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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全219件 201~219 11/11ページ
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個人的に、村上春樹の作品がどうして好みかと問われれば、登場人物の味わいという答えになる。例えば、「海辺のカフカ」では、カフカの15歳には過ぎるほどのストイックさ。周囲に馴染めず、自らの世界感に価値を求めようとしながら、でもうまく信じきれない少年性。そういうところが味わい深く描写されていて、物語の突飛さに面食らわされても楽しく読めた。他のキャラクタも、特にナカタさんなんか、好作用していたと思う。そういう視点で今作のキャラクタ設定をみると、かろうじて立っていたのはタマルくらい。他はぼやけた味で満足できなかった。もっと濃口の人物がいてもよかったんじゃないだろうか。ミステリアスなタイトルに期待が大き過ぎたのか、なんだか物足りない。 | ||||
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期待が大きかっただけに、残念です。2巻は文庫本を待ちます。 | ||||
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最近の村上氏の作品は読んでいませんが、『風の歌を聴け』、『羊をめぐる冒険』、『ノルウェイの森』、数冊のエッセイ集などは読んでいます。『1Q84』は久し振りの長編小説とのことで、たまには読んでみようと思い手にとってみました。なんとなく不思議でミステリアスな村上春樹の世界を楽しみたい人には面白い作品かもと思いますが、私はそのような世界を求めていないので上記のような感想になってしまいました。 『1Q84』は村上春樹の名前がなければこんなに売れることはなかったと思います。それどころか、もし新人作家が書いたものであったならば出版にこぎつけることすら困難だったかもしれません。突っ込みたいことがたくさんあるのです。(以下、多少ネタばれあり) 1) 男主人公の歳上のガールフレンドは都合が良すぎる存在である(男主人公にとって。そして作者にとって)。 2) 女主人公が、なぜそこまで女性警察官に強い好意をもったのかわからない。 3) 思わせぶりで深みのない会話や描写が繰り返されている。 4) 頻回の性描写の必要性が感じられない。 5) 抑揚の少ないストーリーなのに、こんなに長い分量が必要なのか? 6) 男主人公、女主人公は10歳の時に手を握っただけの関係なのに、30歳になってもお互い恋い焦がれていることが可能なのか? きちんとした理由がないので納得できない。 個人的には、月が二つ出てきたところで気持ちが冷めてきました。そして「リトルピープル」が出てきたところで、「あ、この小説は自分には必要のないものなんだ」と感じました。「ふかえり」や教団の存在は少し面白いと思ったんですけどね。しかし、それらも今ひとつの印象は拭えません。 肝心の小説がこのような状態では、あの有名なエルサレムでのスピーチにも白けてしまいます。ノーベル文学賞を獲ろうとしている世界的大作家がこんな小説を書いているからこそ、エルサレムで紛争が起こっているんじゃないのか?という気がします。『1Q84』が私たちの世界を良い方向に導いてくれるとはとても思えません。 村上氏のファンの方、『1Q84』が面白いと思った方、すいません。でも、これが私の正直な感想です。 | ||||
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村上春樹を読む時間があるなら、チャンドラー、カフカ、ヴォネガット、ディック等を読めばいいじゃん。 村上春樹がやりたい事を格の違いで読ませて魅せてくれるから。 相変わらずの性癖にも吐き気がする。 小洒落たキモい比喩をしているのは登場人物なのか作者なのか。みんな物分かりよく会話は先読みしながらの説明的なそれでいてわからないわららないと饒舌にため息ついてる。きしょい。 海辺のカフカもそうだったけど、結局は世界はわからない。でもタフに生きようぜ。愛があるから。世界で売れてたらどうだってーの。 世界で売れなくても漱石やら谷崎でも読んでた方がより豊かな読書でしょ。 勃起、勃起うるさいねん! | ||||
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久しぶりの長編ということで期待して買いましたが・・・なんだかね〜。 物語は二人の主人公の話が交互に入れ替わりながら進んでいきます、 男主人公のパートはいつもの村上ワールドですが女主人公のほうが村上さんどうしちゃったの?ってぐらい痛い内容です。 ついでに二人の主人公の接点とか少女と教祖の関係とか物語り上すごく重要なことがなんの前触れもなしにあっさり種明かしされます、ヲイヲイ早すぎるだろって読んでるほうが心配になってしまいます。 まぁ相変わらず文章は上手いので一気に読めますがマスコミで騒がれてバカ売れするような代物ではないと思います。村上未経験の人がこれから入るとアンチ村上になること請け合いです、お願いですから初期の作品から読んで下さい。 絶望先生が言ってたアレってコレのことだよね・・・ | ||||
