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悼む人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.03pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全114件 81~100 5/6ページ
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人の死に接する機会が少ない中で、人の死について考えるきっかけを 与えてくれる一冊。 死をどうとらえるか、というのは一人一人の価値観によっていいと思いますが、 こういうとらえ方もあるのか、と新鮮な驚きに満ちた一冊。 悼み続けるための工夫は、物事を続けるための工夫として読み解いても面白いかと。 | ||||
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「悼む理由」がわからない、意味がない、そんなことはできない、と言う人もいます。でも、悼むのに理由がいるのでしょうか。自分の肉親の不幸、世界中で起きている戦争、児童虐待の新聞記事、動物の死、人によって悲しみの範囲、程度に差はあれど、悼む気持ちに理由がいるのか。悼む人は、むしろその点を考えさせる小説だったと思う。なぜ悼むのか、小説の登場人物の繰り返しの質問によって、結果的に自分が「悼み」の意味を考えされる構図の様な気もした。私には良質な小説に思えた。 | ||||
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他人の「死」を悼む人。全く縁もゆかりもない人の「死」と向き合い、いつまでも心に留めようとする奇異な人物。まるで後ろ向きに生きているような人物を描きながらも、実は「生きること」「生きていく」ことの本質を描こうとしている。生きていくためには大切な人の死も忘れ去られるというパラドックスでもある。 「誰を愛し、誰に愛され、どんなことで感謝されたか」と尋ねながら、死者を悼む場面はなぜか心に響いてくる。現実にはありえないと分かっていながらリアリティがある。 ストーリーも、主人公の静人が、なぜ他人の死を悼む旅をしているのか興味をそそられると共に、主人公を巡る三人の登場人物の人生が絶妙に絡み合い展開していく。読み出したら止まらない抜群の内容で、読み応えもあり満足感を味わえた。 | ||||
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「悼む人」は何を伝えようとしているのか。まず、彼はどんな身分の人も分け隔てなく「悼む」。そこに、キリスト教と共通する思想を感じる。死は誰のもとにも共通して訪れるということ。また、キリストは悪人だろうが貧しかろうが自分を信じる者を差別せずに救った。作者が伝えたいことはそのあたりにあるのではないだろうか。彼の「悼み」により、どんな死者も一種のかけがえのない存在として彼の胸に刻まれる。と同時に、死者はその生の意味を肯定され、この世で意味を持っていた存在として昇華されるのではなかろうか。 私たちは普段、自分たちの中のものさし(善悪の基準)で物事を判断する。死に対してもそうである。ある死者は非難され、別の死者はほめたたえられる。それがどれだけ傲慢な行為なのか、「悼む人」はその行動で示す。前述したように、そこには差別がない。キリスト教との一致も、書いたとおりである。読み進めるうちに、死者を本当の意味で裁けるのは、神だけなのではないか…そんな思いが浮かんでくる。 彼の「悼み」は、最初は単なる自己満足としか思えない。確かにそれはそうなのだが、彼の行動は確実に関わる人を変えていく。あるフリーライターは視点を変えてものを書くようになり、彼の同行者の女性も自分の気持ちの変化に気がつく。彼の「悼み」が、周りの人に死を意識させ、それについて深く考えさせるきっかけになるのなら、そのふるまいにもプラスの意味を見出せる。 世の中にいろいろな宗教があるように、「悼み」にも様々な形があるだろう。この本に示されているのは、その一つのあり方にすぎない。しかし、普通の人が避けがちな「死」を真正面から見すえ、読後に死について考えるヒントを与えてくれる小説として、この本は見事にその役目を果たしている。 | ||||
