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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全558件 261~280 14/28ページ
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「100パーセントの恋愛小説です」っていうキャッチコピーとクリスマスのような装丁に魅かれ手に取ったのは20年以上前のこと。 その時頭を悩ませていた、恋愛の解決のヒントになればと思い手にとりました。 初めて読んだときは全く理解できませんでした。主人公の行動や考え方も 特にすぐ寝ちゃうとことか・・・ あれから、折々にこの本を手に取り アラフォーにして少しだけ主人公の気持ちが経験と実感として感じるようになりました。それが幸せなことなのかどうか大いに疑問だけど・・・ これからも、時々読み直す作品だと思います。 過去を生きる人も、今を生きる人も そして未来を生きる人にも この作品は何かをもたらしてくれると思います。 皆さんにおすすめいたします。 | ||||
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私はビジネス書は1000冊以上読んだのだが、こと小説は読まない。正確に言えば読まない人間だった。私にとって、文字を読むことは苦痛に近く、もっぱら自分のスキルを上げるという効果を得るためにだけに読むものだった。だから、歴史ものとか、小説とかは全く読まない。そういう人間だった。サラリーマン生活を辞め、最近起業した私がふと、ノーベル賞受賞なるか?の話題で村上春樹氏の名前が出るたびに、気になっていた「ノルウェイの森」。1Q84の前に読んでおきたくて手に取った。初版が出たのは1987年というから、すでに23年が経過する。当時は「今週のランキング」で良くノルウェイの森が上位で紹介されてたのを覚えている。さて、本文を読んでみて数行で、虜になった。体中に電気が走るような感覚がありました。ちょうど私の年齢の37歳の主人公から始まる点、飛行機が好きでB747と言われるだけで具体的にジャンボジェットがイメージできるという自分の指向性がそこにあるのは町がいないのだが、それにしても、描写が美しい。声に出してみると、その語感もいい。そうか、これが小説か。村上春樹氏だから、こんなに美しい表現なのか。この本が良いと評価する人には初心者が多いとある方のレビューに書いてあったが、そうでもよい。初心者の私には、数行読んだだけで感動させるものがあります。最後まで読んで、下巻まで読んで、また感想を追記しようと思います。 | ||||
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人生に傷ついたとき、人生に迷ったとき手にとって見るとより良い本でしょう。まだ世の中の成り立ちが今以上にわからなかった10代の時にはじめて読んで、その時にうまく解釈できなかった部分のディティールはよく覚えていませんでした。そして、あの頃は鮮烈に焼き付けたものが今にはそれほど響かなかったり、たいしたことじゃないじゃんと思ってみたり。再び33歳になって手に取りましたが、はじめて読んだ後の人生の危機の時に思い返してみたら心を強くできたかもなと思いました。今となってはですが。様々な批評がこの本に対してはありますが、自分にとっては、はじめて読んだ若いころの思い出が蘇ってくる、古い流行り歌みたいな存在でしょうか。どうしようもなく翳りのある設定ですが、最後にそこから積極的に生きることを見出している作品と自分では解釈しています。 | ||||
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今更ながら、この作品を読んでみた。村上春樹氏の作品を全て読んだわけではないが、この作品は村上氏の最高傑作に挙げてもおかしくないほど完成された作品であった。作品を通して、大きな事件が起きるわけでもなく、悪人が出るわけでもないのだが、飽きずに最後まで読むことができた。風景や心情の描写はとても細かく美しく、ひとつひとつのシーンを映像として頭に思い浮かべることができた。 | ||||
