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ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編
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ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全173件 81~100 5/9ページ
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河合ハヤオとの対談にも出てきたけれど 村上春樹の中でターニングポイントとなったのは 「暴力性」をテーマにしている点。(第一部では 間宮中尉の語るノモンハンでの体験、第二部では 札幌ミュージシャン男を相手にしての野球バット対 空手の戦闘、第三部では綿谷ノボル殺し) 第一部はギャグの様なキャラが登場し続けるが 第二部になると突拍子もない体験談が徐々に リアルな問題へとリンクしてくる。第三部では 主人公も他人事ではなく、当事者として 非日常的経験の連続により「事件の核心」へと迫るが 明確な言語で語りうることは何ひとつとして 明らかにされないまま。 暴力性と憎悪をテーマにした短編は80年代の 作品にもいくつか見受けられたが本作は「四部作」 ほど読みやすくは無い。特に第三部以降の複数世界の 同時進行は読んだ後、読者が組み立てなおす事に。 異世界がひとつだけではなく、主人公の回想も 頻繁にカットインされる。 | ||||
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頭の中に風景が浮かびます。その文章力はさすがとしか言えない。 しかし、話の内容が僕にはつまらない。ので、なかなか頁が進まない。(涙) これで村上春樹作品を読むのは2作目だが、残念ながら僕には彼の良さがわかるまでには至らず。 今1Q84を読み始めましたが、これも・・・ | ||||
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春樹作品の中で、もっとも映像化して欲しい作品。技術的にもそんなに難しくないはず。 キャスティングして良いなら、主人公は加瀬亮、奥さんが栗山千明、奥さんの兄が堺雅人、シナモンが重力ピエロで加瀬亮の弟役だった子、その母は大竹しのぶ、クレタが杏、マルタはトリックの主人公やった女優さん、あひるの人って言っちゃう子が初代なっちゃん。 どうだろう? かなり見たい! ちなみにねじまき鳥クロニクルは世界の終わりとハードボイルドワンダーランドと背中合わせの作品な気がする。そしてシナモンは、海辺のカフカで、また微妙な役で再生している。 春樹ワールドは、1Q84まで地続きだから、単純に楽しい(^-^) | ||||
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正義と悪、現実と想像など、いろんな意味で境界が揺さぶられる作品です。 特に結末がそうとう不条理です。 主人公は、綿谷ノボルという敵に対して、彼の悪事を(本当にあったかどうかさえ)暴くことが出来ずに、結局敗北しているようにみえます。 そして愛する妻は、兄にである綿谷ノボルに「精神的に」汚された、と言い残し殺人者となってしまいます。これはあまりにも救いが感じられません。そして、そんなサイコな妻でも戻ってくるのを待つという主人公。 またそんな状況にもかかわらず、結末の描写は、アラサー男である主人公がティーンエイジャーの女の子と、のほほんとまったりしている、というものになっています。そしてよく考えると、その女の子も、また殺人者であります。主人公がたどりついたこの「超人的としかいいようがない」能天気な心境は、常人には到底理解できないもので、「やれやれ」とこっちが言いたくもなります。 手放しで、素晴らしいと感じた箇所もあります。これ以前の作者の作品にはなかった「日本文学」的な表現があります。間宮中尉の回想の場面がそれですが、それは圧巻の一言です。日本の文壇に対して批判的な立場を表明している作者ですが、この部分を読めば、その土俵でも抜きん出た実力を持っている作家だということがわかります。 そういう実力がありながらも、あえて徹底した不条理な結末にしたことにより、かつてのフリージャズが目指したような世界観が私には感じられました。 | ||||
