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天地静大
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【この小説が収録されている参考書籍】
天地静大の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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Rise of the Roninトロコンして幕末づいている中で読む。 ストーリーがよくて久しぶりに時間を忘れて読書した。 が、読むほどに主人公がきらいになって参った。その時代その土地の事情があるにしても、不幸にさせてしまうと分かっていながら妻をめとるとか最低だよと。ほんと嫁さんかわいそう。それでいて自分は江戸で好きな学問をしてプレイボーイ気取って、政治事には関わりませんとかさ一。あと主人公のパトロン的な人も無理だったなあ。 それ以外はよかった。 260年も続いた政体がエイリアンの侵略で明日にも崩壊するかもやばいよど一しよーっていう人々の特に武士たちの不安と混乱の様子がひしひしと伝わってきた。ほんとにちょっとの先も見通せないたいへんな時代だったんだなあと。 今から歴史をふり返ればこーなってあーなるからあーすればって思うけど、そうではなくてその時その場に生きている身になって考えることができた。やっぱりすごいな小説家っと思った。 そう考えると、主人公がその大変な時代にあっても自分を見失なわず、時勢にはすぐ役立たないけどその後の国家の基の一端をになうであろう学問にいち早くとり組んだのは敬服すべきかもだが、やっぱり好きになれない。まず嫁を大切にしろと。 やっぱり個人的には新撰組の物語てきな方が好みですの。 あーそうあと女性の言葉遣いの美しいことにもすごく感銘。 結局のところ、この作品絶対おもしろいよ幕末好きにはおすすめの一冊。 | ||||
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どのような状況に置かれても「天命に従い則を越えず」の生き方をする者は少ない。「天地静大」上下巻はこのような生き方を幕末の動乱時にした一人の若者の物語である。幕末の不安定な時代の中で翻弄される多くの若者の中で、主人公は学問を修めることを天命として幕末の動乱を則を越えずに生きるのである。天命に従い動乱を先導した維新の若者達の書は多いが、同時代に国家の基礎に必要な基礎学問を確立するために生きた若者たちの書は少ない。維新後の富国強兵政策で富国を支えたるために基礎学問の習得に努力した若者もいたのである。作者の幕末感がよく出ている長編小説ではもある。人類浄化という大嵐の中に生きる現代の若者達に勧める一冊である。 | ||||
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特にありません | ||||
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特にありません | ||||
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今、読んでいるところですので、読み終わったら再レビューします | ||||
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上下合わせてのレビューです。ネタバレはしてません、と思うが。 最後の作品を読み終わった。幕末、東北地方の小藩は佐幕派と勤皇派の争いで揺れていた。 若い侍・杉浦透は争いに加わらず江戸で学問を修めるべく旅立つ。 尊敬する藩主の弟・水谷郷臣は政治には関わっていないが、佐幕派から命を狙われる。 動乱の時代に、どちらの側にも組みしない人物が主人公という変わった小説だ。 作中で述べられているように、声高に正義を唱える奴が信用できないのだろう。 それは大いに理解できる。でかい声で大義を説く連中に騙されて、何百万という庶民が犠牲になった。いつの時代にも、日本でも外国でも。戦前・戦中を過ごした周五郎先生は、身に染みて理解しているのだ。狙いはわかるが、郷臣があまりにも茫洋としていて、ストレスが溜まる。無欲を通り越して無気力で、自分の命にさえ執着しない。武士として、というか人としてどうだろう。 「正雪記」に似た歯がゆさを覚える。 西欧の物理学に興味を示す杉浦のほうが、まだしも共感できる。 勤皇の資金と称して金をたかるゴロツキ浪人や頭でっかちで刀を振り回すだけの若い藩士たちは、いかにも時代を体現する人物だが、形を変えて現代にもいそうだ。 杉浦の恋の行方や陰惨な闘争など見せ場が多く、一気に読まされる。 しかし、最後まで焦点が定まらず半端な読後感が残る。このモヤモヤ感が、颯爽(さっそう)が嫌いだという作者の思惑通りなのかもしれない。 | ||||