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今回、この作品が映画化されるということでなんとなく手にとってみました。読み始めから「僕」の堂々巡りのような考えが延々、正直めんどくさかった。そして最後のレイコさんとのセックスシーンがあることでこの作品の後味が悪くなっている気がした。とはいえ、やはり登場人物の精神病や神経症系の細かい描写あたりは良く書かれてあると思った。 そして、登場人物たちの発言や行動から推測すると、直子とレイコは統合失調症、突撃隊は強迫性障害、「僕」は直子と死別したあと離人症になっていたと考えます。 | ||||
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この小説を初めて読んだのは約10年前、まだ10代の頃でした。当時は特に何かを感じるでも無く、私にとって多くの村上作品がそうである様に、結局何が言いたいのか分からない、という言葉で簡単に片付けられる事が出来る存在でした。しかし今回久しぶりに手に取ったこの本は、それまで私が思っていたのとは全く別の物でした。私の知っている一般的な小説とは、物事のありとあらゆる物事や描写によって、如何に読者にそれを伝えられるかと言う、その本文こそが全てであるのに対し、村上春樹という作家のそれは、物事や描写はただの手段に過ぎず、もっと奥底に秘められている物が主体の様に感じられます。作者の中に確固たる意思があり、しかしそれが現れるはずの本文にこそその正体を現さない為、作中の出来事も描写であっても、良く分からない、と言う現象が起こるのではないでしょか。しかし凄いのは本質が分からないにもかかわらず感じる、その圧倒的な感覚が本の中だけに留まらずに現実の世界にまで後を追って来て漂ってしまうという点です。今回それまでの評価と全く別の物になったのは、他の作品では感じた事の無かったその様な感覚に捕えられてしまった事にあります。そしてその正体の明かされていないその物こそが、村上春樹の作品の最大の魅力なのではないでしょうか。様々な評価や憶測が飛び交っていますが、その本当の意味を知るのは作者本人が明かさない以上大変に難しい事の様に思います。 | ||||
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映画化されたのでそれをきっかけに手にとりました。17歳という多感な時期に一番の友達キズキが遺書もなく死んだそこから主人公ワタナベを取り巻く世界のバランスが崩れてしまった他人の人生に深入りをしなかったら自分も平常心を保っていられただろうに・・・でも、他人と一番近くに感じることができるのは高校から大学のある一時かもしれない。この本は37歳のワタナベくんの回想から始まっているだから少なくともワタナベくんは自ら命を絶つことなくこの世界に生きているんだと・・・・本を読み終えた今ほっとしている。 | ||||
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この作品の評価は極端に別れるようですが、読者の反応を大きく左右する要素の一つに、度々登場する性描写があるようです。なぜ、登場人物が肉体関係を結ぶ必要があるのか、理解できないという意見をよく目にします。最近改めて読んで感じたことですが、この作品の性描写にはちゃんと必然性があります。性的なシーンがなくても物語は成立するという言う人もいるけれど、それは違うと思います。おそらく作者が性行為を描いたのは、作品世界と読者を、作者なりの方法で結ぶためです。他のレビュアーの方も指摘していますが、具体的な曲名や文学作品が多く登場する理由も同じではないでしょうか。ありふれた手法ですが、それらを介することで、作品に流れる時間と読み手の意識が繋がるわけです。この小説は、死者の記憶を共有する人々の物語だという言い方も可能でしょう。死んだ者の存在を、お互いの中に確かめ合おうとする彼/彼女等の想いが、この作品の一番奥にあるように思います。そしてその想いの深さは、同様の体験をしたことのない人間には、本来なら共有の難しいものではないでしょうか。言い換えるなら、物語という形式では、それを表現しきれない。文章という形式で伝えるには無理のある主題を、文章において表現しようするとき、この作者は一見必然性に乏しい行為を描くことで、その矛盾を飛び越えようとしたようのではないでしょうか。例えるなら、ストーリーという平面上の直線に対し、三次元的な振動を読む側の心に引き起こすことで、作品と読者を強く結ぼうとしているように思うのです。作中の生々しい描写は、多分読む手の心にぶつかります。違和感や不快感を抱くのは、自分の中に無理に踏み込まれたように感じるからでしょう。外側にある対象物であったはずの小説が、内側の予期していなかった場所にちょっと触れる。この小説を好きな人が、その魅力をうまく言葉にできないことが多いのは、こうした手法がうまく機能しているからのような気がします。反対に、嫌悪感を抱く人がいることも、作品の特徴を裏付けているのでしょう。はじめてこの本を手にする人には、村上春樹と言うあまりに有名な小説家の代表作であることはとりあえず置いておいて、作品の奥の方にあるものを汲み取るように読んでもらえたらと思います。 | ||||
