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ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編
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ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全173件 41~60 3/9ページ
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私のような平凡な人間にはこの中のひとつのエピソードだけで充分なくらいに目まぐるしく物語が進んでいきます。それが小説の面白さなのだといえば、この作品は評価に値します。ただ、モンゴルの井戸の底には太陽の光は物理的に届かない。北回帰線より北だもんね。重要なモチーフの場面だけに、春樹それでいいのか? 編集者も気付かなかったのでしょうか。 | ||||
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もう読んでから10年は経つかな、あとはごくたまに出だしの方読み返すか、位なんだが、こないだそれやっても、いいなあ、上手いなあと思った。最初読んだ当時の印象のまま書くと、出だしから違和感、非日常感、これから何が起こりこの小説を読む事で何を得られるのか、といった小説そのものの中味から来る期待感と世間の村上春樹小説への高評価から来る期待感がないまぜになった気持ち、ディテール展開への興味、まあスパを茹でるシーンや何やにサラリーマン生活を送って来ずジャズBarだっけ送って来た生活の特異性が出てるのは初期作品からなんだけど、それやこれや色々期待を持たせながら読み進めさせて、それなり納得いくくくり迄持って行っている、途中で世界観そのものを示唆、暗示するような穴こもりシーン、短編集中国行きのスロウボートの中の午後の最後の芝生に次ぐ村上作品中、私的高評価作品です。 | ||||
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私は今まで村上春樹の作品は何冊か読んできた。そして独創的な作品だな、とは思いつつかといってそこまで好きというわけではなかった。 この『ねじまき鳥』は今まで読んできた村上春樹の作品の中では一番好きだ。少なくとも作品にのめりこみ、分量は多いが苦も無く最後まで読むことができた。その意味で私はこの作品を春樹の作品として他人にすすめるであろう。 しかしその反面、結局読み終わって意味がわからなかったというのも事実である。物語とノモンハン事件の関連性、ボリスの存在、加納マルタとクレタの作品内における存在意義、クミコが結局なぜ去っていったのか、そして最後どうなったのか、結局わからないことだらけだった。 この作品に関する解釈・研究がネット上にもあり、おそらく作者は投げっぱなしにしているわけではないと思われる。私がこの作品を研究し、もう一度読めば見えてくるものもあるに違いない。きっと研究しがいのある作品である。だが、再読することは当分なく、当面私にとってこれらの謎は謎のままであることだろう。 文学解釈・研究が好きな方にはきっと好きになれるだろうが。 | ||||
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読み応えがあった。 初期の作品からは毛色が変わってきたような作品。 春樹作品に出てくる女性は好きです。 | ||||
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発送対応が早く、すぐに届きました。またコンディションも良く大満足です。 言うこと無しです。また利用したいです。 | ||||
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村上春樹という名前は流石に有名だから知っていたけど、作品を読んだことはなかった。 2010年、少し長く入院生活を送ることになり普段あまり本を読む方ではないけど、当時1Q84の3巻が大きな話題となっていたので作品にも作家にも何の予備知識もないまま全3巻を読んでみて、なるほどこういうお話だったかと。 つまらないとは思わなかったし、最後まで読めたけど とてつもなく面白かったかと聞かれればそうでもなく、 不思議なはなしだなと思いつつ、すごく魅力的だと思ったわけでもなく、 誰かに薦めようとはとくに思わないけど、読もうかなという人をあえて止めることもなく、 村上春樹という作家が素晴らしい才能があるのかないのかよくわからず、ただ有名だし売れてるらしいことは特に意外だと感じるわけでもなく。 