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ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編
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ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全173件 101~120 6/9ページ
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ねじまき鳥クロニクルの「あの部屋」って「人間の精神の一番ややこしい部分」を描いてるのかな、と最近考えています。気難しい部分というか。どんな人だって「気難しい部分」っていうのを持っていて、例えば、他人との会話の中で、自分の大問題に対して安易な共感をされたり、何かをしようと思うとき「お前はそんなんじゃないやん?」みたいな押し付けをされたり、いろいろあると思うけど、心の奥の方が痛んで仕方がない時がある。自分の中の「気難しい部分」に他人の行動や言葉が触れて、気が狂いそうになる。親や友達とかあらゆる周りの人との関係の中にそういうのってあって、自分も他人に対してしてるかも知らないから、本当に気を付けないとだめなんだけど。 そして、そういうものが人生を通して積み重なっていって、神経症になったり、「自分はダメだ」と閉塞感に陥ったり、突発的な異常行動に走ってしまう。それが、この小説では、主人公とクミコの関係を通して描かれてる。 「井戸」の意味は相手を理解するためには、まず自分の「気難しい部分」と向き合い、見つめ、あらゆる要因(トラウマとか、その人の心が自由になるのを妨げる何か)によって生きることに行き詰っている他者の「気難しい部分」に気付けってことだろうか。ワタヤノボルの存在は、その人の「気難しい部分」を痛めつける象徴だと考えれば、複雑な物語が一気にクリアになる。 結局、「その人のことを理解出来た」と思った瞬間、その人のことを知ろうとする努力をすることを止めて、その人の「気難しい部分」を痛めつけるようなことを知らず知らずの内にしてしまうんだろうし、それだから、家族とか親しくなりすぎた友人との関わり合いって、難しいのだろうな。だから、他者との関係の中では、「こいつはこうだ」とか決め付けるのではなく、もっと「知らないことのほうが圧倒的に多い」という「開かれた心」を持って接しないといけない、と最近、改めて考えています。ややこしい物語だけれど、お薦め。 | ||||
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流れに逆らうことなく、 上に行くべきは上に行き、下に行くべきは下に行く。 上に行くべき時には、一番高い塔を見つけてそのてっぺんに登ればよろしい。 下に行くべき時には、一番深い井戸を見つけてそのそこに降りればよろしい。 流れのないときは、じっとしておればよろしい。 流れに逆らえば全ては涸れる。 全てが枯れればこの世は闇だ。 我を捨てる時に我はある。 抜け殻のようにして長く生きたところで、本当に生きたことにはならんのです。 抜け殻の心と、 抜け殻の肉体がもたらすものは、 抜け殻の人生にすぎません。 人生というものは、 その渦中にある人々が考えているよりも ずっと限定されたものなのです。 人生という行為の中に光が差し込んでくるのは、限られた短い期間のことなのです。 あるいはそれは数十秒のことかもしれません。 それが過ぎ去ってしまえば、 そして、もしそこに示された啓示をつかみ取ることに失敗してしまったなら、 そこに二度と機会というものは存在しないのです。 そして、人はその後の人生を救いのない 深い孤独と悔悟の中で過ごさなくてはならないかもしれません。 そのような黄昏の世界にあって、 人はもう、何ものをも待ち受けることはできません。 彼が手にしているものは、あるべきであったものの儚い残骸にすぎないのです。 | ||||