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最近の村上春樹の作品の多くは2つの話が螺旋のように続き、現実と非現実の世界をメタファーという香辛料で読者を行き来させる。読者は書かれている物語に忠実に没頭するか、それとも隠されているファクターを訪ね歩きながら読み進めるかだ。それを選択するのは読者である。この「1Q84」はどちらにとってもおもしろいものではない。とにかく登場人物・場所に魅力がない。いつものように「ファッション」「料理&お酒」「音楽」「性」等の描写をこれでもかというぐらい重複させながら物語が進むのだけど、全てが予測可能で心が動かない。根底に何が流れているのとかはもういい。とにかく、小説として、物語として楽しめるものではない。出版社の戦略で大ベストセラーになったのは村上春樹にとって悲劇である。彼の作品群の中のほんの片隅に静かに眠らせるべきであった。ちなみに僕の好きな作品は「国境の南、太陽の西」である。 次に続編を考えてみる。あるかないか全く見当もつかないが自分なりに…。 「3」では天吾の執筆中の小説が話の中心となる。その小説の中身は宗教に囚われた少女を助ける少年の話である。一方、青豆は自殺に失敗し、「さきがけ」に追いつめられることになる。しかし、青豆は「さきがけ」のリーダーとなり、世に出た天吾の小説を偶然手にすることとなる。その時、二つの月は互いに引き付けあいひとつになる。やがて表と裏が一体化し全ての感情が素直に表現できる世界が二人に訪れる。完。 | ||||
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もしタイトルと著者名を見ずに中身をパラパラめくろうものなら、三流作家が書いたチープな小説と間違ってしまいそう。これが「5年ぶりの書き下ろし」なんてたいそうな帯つけるような作品かと憤りを感じます。登場人物そして彼らの発する台詞すべてに、糸がついていて、その糸を上の方で作者があやつってる。私には物語の情景や人物の心情が見えず、その糸ばかりが見えました。お金払って時間費やしてそんなもの見せられると気分が悪くなります。生きている人間、生きている言葉を、文章を通して読者の心に届けてくれるのが一流作家の仕事なんじゃないですか?操り人形による茶番劇がダラダラ続いているだけですよ。 文壇のみならず日本とも距離を置き海外での執筆活動、精神と肉体のバランスを大切にし健康を維持し続け…、そんな春樹さんの軌跡すべてが彼の人格を成熟に導いていったことは間違いないのでしょう。サリン事件をめぐるインタビューやいくつかの対談、エルサレムでの心あるスピーチを読み、そう思います。でも人格の成熟と作品の成熟とはまったく別問題なんですね。そのことがよーく分かりました。 | ||||
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村上春樹さんの大ファンですが、この1Q84はどうしても解せないものがあります。それは、小説内の教団の指導者が実在のオウム真理教の旧指導者とダブって見えてしまうのは避けられず、それであるのに美化しているように思うからです。アンダーグランドという傑作まで書き上げた作家が、いくら小説のこととはいえ、これは看過できることではないと思います。どうしても実際の事件と重なるがゆえに、ただのインチキ人間がさもかし人間を超えた存在であるかのように描かれるのは怖いです。そのインチキは笑って済ませれるようなものではない、その人間によってどれだけ苦しめられた人がいることか・・・。話もBOOK1ではとてもスリリングで盛りだくさんの仕掛けで楽しませてくれたものが、BOOK2では、段々と興ざめしていって、世界もものすごく矮小な世界になってしまって、小説としても結果的に失敗だと思います。続きがあるならば期待しますが・・・。 | ||||
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量産型の登場人物が量産型の世界で量産型の言葉を喋り量産型の行動をする。チェーン店みたいな小説だと言う印象。少なくとも、過去のハルキ作品の登場人物には、きちんとした肉厚のようなものがあって、或いは徹底された希薄さに必然性があって、そこがハルキさんの味のひとつだったのに。紙媒体の上で紙人間が紙に書かれた指示に“渋々従って”動いている。この作品に登場する人物は、すべからく全員“どこか小説に登場する事に対して無理をしていて、非常にぎくしゃくして最後まで馴染まずに去った”(ハルキさんっぽいニュアンスで言うと)笑顔のひきつった過緊張で場違いな転校生のように。 | ||||