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世情は混沌の幕末、主人公杉浦透は、そうした時世に煩わされることなく、ひたすらに己の道、学問に励む。出来そうで出来ない選択、それでいて力みもなく、如何にも爽やかである。何事も己の見詰め様、対し様、それを痛い程に知った本。 | ||||
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そして大成、見事な貫き方に、感動以外の何もなかった。山本周五郎にして、教訓めいたところ少なく、愛蔵の本になる予感に満たされている。 | ||||
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懐かしい作者の本だから | ||||
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明治維新前後の歴史、若者の体制への批判、期待がよく表現されていた面白かった。 | ||||
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正直、タイトル間違えて買ってしまいましたが、、本自体はとても状態の良い物です。 | ||||
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面白かった。 | ||||
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面白かった。 | ||||
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山本周五郎『天地静大』下巻は物語の速度が増す。主人公・杉浦透が勤皇か佐幕かという世の政治熱から距離を置こうとする気持ちは共感できる。「この国における政治が、つねに権力の維持と、反対者の抑圧にのみ専念し、国ぜんたいの利益のためにはなにもしていなかったし、現在「王政復古」を叫ぶ人たちもまた、政権の交代を目的としている、とみられる点が多い」(170頁)。これは明治維新を権力争いとする私の歴史観とも合致する。 本書は江戸時代の幕藩体制による個の抑圧を描いている。一方で武家の娘の「ふく」は大胆である。歴史小説を読んでいると思っていたが、「ふく」の登場シーンで少女漫画のようになった。これは新時代新世代の息吹と位置づけられるが、むしろ江戸時代の大らかさの反映と感じる。忠君愛国の明治時代ではなく、江戸時代だから成り立つ性格だろう。私は明治時代を滅私奉公の国家主義が生まれた出発点と見ており、江戸時代の方が大らかだったと肯定的に捉えている。 武家の娘の大胆さと言えば、『JIN-仁-』の咲というキャラクターもいる。歴史小説も作品が書かれた時代を反映する。幕末に「ふく」のような武家の娘がいること以上に、1961年(昭和36年)に刊行された本作品に「ふく」のようなキャラクターが登場することに驚かされる。 本書の執筆は安保闘争の頃である。それを踏まえると勤皇か佐幕かの政治熱は当時の日米安保反対などに重な る。志士達の天誅も、査問会ごっこなど左翼の内ゲバ体質と重なってくる。現代と重なる点では医者が一人では立つこともできない病人に「もう治ったから出ていけ」と追い出そうとする描写がある(下巻175頁)。これも現代の医療に重なる。 本書では外国人に料理人が日本料理の特徴を見事に言い当てている。「日本の食べ物は野菜でも魚でも肉でも美味い、材料そのものが美味いからその味を逃がさないというのがこつだ」(下巻20頁)。ソースや調味料にこだわる外国料理に対して、日本料理は素材で勝負する。 | ||||
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山本周五郎『天地静大』上下巻(新潮文庫、2009年)は幕末を舞台とした歴史小説である。東北の小藩の無名の青年達の日々を通して、幕末という激動の時代を描く。本書には坂本龍馬や西郷隆盛ら著名人は登場しないが、歴史の動きを描いている。 本書では安政年間の時点で仙台藩を盟主とした奥羽列藩同盟の原型ができていた。一方で朝廷の勢力が大きくなることも予測しており、幕府や仙台藩に隠れて朝廷側ともチャネルを持とうとしていた。 多くの人が幕藩体制がやがて崩壊すること予想している。武士階級の消滅すら予想している。明治維新は武士階級が主導しながら武士階級を消滅させた珍しい展開になったが、行き詰まりは世の中の多くが感じていたのだろう。明治維新の立役者たちがずば抜けて革新的というよりも、人々の意識の反映だろう。 本書は幕藩体制の崩壊を近代的自我の誕生と位置付ける。