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この本を読んで、非常に癒やされました。はじめて、本というものを読んだような気がします。また、これ以上危険な本はないような気がします。全身の皮を剥くだとか、バットで頭をカチ割るだとか、そういうのは危険のわかりやすい部分なんです。本当の危険からするとそんなの全然危険じゃないんです。本作では間宮中尉が井戸の底で体験した感覚が一貫して語られているような気がしました。なぜそういったことを表現してくれる芸術がないのか、僕みたいな普通じゃない感覚の人には収まりきらない箇所をこの作品はぽっと埋めてくれたように思います。それは村上さんが読者の代わりに井戸に降りてくれたからだと思います。はじめて、本を読んで感情的に泣きました。芸術なんて私にはわかりませんが、全人格的に関わっていないものは偽物のような気がします。偽物に偽物を足したら本物っぽくなりますが、本当はそれよりも偽物を全力で偽物の方に留めさせておく力に私達は感動するのではないでしょうか。村上さんの自分というか、そういった世界に対する献身的な姿勢が私には見えました。心象や感覚や直感が深い作品だけに、見苦しい感じになってしまいましたが、こうでしか何か表現できませんでした。全芸術を含めて、最も偉大なアーティストだと思います。 | ||||
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仕事を辞職し、失業中の主人公の周辺でいくつかの不思議な出来事が生じる。氏の作品において今までに見られなかった暴力性というものを根底に見る事が出来ます。 「これまでの人生で、何かを本当に欲しいと思ってそれが手に入ったことなんてただの一度もないのよ。ただの一度もよ。そんなのってないと思わない?そういうのがどんな人生か、あなたにはきっとわからないわ。自分が求めているものが手に入らない人生に慣れてくるとね、そのうちにね、自分が本当に何を求めているのかさえだんだんわからなくなってくるのよ」 | ||||
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とにかく長くて難解なストーリーだ。 最後にたどり着くまでに何度も「やれやれ」と思う。 クリーニングに出しておいたワンピースとともに突然姿を消した妻を探し、岡田トオルの果てしない苦闘が始まる。 その妻探しの過程で幾度となく登場し、行く手を阻むのが義兄の綿谷ノボル。 学者にして、その後衆議院議員となる彼はまったくつかみ所がないが、読む者の心の奥になにやら「イヤ」な感じを残し続ける。 家の裏にある路地を抜け、空き家の井戸に降りるところから物語は様々な方面に波及し、つながっていく。 空き家の向かいに住む笠原メイ。 いなくなった猫を探す加納マルタと妹のクレタ。 預言者の本田さんとノモンハンで一緒だった間宮中尉。 謎の事業を行なうナツメグと話すことが出来ないシナモン。 長編かつ展開が複雑であるために、何度読んでもこの物語の主題がわからない。 間宮中尉から送られてくる長い長い手紙は、何を暗示しているのだ。 井戸の中と右頬に出来たアザには何の関係があるのか。 ギターを持った男とバットと綿谷ノボルに何の関係があるのか。 最後にはすべてのツジツマが合うかのように物語は終わる。 そして、読んだ者の心の中にはある種のうまく説明できない違和感が残る。 いつかまた読んでみたら、ふと謎が解けるのではないかと考えてしまう。 何か重要なことを読み落としているのではないか、と不安になる。 こんな気分になるのは村上春樹の作品の中で「ねじまき鳥」だけである。 きっといつかまた読み返してしまう。 | ||||
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良い小説は、目次を眺めているだけでも面白い。『ねじまき鳥クロニクル』(の目次)は最高の小説だ。 最初僕は、これは村上春樹はじめての詩集だと思っていたけど、やがてそれは間違いだと気がついた。だって『ねじまき鳥クロニクル』(の目次)にはプロットがあって、伏線があって、キャラクターがあって、文体があるからね。これは紛れもない小説なんだ。 たとえば第2部15章《正しい名前、夏の朝にサラダオイルをかけて焼かれたもの、不正確なメタファー》なんて、ことあるごとに口ずさみたくなるし、第3部の冒頭でいきなり《笹原メイの視点》だなんて、カッコ良すぎて思わず文庫本を置いて部屋の中をうろついちゃった。だって《笹原メイの視点》だぜ! どうしたらこんなにカッコ良いことばが思いつくんだろう? たぶんこの世で一番悦ばしいことは、カッコ良い言葉を一方的に浴びせられることだ。官能状態で息も絶え絶えの僕たちに、続けざまに第7章《よくよく考えればわかるところ》第11章《それでは次の問題》のコンビネーション、そして第40章《ねじまき鳥クロニクル#17》で完全にノック・アウトさ。「こんなに面白くていいのかい?」と何度も訊ねたくなったよ。ほんとに、『ねじまき鳥クロニクル』(の目次)夢みたいな読書体験だったな。本編の後ろには長々と自作解説がくっついてるけど、でもそういうのはちょっとやぼで好きじゃないな。 みんな、『1Q84』なんて読んでる場合じゃない。僕はもう20回も『ねじまき鳥クロニクル』(の目次)を読んだぞ。 | ||||
