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羊をめぐる冒険
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羊をめぐる冒険の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全164件 81~100 5/9ページ
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戦後の高度経済成長とともに生きてきた人すべてとは云わないまでも、とりわけ青春期を1970年前後に通過した者にとってみれば、その時代の気分や高度化した資本主義社会の一員として振る舞うことの意味、また存在価値や存在意義への渇望の裏返しのように漠然とした“虚無”に支配されているような感覚があったのだろうか。 この小説を読みながらそんなことを考えながら“冒険”とは何を意味しているのだろう、と自分自身をふりかえる。いまだ、その答えは見つからないけれど、この小説を読んでいて時代が放つ虚無的な空気は第六章(上巻)まででも充分感じとれる気がする。 本著は上下巻を通じて、第四章、第六章、第八章の“羊をめぐる冒険”三部作を含めて全篇八章で構成され、村上春樹の代表作長編『羊をめぐる冒険』として完結している。 「あなたのことは今でも好きよ」と云いながらすれ違う感情のまま家を出て行く妻に対して、僕は「君自身の問題だって言ってるだけさ」と応えるしかなかった。そして、友人と一緒にはじめた翻訳の仕事から今は広告代理店のようなことをしながら、耳専門のモデルとコールガールの二つの顔をもつ21歳の新しいガールフレンドと出会う。 ある日、北海道にいると思われる友人〈鼠〉からの手紙を受けとり、背中に星型の斑紋をもつ奇妙な一頭の“羊をめぐる冒険”がはじまる。僕は新しいガールフレンドとともに〈鼠〉と羊を求めて北海道へと旅立つのだった。 羊にまつわる奇妙な話が奇妙な一人の男から告げられるのだが、物語は大きな謎を秘めたまま後半(下巻)へと展開される。その男とはいったい誰なのか。右翼の大物とは誰なのか。星型の斑紋のある羊とは何を意味し何処にいるのか… さて、すでに読みはじめているけれど、下巻ではどのような展開が待っているのだろう? エンターテイメントな要素を孕みつつ読者の関心をひきつけ、思いがけない純粋な文学的世界に誘う独特の文体はさすがである。 | ||||
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僕と鼠もの最終巻です。(ダンス・ダンス・ダンスも一応ありますが) ラストの超展開には素直に驚きました。 その時に自分がどれだけ僕や鼠に惹かれていたのか実感させられました。 エピローグの感じも好き | ||||
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羊をめぐる冒険は、村上春樹青春3部作の3作目であり、完結編と帯に書かれています。しかし、読後どうしてもそれが完結したようには自分には思えませんでした(良い意味でです)。彼の青春3部作の前出2作は「風の詩を聞け」「1973年のピンボール」ですが、それらは海外での翻訳版が出版されていないようです。理由は、村上春樹さんがあまりにも未熟な作品だから、翻訳を差し止めたそうです。しかし、前出2作とも個人的には未熟な作品にしてはとても面白く読めたし、なにしろ1作目は有名な賞を受賞したほどです。彼の言う「未熟」とは、内田樹さんによると、前出2作はあまりにも完結度を求めすぎて過ぎてしまったことで、それが自身で未熟と言っている理由なのではないか、と考察されています。だとしたら、この完結さがあやふやな物語が自分に問おてくるものとは一体何だろうか? もう少し彼の作品を読まなくてはならなさそうです(それが楽しみで次作も読んでしまいます)。 | ||||
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村上春樹初心者である自分には、「羊をめぐる冒険」というタイトルから、物語がどんな風に展開されていくのか全然予想出来ませんでした。しかし、読み進めて行くうちに、当初全く現実感がなかったタイトルに、どんどんと現実味が帯びられていきます(こういうところが村上春樹さんの作品は本当に不思議だなあと思ってしまうところです)。僕と鼠と羊が交錯する、ファンタジーの様で、現実味たっぷりの村上春樹ワールドへの入り口がここにありました。 | ||||