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「その人は、誰に愛されていたでしょうか」 「誰を愛していたでしょう」 「どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか」 −−主人公、坂築静人は報道で知った故人を そんなキーワードで問いかけ、悼む旅を続け、 インターネットでの目撃談から、 <悼む人>と呼ばれるようになります。 そしてこの<悼む人>を取り巻くのは、三人の人物−− <人間不信の雑誌記者・蒔野抗太郎>、 <夫殺しの罪を償い出所してきた女性・奈義倖世>、 <末期癌患者の静人の母・坂築巡子>。 彼らの視点が章ごとに入れ替わり、静人の旅を追っていきます。 「静人はなぜ悼む旅を始めることとなったのか」 「静人の旅はどんな結末を迎えることになるのか」 私は、この2点に特に興味を持ち、念頭に置きながら、 読み進めてみました。 結果として、その2点は物語の終わりまでに 一応の答えが出されます。 ただ、最後まで何となく釈然としない気持ちが 残りました。 それは、主人公の静人が達観しているというのか、 あまりに冷静沈着すぎて、人間味を感じることが 難しい存在に描かれていたからです。 死という重い出来事に対して、ここまで 客観的でよいのか、そんな疑問が残ります。 作者もそうした読者の反応を予想してか、 取り巻く三人については、感情表現豊かに 描いています。 でも、私は主人公である静人の 内面の声をもっと聞きたかったです。 本書は読む価値は十分にあると思いますが、 主人公への感情移入という点で、 やや物足りなさを感じた作品でした。 | ||||
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大当たり。 本当に良い読書体験というのはそうそう無いが、これは私にとって貴重な「当たり」の一つだった。 内容について感じたことは今はあまり上手く纏められないし、結論めいたことを言いたいとも思わない。 話し出すと不用意な言葉が矢継ぎ早に出てきそうな怖さもある。 これは、しばらく心の中の澱みとして留めて置こう。 今はただ、作者の構築した世界を体験した楽しさに満たされている。 丁寧に作りこまれた小説空間を深く堪能できた。 極上のエンターテインメントを提供してくれた作者に感謝したい。 たとえ似たようなストーリーであっても、描写が稚拙だったり構想が浅かったりしたら「こんな奴、いないだろ!」と一蹴するところだろう。 しかし、この作品はそのような気持ちを起こさせない強さがあった。 天童荒太は実はこれが初めてだが、他の作品も読んでみたい。 そして、テーマが重そうだと敬遠されている方がいたら、是非、その先入観を拭い去って一度手にとって欲しい。 難しいこと抜きに、きっと純粋に読書を楽しめると思う。 | ||||
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悼むっていう言葉を全く使ったことがなく、意味もなんとなくしかつかめていなかったのですが、日常生活やテレビの中の、批評・評価すること・されることにやたら疲れていたので、なんとなく読んでいてありがたい気持ちになりました…。(といいながら自分もレビュー書いているのですが…)。どこかに悼む人がいてくれたらと思うと、どうしようもない時も確かに心の支えになるような気がします…。 | ||||
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祖父の死、小児病棟での子供たちの死、親友の死に何もできない自分。いつしか、主人公静人は、新聞などの死亡記事を頼りに全国を放浪しながら亡き人の死を『悼む』ようになる。 この『悼む人』を狡猾で悪意に満ち、性格の捻じ曲がった週刊誌記者が追いかける。父親に捨てられ、母親を無くした過去を持つ週刊誌記者は、『悼む』という行為を偽善的で独善的と批判する。 『悼む人』の母親は末期癌に侵され、死ぬ前に息子に一目でも会いたいと願う。姉は恋人の子供を身篭るが、放浪する兄が原因で結婚が破談となる。 DVの夫を逃れ、駆け込み寺に逃げ込み、そこで聖人と恋に落ちるも、自分を殺してくれと懇願され、いたぶられ、その愛ゆえに聖人を殺してしまった女が『悼む人』の放浪に随行してくる。 いくつもの人生、いくつもの生死が、『悼む人』の放浪に折り重なり、物語の最初から最後まで『死とは何か?』ということを深く考えさせられる。登場人物は、すべて劇画チックで、だれもが『悼む人』に触れ浄化し、魂が救済されていく姿は漫画を見るようであるが、1年に1回くらいは『悼む人』を読み、死について想いをめぐらすのも悪くない。 何度か目頭が熱くなりました。 | ||||