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「善」と「悪」、「正義」と「不正義」 それらが状況、環境、立場によっていかようにも入れ替わること。 境界線など引けず、善は悪の一部で、またその逆も正しいこと。 そのような、我々の生きる混沌とした現代のなかで 「愛」だけは普遍・不変であること。 それを、村上氏なりの物語で描ききった意欲作だと思う。 「アンダーグラウンド」「約束された場所で」の 2作のオウム・ノンフィクションを手掛けた経験が、 初めてはっきりとした形で反映されている。 「ねじまき鳥」で掘り下げた「根源悪」が、 ここではさらに日常に溶解し、特別なものではなくなっている。 難解で、正視困難なテーマをここまで追及した勇気は 素晴らしいと思う。 一方、文章はかなり説明的であり、 キャラクター設定、状況設定の素案をそのまま読まされている ような気さえした。 頻発する安易な例えにも、集中力を削がれた。 重厚で深遠なテーマなのに、その点については残念だった。 | ||||
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村上春樹の小説「1Q84」。タイトルは、ジョージ・オーウェルの「1984」であると何人の読者が気づいているのだろうか。オーウェルの小説は、1949年から未来を予測した小説であり、村上のものは2009年から過去を、1984年当時を振り返って記述した小説である。この小説の中に、「もはやビッグ・ブラザーの出る幕ではない」という章がある。これは一種の逆説だろう。現在の私たちは、IT化によって恩恵も受けているが、行動が他者に筒抜けになっている。この「見えない他者」あるいはサイバーポリスといっても良いが、これは確かに1984年当時には予測も出来なかったことだ。だから村上の小説のキャラクターがそのように語ることも理解できる。 物語は全共闘の名残、自然と共生する左翼団体、それが宗教団体へと変貌する話や、有名17歳の女子高生の小説作家のゴーストライターをするようになった編集者の話、そしてクールな女殺し屋の話が入り交じりながら進んでいくが、これといって見るべきところはない。 私の知り合いは、「村上の小説は何も考えたくないときに読むための精神安定剤だ」と言った。私は彼の小説を読むのは始めてだが、なるほどファンタジー小説だ。してみれば、村上小説は、小説家オルダス・ハクスリーが、「すばらしい新世界」の中で登場させた、飲むと気分がスーッとする精神安定剤、「ソーマ」としての役割を期待されているのだろう。 私はタイトルから、この小説に「思想」を期待していたが、それが間違いであったことが分かった。 1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) すばらしい新世界 (講談社文庫 は 20-1) | ||||
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海辺のカフカ以来久しぶりの長編小説。作者の問題意識、現代という時代についてのつらい認識、オウム事件、等を背景に久しぶりにパラレルワールドとその収斂となる物語を描く。しかし意図的かどうかは分からぬが、この作者にしては珍しく話しが面白くなく主人公たちものびのびとしていない。いつもは本を置くことなく読了してしまう、頁をめくるのがもどかしい思いをするほどの喜びであったが、残念ながら今回はそのような喜びはなかった。途中失敗作かとも思ったが2の後半からの盛り上がりで何とか終わらせた。主人公たちの発言がどうもステレオタイプで作者の立ち位置とのずれも良く分からない。 | ||||
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なんというか、村上春樹という作者は損をしてるような感じがしてならない。 流石の文章力と知識で魅せる事が非常に巧くて素晴らしい作家だが、読者を突き放した作風は相変わらずで、この1Q84もそうだった。 進歩がない。 根底が幾つかの作品と共通しているのは村上ファンからすれば嬉しいことなのかもしれない。 しかし、彼の作風にいささか辟易している自分には逆にまたかいという苦笑いしか浮かばない。 これは当然なのかもしれない。 私は司馬遼太郎のファンで司馬氏のテーマは幾つか同じ物もあるのだが、それが魅力に感じてしまう。 でも、司馬氏の作品はわかりやすいので比べるのが間違っているかもしれないが。 要は村上春樹も少しは読者にすり寄ってこいよと私は言いたかったのだ。 でも、村上春樹らしさは希薄となる…ジレンマは殻を突き破る時に付き物だと思うのだが。 | ||||
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ハルキさんの小説を読んでいつも不思議に思うこと。 読んでいる間は、夢中になって、いつまでもずっと読みつづけていたい。 読み終えるのが惜しいくらいに。 なのに、読み終えると、何が書いてあったのか、 きれいさっぱり忘れてしまう。 この感じ、あのひとの書いた小説によく似ている。 そう、ノーベル賞をとった、あのひとに。 かれは認めたくないだろうけど。 | ||||
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日本を代表するベテラン作家の新作だけあって、なお且つ何冊か読んでいるので、(海辺のカフカなど)期待して、上下巻計二冊、発売日に購入して 一週間かけてじっくり、堪能して読みましたが、最初のBOOK1の方は、普通に楽しめましたし、展開も徐々に変わっていって楽しめましたが、BOOK2ははっきりって、退屈でした。展開は、鈍いし、ある人物の説明もなければ、主人公のことばかりで、うまく文章で、ごまかしているのに非常に退屈さを感じました。だいたい、あらすじを何回も解説してどうするの?まったく腑に落ちない部分がやや目立った形の作品になったと思います。もう少し概念的に人間模様を描いてもらいたかった。主人公だけではなく後半の最後の200ページは、本当に読むのが、かったるかった | ||||
