で純粋でと考えるのが正しいとされる世の中に真っ向対立する珍しい作家である。 ただし、その部分に対してはわたしも 基本性悪説であり、それは子供においても全く同じであることから否定的ではない、というよりはむしろこ気味良い。 次に2つのパターンはというと、 1つは全面的に悪意を放出する感情的作品であり、代表作としてはデビュー作の「告白」となろう。まぁひらすら感情的であり、ほとんどヒステリーを文書化したようなものであるが、このタイプ非常に珍しくもう笑えるレベルで、ある意味この抑制のない感情を書き連ねたものが作品としての体をなしている事は驚きである。 もう1つは、なぜか作家として認められ、その余裕なのかそれともプライド、地位向上、なんなのかはわからないが、感情を抑え理性でもって作品に仕上げ様と体裁を整えた作品群である。 ちょうど恋愛作家やミステリー作家が、晩年に歴史小説に手を出すのによく似ている。 どちらにしても彼女はプロの作家ではない。 しかし悪意を前面に出した時にはその感情が筆に乗り移り、生き生きとした勢いのある作品となることがある。 それが理性をもって書いた時、途端に勢いもプロットも内容も在り来りな駄作となってしまう。 そうして、当作は悲しいかな後者に含まれる。 物語は、過去から多くの作家が嫌というほどに書いてきた有名な事件(事象といった方がいいのか)の焼き直しとして、物語の中盤では既にその結末が目に見えている。そんな訳で、全く面白みのない作品ではあった。 ほんのわずか光明があるとすれば、パンドラの箱の希望の代わりに 湊かなえの「悪意」が残っていたことであろうか。 |
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