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一昨日、一気に読了。あまり「話題になった本」というのは読まないヘソ曲がりですが、新聞の書評(どの新聞だったかは忘れた)を読んで、読んでみようという気になりました。 一人でテントを担いで何度か山歩きをしたことがあるけれど、シンドイです。街中(およびその周辺)を歩くのは山の中を歩くのよりはずっと楽だろうけれど、野宿、それも1年にも及ぶ野宿の連続というのは、かなりシンドイものだと思います。 その辺の「物理的」なシンドサがほとんど描かれていなくて、なんかリアリティーに欠ける。もちろん静人は「象徴的(シンボリック)な存在」だから、そんなことでケチをつけるつもりはないけれど、「悼み続ける」だけでも(精神的に)きつく、なおかつ「1年にも及ぶ野宿」に耐えられる強靭な肉体というのは、ちょっと想像しがたい。 ずっと引き込まれ、感動しながら読み続けたけれど、根底に上述した気分がはなれず、スーパーマン物語を読んでいるような気分にもなりました。 | ||||
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普段、何気なく生活していると「死」を身近に感じることはないが 人間は常に死と隣り合わせでいることを改めて思った。 たくさんの、様々な死が出てくることによって人の生への執着、 生きることの奇跡・素晴らしさを見事に表現していたように思う。 そして、誰を愛したか、誰に愛されたのか、どんなことで感謝されたのかという 要素で死者を「悼む」静人からは、人間を肯定的に(善的なものとして)捉え、 「命の重さに違いはない」という根源的なメッセージを表象していたように思う。 静人の「悼み」に対する周囲の批判やとまどいは、現実的には「命の平等」を 受け入れられない世間一般の反応をそのまま表していたのかもしれない。 人の善的な面を心に刻み、悼む静人は希有であり、その存在感は圧倒的だ。 本書は荒削りな部分もあるが「愛と生と死」を正面から描いた力作であり、 一読する価値は充分にあると思う。 | ||||
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”悼む人”である静人と、余命わずかなその母・巡子、 新聞記者の蒔野、殺人の刑期を終えた倖世。 この4人を中心に物語は進みます。 境遇・個性の全く違う人物が、静人という存在に影響され、 少しずつ変わっていきます。 最初と最後だけをみると、その劇的な変化に驚かされると思います。 何秒かに一人は死んでいくという当たり前の世の中で、 その死をすべて深く心に刻もうとする静人の行為は、 とても尊いことです。 でもそれは第三者だから言えることで、 自分の身内であったらどうでしょうか。 最後まで自問自答しながら読んでいたように思います。 そしてラストは、決して悲しい結末ではないのですが、 違う終わり方もあったのではと思ってしまいました。 やさしいようで突き放したような、 現実的だけどファンタジーのような、そんな作品でした。 | ||||
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1年前の6月23日の夜明け前,私の目の前で友人は同級生の男子生徒からナイフで刺され亡くなった。葬式では泣いていた友人達も時の経過と共に彼女の話題が少なくなり,私は罪の意識にさいなまれていた。そして,今日友人の命日に亡くなった場所で,左膝をつき右手を頭上に掲げ,自分の胸に持って行き,左手を地面すれすれにおろし右手に重ねる青年に出逢う・・・ 第140回直木賞受賞作品。人の死と人の生の両端にあるものを,悼む人(主人公:坂築静人)を中心とした3人の視線から描いていく物語である。読む人によって色々な感想を抱くと思うが,私は人として,そして人の親として涙無しでは読めない作品であり,最近の本の中では最高の物語の一つであったと感じた。読み終えたあとは爽やかな気持ちになるものの,自分そして他人の存在がいままでと違うものとなり,心に大きな重いものを残してくれる物語であった。 | ||||
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悼むという行為で「生と死」が強く描かれているけれど、読んでみて心に残ったのは「生きるチカラ」ということでした。 死ぬことを意識したときに思う自分の存在が誰に刻まれているのかという問いは、そのまま「誰に愛されていたか」、「誰を愛していたか」という要素となっているのだなあと、すっと胸に落ちました。 そしてエピローグに書かれた静人の母巡子の生き様が、とても心に沁みました。 とてつもなく号泣するような作品ではありませんが、心を動かされる作品であることは間違いありません。 人のことを見る目、まずは自分の家族のことを見る目というのが、この本を読んで変わった気がします。 大切な一冊です。 | ||||
