■スポンサードリンク


(短編集)

結ぶ



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
結ぶ
結ぶ (創元推理文庫)

結ぶの評価: 4.80/5点 レビュー 5件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.80pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全5件 1~5 1/1ページ
No.5:
(4pt)

全てを紹介したいけれど

1991年から1998年にかけて発表された幻想小説18編を収録

印象に残ったのは

表題作「結ぶ」
まるで江戸川乱歩の世界
身体のあちこちを縫われ最終的には球にさせられてしまう、という懲罰

「水色の煙」
寓話と折り紙を介した叔母と甥の戯れ

「薔薇密室」
老いたバレリーナが、発表会を手伝ってくれた若い男性に寄せる一方的な想い

「心臓売り」
古い心臓を買い取り、それから様々な情景を読みとる少女の独白

「メキシコのメロンパン」
小さな画廊でお茶を楽しむ生者と死者の奇妙な交流

じんわりとやってくる恐怖だったり、優しさだったり、郷愁だったり
皆川さんの、少しずつ味わいの違う幻想世界を堪能できる短篇集でした
結ぶAmazon書評・レビュー:結ぶより
4163181601
No.4:
(5pt)

毒特

独(毒)特な世界。
哀愁に妖艶な恐怖が捩じれ合って螺旋になってロンギヌスの槍みたいになって飛んでくる。
これがあまりに綺麗に飛んでくるので突き刺さるまで動けない。
結ぶAmazon書評・レビュー:結ぶより
4163181601
No.3:
(5pt)

結ぶとは2つのものをつなぐこと、事が締めくくられることかな。

98年に出版され、そのあまりの奇抜さに方方を沸かしたものの長いこと文庫落ちされなかった本書。

 超現実的でありながら異様にリアルなディティールの連なりに、あたかも鼻面を引きまわされるようにしてわけも分からぬまま読み進めてゆくうち、天啓のようにもたらされる驚天動地の幕切れ。そして、ひそやかに虚無へと溶暗してゆくかのような纏綿たる余韻……。読み終えたとき貴方の口もとには、醇乎たる文学ならではの感動――選び抜かれた言葉と奔放自在な精神の運動によって織りなされた異世界を堪能したという満足の微笑が浮かんでいることだろう。(『皆川博子作品精華 幻妖 幻想小説編』作品解説より)

 文芸評論家・東雅夫氏も並々ならぬ賛辞を送る表題作を含んだ14篇収録の傑作集が、4篇の増補を加えていよいよ文庫化となった。

 収録作を時系列で並べれば以下のとおりとなる。
『ミステリマガジン』89年10月号    「薔薇密室」*
『ミステリマガジン』91年4月号    「城館」
『小説宝石』91年6月号        「湖底」
『ミステリマガジン』91年9月号    「水の琴」
『ミステリマガジン』92年3月号    「水族写真館」
『ミステリマガジン』92年8月号    「水色の煙」
『野性時代』95年7月号        「薔薇の骨」*
『SFマガジン』95年8月号       「結ぶ」
『ミステリマガジン』95年11月増刊号  「メキシコのメロンパン」*
『オール読物』96年8月号       「空の果て」
『ミステリマガジン』96年12月号    「レイミア」
『小説現代』96年12月号        「川」
『オール読物』97年2月号       「花の眉間尺」
『オール読物』97年8月号       「心臓売り」
『小説新潮』98年1月号        「天使の倉庫(アマンジャコ)」*
『オール読物』98年2月号       「蜘蛛時計」
『小説新潮』98年8月号        「U Bu Me」
『オール読物』99年7月号       「火蟻」
(*は増補作)

