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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全219件 181~200 10/11ページ
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購入したのは発売当初でしたが、本棚にある事に満足したままお預けに。 お盆休みでようやく腰を据え、一気に1、2と読破しました。 結論、お金と時間返して。不快感に対する慰謝料もって感じ。 でも村上作品って、解らない方が感性がないような気分にさせられますよね。昔はまだ響いてた気がするんですけど、私が老いたのか… そして購入者のどのくらいが最後まで読破したんだろう… | ||||
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出版されて直ちにベストセラーになったので、購入して読んでみたが正直「何これ?」っていう感じでした。著者が言いたいこともよく伝わらないし、内容もある一貫性がない展開で、私を当惑させてしまいました。最後まで読む価値があるのかと思い、途中でやめたのですが、いまだになぜ売れたか本当に理解できません。 | ||||
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青豆とタマルの会話は鳥肌ものでした。 ダサくて。すごいセンスで驚いた(ウケた) | ||||
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タイトルの『Q』はともかくも、1984年とはミッシェル・フーコーが死んだ年であった。 田中智志の『教育思想のフーコー』を読んでいたら、その没年を改めて確認し、どこか『1Q84』との暗合以上のものを感じた次第。オーウェルの『1984』以上に、フーコーの影を感じさせる作品だ。 それにしても、多くの本書レビューを読んでいると、村上愛読者には☆5つも☆1つもある種独特のお方が多いようですな。誤解を恐れずに言えば、多くの方が「自分だけハルキ」の趣きを色濃く持っていらっしゃる。小説や文学は「自分だけ」で語っても仕方ないのになあと個人的には考えております。 | ||||
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みんなも書いているけど、終わってないでしょ。これ。 伏線 未回収で物語は終了しないし、落語も小説も 落ちやさげ が無いと 商品だと思いません。 素直に BooK3を待て! って 帯に書いてくれれば 5つ星だったのに。 | ||||
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発売当初の爆発的で驚異的な売れ行きから、しばらくはどこの本屋に行っても手に入らず、これはさぞかしおもしろい小説なんだろうとそれだけ期待もガンガン膨らんでいました。なんかタイトルも不思議な感じだし。 やっと手に入ったので、読み始めました。 2つの話が同時進行。最初は大きな期待が原動力となって読み進めていましたが、次第に『ん?え?あれ?何だこれ???』とにかく物語に全く引き込まれないのです。官能小説じゃないのに不必要な性的描写、それもイライラします。あと、平家物語の引用?全く意味が分かりません。 なんかただ単にふわ〜っとした不思議な雰囲気を無理矢理作り上げているようで、それが全く心に響いてこないのです。読みながら、『そんなはずはない、ベストセラーなんだから・・・』と自分に言い聞かせるように読んでいましたが、BOOK1の終盤にさしかかるにつれ、なんか説明のつかない憤りがメラメラと湧いてきました。ショックでした、おもしろくなさ過ぎて・・・。『これが、こんだけ世間を騒がせた小説かぁ?』当然、BOOK1で読むのやめました。 が、しかし、ひょっとしてひょっとするとBOOK2になってからがおもしろくなるのかも!?とか思って本屋でBOOK2を手に取り、適当なところをパラッと開いて読んでみると、天吾とふかえりのエッチシーン。一瞬、その描写に本を床に叩き付けたくなる衝動に駆られました、『エエかげんにせ〜よ!だからなんなんだよ!』って。やっぱりこの本はダメでしょう。 いや〜、そんなことないよ、すごくおもしろかったよって感想の方、じっくり話を聞きたいものです。 | ||||
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あらかじめ申しておきますが、「面白い」と思う方の感想を否定はしません。 ただ、常連読者以外の人が読んで、果たして面白いかどうか・・・。 読んでみると、意外と「常套句」が多いことに驚きました。 きっと、村上氏の魅力は、そういうところにあるのでは無いのでしょうね。 情交場面の描写にしても、陳腐な18禁ゲームのテキストのようにしか思えませんでした。 きっと、村上氏の力量は、そういうところにあるのでは無いのでしょうね。 僕が言えることはただひとつ。 ブームに乗じて読んだ方が、無理して「面白い」という必要はありません。 だから、僕自身もハッキリ言います。 まったく面白いと思えず、BOOK1でやめました。 | ||||
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SF読みなら駄作だと分かるはず。 物語が破綻して許されるのは、ディックだけだ(笑)。 | ||||
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久しぶりに定価で本を購入。 出だしは快調だったが、2冊目に入ってからは飛ばしはじめる。 読後感は「つまらなかった、お金返してほしい」でした。 作者が何を言いたいのか,理解できなかった。 初めて読んだ村上春樹の本だったが、残念。 | ||||