村上春樹氏がノーベル賞を取れるか取れないかとくに興味もないけどもしいつか取れたら ああおめでとうございました、くらいには思うだろうし。 自分がどういう評価をしていいのかよくわからないので、試しにもう一作読んでみようと思って こちらの作品の1巻を古本屋で買い、 続きがそこには売ってなかったので2、3巻をAmazonで購入し、大分時間はかかったものの途中で投げだすこともなくこちらも一応最後まで読み終えて 結局 感想は1Q84の時からほぼなんの変動もなく、 本当に好きとまでいかないけど、嫌ではないんだな、自分はと客観的にとらえるくらいで、 どうも宙ぶらりんなまま、じゃもう一作読んでみようと現在海辺のカフカの1巻をもうじき読み終える所。 本当に自分がこの作家さんと作品をどう感じてるのか よくわからなくってどうもすっきりしない。 ひとつだけ、一巻の終盤に出てくる戦争体験の描写で、ちょっと表現がキツすぎて読みとばしたところが2~3ベージある。 読まなかったけどだいたいどんなことが書かれてたかは検討がつくので話のスジは理解できてると思う。 あと村上春樹氏の作品全体で感じるのは、作品そのものの評価はわからないけど、この人の大人向けのシーンの描写がどうもキモチワルイのと、 食事のシーンがなぜかすごく美味しくなさそうに感じるというところがある。 好きな人にはすごく好きになれる作品なのだろう。でも合わない人には合わないのだろう。 そして自分がどっちなのか、とにかくわからなく、今後もわかる気がしない。 どうでもいいようで気になる。 | ||||
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食わず嫌いだった村上春樹。「ハードボイルド・・」に続き第二段です。ノモンハンのことが書かれているということで歴史好きな私はこちらを選択しました。(ノモンハン事件のことはあまり関係なかったです) 二作目までの感想ですが、著者の作が面白いことは認めざるえないです。謎がどんどん出てきてすぐ本の世界に引き込まれました。ただ、読み終わってから思ったのですが、様々な話の関連性が結局不明な物が多いのでは?話が膨らみすぎて収拾できなくなった?と疑問が生じました。例えば笠原メイの視点は結構長いですが、結局個人的思いの範疇を超えないし、新京での話、(顔にあざ、バットで殺す)など関連がありそうで特になし?他にも細かく言えばまだまだあります。 あと、前作でも感じたんですが、この本を読んで自分の生き方や思考に何らフィードバックされるものが無い、また何かを考えさせるものが無いというのが残念です。(私の読み込みが甘いのかもしれませんが)この辺がノーベル賞受賞者との差なのでは?ただの面白い都市伝説的な物語にすぎないのか? | ||||
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著者の作品、「ノルウェイ」までは新刊を心待ちにしていたファンでしたが、 この話には入っていけず、初読時は序盤で挫折してしまいました。 10数年ぶりに再挑戦し、何とか読了したのですが、、、 やはり、しんどかったです。 この人の小説の、風通しのよさやシンプルさから一転して、 メタファーが多すぎな感じで、よく分かりませんでした。 二度三度の再読を要する物語のように見受けられますが、 そこまでのエネルギーが喚起されません。 それでも最後まで読めたのは、笠原メイらのキャラクターの魅力、 また、妻が一体何を抱え込んでいたのか、カッティサークの空箱とは?といった興味からでしたが、 わからずじまいでした。 もしかして「ツインピークス」みたいな謎解きに目線が行ってたのでしょうか。 分かりません。 | ||||
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本棚に長く放置していた新潮文庫版にようやく手を出した。やっぱり面白い。読みやすく、描かれている内容は明快ながらも(少なくとも、何を書いているか判読できない、という難解さはない)、ストーリーはいつも通り奇妙きてれつなまま。なぜノモンハン戦争を体験した元陸軍中尉が出てくるのか、そんな展開に持ち込む物語上の必然性(?)はどこに、みたいな野暮な印象を抱くまもなく、読み手を引きつけて放さない作者の想像力と筆力がそのストーリー構築の不自然さ、作為たっぷりの無理無体さを忘れさせ、むしろ不思議な自由感、自在感を醸し出していく。 固定電話が重要な小道具になる20年以上前の作品ながら、古びたところは窺えず、さて何がどうなっていくのか、期待感をキープしたまま、第2部へ。本棚から引っ張り出したのは、ノーベル文学賞の発表直前。今年こそ受賞するのでは、との「話題性」を意識したためで、第1部を読み終えたころ、ボブ・ディラン受賞のニュースに接した。しかし、こんなふうなユニークな作品(群)が世界中で読み継がれている限り、作者へのノーベル賞授賞の報は近い将来、間違いなく現実化するのでは?、75歳で受賞するボブ・ディランの伝でいけば、あと10年近くのうちに、などと余計なことも考えた。 | ||||