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全三部からなる、長大な長編ですが、一気に読ませる文章力が凄いです。この作品が文学と呼べるかどうか、そして村上春樹が近代文学の旗手かどうかの議論はさておいて、同年代、近年の小説家達とは一線を画す文章がこの作品では楽しめます。それほど凄い作品です。 三冊一気に読む事をお勧め致します。 | ||||
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自意識過剰。 鼻について読んでてもイライラするだけ。 どこがおもしろいのかさっぱりわからない。 | ||||
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村上春樹、誰もが一度は読んで「わかった気になり」、いっぱしの文学青年を気取る作家の代表ですね。 昔はまったく違う作家がこのような位置にあったのでしょうし、今の読者層が特に知的レベルが下がったともいえないかもしれませんが・・・これを傑作ともてはやす人たち、あまりに読書してなさすぎ。 20代までの若い読書好きたちよ、とりあえずトルストイやバルザック、ディケンズを読んでから、もう一度ここに戻っておいで。30代以上で村上春樹のこの本がいい!と思ってる人は申し訳ないですがそのままでいいです。 この作品は中学生くらいで読んで、「わけわからんけど、なんかおしゃれ!」、で終わっていいと思います。構成、表現、登場人物の作りこみ、すべて浅薄です。あまり読書してない人にはこういうのが深そうに見えるんでしょうね・・・。世の中にはもっともっと優れた本がたくさんありますよ!!! | ||||
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あることで非常に悩んでいたとき、むさぼるように本を読んでいて、この一冊に出会い、ぐいぐいと引き込まれるように読みました。その後、今までの悩みがふっ切れたようになり、また現実に戻ることが出来た。といった、出会えて本当によかったと思える本です。 | ||||
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私が馬鹿なのか?それともこの作品が難解すぎるのか? 言いたい事は何と無くわかるのだけれど、抽象的過ぎてついていけない……。 そうかこれが純文学か! 一応三巻全部読破するつもりだが、起承転結がなくて挫けそうになった。なんというかけれんみがないから余計に辛い。森博嗣を初めて読んだときと同じ置いてけぼり感を食らってしまった。 主人公がこの手のにありがちな透明さがあったという以外は……一巻は特に面白みがなかった。ここまで読み手を試す本は初めてだ。 | ||||
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「あなたは私と一緒に暮らしていても、本当は私のことなんかほとんど気にとめてもいなかったんじゃないの?あなたは自分のことだけを考えて生きていたのよ。きっと」 この三歳で祖母に預けられた経験を持ち、主人公と出会うまでは絶対的な孤独を背負い生きてきたクミコ(主人公の妻)の言葉に彼女が抱える深き苦悩と夫を心の拠り所としていることが如実に現れています。 最後半、二人がお世話になった預言者である本田さんの第2次大戦時の上官・間宮中尉の外蒙古での諜報活動が独白される中、恐らく陸軍中野学校卒の上級情報将校がソ連の将校・ボリスに全身の皮を剥がれる様が描かれますが、それはまたクミコが抱える苦悩や心の痛みの大きさが比類なきものであることの暗示でもあるのでしょう。 アムステルダムでの最後の英会話でフリージャーナリストの26歳の英国系女性は「ねじまき鳥クロニクル」のsurrealな世界にとても魅かれたと言っていました。ある種の人にとっては限りなく深い意味を持つ、村上さんの幾分かは自伝的な小説です。 | ||||