「大きな変革が起こって世の中が変れば、武家という伝統の囲いが破壊され、人間はいちように「個人」の立場に放される。どう生きるか、ということは、個人として考え、くふうしなければならなくなるだろう」(上巻321頁) この通りならば、明治時代は名実共に近代化と言える。しかし、明治時代は滅私奉公が強要される戦前につながっている。司馬遼太郎のように明るい明治、暗黒の戦前と分ける気にはなれない。国家による統制という点で明治と戦前はつながっている。 戦後も軍国主義は後退したものの、国家による統制という点ではつながっている。しかも、国家主義のカウンターとなる思想も、日本ではマルクス主義の連帯の思想が強く、個人主義は出てきにくい。それはそのまま日本社会の生き辛さにつながる。本書では登場人物にパッと咲いてパッと散る桜を称賛する日本人の気質を批判させる。 「もっと人間らしく、生きることを大事にし、栄華や名声とはかかわりなく、三十年、五十年をかけて、こつこつと金石を掘るような、じみな努力をするようにならないものか、散り際をきれいに、などという考えを踵にくっつけている限り、決して仕事らしい仕事はできない」(上巻322頁) 日本の自殺率は先進国でワーストクラスである。そこには上記で批判された日本の精神風土があるだろう。日本の近代化はまだまだである。 | ||||
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水谷郷臣も杉浦透も、傑出した人物でも、カッコ好くもないが、こういった人の生き方が、山本周五郎らしい。 それ以上に、ふくという女性のことばで語られる人のこころとからだが、たとえようもなく、存在感があり、まるで臨床心理士のようである。周五郎さんは女性特有のものだと言っているが、ボクには人間の特性のように思える。 長いストーリーであったが、登場人物である男女を描いた印象的叙述を抽出しておきます。 「さくら花か」郷臣は吐き出すように云った、「散り際をいさぎよくせよ、さくら花の如く咲き、さくら花のようにいさぎよく散れ、―――いやな考え方だな」 郷臣は歩きだしながら続けた、「この国の歴史には、桜のように華やかに咲き、たちまち散り去った英雄が多い、一般にも哀詩に謳われるような英雄や豪傑を好むふうが強い、どうしてだろう、この気候風土のためだろうか、それとも日本人という民族の血のためだろうか」 「こんなふうであってはならない」と郷臣はまた云った。「もっと人間らしく、生きることを大事にし、栄華や名声とかかわりなく、三十年、五十年をかけて、こつこつと金石を彫るような、じみな努力をするようにならないものか、散り際をきれいに、などという考えを踵にくっつけている限り、決して仕事らしい仕事はできないんだがな」(P282~283) ―――男の方はそういうふうに、気持の底まで見とおすようなことを仰るけれど、女ってもっと単純なものなのよ。 たとえば朝の洗顔のとき、楊子や歯磨きを渡そうとして、あなたの手にふくの指がちょっと触るでしょ。そうすると、その触ったところから軀の芯のほうまで、なにかが痺れるようにひろがってゆくのよ。それからこういうこともあるわ、ええと―――そうだわ、これは本当にたとえばの話だけれど、あなたがふくのことをごらんになるわね、そのときあなたがああ今日のふくはきれいだなあって思うでしょ。 ―――ふくはいつでもきれいだし可愛いよ。 いやだ、たとえばの話よ。それで、そうあなたが思ったりすると、それが口で云われるよりもはっきり感じられるのよ。(P684~685) 最後に、 「たとえ時世がどう変わろうとも、この山河は動かない」彼(透)はまた呟いた、「そうだ、人間が苦しんだり悩んだり、殺したり愛しあったり、権力の争奪に狂奔したりしているときも、山河はいつも変わらず、このように静かに、重おもしくしっかりと存在しているんだ」(P716) 17年前に読んで書いた感想です(#^.^#) *ページ数は旧:新潮文庫(全1冊版)によるものです。 | ||||
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水谷郷臣も杉浦透も、傑出した人物でも、カッコ好くもないが、こういった人の生き方が、山本周五郎らしい。 それ以上に、ふくという女性のことばで語られる人のこころとからだが、たとえようもなく、存在感があり、まるで臨床心理士のようである。周五郎さんは女性特有のものだと言っているが、ボクには人間の特性のように思える。 長いストーリーであったが、登場人物である男女を描いた印象的叙述を抽出しておきます。 「さくら花か」郷臣は吐き出すように云った、「散り際をいさぎよくせよ、さくら花の如く咲き、さくら花のようにいさぎよく散れ、―――いやな考え方だな」 郷臣は歩きだしながら続けた、「この国の歴史には、桜のように華やかに咲き、たちまち散り去った英雄が多い、一般にも哀詩に謳われるような英雄や豪傑を好むふうが強い、どうしてだろう、この気候風土のためだろうか、それとも日本人という民族の血のためだろうか」 「こんなふうであってはならない」と郷臣はまた云った。