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1973年のピンボール
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1973年のピンボールの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全89件 61~80 4/5ページ
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「風の歌を聴け」から三年たった所謂初期の三部作の第二作である。主人公「僕」の変化を楽しむことがこの小説の面白さであろう。ピンボールへの向かい方は何かとても象徴的なものだ。文章全体に漂う殺伐感はまさに主人公の心情風景なのであろう。 村上春樹という作家の小説を読むと、この程度のことなら自分もかけるのではないかと錯覚を覚えてしまうが、これがなかなか手強くて、再読してみるとそこに書かれていることの深さを感じずにはいれない。日常を描くようでいて、まったくの物語をつくリ出しているところに気付いていきたい。 | ||||
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シリーズ第二弾。 風の歌よりちょっとボリュームアップ。 羊をめぐる冒険から読んでしまったので、これからという方はぜひ 風の歌を聴けのあとに読んでいただきたい。 *作品紹介には三部作とあるが2007年現在は四部作。 1.風の歌を聴け2.1973年のピンボール3.羊をめぐる冒険4.ダンス.ダンス.ダンス | ||||
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his is the English version of "Pinball,1973" originally written by Murakami Haruki. It is well translated into flowing colloquial English, but still keeps the atmosphere of the original book. The following extract is taken from his novel. "Call us whatever you like." The girls always took turns speaking. It was like an FM stereo check, and made my head even worse. "For instance?" I asked. "Left and Right," said one. "Vertical and Horizontal," said the other. "Up and Down." "Front and Back." "East and West." "Entrance and Exit," I managed to get in, not to be outdone. The two of them looked each otherl and laughed cotentedly. | ||||
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村上春樹は映画のシナリオ作家になりたかったとどこかで話していました。そのように考えるとこの小説にあらわれるアメリカングラフテイー風な登場人物及び人物の行動パターン、そして与えられている小道具大道具の類のカラフルでサイケデリックな雰囲気がいかに工夫を得て、全体を構成しているかが読み取れます。これはもちろん出来損ないの「羊をめぐる」ではありますが、出来損ないの「ノルウェイの森」そして出来損ないの「ねじまき鳥」もあちらこちらに散見する村上先生の事、このような作品があったからとて全く驚くにあたりません。 しかしこうしたパッチワークのような視覚的イメージを連らねながら、自身の感傷や精神的悩みについても適度にほのめかしの利く村上春樹。初期の作品ではありますが、完成度はかなり高いのではないかと思います。 | ||||
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デビュー作「風の歌を聴け」の次に出され、「羊をめぐる冒険」への橋渡しでもある作品。どうしても地味な印象は否めないが、デビュー作よりも文章に厚みが出ているのが感じられた。情景描写、風景描写がより具体性を帯びていた。また、テーマ自体がどんどん深く暗いところへ向かっていくのを感じた。ピンボールや、双子の姉妹や、配電盤などが象徴するものを理解することによって、これが単なるノスタルジーに耽るだけの読み物ではないことが解かるであろう。「風の歌を聴け」がわりとさわやかなノスタルジーを表していたとしたら、この作品はどよーんとした濃い空気の塊をノスタルジーとして僕の魂に残していった。そしてそれこそ、目を背けてはいけないものなのだろう。 | ||||
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「僕」と「鼠」呼ばれる人物を描いた3部作の中間に位置する物語と言われていますが、基本的には両2作(「風の歌を聞け」と「羊をめぐる冒険」)を読まなくてもストーリーは理解できるのではないかと思います。ただし、鼠と僕のエピソードをより深く知るならば、まずは「風の歌を聞け」を読むことをお勧めします。既に多くの方が書かれているとおり、この物語におけるクライマックスの数十台のピンボールが現れるシーンは、まるで実物を見ているかのように見事な描写で、とても深く印象に残るものがありました。他の春樹作品と比べると、やや難しい印象を受けましたが、その代わりに何度でも読み返せる、非常に味わい物語だと思います。 | ||||