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とある大物芸能人が昔、 「ある女優さんの話なんだけど、その人は『この世界とは別のもうひとつの世界へ行き来することができる』って言ってて。 あっちの世界はこちらの世界とほとんど何も変わらなくて、瓜二つなんだけどあっちの世界では争いがなくてみんな幸せに暮らしてるんだってさ」 とテレビで喋っていた記憶があります。仔細は間違ってるかもしれませんが概ねこういう内容だったはずです。 読まれた方はご存知とは思いますが、この作品の中で主人公は似たような体験をしていきます。 個人的にその話とこの作品を頭の中で並べたとき―― その話は単なる作り話ではなく、 この作品は単なる物語ではないのではないか、という疑問に駆られてしまいます。 作品中ほぼ主人公の一人称で『性質も場所も時代もまったく異なる複数の物事(それ自体が随分と現実実がなく、荒唐無稽な話も少なくない)』聞いたり経験していきます。 全く関連性の無いそれらに対し、主人公は整合性に欠けているのを自覚しながら、説明のつかない、証明しようがないなにかを見出し、あるはずのない共通項を拾い上げ、縫い合わせていく。ある場所に辿り着くために。 他の評価の低い方のレビューを見て、まぁしょうがないかもな、という感覚もあります。 無茶苦茶だし気取りが鼻につくからなぁw でもこんな表現ができる作家さんってきっと滅多にいないでしょうね。 一部の後半では読んでいて体の震えが止まらなくなりました。本を読んでいてこんな経験は人生初(最後かも)でした。 見えるものだけが、科学で証明されるものだけが全てではない、と思っている方には是非読んでいただきたいです。 ちなみにはじめの大物芸能人は誰かというと『昼メガネ』と再ブレイク芸人にあだ名をつけられていた方ですw 以上、長文失礼しました。 | ||||
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日常の中に潜む些細な出来事が実は深い意味を持っている。その意味に気づくことは幸せなのだろうか?運命付けられているかのように受け入れるしかないいくつかの出来事。 透明な悪意に満ちた世界にパステル調の色彩のヴェールで紗をかける。そして人の心の奥底にそっとメスを入れる。独自の世界観を大上段に構えるわけではなく、静かに語りかけるように説き続ける筆者。 今、村上春樹を語る時に使われている此れらの修辞は、良きに付け悪しきに付けこの作品にこそ相応しいと思う。 しかし、いかんせん構成、展開ともに凡庸で最後まで読み通した充実感が無い。部分的には印象的なエピソードが多いだけに、はっきり言って途中で読むのを止めても読後感は大差無いかもしれない。 蛇足になるが、主人公がひたすらカタカナフードを飲み食いしているだけといった印象が残る。 | ||||
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わたしは普段はSF小説以外の小説はほとんど読まない‥のだが、突然、村上春樹を一作品くらい読んでおこうかと思い立った。理由はいくつかあるのだが余り意味がないので省略。 どの作品にしようかと思ったが、迷った末に村上作品が初めて戦争を扱ったという本書にしてみた。 SF小説の場合は重要なのは設定とストーリーになる。どんな世界で、どのような事件が起こり、そしてそれが如何に解決されていくかが重要だ。逆に言えば、そこを要約してしまうと、その作品が魅力的かどうかそれなりに見当が付く。 ところが、本書ではそういった部分にはあまり意味がない。本書の主人公は奥さんと二人暮らしで、司法浪人しながら法律事務所で働いていたらしいが先日退職して今は雇用保険をもらいながら主夫業をしている。結婚直後から飼っていたネコが行方不明になってしまったので、働いている奥さんの代わりに家事の合間に探す努力もしている。 というのが設定であり、スタート時点のストーリーということになる。 そのストーリーの中で主人公たちと関わる人たちが紹介され、その人々が自分の身の上を語っていく。それなりに面白いエピソードもあり、すいすいと読ませてくれる。しかし、肝心のネコが見つかる気配はなく、ストーリーが進展したと感じさせる部分は第一部の範囲ではほとんどない。最後の方で登場するノモンハン戦のエピソードを語る人物の部分が「戦争を扱った」ということだとすれば、これはまた随分と意外な形での扱い方であった。 | ||||