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非常に楽しく読んでいたのですが、山本が生きたまま皮を剥がされていく描写が気持ち悪すぎます。右の肩から剥がされていって、最期は赤い肉のかたまりになりました。読む人はエチケット袋を横に置いて読んだ方がいいですよ。夜寝られなくなりましたし、数日は頭から離れなくなります。 | ||||
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私は、村上春樹のファンというわけでもなく、著作も、「ノルウェイの森」をかなり以前に読んだだけであったが、最近、近代史で興味を持っている「ノモンハン事件」が取り上げられているということであったので、本作品を読んでみることにしました。 人気作家だけあって、文章も読みやすく、全三巻(三部構成)という長さもそれほど苦になりませんでした。 仕事を辞めて妻の久美子と暮らす僕(岡田亨)。 飼っていた猫が失踪したことから、生活が歪み始め、個性的な人物たちと出会う中、自分の人生というものを強く意識するようになるが…といったストーリー。 【第1部:ノモンハン事件】 この作品を読む動機となった「ノモンハン事件」は、物語の中心ではありません。 しかし、この第1部では、事件を体験した人物が語るシーンがあり、その壮絶な内容は、強烈な印象を残すものとなっていると思います。 【第2部:井戸のエピソード】 第1部でも、ある人物の井戸のエピソードが登場します。 この第2部では、妻の久美子が失踪し、混迷する主人公の僕が、井戸とある関係を持つことになります。 ここが第2部の読みどころでしょう。 【第3部:久美子はどこに】 推理小説のような捜査があるわけではないですが、主人公の僕は、この第3部で、久美子を連れ戻すために、努力を重ねていきます。 果たして、久美子は戻ってくるのか? なかなか面白い展開が待ち受けています。 【ねじまき鳥とは…】 題名にもなっている「ねじまき鳥」とは、一体何なのか? 世界のねじを巻く不思議な鳥、という説明があり、特定の人物のみが、その鳴き声を聞くことができるようです。 主人公は、歪んだ運命に翻弄されていくのですが、この鳥のお陰で、運命の歪み過ぎが防がれているのかもしれません。 | ||||
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実に粘着力のある物語だ。 「夫婦」というものの成り立ちを 描こうとしている。 ムラカミハルキは、自分というものを べっとりとしたゴムのようにして書いている。 ワタヤノボル という猫が行方不明となり、 その夫婦が 一体どうなっていくのか? 加納マルタのビニールの赤い帽子とジャックリーンケネディのような風貌 といわれただけで、彷彿として 浮かぶたたずまいは 同じ時代を生きてきたものなんですね。 綿谷ノボル が 虫唾の走るような人物として えがかれ、世の中を ロジックだけで わたっていく、 なんとなく 枡添厚生大臣 を思い出させる。 それが おもしろいことに 統一した世界観がないというのが世界観である というヒトなのである。 世界観を統一して持っているということ自体が あまりないことであるが、 持たないということをはっきりさせることも あまりない。 綿谷ノボル を読みながら、 マケーティングを研究している 研究者は ひょっとして 世界観を持たないから できるかもしれないなぁ とおもったりした。 ひたすら、現実で起こっていることを 忠実に分析、解析して そのなかから ある方向性を 探り出す。 それは 流れに従うことに他ならない。 自分で、あたらしい流れを作らないというところに マケーティングの真骨頂がある。 日本国民ほど 世界観を持たない奴はいない と感心する。 間宮中尉の 独白は・・・戦争が ニンゲンという仮面を はがしていく作業で あることを知らせる。 ねじまき鳥は これからどうするのだろう。 | ||||