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一定の評価をうけて当然の、ある意味完成された小説だと思います。 私も真摯に読み、感銘を受けました。 アクション映画で殺されるその他大勢の見張り役の死と、難病と闘って力尽きる主人公の死と、重さに差があるというのか?・・・よくそんなことを考えていた私には、死の軽重に罪悪感を抱き、一人一人を忘れないように悼む主人公には共感できる部分が有ります。この人だけ悼んでこちらの人は通り過ぎていいのか?という気持ちにも分からなくはないです。 でもやはり、そこだけこれほどクローズアップするほどのことか?というのもある。 生き死にの悲しさとしてなぞっていけばそれでよいのでは?という気持ちもある。 ある一部だけ純化した小説、ですよね。どうでしょう?なんだかわからなくなってくる作品ですよね? | ||||
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人間の生と死、そんな根源的で難解なテーマに、 宗教という言語をあえて用いずに、作者が挑んでいます。 難解なテーマですが、とても丁寧に書かれており、一気に読み進めることができました 登場人物が主人公に引っ張られるようにみんな善人になっていく、 あまりにポジティブな展開に違和感を感じなくもなかったのですが、 作者の文章力が達者といえるのでしょうが、違和感を超えるだけの読み応えがありました。 末期がん患者の描写もとてもリアルで、新しい生命の誕生との対比が、とても心を揺さぶりました。 ただそれだけに、周りの人間を変化させていくことになる、主人公が少し物足りないなあーという印象は終始拭えませんでした。 「悼む人」に至るまでの動機、旅を続ける動機がどうにも弱いんじゃないかなあ? 好き嫌いは分かれる作品だと思いますが、 読んで否定的な意見を感じたとしても、読まなきゃよかった、という感じはしないと思います。 佳作であると思います。 | ||||
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第140回直木賞受賞作!愛,家族,死について天童氏らしく真摯に取り組んだ作品です.重いテーマだし,派手でもないこの作品が評価されたことは個人的にとても嬉しいです. 他人の死を「悼む」旅を続けている男性について,3人の人物の視点から語られていく.悼む人に興味を持ち情報を集めようとする雑誌記者,末期がんで闘病中の悼む人の母親,悼む人と旅をすることになった夫を殺した過去をもつ女性.雑誌記者と女性は初めは悼む人の行為を不信に感じたり偽善と受け取ったりしていたが,次第に考え方が変わっていく.これは読者自身の心の動きと通じるものがあるように感じた.悼む人の行動は理解しにくいかもしれないし,不快に感じる人も少なくないと思う.しかし,読者がそう感じるかもしれないことを作者は最初から分かっているのだろう.自分の身内が全く関係ない人間に悼まれることをどう感じるかは人それぞれで意見が分かれるところだが,悼む人の行為を本当に評価できるのは亡くなった人々だけなのかもしれない. 私たちは自分の周りの人の死は重く感じるけれど,関係ない人の死は軽く感じてしまう.大きな事件・事故の被害者には同情するけれど,世の中にあふれている普通の死には興味を持たない.善良な人の死は嘆くが,悪人の死は嘆かない.知らない間に他人の死に対して傲慢になっている.そんなことに気付かせてくれる一冊だった. | ||||
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「永遠の仔」から7年。7歳年をとったので、「悼む人」をすんなりと受け止めることができたのだと感じています。「永遠の仔」や「包帯クラブ」の時に感じた違和感や懐疑心が消え、初めて天童荒太のファンになれた気がしています。できれば「母」となる前にこの本を読みたかったとも思う一方、死からほど遠い若さでこの本を読んでも、今ほどの読後感を得られなかったろうとも感じます。本と読者との相性は、出会うタイミングに大きく作用されるものでしょう。そういう意味で、この本と幸せなタイミングで出会えた人が多いことを祈ります。 歪んだ人間性を自虐的に現出させて周囲から疎まれる者。高い知能で自己の歪みを隠しながらも破綻していく者。悲惨な最期をとげながらも自業自得と言われ悼まれない者……etc こうした様々な歪み、不幸の根元に、作者は「母」を登場させます。出産という行為、子供という存在のみでは、必ずしも女性から母性に進化できないと考えさせられました。そして日ごろ常無意識でいた、コーヒーを飲みながらワイドショーで他人の死を眺める感性の鈍さや、凶悪犯罪や鬼畜のような犯罪者に対して唾をかけるだけでそこに至ってしまった大きな不幸を思い描けない想像力の貧しさに対して、自覚させられる思いの読後でした。 | ||||
