青銅の悲劇 瀕死の王
評判
青銅の悲劇 瀕死の王の評価:
3.00/5点 レビュー 14件。 B ランク
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
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全10件 1〜10 1/1ページ
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青銅の悲劇 瀕死の王の評価:
3.00/5点 レビュー 14件。 B ランク
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その考察の過程が「論理」であることは認めるが、読者は「学ぶ」つもりで本書を手にしたわけではない。エンタテインメント性に背を向けたこのような物語を、一体全体なぜ笠井は書こうと思ったのか。小森健太朗の解説によれば、これは〈後期クイーン問題〉に挑戦したものであり、「探偵の解決が真の解決であるということは証明不可能である」という問題への挑戦であるらしいが、で? それがどうしたの? という感想しか持てない。
「物語」は「現実の記述」ではないし、「作者の頭の中にしか存在しない世界についての報告」でもない。したがって探偵の解決以外の「真の解決」なるものがどこかにあるわけではない。あるとすればそれは、読み終えた読者の「物語を巡る思い」の中にのみ、である。「もしかしたら真相は……ではなかったか」という感想は、唯一読者のものである。作者がそうした思いを抱いたならば、それは物語中に(たとえ暗示的にであるにせよ)示されねばならないからだ。また逆に、探偵が「真の解決」をできないのであればそれはもはや探偵小説の体を成していない。
それゆえ〈後期クイーン問題〉などありはしない。この問題はひとえに、作中の世界を確固とした存在世界と混同するところに生じる。
であるから、緻密ではあるが退屈な論理の構築においてその問題を突破しようとした笠井の試みは、小森の言うように「壮大なる論理の大伽藍」ではあるがしかし、その基礎部分は砂でできているのである。
加えて「事件とは関係の薄い、学生運動に関する告白と懺悔」も鬱陶しい。笠井も含めて、その渦中にいた人々は機会を捕まえては「あの情熱とその崩壊」について口にしたがるのだが、そこに欠けているのは「行動主義」「体験主義」への反省であろう。経緯を見れば学生運動と1995年のあの宗教団体の事件は見事に相似形である。その相似性を形作っているのは上記主義であるだろうからだ。