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この小説にはさまざまな人格上の欠落を抱えた人たちが多く出てくる。彼らの多くはそのことを自覚しながら生きていて、そのうちの何人かは人生の途上で自らの命を断つという道を選んだ。途中、「生も死の一部である」という語り手の言葉が示される。この言葉から、自死というものを「道徳的に悪いことである」という図式の中に容易に回収させないようにしようという作者の意思を読み取った。「自死を肯定することはできないが、自ら死を選ぶ人生は存在する。そしてその存在を否定することはできない」という作者の肉声を聞いたように思ったのだ。読み終えた後も、「自ら死を選ばなかった人々」が、欠落を抱えつつも互いにひしめき合い、危なっかしくも人生を全うしていく人間模様が、心の深いところに刻まれたように思った。下世話な言い方になるけれど、人間の存在そのものにたいする愛しさがこみ上げてきたように思った。 | ||||
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1969年、東京。19歳の大学生、ワタナベは学生寮で 周囲と距離を置いた生活を送っていました。 そんな彼が、周りの人との出来事を通じ、様々なことを感じます。 それはどこか不思議な、特殊な感覚でした。 有名なベストセラーの上巻です。分量は302ページ、所要3時間程度です。 この巻では、ワタナベと彼を取り巻く主要な登場人物がすべて登場し 複雑なドラマが始まり、展開されます。 きれいな文学的表現が多いです。例えば、「まるで春を迎えて世界にとびだしたばかりの 小動物のように瑞々しい生命感を体中からほとばしらせていた。」 「初秋の太陽が彼女の頬の上にまつ毛の影を落とし、 それが細かく震えているのが見えた。」などです。 内容について語るのは難しいです。現実的かどうかと言われれば、 非現実的だと思います。ただ、まったく否定できるものではなく 誰もが持っている感情を、小説という作られた舞台を通じて表現した作品、 という感じでしょうか。 その感情を共有できるかどうかで、この小説の好き嫌いが分かれるような気がしました。 | ||||
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今からもう、10年以上前、大学生の時に読みました。そして、折にふれて、何年かに1度読み返しています。村上春樹の他の小説も大好きでよく読みますが、この本だけは本当に特別です。若い時に読んで本当に良かったと思いますし、読み返すと新たな発見とともにその時の感情がよみがえってきます。そして、小説と同じように、過ぎ去った時間を思い、過ぎ去った時間はもう永遠に取り戻すことができないことを実感します。いろんな作家の作品を読んでいくと、その人がその時にしか書けない作品というのがあることがわかります。そして、多くの作家は、大体初期の頃、そのようなその人にとって最高の作品を残し、後は何作書いてもその作品を超えることができないということが多い気がします(才能を出しきったというか、才能が枯渇したというか……)。村上春樹はそのようなことのない稀有な作家(それは村上春樹の生き方自体にも表れていると思います)ですが、それでも、この「ノルウェイの森」は、村上春樹にとって、そのような作品なのではないかと思っています。 | ||||
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等身大の人物たちがそれぞれの人生のなかで問題を抱え、悩み苦しみ、喜び、幸せを抱こうとして生きていく。問題は人生そのものである。人の数だけ生き方がある。死に行く者。残された者は生きている限り生きていかなくてはならないのだ。この本を読んだ人たちも自身の人生を考え生きて行くのだろう。村上春樹の文章には美しさの予感が漂っている。 | ||||
