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とも さんのレビュー一覧
ともさんのページへレビュー数4件
全4件 1~4 1/1ページ
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面白い、上手い、兎に角凄い作品である。
構成は3部となっている。 物語のベースは 副題の通り、源氏物語にまつわる話である。 時代背景が平安時代の藤原道長台頭期で、主な登場人物は既に主要な貴族は粛清され藤原家内での共食い状態で、その上はうようよと次の政権を狙っている皇族がいるのみ。 そんな分かりにくい時代の説明から、下級貴族の式部がどうやって一番の主流派の彰子へ参内できたのかを、単なる源氏物語の説明ではなく 全体の雰囲気が味わえるようになっている。 第一部では市井で起こる事件(彰子の猫捜し)について、式部の慧眼で解き明かす過程で、彼女の推理、判断、観察力を表現し どのような人物が源氏物語を作ったのかを象徴させている。 そういった意味では、第一部は よくある歴史人情モノの様な雰囲気が漂っているが、2部に入ると立ち位置が市井から宮中に変わることで、雰囲気もガラッと変化する。 参内後、続々と源氏物語が発表されていくが、あるとき発表したはずの1帖が出回ってないことに気づく。それが単なるミスなのか、それとも意図されたことなのか。。。 「かかやく日の宮」という表題に源氏物語に知見が深い人であれば気づくかも知れない、ミッシングリングについての謎解きとなっている。 また、この藤原時代に敵対する源氏を主人公にしているわけは、道長との関係はと、ある様々な謎を、もって回った理屈でなく 素直な解釈から自然に解明している。 最後の第三部では、これまた良く知れた「雲隠れ」。 この帖、ある意味では 現代の全ての芸術においても最高傑作かも知れない。 というのも、当帖は光源氏が身罷る全54帖中の第41帖に当たる作品なのだが、題名だけしか存在しないのである。 物語に「文章がない」ということは、例えば音楽で言えば「無音」、絵画なら「白紙」、彫刻で言えば「石の塊」「丸太」、という超荒技である。 理由は、紛失したとも 読者の想像に任せる とも言われているが、まずもって前者であることはありえないであろう。 彼女は、その大技をこの処女作であり人生をかけた大作のクライマックスにもってきたのである。それだけでも、源氏物語が古今東西の文学と比較しても突出している証明になるのではないだろうか。 兎に角、複雑で難解な源氏物語をそれほどの知識がなくとも平易に理解できる様になっており、といってところどころに玄人好みするネタを仕込み無理なく解明していく、非常に素晴らしい作品である。 了 |
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相当の期待値をもって読み始めた場合 期待を裏切られることが多い中、あっさりとその期待値を超えてくる力量は、「さすが 柴田よしき」というべきか。
1000ページの大作、登場人物も多く 中盤にダレ気味感はあるものの、それも結果的には必要な部分であり 枚数稼ぎの無駄なページは全い。 ストーリーは、警察組織、やくざ、バイオレンス、夜の世界、冤罪、性、銃、薬、売春と、クライムサスペンスの要素がオンパレードで収拾が取れなくなりがちと思いきや、ありきたりの表現をすればパズルのピースが過不足なく収まっていく。 そのなかで、RIKOシリーズのスピンオフという位置づけの主人公の刑事麻生龍太郎を軸に、素人、玄人が相まみえ入り乱れながらも、緻密なプロットとスピード感。 大作だからこそ可能な人物の書き込みや その人生のリアリティと迫力。 ミステリー部分はおおよそ想定できるものの、そんなことはどうでもいいほどに圧倒させらる作品に仕上がっている。 とにかくは、読んでみるべし。 了 |
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30年ぶりに読んだが、全く色あせない。それどころか東北大震災を経験した今、数十年前に書かれたとは思えないくらい当たっている。作家としての知識と学者には無い先見性、やはり素晴らしい日本史上に残る傑作SF。小松の長編によくある前半は科学的知識に基づいた理論攻勢で きっちりと理解しうとすると少々理解しずらい点もあるが、単なる空想で書かれたものではない知識の蓄積と裏付けが出来上がる。内容はどこまでは本当でどこからが創作かわからなくなるくらい深く入り込んだ科学的側面をベース、現実味のある政治・経済的側面に思いのほかページを割くことでしっかりと土台を作り上げる。とはいえ、この作品の発表は1973年、40年前である。しかし、時代の古さというものは全く感じられないのは、作家小松左京の先見性なのか、当時から進歩していない為なのか。阪神淡路の震災、東北の震災等々の経験に対し、地震研はいまさらながら地震予知は不可と発表。政治はすでに茶番のレベル、経済もリーマンで簡単にひっくり返る中・韓初め東南アジア勢にひっくり返される状況に不安は増すばかりであるが、彼には日本の未来がどう予測されていたのだろうか。
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スポーツというものに興味がない。やる事についてはまだしも、人のやっているものに対して見る、聴くなどには全く興味がわかない。当作は前作の「サクリファイス」の続編だが、当作品 文句の付け所がない。どちらかといえば日本ではほとんど認知度がなく(?)、斯く言うわたしも全く知識の無いロードレースを題材に、3週間に渡りフランスを1周するツール・ド・フランスをテーマに物語が繰り広げられる。内容はそこで繰り広げられる人間模様なのだが、その臨場感、スピード感、緊迫感は、冗談ではなく手に汗握るどころか、本当に身体が熱くなってくる。機会があれば読んで欲しい一冊。
※サクリファイスの続編 |
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