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毎年、この物語が始まる6月になると読みたくなります。 路地 空き家の庭 生い茂る雑草 レモンドロップ 笠原メイ 駅前のクリーニング店 加納クレタ 水族館 クラゲ 静かに降る雨 どこかで鳴くねじまき鳥 深い井戸・・・。 読むたび一気に引き込まれてしまいます。 わたしたちは多かれ少なかれ歪み・欠落を抱えて生きています。 その歪み・欠落を見ないように蓋をして生きる人もいれば、歪みを矯正しよう、欠落を埋めようと努力して生きるひともいると思います。 でもこの物語を読むと自分の抱えている歪みや欠落をちゃんと視たいという気持ちになるんです。 敵視するんじゃなく、ただ淡々と視てみたい気持ちに。 | ||||
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また『ねじまき鳥クロニクル』を読む、もう何回読んでるかわからない、 特に第1部、第2部が好きですね、そこにこの作品の「初心」が入ってる気がするんです、 たしかに第3部は村上春樹のその頃の新境地とも言えるけれど、まだ生硬というか無理してる感じがある、それも悪くないけれど、それまでの村上春樹世界の到達点が出ている1、2部が好きですね。 なんというか、その作品世界では「僕」は深い森のなかに迷い続けて、ときおり不思議な女性たちから何かの暗示を受ける、しかしそれはどこから来たものなのかわからない、 または不吉な危険が黒い影のように通り過ぎる、しかしそれもどこから来たものかよくわからないのだ、 すべては深く暗い森から来て、よくわからない暗示や危険を残して去る、なにも解決はされない、 そこで「僕」は迷い続け、それらのわけのわからないものたちに翻弄され、失われてゆく・・・ それが1、2部の概略であるように自分は見ます。 よくある読み方として、それらのよくわからないあらわれを、そこに意味があるものとして読む方法がありますが、自分としてはそうした読み方に疑問があるんですね。 この「ねじまき鳥クロニクル」という作品世界の良さは、そのよくわからないあらわれを、よくわからないまま、ばらばらなままに受け取って、それを意味づけたり統合したりしない方が、不思議な快感を味わうことができるんです、 たぶんその快感が無ければ、繰り返し読むことはしなかったと思うんです。 この「よくわからないものたちが、ばらばらのままあらわれてくる」ということは、現実にもあります、が、もしこの作品のようにそれが激しい現れ方をしたら、人は統合性を、ものごとのつながりを失って危険なところに出てしまうでしょう、 私たちが踏みとどまっているこちらがわの、その向こう側を見せてくれるからこそこの作品は魅力的なので、もしこれを統合した意味がわかるものとして、こちらがわの世界として解釈したら、その魔的な魅惑は失われてしまうと思うのです。 だからこの作品を統合された意味として読むのには、自分は反対です。 何よりも大切なのは、自分がまず深い森に入り込んで迷い、多くの不思議なよくわからないものと出会うことだと思います、 そこで「僕」はこちら側の世界から離れた、いわば浮遊したものになり、その浮遊はなにか懐かしいものを感じさせてくれるのです。 (まあ、現時点での自分にとっては、ということですが) その、離れた、浮遊した、懐かしいものとはなにか、と考えてみますと、自分の印象では「幼児から見た母との関係」ではないか、というイメージが浮かびます。 言ってみれば幼児には、母というのがなぜそこにいるかわからないんですね、でもすべてはそこからくる、良いものも悪いものもそこからくる、でもなぜかは幼児にはわからない、そういうものをその浮遊感は思いださせるんです。 いわば判断不能状態での全的受容、のようなものかな、、、 まあ村上春樹の作品について、母との関係をイメージするのは、評論として平凡ではあるけれど、自分としてはやはりどうしてもそこに行ってしまいますね、、、 だから自分にとって『ねじまき鳥クロニクル』を何度も読み返す行為は、深い森のなかに出かけて行って迷い、ふしぎな花や不気味な生き物と出会うこと、または幼児の原体験として全的な母との関係の中に還ることのようなものなのかもしれません。 でもさきに述べたようにそれは第一部、二部でのものであり、それまでの村上春樹世界の到達点を示すようなものではあるけれど、また第三部は違うんです。 そこからは村上春樹自身が転換点だと言うように、いわば深い森から抜け出す道を探る闘いであった、とも思うんです。 でもそれが成功したのかどうか、自分にはよくわからないところがあって、評価に迷います。 ただ、その深い森の中で迷う「僕」を救い出そうとする試みがなされたことはわかります。 そしてそれは自分にはまるで、母から離れる方法を見つけ出そうとしているようにも見えて、、、なんだかそこがよくわからないです。 そうしたことがわからないままにしていたいのかも、どうなんだろうな。 そうしたことを考えて、また読んでみます。 | ||||