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この小説との出会いは、ファッション雑誌に載っていた「モテたいなら読め!!」という半分冗談交じりの特集に組まれていたことでした。それまでほとんど本など読んでこなかった私です。当時大学生だった私は、その有り余る時間ですぐに2週読んだことを覚えています。それから夏になると必ず読む小説になりました。小説の中で印象に残るような背景として使われているのは人が生活するには不便ともいえる程の山奥の冬の景色です。それなのになぜか夏に読みたくなるのは、文中の「春は人がコートを脱ぎ捨て、何を始めるのにも適した時期だ」とあるのが、私にとっては夏が恋をするにはあまりにも適した時期だと感じているからなのかもしれませんね。この本に出会ってからはこれまで出会った友達や彼女になんでもっとああしてやれなかったとかこうしてやれなかったのとか思うようになりました。たとえ相手が私のことを求めていたとしても、私は自ら膜を作り、殻に閉じこもり、彼らを本質的には受け入れてはいなかったからです。でもこの本に出会えたことで人との接し方も少しは変わったと思います。昔から親に「本を読め」と散々言われそれでもほとんど読まなかった私ですが、今となってはもっと本を読んでよけば良かったと思います。親は具体的に何かを求めてそう言っていたのかは分かりませんが、少なくとも私はこの本から何かを学びました。親が読んで欲しかった本はこういった種類の本ではなかったのかもしれませんが、この本にもっと早く出会えたら人生をもっと別の歩き方をしてきたかもしれません。そこまで私の心は揺さぶられたのです。「根拠のない行動」や「おしゃれぶった横文字は」はあまり私も好きではないですが、それでもこの流れるような読者を引き込むような文章にはそう簡単に出会えるとも思えませんし、そこにある村上春樹の世界観は何か人をひきつける魅力があると思います。単純にこの本に出会えたことはとても素晴らしいことだと思っています。 | ||||
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「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」「死は僕という存在の中に本来的に含まれているのだし、その事実はどれだけ努力しても忘れ去ることのできるものではないのだ。僕はそんな空気の塊を身の内に感じながら18歳の春を送っていた。でもそれと同時に深刻になるまいとも努力していた。深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではないと僕は薄々感じとっていたからだ。しかしどう考えてみたところで死は深刻な事実だった。僕はそんな生き繰りしい背反性の中で、限りのない堂々巡りを続けていた。それは今にして思えば確かに奇妙な日々だった。生のまっただ中で、何もかもが死を中心にして回転していたのだ。」「僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分との間にしかるべき距離を置くこと-それだけだった。」「だから読むのさ。他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。そんなものは田舎者、俗物の世界だ。まともな人間はそんな恥ずかしいことはしない。なあ、知ってるか、ワタナベ?この量で少しでもまともなのは、俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ。」「それを説明するのは難しいな。ほら、ドストエフスキーが賭博について書いたものがあったろう?あれと同じだよ。つまりさ、可能性が周りに満ちているときに、それをやり過ごして通り過ぎるというのは大変に難しいことなんだ。彼女たちは何かを求めていて、俺はその何かを与えることができるんだ。それは本当に簡単なことなんだよ。そんなのあっという間に落とせるし、向こうだってそれを待っているのさ。それが可能性というものだよ。可能性が目の前に転がっていて、それをみすみすやり過ごせるか?自分に能力があって、その能力を発揮できる場があって、お前は黙って通り過ぎるかい?」「そうだよ。ゲームみたいなもんさ。俺には権力欲とか金銭欲とか言うものはほとんどない。本当だよ。俺は下らん身勝手な男かもしれないけれど、そういうものはびっくりするくらいないんだ。いわば、無私無欲の人間なんだよ。ただ好奇心があるだけなんだ。