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村上作品の中では比較てわかりやすい作品だ。 悪との戦い、それがこの物語のテーマだと私は思う。 ここでの「悪」というのは、人を支配するものだ。主人公である僕はその悪の中心である綿谷昇と対決する。 もっとも、対決といっても殴り合ったりとか、そうした戦いではない。それに、実際のところ綿谷昇がどれほどの悪であるかというのもわからない。 僕の視点で語られるので、独白で綿谷昇は悪いやつだとこちらに印象づけようとするのだが、しかし実際綿谷がどれほど悪いやつなのかはまったく書かれていない。綿谷昇は犯罪を犯しているわけではない。悪といいながらも、その実態は不明瞭である。 しかし、綿谷昇がどのような悪なのかについて書かれていない代わりとしてノモンハン事件がこの物語には登場する。 このノモンハン事件、物語に何か深く関わりがあるのかというと殆ど関係ないといっていい。 そのノモンハン事件のエピソードの中に皮剥ぎボリスというロシア人が現れ、その名前のとおり生きたまま人間の皮を剥ぐという悍ましい人間で、その描写もなかなかの生々しさがある。その皮剥ぎボリスは終戦後、シベリア抑留された日本人を管理する立場になる。その彼のもとで日本人は苦しめられる。虐げられる。しかしだれもボリスに歯向かおうとするものはいない。日本人はもちろん、同じロシア人ですら、歯向かえない。 なぜか? 日本人は捕虜なので当然かもしれないが、その上で彼らはボリスの生み出した恐怖によって雁字搦めで身動きができなくなっていた。日本人の中に裏切り者が潜み、もし謀反なり反逆を企んでいるものがいたら、その裏切り者に密告されて彼らは殺される。それを恐れて日本人はただただ我慢するしかなかった。 人間を目に見えないもので支配し、自由を奪う、それこそがここで描かれている「悪」だと私は思う。 綿谷昇もまさしくそうだった。ボリスは恐怖というわかりやすいものによって人間を支配した。しかし綿谷昇はもっと巧妙でわかりにくい。とてもわかりにくい。一見して好青年で、賢く、有能。しかし彼の奥底には人間を支配しようとするものがある。 それは綺麗な言葉であったり、学歴であったり、カリスマ性であったりと。そうしたものを見せつけて人を支配して意のままにしようとしている。 主人公の僕はそんな綿谷昇を倒して自由を得ようとする。その自由の証拠が、出ていった妻になる。 この物語はそもそもいなくなった妻を探す物語なのだが、その妻は兄である綿谷昇のもとにいる。つまり、妻を取り戻すこと=自由を取り戻すことなのだ。 そしていざ戦うのだが、精神の世界での戦いだ。実際に殴り合いをするわけではない。人の心を支配しようとする綿谷昇。その心に住み着いた綿谷昇と戦うのだ。 オウム真理教がそれなりに影響されているというこの作品。それを考えると綿谷昇は麻原彰晃になるのかもしれないが、麻原彰晃だけが綿谷昇というわけではない。人を支配して自由を奪おうとするものはそこら中にいる。そして、私たちはそうした相手と絶えず戦い続けなければならない。そのためにも他人の言葉にすぐに影響されてしまうような人間ではない、自分という存在の明確化、それが必要である。それが私がこの小説を読んで感じたものだ。 | ||||
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新刊当時の書評で、いくつもの謎が投げ出されたまま解決をみないで終わっているという主旨の苦言が呈されていた記憶がある。が、読んでみるとそんなものはこの小説の瑕ではない、とはっきり言える。長く読み継がれてきた多くの長篇小説がそうであるように、多種多様な解釈が可能であり、多くの隘路には思いがけぬ愉悦と思索が潜んでいる、そのような存在であることによって、意義を得ようとしている巨大で複雑な構築物。この小説はそのような楽しみ多き構築物に成りおおせていて、春樹さんの目論みは、8割方成功しているのではないか。 この作者の得意わざである、「僕」による一人称小説。処女作「風の歌を聴け」以来、この「僕」はあまり年老いることができない。そして、この「僕」はいつまでたっても春樹的モラルの体現者である。春樹的モラルとは、例えば、 1. 窮地に陥っても、いつも気の利いたセリフを言う。 2. 健康な性欲の持ち主だが、お金で女性をを買ったりはしない。(私もそうだ) 3. 保守的で、何故かすでに出来上がっている自分の価値観(それが春樹的モラルだ)から一歩も出ない。 4. その守るべき自己(価値観)を脅かす外敵(それが一つの悪であろう)とは、決然と戦う。 