 かつてロジェ・カイヨワは「妖精物語が好んでハッピー・エンドに向かうのに対し、恐怖に支配された雰囲気の中で展開する幻想小説のほうは、ほとんどの場合、主人公の死、失踪、呪いなどと結びつく不吉なできごとで終わらざるをえない。」(『妖精物語からSFへ』より)と指摘した。これを基にすれば、本書は「幻想小説」の極致と呼ぶべきだろう。しかし、カイヨワはさらに「幻想」とは現実世界の法則を無視して侵略してくるものというようなことを述べている。対して「妖精物語が成立する世界は、(中略)超自然こそがこの世界の基質」とも。つまり「幻想小説」では驚異とも恐怖ともなりうる「幻想」だが、「妖精物語」においてはその機能を果たさなくなる。なぜならば、それがあたりまえとなっているからだ。
 重要なのはここでいうところの「現実世界」が、読者にとってのものではなく作中人物にとっての現実であるということ。
 本書で描かれる「現実世界」は確かに読者が共有できる世界観での物語である。しかし、物語が深まれば深まるほどに「驚異」も「恐怖」も存在していないことがわかってくる。作中人物は起こる現象を受容し、はじめから境界などなかったかのように一体となってしまう。俗にいう「幽明一如」の世界を目の当たりにし、「驚異」「恐怖」を感じるのは読者だけにすぎないのだ。
 かつて作品集『たまご猫』(91年)の解説で東雅夫氏は同作者の作品を「怪談」や「幽霊譚」ではなく「幽霊小説」と呼んだ。登場する死者は実に人間臭く、生者である人物と差異がないためだという。
「幽霊小説集」といえば、他にも『骨笛』やら『薔薇忌』やら連想する作品集がある。小説賞の受賞歴などは度外視して全体への影響からみれば、本書は作者の活動歴のなかでもとりわけ到達点ともいうべき作品集。単に「幽霊小説」の極致やら最高峰とうたってもつまらないだろう。だからあえて別の呼称を設定するならば、本書は紛うことなき「妖精物語集」である。