そして広いタフな世界で自分の力を試してみたいんだ。」「人生にはそんなもの必要ないんだ。必要なのは理想ではなく、行動規範だ。」「まず、第一に相手を助けたいと思うこと。そして自分も誰かに助けてもらわなくてはならないのだと思うこと。第二に正直になること。嘘を突いたり、ものごとを取り繕ったり、都合の悪いことをごまかしたりしないこと。それだけでいいのよ。」「今更出ていったって、どうしていいかなんて分かんないわよ。」「でも新しい世界が広がるかもしれませんよ。試してみる価値はあるでしょう。」「一番大事なことはね、焦らないことよ。物事が手に負えないくらい入り組んで絡み合っていても絶望的な気持ちになったり、短気を起こして無理に引っ張ったりしちゃだめなのよ。時間をかけてやるつもりで、一つ一つゆっくりとほぐしていかなきゃいけないのよ。時間がかかるかもしれないし、時間をかけても完全には治らないかもしれないわよ。待つのは辛いわよ。」「たぶん私たち、世の中に借りを返さなくちゃならなかったからよ。成長の辛さのようなものをね。私たちは無人島で育った裸の子どのたちのようなものだったのよ。でもそんなこといつまでも続かないわ。私たちはどんどん大きくなっていくし、社会の中に出ていかなくちゃならないし。」 | ||||
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まずいつも思うことだが、小説やエッセイ等にこの類の評価は不必要に思う。参考書や実用書でもあるまいし、評論家気取りの評価者達の言葉にはうんざりしてしまう。平積みされたり、本棚に収められているものを手に取った時からその本と対峙し、読む。それだけでいいはず。こんな所に書いてある評価を読んで、本に対峙するのはやめて欲しい。 | ||||
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いわずと知れた村上春樹のミリオンセラー。中学時代にハードカバーを買って、読んだ気になって実家の本棚に並んでいたのを、2月に帰国した時に持って来ていたもの。映画化っていう話もあるし、1Q84でまた春樹ブームだし。結局、今回の帰国で読みながら帰って、また置いてきましたけど。ちなみに俺が持っているのは第30刷。消費税導入前で定価1,000円でした・・・。中坊の時に読んだ印象は、病院の話もあって、人も死んで、ちょっとエッチな話くらいにしか思っていませんでした。実際はほとんど覚えていなかったし。そりゃしかたないですよね。サケもオンナも知らないお子ちゃまが読んだって面白いわけがありません。性描写に妄想を膨らませることだけはあっても。ココロの病気についての知識もまったくなかったし。あれから春樹の作品はいろいろ読んできているわけですが、ちょっと何かの欠けた男の主人公と、彼を取り巻くちょっと不思議な女の子という構図は絶対ですね。やっぱり。37歳になった僕が当時を振り返って文章にしたというスタイルをとっていますが、これはやっぱり30代半ばのオトナになってから読むべき本だったんでしょうね。死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。これは本文でも太字になっている言葉ですが、深い言葉ですね。20年間誤解していた、ノルウェーの森はエロ小説だという認識は捨てさらい、生死について、生き方について考えされされる大著だと、認識を変えておきます。話題の1Q84 BOOK3は既に入手済みなので、今度時間が出来たときに、じっくりと読みたいと思います。 | ||||
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wikipediaによると、この作品は1987年に発表されものだという。2010年の現在から23年も前のことだ。日本はその頃、足下がふらふらとした不安定な、いつ割れるとも知れない巨大なる風船だということにも気がつかないまま、戦後空前のバブル景気に酔い、歌い、踊り狂っていた。日本人が大量消費という資本主義的な贅沢を覚え始めて間もない頃であり、性や人間性は好景気の溢れるような富という膜によって、逆説的に資本主義の浸食から逃れ、かろうじて尊重されてしかるものだった。溢れる物質と日本を包むオプティミズムは、喪失を、ファンタジーの中に存在するだけの、ロマンチシズムに占領されたペシミズムへと追いやっていた。翻って2010年現在。バブルの炸裂から20年が経過しようというのに、まだ日本は深い傷跡から立ち直れずもがき続けている。