5. いつもスパゲティは自分で茹でる。(私もそうだ) などが、思い付くままに挙げられる。村上春樹は昔ながらの私小説の書き手ではない、と信じられているから、「僕」が現実の春樹氏とシンクロして年令を増していく必要などないが、それにしても、永遠に青春小説を書くのはつらいから、ついにノンフィクションにも手を染めたのか、なんて憎まれ口はさておき、ねじまき鳥と「アンダーグラウンド」では、人間性のもたらし得る悪を、まともに表側から、もちろん春樹式レトリックによって(それ意外に何ができる)描こうとした。 この人はもともと、生々しいものや、どろどろしたもの、重苦しいもの等について、それらに直接触れることを好まず、その痕跡や、それがかつてそこにあったことを伝える余韻のみを、言わば、本体が抜け出たあとの窪みを、スマートに描いて見せることで際立った小説家であったのだ。でもこれからは、どぎつく描いちゃうんだもんね。例えば、小説の末尾近くになって、「皮剥ぎボリス」という綽名が示される赤軍少佐。私は、このロシア人が日本軍間諜の生皮を剥ぐシーンを都営地下鉄三田線の車中で読んで、以後一週間ほど、飯も喉を通らず、夜はうなされて眠れなかった。文字通り悪魔の化身。悪魔の化身の悪魔ぶりがくっきりと描かれた。なんじゃこりゃあ。村上春樹の本を読んでこんな思いをするとは。何と生々しい表現の力。ただし、この「悪」は「ぼく」の身じかにあったわけではなく、その悪の化身によって踏み付けにされ、人生の中身を奪い取られてしまったような経歴をもつ老人の回想として小説中で示されるに過ぎない。すでに存在感の希薄な老人の語る「悪」に圧倒的な存在感が付与されているのは何故なのか。一方、「僕」に具体的な困難を及ぼした張本人とされるワタヤノボルとその悪は、あくまで抽象的、また遠隔的なものだ。 それにしても、今さら何ゆえ「悪」などに着眼したのか。 | ||||
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初めて村上春樹さんの著書を読んだ。今までなんとなく避けていた。 知り合いのアメリカ人に勧められ、日本人だし一応読んでみるかと手に取った。 読み始めると、ひきこまれて読んでしまうのだが、ここはいいや、と読み飛ばしてしまうこともしばしば。 最後はあっけなかった。 それでおしまい?という感じ。 獣医さんは?ボリスは?けむにまかれたような読後感だった。 でも、いつかまた村上作品を読んでもいいな、と思った。 | ||||
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どうしてかはよくわからないけれど、かなり惹き付けられる。 物語なんて、まだ始まってもいないようだし、それぞれストーリのかけらみたいなのはところどころに見えるんだけど、それらが全くつながっていない。なんだか写真をとっても近くで見ている感じ。 多分、第2部、第3部と読み進めていくごとに、その全体像があらわになるんだと思う。 でも、もしかしたら最後まで読み切っても、その写真の意味がわからないかもしれない。それぐらい長い序章のように感じます。 | ||||
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一人の人間が、大きな困難(憎しみ、怒り、不安、焦り、トラウマ)に立ち向かう時、どこにアイデンティティーを求めるべきか? 追い詰められ、パニック寸前の状態で、どうバランスをとればいいのか? 圧倒的に不利な状況の中、求める物を見極め、それをたぐり寄せるには? 主人公オカダトオルがとても静かで、しかし強い力を発揮し、それら難題に答えを出していくお話です。 エキセントリックな登場人物に達に励まされ、物事に対する姿勢を固めていく主人公…彼はユーモアを感じさせるほど淡々としていて、最後まで自分の構えを崩さない。地味なのに凄く格好いい。人間の強さの本質というものを主人公オカダトオルは、体現しているみたいだ。 | ||||
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結局これが最高傑作だと思う。 皮剥ボリス。 ストーリーテラーとして優秀すぎる。 ワタヤノボルの描写が類型的な気がするけど、それがどうしたってくらい全体の完成度が高い。 何度読んでもアゼンとする。 自分のことのように感じさせるところが傑作のアカシ。 村上龍や吉本ばななとの距離感がだいぶ広がった感じだけど、比較に意味はない。 村上春樹が勝ち馬だなんて、デビュー当時だれが想像しただろう。 それが才能だけでなく、修練と努力のたまものであるというのは、ある種の人たちには慰めやはげましになるんじゃないかな。 信じられない達成であり、快挙。 って20年後にゆうことちゃうかもしれんけど。 | ||||