「もっと人間らしく、生きることを大事にし、栄華や名声とかかわりなく、三十年、五十年をかけて、こつこつと金石を彫るような、じみな努力をするようにならないものか、散り際をきれいに、などという考えを踵にくっつけている限り、決して仕事らしい仕事はできないんだがな」(P282~283) ―――男の方はそういうふうに、気持の底まで見とおすようなことを仰るけれど、女ってもっと単純なものなのよ。 たとえば朝の洗顔のとき、楊子や歯磨きを渡そうとして、あなたの手にふくの指がちょっと触るでしょ。そうすると、その触ったところから軀の芯のほうまで、なにかが痺れるようにひろがってゆくのよ。それからこういうこともあるわ、ええと―――そうだわ、これは本当にたとえばの話だけれど、あなたがふくのことをごらんになるわね、そのときあなたがああ今日のふくはきれいだなあって思うでしょ。 ―――ふくはいつでもきれいだし可愛いよ。 いやだ、たとえばの話よ。それで、そうあなたが思ったりすると、それが口で云われるよりもはっきり感じられるのよ。(P684~685) 最後に、 「たとえ時世がどう変わろうとも、この山河は動かない」彼(透)はまた呟いた、「そうだ、人間が苦しんだり悩んだり、殺したり愛しあったり、権力の争奪に狂奔したりしているときも、山河はいつも変わらず、このように静かに、重おもしくしっかりと存在しているんだ」(P716) 17年前に書いた感想です(#^.^#) | ||||
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山本周五郎の作品には、大東亜戦争を起こした日本の文化的背景へ の批判が感じられる。 個人としてなかなか表に出ないが、大東亜戦争の影の主役であり、 原動力となったのは、軍部内の中堅青年将校である。2.26事件、5.15事件の、 1945年8月14日の宮城事件といったクーデタ事件は、いずれも尉官から 佐官クラスのそれほど身分の高くない中堅将校によって行われた。 当時の政治家は暗殺やクーデタを非常に恐れた。ワシントン軍縮会議に よって海軍の艦艇保有数を対米英7割に抑えようとした浜口雄幸は、右翼青年に 暗殺された。軍部内部でも暗殺事件があり、陸軍内部の二大派閥の長であった 永田鉄山は、対向勢力の一員だった相沢中佐に斬殺されている。右翼や 中堅将校の暴発と要人暗殺は、昭和初期という時代の特徴である。 軍のみならず当時の日本社会には、威勢のよい大言壮語をして結果も 省みずに過激な行動を起こし、命をかけることで愚行を美化しようとする 傾向が蔓延していたようである。作品の舞台である幕末は、攘夷といって 人を切れば喝采されたことが示すように、このような狂的な人物を多数 輩出した昭和の暗殺史の原点である。 「栄花物語」「日日平安」「城中の霜」「樅の木は残った」そして この「天地静大」には、このような無責任な自己陶酔に対する批判が たびたび見られる。 この作品では、主人公杉浦透は攘夷に燃える時代の空気に迎合せず、 学問の道を歩むと決める。時代への不安や不満に負けず、社会にとって 必要なものを冷静に考え、戸惑いながらも自分の生き方を貫く主人公の 態度は、人生がどのようにあるべきかを考えさせてくれる絶好の教材である。 | ||||
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山本周五郎の作品は、どれも人間に対する尊厳と哀しみを感じる。 中でも地味な作品だと思う。しかしダントツに好きな本だ。 それぞれの登場人物が、揺れ、もがきながら自らの人生を選択していく。 そこに、くっきりと幸せの形が現れながらも、生死が分かれていく。 意外な展開にこそ、人生の悲哀を描き出せる、まさに達人。 山本周五郎の作品には幕末ものが、少ない。 ここに山本周五郎の幕末史観を込めた渾身の大作と受け取りたい。 | ||||
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江戸末期の動乱の中、政治・思想に左右されず己の信じる学問を追及しようとする東北の小藩の一藩士「杉浦透」と、藩主の弟「水谷郷臣」の交流を通じて、人生の中の真実・愛・善悪を見つめていく話。この小説は、読みやすく単純に面白いが、少し長めな上、特別な盛り上がりはないので合わない人には少々辛いかもしれないが自分は大変楽しめた。世の事柄に絶対の正解はなく、全ての人がそれぞれの生活の中で見つけた答えの繋がりが世の中を動かしているのだなぁ、と考えさせられる一冊。またいつか読み返してみたい。 | ||||
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