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村上氏の長編小説の中で何回も読む気になるのは、この作品である。主人公である岡田亨をはじめとして、笠原メイら、悪として登場する綿谷昇も含めて、登場人物も魅力に富んでおいる。またプロットも妻であるクミコが逃げ出すところから始められており、パスタを茹でるところは村上氏らしいが、氏のほかの長編小説同様だが、読者を飽きさせるところがない。 特に印象深いのは、井戸に降りていくところだろうか。氏は、自分は小説を書く時には深く地下に降りていかなくては良い作品がかけない、と語っていたことがあった。主人公が自分を探るようにして、地下にもぐっていくところは、氏が深く地面に潜っていく姿と重なって、情景が目に浮かぶようである。またもう一つは、作中で重要な役割を果たす間宮中尉の目の前で、山本と言う男が悲惨な死を遂げる場面である。この小説では、暴力が大きな比重を占めているようだ。 ところで最近の作品である「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」、「1Q84」を読むと、この「ねじまき鳥クロニクル」に比べるとだいぶ劣る感じがする。「色彩を持たない」は、一般に評判の悪い「アフターダーク」よりも内容に乏しいし、「1Q84」はオーム真理教を想定しているのだろうけれども、単なる読み物でしかないように思われる。村上春樹に対しては、とても甘い評価が多かったのだが、「ねじまき鳥」の頃の村上に比べると訴えるところの貧しい作品が多くなっているような気がする。 | ||||
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奇想天外なストーリイといいシュールぽい場面場面と良い兎に角面白い。 | ||||
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どっかのインタビューで著者が初めて夫婦間を描けた、と述べていましたが、確かに今までのようにストーリー展開のなかでの恋愛はあっても 初めからこの小説では夫婦間の関係の齟齬から始まっていますね。結果、予め成立した社会的関係の崩壊とその修復の試みなり清算なので、この著者には珍しく観念的で形而上の概念を使っての文章の比重が多めです。結局、井戸というのも周囲の雑念なりを徹底的に排してその暗がりの中で延々と今までの関係なりを実存的なレベルで探っていくとともに、主人公の出会う特徴的な人物との繋がりをきっかけに精神的な深さや時間軸を遡って精神的な冒険をすすめていくための象徴的な舞台のような気がしました。 | ||||
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三部通しての感想です。これは、もし完全な悪というものが存在するなら、それが人間の形をしていようと破壊、つまり殺していいと言っているとしか思えなかった。以上。 | ||||
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彼は戦争を描写することで自分の作品の格を上げようとしていますね。 ストーリー展開も、自分の思う方向に進ませるためなら、万難を排除します。ありえないほどに。 海外では高い評価を受けるようですが、翻訳されることで何らかの変化が起こるのでしょうか。 正直、ノーベル賞どうこうは理解できません。 長々と3冊分も書いたのは大したものだと思うので星二つ。 | ||||
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全三作で結構な分量があるのですが、二日間で読んでしまうくらい惹きこまれました。個人的には、主人公が井戸(id)にもぐりこんで、そこから深層意識?の世界に移動してゆくところがすごくドキドキしました。人によって、色々な受けとり方ができる奥行きの深い作品だとおもいます。個人的には、1Q84よりも繰り返し読み返したくなる中毒性を感じました。何度も読みたくなる、名作だと思います。 | ||||
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