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三巻読み終えたけど、結局、主要な登場人物(6人くらい)が渾然一体と、話の中で融和してるわけでは無いようだ それぞれが独立していて、でも主人公の目線だけで語られているから、読者の想像に委ねられている部分は大きい こういうのを、「純文学」って言うのかな ぶっちゃけ、「支離滅裂」って言葉の方が正しいと思うんだけど 春樹さんは相変わらず、比喩と、取って付けたような衝撃的なエピソードだけは上手いから最後まで読んじゃったよ! | ||||
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「海辺のカフカ」「1Q84」等の長編を読んだ後で本書を読み返してみると、これは「こちら側」と「あちら側」というハルキ・ムラカミが描きたいパラレル・ワールドの世界の前振りといったところに位置するといっていいのではないかということがわかる。 世界は一筋縄ではいかないいろんな物事のせめぎあいであるということを知るためには、多くの登場人物を登場させざるを得ない。その彼らと「僕」が否応のない付き合い方をしなければならないということだ。中でも一番重要な人物としての「妻・クミコ」との関係は最後の最後まで抜き差しならない緊張感を持つ。 「こちら側」と「あちら側」の世界を描くだけなら中・短編小説で十分かもしれないが、間宮中尉と本田伍長のノモンハン体験を描くことで、「あちら側」体験ができ、読者の恐怖心はいやがうえにも掻き立てられる。ターニング・ポイントごとにTVのCFのように現れる笠原メイの「お手紙」も、トイレ休憩のように必要なのだ。「僕」を空き家の井戸の底に閉じ込め、「あちら側」体験をさせるそもそもの発端がこのメイだ。 ナツメグ、シナモンは精神上の「僕」の心の支え。綿谷ノボルは「僕」とクミコの精神上の敵。異形の人物・牛河はその後のムラカミ作品にとっての要注意キャラ・・・・・ | ||||
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主人公が、ひょうひょうとしながらも不思議な世界を歩いていく。 相変わらずの性描写の不可思議さ。 村上春樹さんの世界を堪能させてくれます。 その中で、戦地での経験談のくだりは、妙なリアルさを感じさせて印象に残りました。 | ||||
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三部作なのですが二部までは序章に感じました。 前になかなか進まない展開にいらいらしましたが三部までの我慢です。 二部でそのまま終わられていたら☆2つくらいでした。 読むなら頑張って最初から三部買ってしまいましょう。 | ||||
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全巻分の印象になります。村上春樹作品は、本作のみ読んでいます。不遜にも著者の小説能力を試し見るつもりの不純な動機による読書です。読書時より間があり内容の細部には言及出来ませんが、凡そ簡潔で的確な文章力に好感を持ちました。名文を凝らす冗長さに煩わされることのない読書感が心地よいのです。併せて感覚に満たす技に長けた空間、状況、時や季節、もちろん心理等々の描写の巧みにして、同時代作家の定評を確かめます。この作品には、トレンドとしての残虐表現も含みますが、ここに於いても筆力になんらの差を見せることもなく、淡々とした風雅に含むかのような筆写には、なんの衒(てら)いもなく、なるほどと、この辺りに力量を認めざるを得ません。如何なるものも著者にとっては、筆写に難しくないようです。ではなぜ個人的な夢物語に類するような作品群にその表現を終始させるのでしょうか。これらの事情が小説家のそれでなく、現在の小説そのものの困難を示すのではないでしょうか。過去の大家の功績により、おそらく小説というものは、社会的影響力を持ち過ぎた。それが故にテーマ、モチーフ、表現を強いて抑制し、その[言力]の爪も奥深く隠さなければ、ならなくなった。"作品世界の雰囲気以上に、作家の何を言いたいのか分からない"ねじまき鳥によるクロニクルは、その他諸々に併せ、上記の事情も踏まえたものになるのでしょう。1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 31Q84 BOOK 2新作の意味深なタイトルにも何気に惹かれますね。 | ||||
