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赤ひげ診療譚
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【この小説が収録されている参考書籍】
赤ひげ診療譚の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.78pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 1~20 1/4ページ
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この作品に出会えてよかった。 流行の小説は私にはどうも重心が高くて満足しないが、久しぶりに深い読了感を得ました。 他の山本周五郎の作成を楽しみにしているところです。 おすすめして下さった先生に感謝しています。 | ||||
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世俗に振り回されることなく、人間を見詰め、実直な言葉と思想で描いた秀逸な作品です。 ただただ感動し、こころを揺さぶられました。 (1958年、戦後の復興と安保闘争前の混乱期の作) | ||||
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山本周五郎の名作に根本泰彦氏の声とその表現。ほんとに感動します。宝物です、 | ||||
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人生には、尊敬する人を持つことが大切。人生が変わる。 | ||||
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黒沢の映画と見比べてみると、周五郎の良さと、黒沢の良さがわかると思います。 | ||||
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筆者の考えを期待して読み始めた はたしてすばらしい言葉に出会 えた。 | ||||
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現代の政治を見るにつけ、理不尽がまかりとおっている… 江戸時代とどう、違うのだろうか? | ||||
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黒澤明監督、三船敏郎主演の『赤ひげ』を動画配信であらためて視聴して、素晴らしいと思った。こんなすごい映画があったのかと、あらためて思った。若い頃に見たことがあったが、その頃には何もわかっていなかったのだ。 で、原作の本書を読んでみた。映画以上に素晴らしかった。主旋律は、保本登という若い医師が、小石川養生所の赤ひげと呼ばれる老医師(といっても当時のことで実際は40代半ば)に反発しつつ、その人格と生き方、医療に対する考え方に感化され、自らも名誉栄達に関係のない医師として苦難の人生を選ぶに至るプロセスだ。 そこに、さまざまな患者の問題が絡んで、転調して行く。本書は江戸の市井を描く歴史小説であると同時に、患者たちが抱える病気や問題の謎が明らかにされるという推理小説短編集でもある。 非常に興味深いのが、この小説に描かれる問題が現代のそれらと同じであることだ。性的虐待に、子ども虐待に、不倫問題に、貧困のために精神が崩壊していく人々に、自らの不幸を孤独に背負い死んでいく老人たちに、男に翻弄されることを拒否する意志的なシングルマザーに、政治の無策に、支配層の飽食過食と貧困層の飢えなど、まさに現代社会の諸問題が描かれている。 これは江戸時代も現代も人間のやることは同じという意味ではなく、作者の山本周五郎による歴史小説という形式を活用した現代社会批判なのだ。 やっぱり、山本周五郎ってすごいですねえ!! | ||||
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山本周五郎の文庫本は0~62番まで全て買い揃え30年以上前から全巻を何回も飲み続けていますが、これだけ古くなると頁が抜けてきたり、背面からノリが剥がれてきたその都度、その一冊だけを買い替えています。今度買った「青べか・・・」の背表紙に 「や 3 9」とあり他は「 や 2 」です。推測するに、やは山本周五郎の や、次の数字3は全版の再出版の回数、しかし最後の数字は9。2の時は9は「日々平安」です。1~62まで並べて悦に入っていたのが崩れてしまい残念です。でも巻末の解説が「木村久邇典」さんから全く違う人に替わっていたのにはちょっと得した気分です。 | ||||
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TVドラマのシリーズが面白かったので原作も読んでみました。読んでいてどうしても船越英一郎の顔が浮かんでしまいましたが、小説はもちろん名作だと思います。山本周五郎の他の作品もこれから読んでみます。 | ||||
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黒澤明監督の映画版が最高だったから原作に手を出した。 正直言って驚いた。ここに出てくる新出去定(赤髭)は三船敏郎のものとは違って完璧超人の正義のヒーローなどではなかった。 始終不器用極まりなく、爆発しそうなものを常にその内に抱えて、加えて常に自分や人というもののあり方に苦悩しまくる一人の町医者もとい一人の男だった。 そんな未完成な人間・新出去定の苦悩と葛藤、そして無謀とも言える世の中との圧倒的な戦いの記録がこれでもかというほどぎっしりと詰まっている。 | ||||