 本書を開いてまず飛び込んでくるのは表題作であるが、とりあえずは目をそらした方がいい。
 読み飛ばすと「湖底」から始まる水のイメージに満ちた作品が連なる。湖底に屍が集まる短篇「水底の祭り」(76年『水底の祭り』所収)を思い起こすが、「湖底」で集まるのは幽霊とも言いがたい朧気な記憶のなかに住む人物たちだったりする。「水色の煙」は〈夢〉や〈時〉ということばが登場するとおり、寓話的印象が強い。「水の琴」は合間に挿入された西条八十「梯子」、作中人物が翻案したヴェルレーヌ「わびしい対話」など詩篇の断片が、噴水のさざなみや琴の音のように共鳴する。どちらも「幽霊小説」と呼んで差し支えない物語だが、現実に現れる幽霊というよりか、記憶や思い出のなかに住むものといった印象である。
 続く「城館」「水族写真館」「レイミア」「花の眉間尺」「空の果て」「川」までの6篇には、〈幽閉〉というモチーフが通底する。城館、写真、鏡、釜、古布の袋、そして映画。メタファーとしてよく語られる蝶それも死んだものを閉じこめる「城館」がわかりやすいが、〈幽閉〉されるのは魂。「水族写真館」もどちらかというと思い出に囚われてしまった女の話だ。だが「あなたはわたし、わたしはあなた」という魂の同化が『聖女の島』を思い出させ、それは同時に時間の反復、永劫回帰を意味している。「レイミア」も鏡を媒介とした「あなたはわたし、わたしはあなた」テーマだが、「幽霊小説」と呼ぶには逸脱しそうな化生が登場する「妖精物語」の白眉ともいえる。
「花の眉間尺」では志怪小説集『捜神記』の一篇を下敷きにし、語られる物語が作中の現実へと収束される。観阿弥「通小町」をなぞる一幕があった「レイミア」同様、さまざまな先行作品への言及も際立っている。ルナール『にんじん』や『舞踏会の手帖』に言及される「空の果て」は、異界訪問譚めいた男の一夜を描く冒頭が意味深に途絶えたまま、実母と伯母の確執にそれこそ「振り回される」女を描く。冒頭の男の正体がわかると同時に明らかになる奇想は、どこか洋風な感性を宿しているようだ。ちなみに『舞踏会の手帖』は「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」(『たまご猫』所収)でも扱われ、かたや進駐軍かたや航空隊士と、両作品とも戦時下での交流が話の肝。先行作品への敬意は作品の域を越え、創作者の人生をも投影してくる。「川」は画家・村上芳生と三島由紀夫の交流を下敷きにしているそうだ。また、時間反復・永劫回帰を再開させる一方、「花の眉間尺」ではユーモアの種となった老いというテーマもにじみ出てくる。
「蜘蛛時計」「火蟻」は、のちの長篇にも相通じる異国への興趣を感じさせる。「蜘蛛時計」では本作掲載の2ヶ月後に連載開始となった『冬の旅人』を思い起こさせるロシア革命という主題を扱う反面、キリスト教徒迫害という部分は初期作品から受け継いだ。「火蟻」はまたも「あなたはわたし、わたしはあなた」テーマであることに加え、「厨子王」(『たまご猫』所収)の主題となった「安寿と厨子王」から奴隷制度が蔓延る背景、引き裂かれる姉弟という設定が流用されているように思う。
 一風変わって「U Bu Me」は、蛇女でありながら鳥の体をもつとも伝えられる「レイミア」と対比させられるような姑獲鳥の物語。姑獲鳥という妖怪が、子を奪う妖怪でありながら子抱幽霊の原型となり、さらにそれが手をつきだした「幽霊」全体のイメージにもつながるといい、まさに母胎という概念が横溢していることになる。怖気立つ怪奇描写もさることながら「湖底」「水色の煙」「城館」「水族写真館」などと合わせて広義の「幽霊屋敷」モノとも呼べそうだ。ラストで描かれる幻視的な肉体損壊を取り出し、人体にまつわる異形性としてさらに発想を広げれば「心臓売り」という抒情的な傑作に結実する。作者不動のキャラクター・抑圧された少女を主人公としながら、死への興味、社会へのペシミズムを活写する。しかし何といっても目を瞠るのは、ショートショートでいう「セールスマンもの」の発展形である心臓売りや、SFではおなじみの超能力をそうと語らず寓話調に昇華させるなど着想の妙だろう。

 増補された4篇はここまで述べた単行本収録作をつなぐ連関をさらに補完するものといえそうだ。
「薔薇密室」はのちに同名長篇が書かれているが、舞台も内容も異なるジロドゥの戯曲「オンディーヌ」を題材に「湖底」や〈水〉連作(「水の琴」〜「水色の煙」)を彷彿とさせる冷たい水のイメージに満ちた一篇。「水の……」というと本作の翌年に書かれた「水の館」(『たまご猫』所収)を思い出すし、なにより作者得意のアナグラムによって明かされる人物名などにも共通性を見出してしまう。
「薔薇の骨」は「骨は年月が経つと水になる」という奇想にまず惑わされながら、「湖底」や「空の果て」と同種のアプローチで「幽霊」を描く。初出の場も違えば掲載時期も離れているわけだが〈水〉連作に加えていいほどに、結晶化した〈時〉の静謐さを感じさせる。
「メキシコのメロンパン」は奇特なタイトルを裏切らない、なんとも眩惑させられる一篇。これも「幽霊小説」のひとつとしてジェントル・ゴースト・ストーリーと評したい気持ちにさせるのだが、「花の眉間尺」や表題作に近い、悲劇を喜劇へと変えるひょうひょうとした語り口の背後に空々しい感覚が潜んでいるようだ。粋なラスト一行ににやりとさせられるという意味でも、「空の果て」の清々しさと似ているが、やはり怖がらせようとしないところが逆に怖い。さらに「水色の煙」や「城館」、長篇『聖女の島』(88年)に「お七」(01年『皆川博子作品精華 幻妖 幻想小説編』所収)などでも扱われる火と女という組み合わせも興味深い。(ただし本作では、不注意による火事であって故意の火付けではない……と思う)
「天使の倉庫(アマンジャコ)」もよく分からないタイトルだが、『たまご猫』表題作と共通する手のひらサイズのファンタスティックなアイテムが登場する。東雅夫氏は「閉所空間願望」の例として「たまご猫」を挙げたが、本作もまたしかり。そしてさらに本作では「たまご猫」以上の屋台崩しが描かれる。それも2つの意味で。