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「僕と鼠もの」シリーズ、第三弾です。 以前の二作に比べると物語性が格段に上がっています。 前作『1973年のピンボール』から五年後が舞台でぼくは二十九歳になっています。 失われていくものが多くそれに大して抗わないぼくはなんて哀しい人なのだろうか。 読んでいて切なくなりました。 個人的には、ぼくが結婚していたことが意外でした。 | ||||
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青春三部作、三作品目の下巻だ。 ものすごくペンが走っている。 どこを読んでもすぐ物語に入り込むことができる。 舞台は1970年代後半の激動の社会である。 僕と彼女は北海道に入り、いるかホテルを拠点として調査を始めることにした。 素敵な耳を持つ彼女が決めたいるかホテルに探している山の写真があった。 オーナーと話すうち、同じビルの2階に羊博士の存在を知る。 写真の場所は、北海道の山の中にあると知りそこへ向かう。 そこは、親友の鼠の向かった場所であることを理解し、別荘で鼠の帰りを待つことにした。 そして、鼠と会うことができ、問題は解決した。 まさに村上春樹の世界である。 | ||||
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「風の歌を聴け」、「1973年のポインボール」につづく青春三部作の完結編だ。 まえの2作は、村上春樹らしさはあるもののとてもあっさりした作品だった。 この作品から突然、ペンが流れ出しているように思う。 まさに、昨今の村上春樹作品と通ずるところがある。 時間や場所を超越した描画もここから始まっていたんだ。 風の歌を聴けの最後で結婚していた女性とは別れていた。翻訳事務所のアルバイトの女性だったように思う。 そのころ鼠も町を離れたんだった。 鼠から、写真が送られてきていた。そこは、綿羊場で羊達が群れている。その中に背中に星形をもつ羊がいる。山が背景になっている。 広告用のポスターにこの写真を使った。 また、耳だけの広告の耳のこと、耳の持ち主のことが気になっていた。 撮影者経由でその耳の持ち主の連絡先を聞き出し、出会うことになる。 彼女には特殊能力があり、これから、始まる、「羊をめぐる冒険」のパートナーとなる。 ある日、黒服の男が尋ねてきて、死にかけている老人を救うために、背中に星形のある羊を探してほしいと依頼される。 期限は、1ヶ月、リスクが大きい仕事だが引き受けることにする。 手がかりは、星形の印をもつ羊と背景に山の写った写真だけだった。 耳の彼女とはすぐに男女の中になり、羊探しの冒険にも同行することになる。 羊に山、北海道だと思い鼠と羊を探す旅にでた。 | ||||
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正直なところ、"風の歌を聴け (講談社文庫)" と "1973年のピンボール (講談社文庫)" は プログレッシブ過ぎて理解できなかった。それまではガラス越しに眺めていたが本作で ようやく、ドアを開けて物語の中に入り込めたような気がする。まるっきり当てずっぽう ではないにせよ、あちこち歩き廻っているうちに謎が解明される。そしてその結果は喜ばしい ことばかりではない、というハードボイルド的な流れを一人称視点で共に味わえる佳作。 | ||||
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正直なところ、デビュー作"風の歌を聴け (講談社文庫)" 〜 "1973年のピンボール (講談社文庫)" はプログレッシブ過ぎて理解できなかった。(前二作を中編と捉えると)初めての長編となる本作でようやく、これまでの磨りガラス越しに眺めるような感覚を脱し、ドアを開けて物語の中に入り込めたような気がする。積極的とはほど遠い状況の下で主人公は回避不可能な依頼を引き受けることになり、まるっきり当てずっぽうではないにせよ、あちこち歩き回って調べていくうちに少しずつ、ヒントが提示され核心に近づいていく。しかしその結果は決してみなにとって喜ばしいことばかりではなく、痛みや苦みが伴うものである、というまさにハードボイルド的な展開に一人称視点がよく似合う佳作。六年後に発表された"ダンス・ダンス・ダンス〈上〉 (講談社文庫)"は本作の続編となり、個性的なあの人(?)にも再会することができる。 | ||||
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村上春樹さんの小説はどれも面白いですが、この本も抜群に面白かったです。 『ロング・グッドバイ』を下敷きにして『地獄の黙示録』に着想を得た、といったことを何かで読みましたが、読了して初めて、ああそうだったのか、といった印象です。 後半に、コンラッドの本を手に取る場面があります。 コッポラは、カメラワークで『金枝篇』等を画面に映して観客をある思考にひっぱてゆきましたが、村上氏も読者をぐいぐいと冒険の中に誘い込みます。 道に散らばめられた言葉の比喩を踏みしめながら歩いていると、あっと気がついた時は村上ワールドの入口を通過してしまったような感覚でした。 凄い小説だと思います。 | ||||