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最近、山本周五郎作品をよく読むが、本作『赤ひげ』のような主人公が多い。 寡黙で多くは語らないが、ぶれない信念を持ち、行動力もあるので、 周りを引っ張っていく力がある。 保本登も、多くの不満を抱えながら、貧民の患者が多い小石川療養所を抜け出したいと 思っていたが、赤ひげと行動を共にするうち、最後は、自らここにずっといさせてくれ、 と懇願するようにまでなる。この変わっている様が印象的だし、一話一話の話も、 決して綺麗な話ではなく、人間の弱さ、狡さをこれでもかと見せつけてくる。 それでも人を優しい目線で見つめる、赤ひげと、作者を感じる。 「病気が起こると、ある個体はそれを克服し、別の個体は負けて倒れる、医者はその症状と 経過を認めることができるし、生命力の強い個体には多少の助力をすることもできる。だが、 それだけのことだ。医術にはそれ以上の能力はありゃしない。」p60 「人間ほど尊く美しく、清らかで頼もしいものもない。だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、 愚鈍で邪悪で貪欲でいやらしいものもいない。」p221 | ||||
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「赤ひげ」と云えば、先ずは黒澤映画ですよね。三船が「赤ひげ」イメージを確定してしまいました。余りに印象が強くて、原作である本小説が、負けてしまいそう、今やそんな位置に追いやられてしまっていますが、周五郎の世情を正さんとする正義感、若者に対する明日への期待、などが色濃く匂うことに、変わりはありません。 | ||||
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江戸時代の貧しい庶民たちを診療する養生所を舞台にした八篇の連作形式の小説。三船敏郎と加山雄三が出演した、黒澤明による映画化作品も有名である。 幕府の御番医としてエリート医師の道を歩むために三年間の長崎遊学を終えた保本登が、主に貧乏人を相手にする小石川養生所に医員見習として住み込むところに物語が始まる。エリート医師の卵としてのプライド、不本意な就職先、遊学前に婚約を交わしたちぐさに逃げられたことなどが重なって荒れる登は酒に酔って暴れるなど、養生所に馴染もうとしない。そんな登だったが、養生所の代表で強烈な個性を放つ医師"赤ひげ"こと新出去定や、患者たちとの関わりを通して認識を改め、人間的な成長をとげていく。 基本は一話完結の連作形式だが、途中参加の人物が養生所の住人に加わったり、全体を通して登や去定の背景が徐々に明かになり、破れた登の縁談のその後を描くなど、シリーズものとしての性格も併せもつ。タイトルにもなっている"赤ひげ"は去定に反発する医師による蔑称であり、意外にも一話目にしか登場しない。予想される通り、見習い医師である登視点で"赤ひげ"こと去定の破天荒な魅力が描かれるのも面白さだが、それだけではない。去定がほとんど活躍しないエピソードも複数あり、それでも短編作品としての魅力から引き込まれる。また、各話の終わり方についても必ずしも勧善懲悪のハッピーエンドとは限らず、救いがなかったり、突き放すような結末もあるなど様々となっている。なお、作中に登場する患者は身体的な病よりも精神的な病とされる者か、末期な患者がほとんどである。 裕福な患者から法外な薬代や診察料をふんだくり、ぶっきらぼうながらも貧しい人々の助けになろうと尽力する去定が体現する思想は、やはり作品の大きな魅力だろう。短気な性格もあって、ときには弱者にたかる者たちに激昂することはあっても、「この世に悪人はない」と断言し、常に人間そのものに罪はなく環境によるものだとする人間観と、医療の非力さへの認識に貫かれている。娯楽小説でありながらも単純に善悪によって断罪するではなく、生きることの苦さ、世の中のままならなさも、そのままに提示し、ときに貧しい人々が報われないままに無残な死を遂げる。映画化作品はもっとわかりやすい面白さだった覚えがある。原作である本作には、そこで汲みとりきれない奥行を感じ、映画鑑賞済みでも読む価値は十分あると思える。娯楽作品としての期待を越えて、より味わい深い作品だった。 やはり手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』も、本作の新出去定に強い影響を受けたキャラクターだろうか。 | ||||
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状態も良く特に問題ありませんでした。 | ||||
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良かったです | ||||
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黒澤明監督「赤ひげ」の原作にすぎないというイメージがあって手が伸びなかったのですが(映画が意外に退屈だったので)小川洋子さんがラジオ番組で紹介していて俄然読む気になりました。旅先で読んだこともあり、すごく印象深い一冊となりました。赤ひげ先生、とても魅力的な人物です。 | ||||
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大学生の頃に課題図書で読まされたので、既読リストに入れていた。 が、いい加減に読んだ上に内容を忘れているので、数十年ぶりに再読した。 ぼんやり持っていたイメージとは全く違う。本書は医療ドラマではない。 赤ひげこと新出去定が鮮やかに病人を救う場面は、一か所もない。 「医者には何もできない」ことが繰り返し語られる。 すべての原因は無知と貧困にあり、根本を解決しないと救うことはできないのだと。 冒頭に置かれた精神を病む大店の娘おゆみのエピソードは、いかにも男尊女卑社会らしく心が痛む。 このケースは例外で、残り七篇は貧困ゆえの悲劇が大半だ。 緊密なプロットと意外なツイストは、いかにも作者らしい鮮やかさだ。 不幸と病苦が織りなす人間ドラマから目が離せない。『鶯ばか』はとりわけ心が痛む。 『おくめ殺し』の真相に驚いた。『氷の下の芽』馬鹿呼ばわりされる娘の心情が哀れすぎる。 悲劇的な話が多いが、新米医師・保本登の終章における決断が光明を投げかける。 後に続く者がいれば、状況は少しづつ良くなっていく。爽やかな結末だった。 | ||||