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現代のノストラダムス、村上春樹氏の作品です。この本も、読者それぞれにメッセージが伝えられているような作品なので、一概に感想は言えませんが、私は次のように解釈しました。・中国、ソ連(ロシア)からの復讐戦を警戒しなさい。・マスコミ(特にテレビのコメンテーター)だからといって、必ずしも立派な人ではないので その言葉に騙されないように!(テレビは、一種のショーとして鑑賞するのがいいかもしれませんね。)わかる人にはわかります・・・。 | ||||
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初めて村上春樹さんの本を読みました。なんとなく手に取ったのが『ねじまき鳥クロニクル』でした。 (その時は3部まである長編だとは知りませんでした。) 読み終わったとき何とも言えない感覚に陥り、これが村上ワールドなんだと感じました。 特に第3部がすごいという感想です。どんどん惹きつけられました。 ユニークな登場人物、そしてクールな主人公の戦い、是非読んでみてください。 | ||||
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ノーベル賞を期待されていたということで、村上春樹さんの作品のなかで面白いという評価が多い本作品を初めて読んだのですが、気分が悪くなってしまいました。 私の好みが偏っているのかもしれませんが、人間最後は死ぬのですから、あえて闇をのぞき見るなんて、お小遣の無駄遣いをしてしまったような悲しい気持ちです。読み始めると引き込まれ、続きが知りたくなるし、芸術に造詣の深い河合隼人先生も面白いと書いておられるので、単に私の感覚と合わないということなのでしょうけど、ジャンクフードを食べ過ぎたみたいな気分です。 | ||||
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「風の歌を聴け」から始まる4部作では、「羊」で冒険に乗り出し、「ダンス・ダンス・ダンス」でとにかくダンスしながら自分の生きる道、愛する相手を探しました。それは高度資本主義が爛熟へと向かう社会に背を向け、とにかく自分にとっての真実を探す旅でした。そして、アメリカにわたり、今度は背を向けていた社会にコミット(かかわる)しようとしたのが、この小説のようです。そのコミットの手がかりは、著者がプリンストン大学で見つけたという、ノモンハンでの戦闘に関する資料でした。歴史と言うのは、いくら私たちが「個」に徹しようとしてもそこにあるもので、私たちは歴史の中の体験、悪などとは無縁では生きていけないのです(のでしょう)。この巻に出てくる加納マルタ、クレタ兄弟や、綿谷ノボル、本田さん、間宮中尉たちと歴史の旅に向かうのです。 | ||||
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第1部 P155 僕の人生は間違いなく奇妙な方向に向かっている。 猫が逃げた。変な女からわけのわからない電話がかかってきた。不思議な女の子と知りあって、路地の空き地に出入りするようになった。 第2部 P336 表面的に見れば、これは馬鹿みたいに単純な話なんだ。 僕の奥さんがどこかで男を作って家出した。 そんな単純な話を、「こちら側の世界」と「あちら側の世界」2つのズレた視点から、複雑に、象徴的に描写する。 話はけっこう飛び飛びで、断片的で、繋がっていない。 繋がっていないようで、けっこう繋がっている。 とてもいい表現で生死観が語られていたりと、非常に印象的な章もある一方で、 私の読解力不足のせいもあるだろうが、 このエピソードは必要なのか?と思う章がいくつもあった。 村上春樹の代表作をいくつか読んでみた。はじめはわかった気になれて楽しかったし、高揚もした。 しかし、このパターンばかりだと飽きてしまうなー わかった気がするだけで、実は何も残らない。 勉強不足なのかもしれない。ちょっと古典にでも手を出してみるかなー | ||||
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