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私が本作で強く惹かれた点は、青春の虚無感をずばりと言い当てている点です。 青春は、いつかは終わってしまいます。おそらくそれは、20代後半になるころには、どんな人間にも残されてはいないでしょう。 登場人物の1人である「鼠」の言葉を引用します。 “もちろん三十になろうが四十になろうが幾らだってビールは飲める。でも、と彼は思う、でもここで飲むビールだけは特別なんだ” また主人公である「僕」は、大学時代にピンボールにハマるのですが、そこから何も得るもののないピンボールに多くの若い時間を費やす様も、とても虚無的だと感じました。 | ||||
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「風の歌を聴け」の続編ともいえるこの作品は、60年代後半から70年代という時代をともに過ごしてきた人たちにとっては、一つ一つのエピソードが共感できるものであったり、また、その独特の「雰囲気」といったものが気になったりするのだが、今読み返してみると、若い人たちには、時代背景がわからないと作品の理解はむずかしいかな、と思ってしまう。 ともあれ、オヤジ世代には、ある意味の「ほろ苦さ」をともなった作品。 | ||||
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なんだかよく分からない、、、というのが結論です。 個性的な登場人物や、空想的な場面設定、どれも村上春樹らしさがでています。ただ、最終的にどこに向かうのかが良く分からず、他の彼の作品との比較で★4つというところです。 「ピンボールをめぐる冒険」、「ピンボール・クロニクル」という題名でもいけそう。 | ||||
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圧倒的に冴えた文章で綴られた処女作に続く村上春樹の二作目.三部作の中間ということもあり「風の歌を聴け」と「羊をめぐる冒険」に挟まれ,なんとなく印象が薄いような気もする本作だが,文章の切れは衰えてはいない.あの大ベストセラー「ノルウェイの森」のヒロインが登場したり「ねじまき鳥クロニクル」で大きな意味を持つ井戸についても言及していたりと後の傑作作品郡で輝く宝石たちがひっそりと包まれている.軽い気持ちでさらっと読めるので,ぜひとも多くの人に読んでもらいたい. | ||||
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配電盤の葬式、208,209の双子、耳鼻科の病院など難解な箇所が多々あります。主人公がピンボール台の3フリッパー「スペースシップ」との再会を果たす22章の10ページ半の文章は、僕の頭の中ではっきりと絵が浮かんだ。 | ||||
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で芥川賞やらずに、これでもやらなかった文壇。やっとけばいいのに。 風の‾から続く三部作の第二章。影に徹する鼠。関係が絶妙すぎる。 しかし、今読んでも何がなんだかわかりません。記号的すぎる双子、ピンボールマシンを探す僕、徐々に自分を失い始める鼠。それを絶妙な文体で書いて、もう読んでいるだけで心地いいのは何故だろう。 これは次の羊を巡る冒険、さらにダンス・ダンス・ダンスまでひっぱられている主題なので、次も是非。 | ||||
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日本文学なんて知らないよ、というクールな顔を装って現れた村上春樹だが、実のところ日本文学の「つまらない部分」には用がないということだったのだろう。この作品では、ピンボール台の捜索という一見荒唐無稽な物語を持ち前の軽やかな文体で描き、生きていく上での満たされなさや絆の崩壊といった深刻なテーマに取り組んでいる。ただ気になったのは「鼠」の登場する場面。出てくるたびに、やけにじめじめしていて、その苦悩ぶりはまるで昼ドラの登場人物のようだ(悩むのが悪いというわけではない)。著者の持ち味が殺されてしまっているように感じた。そのような意味で、この作品は前作と次作にわずかに劣ると思う。 | ||||
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ピンボールがそんなに流行ったなんて知らんかった。この話を読んで、初めて知ったよ。このころから春樹は書き方変わっているね。 | ||||