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井戸や壁抜けに象徴される、無意識の方向に主人公がどんどん向っていくので、私はこの主人公が「本当に」「今」生きているのか、はらはらしながら読んでいた。意識が無意識にむかっていくと、人間は生きているのか死んでいるのかわからないような状態になる。井戸を掘るまではいいが、壁を抜けてしまうのはそういう意味でとても怖いことだ。戻ってこれないことだってあるから。こちら側とあちら側は、紙一重で違う世界なのだ。第三章で最後、笠原メイに会うという設定がなければ、私はこの主人公が最後までこちら側に戻ることができたか不安なままであったと思う。最後を読んで安心した。 日常生活って、現実的にはなにがあるということでもないのだが、ふとしたことで変化していくものだ。夫婦関係も、人生もだ。そういった「ふとしたこと」の中に潜む不可解さや深淵を書かせたら、やはり村上春樹の横に出るひとはいないかもしれない。さすがに読後は疲労感も感じたが良い作品である。 | ||||
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あまりに小説的に巧みな村上春樹氏の計算された書き方は、どうもいろいろな読み方を、読み手側の視点に応じて許容するようだ。本書、戦後の日本社会全体に潜む問題を扱っているようにも読めるし、また純粋に個人の意識の問題をメッセージにしているようにも見える。非常に巧みな計算された書き方ができる、村上氏ならではの表現だ。 また、村上春樹氏の言葉の扱い方は、丁寧に巧みで美しく、そのタッチは、まさにすばらしい音楽を聴いているような錯覚すら思わせる。海外の、特にアメリカ文学から、引き出してきた特徴的な表現が、さらに独自の形で展開されていく。 本作品は、ばらばらに完成されてきたパーツがまとまりながら、3部作として完成したという、異例の流れでできた。国境の・・も、ねじまき鳥との関連で書いた作品だという。 今後、これを越える作品を村上さんが書けるのか、まったく違う主題に行くのかどうするのか。。ファンとしては期待し続けたいと思う。 | ||||
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評価高いけどほんまに共感できたんかなあ?主人公しょーもなすぎ。ユーモア無し、個性無し、もちろん友達無しと、そら嫁さん家族から嫌われるわと納得。まあ登場人物皆基本個性なさ過ぎやけど。文体はキザやなーって思ったけどストーリーの進め方は確かに流石やなと思った。でもいかんせん登場人物の喋り方や行動にそれはないやろーのつっこみどころ満載。 | ||||
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昔ちらっと読んだ時にはもって回った、回りくどい文体で読みにくいと敬遠していました。 が、最近本棚を整理していた時に見つけたのでせっかくだから読んで見る事に。 ・・・食わず嫌いは良くないですね。 様々な要素が詰まっていてさらには主人公の内的世界にまで何の断りもなく放り込まれるので 状況を把握できるまでには少し時間がかかるかもしれませんが、その過程すら楽しんでいくのがこの作品だと思います。 | ||||
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一年くらい前に初めて読んで、今回また再読してみました。 「流れというのが出てくるのを待つのは辛いもんだ。しかし待てねばならんときには、待たねばならん。その間は死んだつもりでおればいいんだ」。作中に出てくる本田さんの言葉です。 ネコの失踪という問題に始まり、香水のニオイを残していなくなってしまう妻。物語がじょじょに流れ出していく第一部です。個性豊かな登場人物たちや、主人公の悩める心情に共感しているとあっという間に読んでしまえる一冊です。 | ||||
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