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内容的には、8つの短編集から成り立っていますが繋がっています。 感想としては、いままで読んだ山本周五郎作品「日本婦道記」「さぶ」に出てくる人たちは、 いい人たちばかりで優しく、暖かい人か多かったのです。 この小説は、違うのです。人をだましたり、殺したり悪人だらけです。ところが主人公の、 赤ひげが善人のかたまりでヒューマニズムに溢れた人なのです。 たとえば、不幸な境遇から犯罪に手を染めた富三郎ですら憐れみます。 罪を犯した人間に対しても、その罪は貧しさのためであると言い、悪い人間の中からも良い ものをひきだす努力をしなければならないといいます。 そして最後に、保本登は、赤ひげに強く惹かれ幕府の御目見医にはならずに、養生所に残る 決意をします。あっという間によんでしまいました。 内容的には、一家心中した子供の長次が不憫で何度も泣いてしまいました。また、赤ひげは、 喧嘩も強くヤクザ5人相手に簡単に倒し爽快な気分になりました。 | ||||
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「赤ひげのような医者はいなくなった」とか「医は算術に成り下がった」とか、そんなことを言う人がいる。断言するが、彼らはこの本を読んだことがない。もし読んでいたら、とてもそんなことは言えないはずだ。 そもそも「赤ひげ」自体、一応のモデルとなった人はいるものの、あくまでも架空の人物。いなくなったというより、最初からそんな医者はいないのだ。 さて、本書を読んだことのない人が「赤ひげのような医者」と言うとき、いったいどういう医者をイメージしているのだろうか。赤ひげこと新出去定(にいで・きょじょう)は、全体としては憎めないキャラではあるものの、疲れてくると怒りっぽくなるし、イライラしているときには言葉遣いも荒くなる。そんな医者は現代でもたくさんいる。 また、赤ひげは金を持っている患者からは多めに礼金を取り、貧しい者には無料で医療を施す。この「貧しい者」というのは、現代で言えば最低賃金で働いているような人たちである。おそらく、大多数の人たちが「赤ひげからボッタくられる」側に入るだろう。その金のおかげで、貧しい人たちが無料で医療を受けられる。生活保護がこれだけ批難の的になっている状況で、赤ひげ的医療が称賛されることはありえないのではないか……。 「医は算術に成り下がった」などと言う人は、実際の医療の現状を知らなさすぎる。むしろ江戸時代から近現代までの医療のほうが、よほど貧乏人に厳しい算術医療だったのだから。 それはともかく、この本は面白かった。 子どもたちを売春宿に売り払って、その金で酒びたりの生活をする40歳女に対し、主人公の保本登は憤る。そこへ現れた赤ひげがこの女を「犬畜生にも劣る、臭いから出ていけ」など散々に罵り、女は捨て台詞を残して去っていく。(以下、省略引用) “「どうもいけない、あんなに怒鳴ったり卑しめたりすることはなかった、あの女は無知で愚かというだけだ、それもあの女の罪ではなく、貧しさと境遇のためなんだから」 「私はそう思いません」と登が言った。「貧富や境遇の善し悪しは、人間の本質には関係がないと思います。私は先生の外診のお伴をして、いろいろの人間に接してきました。不自由なく育ち、充分に学問もしながら、賎民にも劣るような者がいましたし、貧しいうえに耐えがたいくらい悪い環境に育ち、仮名文字を読むことさえできないのに、人間としては頭の下がるほど立派な者に幾人も会ったことがございます」 「毒草はどう培っても毒草というわけか、ふん」と去定は言った。「だが保本、人間は毒草から効力の高い薬を作りだしているぞ、あの女は悪い親だが、怒鳴りつけたり卑しめたりすればいっそう悪くするばかりだ。毒草から薬を作りだしたように、悪い人間の中からも善きものを引き出す努力をしなければならない。人間は人間なんだ」” 赤ひげのこの人間愛には胸打たれる。そして、そんな愛ある赤ひげでさえ、やっぱり怒鳴ったり卑しめたりしてしまうものなのだ。そんな赤ひげに師事して一年の主人公・保本登が医術について語ろうとして、赤ひげにたしなめられる。 “「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを」 「なにを言うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った。「医が仁術などというのは、金儲け目当ての藪医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、エセ医者どものたわ言だ。 彼らが不当に儲けることを隠ぺいするために使うたわ言だ」” これは「医は算術に成り下がった」という人にも当てはまるだろう。つまり、自分自身の健康に対する責任をあまり自覚せず、それを医療従事者に押しつけ、結果が望み通りに行かないと訴訟を起こし、しかしそれに見合った報酬を医療者へ与えることには不満があるような人たちのことだ。そういう人たちに、赤ひげ先生は唾を吐いて顔をしかめるだろう(実際に、本書の中にそういう話もある)。 | ||||
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