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数年前に読んだきりそれから一回も再読しなかった「1973年のピンボール」でしたが、村上春樹デビュー25周年ということで今回新装丁で再発行され、書店で見かけると、どうしても読みたくなり、ついつい買ってしまいました。 デビュー作「風の歌を聴け」と三部作最後の「羊をめぐる冒険」にはさまれるこの作品。この作品のみでの評価はとても難しいことだと思います。これに続く「羊を~」を見据えた上での作品であることは間違いありませんから。 簡単に言えば「僕」と「鼠」のパセティックな二十代の話。でも、それだけじゃない。一番気になるのがジェイが鼠に言った言葉。 「ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲め」 「アフターダーク」でもこの言葉が出てきます。「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」と・・・。しかも、ジョン・アーヴィングのようなリフレイン的な手法まで使って、何回か出てきます。「1973年の~」と「アフターダーク」は密接な繋がりがあるんじゃないでしょうか? この言葉の意味は?最初に思い浮かんだのは「破壊と再生」「喪失と再構築」こんな感じでした。確かなことはまだ分かりません。まだまだ熟読する必要のある作品だと思いました。 それにしても村上春樹っていう作家はどの作品を読んでもスゴイ!と思わせてくれます。読むたびに違った感慨が浮かぶ。ものすごい才能だと思います。 | ||||
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なぜだか解らない。が、僕はこの小説を三回か四回読んでいる。ただ単に、ゲーセンでピンボールをやることが多かったり、W村上世代だったから、ってので薄い本を選んでいるだけかもしれない。だが、この”ワタナベ”だったと思うが、主人公は僕の知る限り、殆どの主人公でおそらく著者の等身大をうまく投影させる。演劇科卒でジャズ、翻訳……。男として、日本では受け入れられない、が会社社会ではなく小説家。としては超一流だった。カレを何となくだが、嫌いではなかった。のが、再読の理由かもしれない。ただ、当初は珍しく、たまたまではなく最後に”捜し物が見つかる”というハッピーだがちょっと郷愁の残る、作品だ。個人的な(自分にしかない秘密めいた、理由亡きという意味で)ハードボイルド小説といえるのかもしれない。 | ||||
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ピンボールの19章を読んだ人は、この小説の地平線上に「アフターダーク」があることに気づきます。世紀をまたいでツナガッテイルのです。 | ||||
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秋の小説です。 軽快な文体で暗いわけではないのですけれど、小説を通じて喪失感や倦怠感が重低音のように貫きます。 おもに「僕」と「鼠」の話が交差しながら進んでいくのですが、ふたりとも凍って冷たくなった原子のように凝り固まって圧迫されていきます。 現状にたしかな感覚を得られないままどんどんすべてが冬に向かっていき、ふたりとも行方を見失っていきます。「僕」は最後に大団円はずっと先のことだと語っています。たしかにそれは1983年まで待たなくてはいけないことをぼくら読者は知っています。 軽やかなスタート・ダッシュを決めたのが「風の歌を聴け」だとすればこの小説はその後の村上ワールドのターニング・ポイント的存在だといえるでしょう。物語が紡ぎだされるまでの変遷期とでもいうような。 たしかに文体も最初と最後では少し変わっていますし、村上ワールドのキーワード的きらめきが随所に蠢いています。それは最新作「アフターダーク」までつづくような。 それでは具体的にどこから変わったのか? ぼくはピンボールの挿話のあたりからだと思います。むかし「僕」が熱狂的にやっていた恋人みたいなピンボール台が象の墓場みたいなところで凍っている話。 そういえば、いまゲーム・センターでピンボールをやる人はあまりいないなあ。 派手な仕掛けはありません。しかし人によれば、そっと心に添う小説だと思います。実際通勤途中でこの本をふたたび読んで会社をサボりたくなることがしばしば。会社なんて行ってられないね、というような。そういう意味では通勤・通学中はお勧めしません。 | ||||
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村上さんの本書を読んだ学生時代から20年たち、ハードカバーが再版されたので懐かしくなって読み返してみた。初期三部作の二作目だった。「風の歌...」の「僕」と「鼠」の二人の主人公の青春の倦怠の日々が村上さんオリジナルのウィットの聞いた形容詞で淡い色彩画のように綴られる。「鼠」はより深い闇に沈んでいき、「僕」は昔の彼女を憧憬を追い求めるように、懐かしいピンボール探しの果てに、倉庫に放置された数々のピンボール機に再会し、倦怠の日々から現実のまっとうな日々に戻る。同居していた双子の女の子も去っていく。今の言葉で言えば癒されたのかもしれないが、レビュアーはピンボールと再会は他力が導いて「救って」くれたように、感じた。カバーの佐々木マキさんのイラスト画も悪くない。(名前から、ずっと女性と思ってました) | ||||
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デビュー作 風の歌をきけ と 大作 羊をめぐる冒険の合間の作品でわりと地味とという評価が多いが 美しさと言う点では傑出した作品である。冒頭の井戸掘りの話からはじまり 最後は11月の雨で終わる本作は いたるところに水のイメージに満ち溢れている。そんな愛らしい小品ではある一方 前期村上春樹の一大命題である「直子」という女性が早くも登場し その悲劇性は既にノルウェイの森を予感させるものがある。個人的にはとても好きです。 | ||||
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