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「悼む人」というタイトルが広告で気になって本書を入手し、3日ほどで一気に読んだ。 日本全国の死者に関して、 「その人は誰に愛されていたか、誰を愛していたか、どんなことをして人に感謝されたか」 を尋ね、「悼み」を続ける静人の旅が、 彼を偽善者とする雑誌記者、彼の家族、夫を殺し絶望した女性との関係を通じて描かれる。 著者の本を読むのはこれが初めてであるが、 プロローグにおける問いかけから、3者がそれぞれ静人とのかかわりを通じて内面が変化し、 死の平穏と生の胎動が見事に交差するエピローグまで止揚する、 緻密かつ立体的な構成は、本当に素晴らしい。 静人の旅から、世界の救済というものを考えた。 彼の旅は宗教には基づいていない、ということが繰り返し語られる。 彼を不審がった者も多かったが、 雑誌記者、家族、夫を殺した女性は、途中、傷つきつつも救われた。 特に、7章において雑誌記者が救済される場面と、エピローグには、非常に心を動かされた。 著者は、宗教を持たずまた希望も持たない多くの現代日本人に向けて、 「宗教の言葉を用いない」という制約の下、 人間同士のつながりからの救済(の可能性)を描きたかったように思う。 その救済の道のりは、静人が経て来たように困難である。 しかし、小説においては、「悼む人」の存在が描かれただけでなく、 彼に影響を受けた幾人かに実際に種が蒔かれたことが示唆されており、 そして、本書を読んだ人にも、その心の野に種は蒔かれている。 ただ、自分自身にも、どのような芽が出るのか(そもそも芽が出るのか)は、わからない。 人類愛に燃えれば燃えるほど、個々の人間を愛せなくなるのかもしれない。 自分がどのような答えを出すか、 それはもちろんすぐに出るものではないし、 カラマーゾフの兄弟なりを何度も読む必要があるだろう。 この小説の持つ主題は壮大であり、 現代において書かれたということが、それを、より圧倒的なものとしている。 素晴らしい書物を世に届けてくださった著者に感謝いたします。 | ||||
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帯に「至高の愛」と言う言葉が使われていますが、この「愛」は「神」のもののような気がします。それほど高みにある「愛」であり、それは生身の人間には不可能なことであろうと思います。 従って、作者も主人公に「死」を考えた時もあると言わしめています。そして、周りの人からは奇人どころか、性格異常者とさえ思われたりもします。 そんな主人公静人の「悼む人」としての旅が描かれていますが、その描き方は、その母である巡子、週刊誌の記者蒔野、殺人を犯し出所したところの倖世の三人を通してです。そして、それぞれが「悼む人」とは何かを考えます。その三人の考え方の総和として「悼む人」が描き出されています。 この本を読んでいて、テーマである「悼む人」には、なかなかついていけない面もありますが、それぞれの章でひかれるエピソードは、でれも皆感動的であり、涙を誘うものさえあります。 中でも、末期ガンと戦う巡子の最終の場面は、その詳細な描写で胸を打ちます。 結果的に、「悼む人」は更に二人の賛同者を得て、新たな「悼む人」を産むことになりますが、ここまで行かなくても、もっと「死」を身近に置いて生きていかなければいけないのでしょう。 近年にない感動的な一冊でした。 | ||||
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読了中に、物語と格闘する充実感を感じた(久しぶり)。 読了後に、燃焼感を感じた。 そして、愛と感謝に生きよう、という、昨年の流行り歌、の歌詞を思い出した(スーパーフライ)。 キャッチコピーをつける事は難しくない。 誰もが、愛と感謝に生きたい。 でも、言葉は忘れ去られる。 太宰の言葉に、小説とは、一行の真実を伝えるために、百行の物語(雰囲気)を作る、とあった(うろ覚え)。 愛と感謝に生きよう、という一行の真実を、自分は心に刻んだ。 読みながら、(格闘しながら)、何度か家族の顔を見に行った。そこにいることを、確かめただけのことだが。 最後の親族を亡くした日の、喪失感が思い出された。 過去の記憶を共有できる人が、この世界に自分のほかに、もはや誰もいなくなったことに気づき、唖然とした日。自分の記憶が薄れてしまえば、過去の出来事のすべてが消滅してしまう、という心細さ。 自分と家族の、かけがえのない出来事。多くは辛いことだったが、ひとつとして無くしたくない思い出。それを失いたくないという不安感。 あの日の喪失感、不安感の答えを、自分は悼む人、に見つけた。 過去の記憶を一本の手綱として握りしめ、今、新しい家族をメンバーとしている。 そのことに間違いはなかったと、感謝している。 | ||||
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