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リトル・ピープルとはきっと日本人のことである。そのネタは、ランディ・ニューマンの 'Short People' からとられている。また、今回も露骨な性描写が含まれているようだが、これまでの村上の作品でもおそらくそうであり、ストーリーがだれないように悪趣味な暴力描写やセックス描写を挿入してしまうところが彼の「弱さ」を露呈してしまっている。そこが大きなキズとなって、いつまでも三流の小説しか書けないという、村上春樹の限界がある。まだ『1Q81』を読んではいないが、学校の図書館で借りられるようになったら、たぶん、読んでみようと思う。 | ||||
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あまりの酷さにびっくり。羊をめぐる冒険や、世界の終わり、、、の細部まで目配りした構成はどこにいったのか。仮想的な世界の構成に曖昧さがあるのはいいが、小説の構成が曖昧でどうする? エログロ・ナンセンス。これまでの村上ファンは強く読まないことを勧めます。 | ||||
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偉大なオーウェル先生の代表作である「1984」を意識しているのだろうが、 残念ながら村上春樹という作家とオーウェル先生は「なぜ本を書くのかという」根本的な意味からして 全く違う二人なので、よくもまあこんなにも不遜なタイトルを付けられたものだと感じる。 結局、村上春樹という作家は、何も考えていないのだと思う。 オーウェル先生を敬愛する者として不愉快極まりない。 | ||||
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残念です。お金返して欲しいな。。と思いました。 不完全燃焼というか、でも不完全燃焼でも良いんです。少しでも人物に共感できる部分があればそれはそれで吸収する物があると思うのですが。 まず、登場人物に人間味を感じませんでした。天吾は、それなりに良い男のようだし、体つきも立派で女の人をひきつける物を持っているし、話方も穏やかです。 それなのにどうして友達が一人も居ないんでしょうか。 人は社会にいる限り、よっぽど問題が無ければそれなに、いやおうなしに人との関りが出来てしまうと思うんです。なのに友達が一人も居ない。。。 孤独もあまり感じてないし、人生に嫌気もさしていない。 こんな人が居るのかなぁ。 青豆さんも心に愛があるから(それも10歳の時に手を握っただけの愛)どんなに孤独でも真っ直ぐに生きていけるし、いつでも死ねる。。なんて、全く理解できません。10代の時はそれなりに命を粗末にするような考え方もあるけど、もう30なのに。。。 結局最後は分けがわからず、なんじゃこりゃ、みたいな終わり方です。 説明しても分らないならダメみたいな事が書いてあるけど、もともと他人なんだから頭の中まで見通せる訳でもないし、まさかそれを読者に求めてるのかな。 すごくナルシストな小説だと思いました。 私には全く合いません。最後には腹立たしさが残りました。お金返して。。。 | ||||
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私は、中学生の頃から、大学生のいとこの影響で村上作品には触れてきました。 中学生にとって大学生という存在はずいぶん大人で、特にカルチャーの面での影響は大きく、早く大学生になりたいと思ったものでした。 だから、なんとか「村上好き」というおしゃれでかっこいい趣味をもって、仲間入りをしたかったのです。 でも、この作品を読んでようやく、結局は作家との相性が合わない事に気づきました。 読む事がやめられない面白さがありました。実際に2日間で読み終えました。 でも、心に残るものやストーリィに対する感動など、なにもないのです。疑問もありません。 せっかく読んで残念ですが、つまり作家と共有できる感覚がなかった事なのです。 この感覚は、私にとってはこの作品に限らず、私が読んだすべての村上作品に共通する事です。 しかし、イスラエルで行った彼の勇気ある演説では、 演説内容以上に、その演説を実際に行った勇気ある行動そのものに、とても感銘を受けました。 独特の観念の世界を描いているため、こんなに大衆的に受け入れられるとは信じられません。 ブームや雰囲気にのまれず、「村上春樹」というブランドを冷静に見つめ直す事が大事だと思います。 <追記> 後日、ある著名作家二人によるトークショーがあり、そこでこの作品が話題になっていました。 村上春樹は、影響を受けた作家にドストエフスキーをあげており、 この1Q84もドストエフスキーの影響を非常に強く受けているように見受けられると話していました。 ドストエフスキーの「罪と罰」を通した非常に興味深い洞察に、私の浅はかなで薄っぺらい読書観を恥ずかしく思いました。 かつて手に取った本や体験した事により、本はどんな読み方でもできる事を、改めて実感しました。 | ||||
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魅力がない。全く別のところからスタートした2つの物語が次第にリンク… ということらしいけど、その繋がって行き方も粗い…というか無理矢理過ぎでしょ。こんなんだったら何だってリンクするっしょ。こういうタルい緩い感覚がこの人の持ち味なの?大御所だからって、好き勝手独走しちゃってるけど、人を夢中にさせるような謎も切なさも魅力ももうないと思う。始終暗い雰囲気にしてりゃ謎めいてて高尚なものって訳じゃないだろ。まぁ売れたもん勝ちかぁ。 | ||||