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僕にとって、村上春樹さんの描く世界観は、もはや有効ではなくなってしまった。 きっと創造力はもう湧き出してこないのだろう。 「ダンス・ダンス・ダンス」までは間違いなく有効だったし、「ねじまき鳥クロニクル」も結構、有効に機能した。 今から読む人にとっては、最近の小説のほうが有効なのかもしれないし、世代によっても違うのかもしれない。 今さら「ツイン・ピークス」のボブみたいなのもどうかと思うが、語り口が洗練されていて、それなりには読める。「世界の終り〜」がもう一度読みたくなるという効能もあります。 | ||||
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長編はすべて、短編、翻訳本もほとんど読んだ村上ファンです。その前提で、今回は物足りないとおもいました。 比較するのはナンセンスとおもいつつ、無意識にねじ巻き鳥と比較していました。 魅力的なキャラクターが少なかったかも。スプートニクとねじ巻き鳥からダイレクトにお引っ越ししてきたひとたちがいましたが。。。 「階段」のすばらしさを堪能したので、この作品はこれでいいか、という結論です。 | ||||
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村上春樹が人気小説家で,期待の新作だというのは異論なしですが,発売前日に民法テレビ各局で「明日発売!!」というニュースが流れ,情報番組の一部では特集が組まれ…。どうも,ベストセラーにするための準備というか,作為的なものを感じます。つまりは,請け負った広告代理店が創り出したベストセラーということになるんでしょうか。 このご時世ですから,売れなければ話にならないわけですけれど,「皆さ〜ん,これがおもしろい小説ですよ〜」と刷り込むようなくどい宣伝に辟易させられては魅力半減です。 ※「勘ぐりすぎ」と言われれば否定しません。小説そのものの魅力とは無関係と思えばいいわけですし。 | ||||
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結論を先に言うと、 以前から村上春樹の作品が好きなファンにとっては、非常に満足できる 意欲作かもしれないが、以前から村上春樹を評価していない人、見切り をつけている人は、新たに読む必要はないかもしれない。 作風やテーマは変化しても、その根底にある著者の思想というか価値観は 変わっていない。根底が変わっていないため、第一巻は、新しい芽のような 変化が見られて大変面白かったのだが、第二巻は、ストーリー展開が結局 いつもと同じパターンになってしまっている。いつもと同じパターンとは、 1)主人公の男性が、才能はあるがそれを形にすることができない少女の 登場をきっかけに、現実とは異なる世界に巻き込まれていく。 2)主人公の女性も登場する。この二人の物語が同時進行して交差する。 現実の世界と、そうではない世界の境界をさまよい、時間と空間を超えて 邂逅する主人公の男女。(単なる男女の恋愛を、普遍的な愛と混同している ところが古臭い。) 3)周囲の登場人物たちが姿を消し、「失われ」ていく。主人公の女性も、 自己犠牲によって、周辺的な、「失われ」ていく立場に移行する。しかし、 主人公の男性は、ちゃっかり安全なポジションにいて、物語の軸となっていく。 ちょっと滑稽だったのは、知的で魅力ある女性たちが自分を捧げるほど、 主人公の男性が魅力的でないことだ。常に受動的・利己的で周囲を損なって いくこの男性、『ノルウェイの森』の時代なら通用したかもしれないが、 もはや現在では通用しなくなりつつあることに著者は気づいていないようだ。 しかし、主人公と同じタイプの読者にとっては、この小説は夢のように 都合良くできており、彼らに好意的に受け入れられているのは理解できる。 さらに、この小説の別の問題点は、共時性(シンクロニシティ)の安易な 多用だ。教祖や少女が、未来や人の心を読む特殊能力を持っているという 設定に甘んじて、彼らに全てを先取りさせて語らせてしまっているため、 出来事から出来事へのプロセスの記述が雑に省略されている。著者や出版社が 強調するほど、この作品は「物語」として上等なものではないと思う。 村上春樹は文章が上手く、作家として読ませる力があるので、つい作品を 読み進んでしまうのだが、そこに表出する思想や価値観が、保守的で古臭い ので、読了後、空しくなることが多い。宗教という重要なテーマを扱っている にもかかわらず、深い考察が展開されていないのも残念だ。ベストセラー 作家にはなれても、それ以上の存在になれない彼の限界を感じた一冊であった。 | ||||
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