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面白い小説です。 村上春樹氏の作品のお好きな方なら間違いなく体の中に響き渡ってくると思います。 村上氏の小説が発する微かな震動は、伝わる人には伝わるのですがそうでない人には何も響かない、ようです。 しかし、世界中に受け手がたくさんいるのですから少し心強いです。 読み始める時には余り余分な情報を入れないで読むので、途中でジェイズ・バーとか鼠の話になったとき、あれっという仄かに豆電球が灯ったような喜びがありました。 後で知ったのですが、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』とあわせて三部作と呼ばれています。 幸い他の二作を読んでいましたのですぐにわかったのですが、もし可能なら順番に沿って読まれた方が良いと思います。 村上氏の小説は日常の隣に潜んでいるファンタジーを見せてくれているように感じています。 一度読みだすとやめられなくなります。 | ||||
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村上春樹作品はどれも、なんども読み返している。 なかでもこの小説はもっとも読み返した回数が多いいと思う。 おかげで夜眠る前に数える羊の背中にまで☆のマークがついてしまった。 村上春樹を読んだことがない友人に勧めるとしたら、私ならこの小説。 | ||||
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「風の歌を聴け」ではクリーンヒット「1973年のピンボール」では凡打とすれば「羊をめぐる冒険」は満塁ホームランっていうくらい村上春樹のなかでも初期の作品としては傑作。 もう読み出したらやめられなくって・・・・ 残りのページが少なくなるにつれて寂しい気持ちさえした。 読み終わったあとの感動とこれを凌ぐ作品が待ちどおしくなってしまうほどの魅力ある文体にひかれてしまうでしょう。 | ||||
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作品 といった感じです。 ダラダラした日常の取り留めのない現実感 ミステリー的要素 冒険的要素 哲学・宇宙的要素 フィクション全開の不可思議要素 その全てが感じられて、読後とにかく「不思議」な感覚になる スッキリでもなければもやもやでもなく、何とも形容しがたい気分になります。 <僕>がその時その時に感じる気持ちや受け取る感覚(というか空気感)の描写は、素晴らしく、ある時自分が<僕>かのような感覚にのめり込むほど入り込むことができる(ここは前作からだが) それとは裏腹に今回は「羊」や、終盤の<鼠>のような「非現実的」なキャラクターが存在する。それらが現実世界と折り合う感覚は、現実世界で本を読む私にはとても「不思議」な感覚でしかたがなかった。 村上春樹氏の小説は、お話によくあるような「きれいごと」「ご都合主義」というところが一切ない。 それが非常にリアリティを引き立てていて私は好きだ。 あと比喩が非常に上手いこと。 一昨目から比喩表現と自分の感覚がピッタリ会うと感じていたが、一昨目やニ作目には腑に落ちない表現もややあった(それは私にも落ち度があるかもわからないが)今回はそういった所が全くなく、違和感なしにスイスイ読めた(しかしその違和感が私を一昨目のファンにした要素でもあったが)。 文章も前作まで、特に一昨目のように分断され飛び飛びになっている所はなく、小説のスタイルが変わったのかなと思えるくらい時間が流れるままに書かれてあった。 感覚的な意見としては<僕>が最後に泣くことが出来てよかったね。と思った。小説の中でこんなにも全てを失う主人公って、いないんじゃ…?と心配になったが、少しの希望が垣間見えるラストだった。これからは自分が大事だと思うものを手放さないで生きることに立ち向かって欲しいと感 | ||||