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村上春樹作品は家内ともども大好きで全部読んで来たので、空前のヒットと聞けば買わずにはおれんということで購入し、読み終えました。 著者ならではの話の論理展開が良く計算されている点は分かるのですが、読んだ後の何か心に残るものが無い感じはとても残念です。これまた著者独特の語彙の多さや小難しい表現に脳みそを動かし続ける事と、引き換えに得られるものが薄い感じ。(昼間にやっている海外メロドラマがくだらんと思いながらストーリーは気になって最後まで読んでしまう感じ) ファンなら先ず読んでみないと、という感じですが、本屋で立ち読みしてからなら買わない類の本です。(まぁ気付くのは2冊目の後半かも知れませんが) 初めて村上春樹を手にする方には、あまりお奨め「したくない」本です。 それと、余計なお世話かも知れませんが、かなり唐突で露骨な性描写が続くので、思春期の子どもさんをお持ちの方は一考の必要あります。 | ||||
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一言で言うと、書きっぱなしという印象の強い文体です。 本家『1984』とG.オーウェルについても小説のなかで言及されていますが、そこまで明示的に間テクスト性を書き込んでおきながら、小説の内容から言えば、オーウェルの作品世界とはほとんど関連性がないので、あたかもオーウェルと関連があるかのような憶測を生むだけです。 チェーホフに関しても同様で、チェーホフにドストエフスキを代入しても内容には影響がないでしょう。この説明過剰な間テクスト性は、小説世界に不要な想像力を煽っていますが、強いて言えばこの傾向は『1973年のピンボール』から明らかで、『ノルウェイの森』で強くなり、『海辺のカフカ』では煩いほどの引用がなされるようになりました。 『1Q84』を読んでいると、物語の構造にかかわりのない引用や説明が非常に煩雑に感じられ、これは一体クリステヴァ以来の批評のまなざしをかわそうとしているのか、単に世界の読者を楽しませようとしているのか、不明瞭な印象を受けます。 『1Q84』を2度読むとすると、多くの読者は煩雑な説明的文章を飛ばしながら読むことでしょう。それくらい、内容的には圧縮可能な文章が多いです。たとえば、本文に登場する「柳屋敷」は「楡屋敷」であっても、「銀杏屋敷」であっても、『1Q84』の小説世界には影響を与えません。「柳屋敷」の描写はなくても良いくらいです。 文体云々より、この小説は物語として面白いでしょうか? BOOK1を読むと、BOOK2のプロットは大体予測がつくでしょう。BOOK3、BOOK4が刊行されるとして、その内容さえ多くの読者には予測可能でしょう。そういう小説が、物語として魅力的か、ということを考えさせられました。 | ||||
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ダメ。ムリ。残念。読み進めながらそんな単語しか浮かばない。 何?どうしちゃったの?この感覚、以前も身に覚えがある。「国境の・・」「アフター・・」の読了感である。 しかし、今回はそれだけではない。 強く感じたのは、構成の詰めの甘さ。一見意味のない長文描写には、なにかしら著者なりの(メタ的?)示唆があるのだろう。しかし、「アフター・・」での、眠りつづける姉をカメラ目線で描写しつづけるあの下らない下りにも似て、村上が1人悦に入ってくすくす1人笑いをしているような、左脳で計算した、しかも中途半端な物語の流れは、読み手に何かを伝えるでもない。 意味がないのである。 これが進化系の、この時代の小説なのだと言われればそれまでだ。 しかし、「これが新しい基準」とは、他に比べる何かがないからいえる詭弁である。 ひたすら「ムラカミブランド」が独り歩きし、その質を正しくジャッジする機能などない現況では、奇形化した著者の思い込みとエゴの転写された本書の程度の低さは指摘され得ないのだろうか。 浅い人物描写、不確かな時代考証、行き当たりばったりの人格表出・・・ 単に、読み物としてとるべき構成をなしていない。学びとるべき教訓、テーマまでたどり着く道程をなさないストーリー。 長く描けたと言う意味での「努力賞」で星2つ。 | ||||
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初めて村上氏の小説を読みました。 結論から申し上げますと「飽き性なら長編小説書くな。」という事です。 おそらく2巻で完結なのでしょう。 完結なら完結できっちり締めろ。という人には向かないと思います。 逆に読み終わった後、各々考える事を楽しみの一つとしている人にはいいかもしれませんが、無理矢理完結させた雰囲気は読者の8割が感じることと思います。 | ||||
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売れて売れて、品切れ続出との報道につられて探し回り、運よく購入。同僚らに羨ましがられ、何となく優越感を感じながら通勤の電車で読みました。引き込まれそうな部分もありましたが、全体としてよくわかりませんでした。適当に書いた安物のSFもどきっていうところかな?これは出版社の販売戦略にやられましたね。マスコミも片棒を担いだわけですね。作者は最終着地のイメージを持たずに勢いだけで書き上げたんですね、きっと。二冊でこの価格。この時間とお金、もっと有意義な作品に投じるぺきでした。 | ||||
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