グローバリズム経済の終焉に追い討ちをかけられた、この空前の不景気という猛吹雪の中、守られなければならないはずの性や人間性は、何からも保護されることなく、援助交際や風俗、アダルトビデオ、日雇い派遣のように、ほんのはした金で取引される、ありふれ、凍てついた、下手をしたら誰も買い手のつかない、単なるつまらない消費財と成り果てた。すべての光を吸収する漆黒の暗闇のようなベールで包み隠された未来は、日本人の精神を極限まで疲弊さしめ、決して油の切れることのないドリルが、酷薄なる地面に、轟音をたてながら、見栄えの悪い、しかしながらとにかく巨大な穴を無遠慮に空け続けるかのように、心の奥底に喪失という深淵なる空洞を堀り進み続けている。この作品は、セックスが日常生活に氾濫し、グローバリズムが人間性を摩耗し尽くし、喪失が国民病となった現在の日本の予言の書だ。だからこそ、1987年の当時は画期的にその存在価値を燦爛とした暗黒の太陽のように輝かすことができた。「溢れるような量のセックスと精神病と喪失。なんだこの異様な世界は?」2010年の現在、そこに描かれる世界はほとんどそのまま、我々が細々と暮らす日常であり、1987年時点での暗黒の太陽の輝きは、まるでその輝きを受け身的に反射するだけの、三日月の微弱ではかない光となってしまった。「溢れるような量のセックスと精神病と喪失。 なんだ、そこらに転がっている、ありふれた、珍しくもない、ただの日常ではないか。」この作品は、だから、読み手の世代(読み手が過ごした時代)に依って、賛否両論、評価が分かれるのだろう。やれやれ、村上春樹が警鐘を鳴らし続けた、来るべき災難はすべて、どうやらとっくの昔に実体をもったリアルになってしまっていたようだ。この先の僕らはどうしたらいいのか、その答えはもしかしたらこの本の中に隠されているのかもしれない。 | ||||
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ずっと手元にあったけれど、なかなか読めずにいました。触りの部分だけ読んでは頭に残らず本棚へ戻して他の本へ…忘れた頃にまた触りの部分だけ読むというのを何度も繰り返し。読破もせずなぜこの作品がベストセラーなのか不思議だと考えていました。しかし一度読み進めていくと静かに静かに引き込まれていくのです。不思議な感覚でした。自分の体に浸透していくかのごとくすんなり入ってくるのです。これから下巻を読み始めますが、「ノルウェイの森」読破後、自分の中に何が残るのか、楽しみです。 | ||||
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●1回目主人公の学生時代の回想を中心に複雑な人間関係を描いた恋愛小説である。思春期の葛藤や人間模様、恋愛、喪失感などが巧に描かれている。 歪んでいる事は正常から来るものなのか、あるいは異常から来るものなのか…。 「生」と「死」という暗く重いテーマが随所に垣間見れるが、どこか情緒的であり美しさを感じる作品である。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- ●2回目ある事柄は対峙すればするほど無に近づいていくものなのでしょう。そして、それは予め想定が出来るものなのかもしれません。 「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」 | ||||
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賛否両論が繰り広げられる村上作品の中でも、特にその傾向が強い作品ではないかと想う。 当時この本を手にしたのは19才の時であり、その年代特有の微妙な感受性が強烈な共振、共鳴を受けた事を鮮明に覚えている。 それから20年近く経て読み返してみると、冒頭の主人公の回想する年齢と重なる故なのか、またまた違う意味での衝撃を間違いなく受ける事となる。 今改めて感じる事は、数ある村上作品の中で当作品はやはり自分にとっての原点であり、最も心に響くという事実である。 誤解を恐れずに咀嚼すると村上作品に魅せられる本質とは、金、女性、名声といった物事に執着しない主人公の生き様なのではと想う。多かれ少なかれ、男というものはそういう生き様に憧れており、求めており、同時に殆ど実現出来ていないからなのではないだろうか。 | ||||
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