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一貫性のある主人公とその世界だけど、 一作毎で伝えているものが全く違う。 今回は特にそう。 個の問題から普遍へのシフト 近代の価値観の崩壊 を思わせる ただ、個人的に<僕>はひどくつまらない人間になってしまったなという印象。 第一作から冷めた(自分を客観視しすぎ)性格だとは思っていたけど、 それがさらに進んで、なんだか社会に操作された操り人形のよう。 こう、「自分にしかない思い入れ」のようなものが全く感じられない。 耳のモデルの女の子が、「あなたは自分の半分でしか生きていない」 と言っていたけど正にそんな感じ。 自分で自分の人生を切り開くというよりは、与えられるものを適度に受け取って何となく過ごすだけと言ったかんじ そうすると失っても傷つかないから。 今の時代はそうしたほうが生きやすい部分があり、そしてそうなったのであろうと思った。 「手応え」というのがない時代なのだろう。 自分で体を動かさずとも食べるものがあり、 仕事もそつなくこなせば軌道に乗る。 お金も自分でいくらの額をどうして稼いでいるのかわからない 夫婦の誓いを結んでも、毎日に確かな「愛」を感じるわけでもない そんな「手応えのなさ」「不確かさ」が人々を不安にさせていて、 もはやそれに人々は(主人公や鼠も)気付いてさえいない そんな印象を覚えました。 この(上)で登場した「普遍性」が(下)でどこに行き着くのか楽しみです。 | ||||
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他の方が散々書いているように、この作品で村上ワールドが完成した、と言ってもいいでしょう。 風の歌、ピンボールで実験的に紡いできた非現実と現実の交錯させる独特の文学手法がこの作品で完遂した、と言えます。 内容は読みやすく、面白く、適度にスリリングで適度にミステリーで適度にアイロニー。 背表紙の文句に在るように、この小説のテーマは「好きだけど別れていく」ということになります。 それは時代のせいなのか、年代のせいなのか、それとも個の問題なのか。 それは読者それぞれの解釈の問題なので追求しませんが、「好きでも離れて行かなくてはならない」 ここにこの作品の底しれない悲しさ、寂しさがあるのだと思います。 個人的に大好きな作品です。もう何度も読み返してます。 1Q84は個人的に合わない、と言う人にも読んで欲しいですね。 ということで★5つです。 | ||||
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他の方が散々書いているように、この作品で村上ワールドが完成した、と言ってもいいでしょう。 風の歌、ピンボールで実験的に紡いできた非現実と現実の交錯させる独特の文学手法がこの作品で完遂した、と言えます。 内容は読みやすく、面白く、適度にスリリングで適度にミステリーで適度にアイロニー。 背表紙の文句に在るように、この小説のテーマは「好きだけど別れていく」ということになります。 それは時代のせいなのか、年代のせいなのか、それとも個の問題なのか。 それは読者それぞれの解釈の問題なので追求しませんが、「好きでも離れて行かなくてはならない」 ここにこの作品の底しれない悲しさ、寂しさがあるのだと思います。 ネタバレですが、最後の僕と鼠の会話の切なさは全村上作品の中でも屈指のものです。 弱さゆえに上手く生きられない鼠と、一般論で話を進めようとするけど、 同様にとても弱い「僕」。村上作品を読み続けるとこの章の重みがしみます。 個人的に大好きな作品です。もう何度も読み返してます。 1Q84は個人的に合わない、と言う人にも読んで欲しいですね。 ということで★5つです。 | ||||
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どうも深く理解することができない。 奇妙な男との会話(主に羊についてのことだが、右翼、洗脳と羊の関係性から、凡庸という言葉の概念など様々)はとても面白く、 例えも秀逸だが、深く理解することには至らない。どうもとっつきにくいのだ。 | ||||
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一二滝町の歴史についての記述はひとつのドキュメントを読んでいるような感覚がして、 リアリティを持っていたが、村上春樹作品の情景描写はイメージしにくい(作為的にやっているのかもしれないが)。 羊男って何だったのか、少しぎこちない気をまといながらの読了であった。 | ||||
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著者は 『そうだ村上さんに聞いてみよう』 という著作で、 読者からの「羊男は人間なの?羊なの?」 という質問にたいして、正解はないと前置きした上でこのように答えている。 「羊という病を背負い込んだ人間」 本書を18歳の時に読んで、早9年の月日が経過した・・・・。 世間には色々なタイプの「羊という病を背負い込んだ人間」がいることを実感している。 またそれは、ある側面においては、私自身のことでもあるのかもしれない。 | ||||
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