 ここまで度々『たまご猫』収録作と比較している。もっとも執筆時期が多少なりとも被っている(おもに90年代)から当然かもしれないが、本書は『たまご猫』と相対するかのような一冊であることは明らかだろう。それは出版社や編集者も既知のはずだ。なぜなら「天使の倉庫(アマンジャコ)」は『たまご猫』所収「雪物語」の続編(というべきか、B面、パラレルワールドというべきか)に値する作品だからである。そして、『たまご猫』収録作のなかでも随一の人情モノだった「雪物語」を文字どおり解体せしめる一作でもある。それをイイ意味で捉えるべきか悪い意味で捉えるべきかは判断に迷うが、むしろこうして浮き彫りになる人間の悪意を描き出す手練手管こそ、作者の本領であったことを確認できもするのである。

 さて、表題作。この作品の衝撃はつとに様々な場所で語られてきた。とりあえず奇想というものの極致であることは間違いない。
 だがこれを「幽霊小説」であると誰が言えるだろうか。語り手は何か「驚異」や「恐怖」を感じているだろうか。こちらがそれだと思うものを端から受容してはいないだろうか。よって「妖精物語」なのである。
 作中人物にとっての現実と先に記したが、それもそのはず。本書に収録されている物語はどれもこれも一人称世界、だれか個人の網膜によって映しだされた幻像なのだ。だからこそ、「驚異」も「恐怖」もない、しかし「妖精物語」のそれではなく、読者も共生しているこの現実こそが舞台なのかもしれない。そう思わせる余地があることが「幻想小説」たるゆえんであるとも言えるのだが、そう結論をだす前に筆を置きたい。
 なにしろ本書は、どことなく起承転結の結を失くしたと思われる物語が多い。『結ぶ』の結という字は生と死、彼岸と此岸、あなたとわたし、男と女、若と老……2つの意味をつなぐという意味がある。そして同時に、事の終りも示している。一人称の世界が途絶えればそこから先は無。つまり結を失くしているのではなく、先を描かれないことこそが〈結〉を成すわけだ。時間の反復、永劫回帰という強硬な〈結〉を迎えるものもあるが、それは破壊だろうか安定だろうか。
 本書が、物語をはじめると同時に終結を体現しているのであれば、同様に筆者の妄執もはじまったそばから結論づいている。
 しかしそんなことは分かりきっているから、「驚異」も「恐怖」もある、アンハッピーでトラジェディ、カタストロフィでバッドエンドな「妖精物語集」であると言い続けます。
結ぶAmazon書評・レビュー:結ぶより
4163181601
No.2:
(5pt)

読め!そして瞠目せよ!

『そこは縫わないでと頼んだのに、縫われてしまった』
これは、本短編集の表題作である「結ぶ」の出だしなのだが、なんとも衝撃的な一行である。
縫う?そこってどこ?読者の心を鷲掴みにするという意味で、これほどインパクトのある出だしをぼくは他に知らない。そして後に続くこの一行から広がる世界は、まさに驚嘆の一語に尽きる。これほどまでにナンセンスで独創的な世界を創造する皆川氏のセンスに脱帽だ。
本書には他に13編の短編が収録されている。「結ぶ」ほど強烈なインパクトを与えてくれる作品はないが、みなそれぞれ作者の持ち味が遺憾なく発揮されていて愉しめる。また一行目の素晴らしさについては他の作品にも凄いのが揃っている。
短編は、短いがゆえに一気に物語の中に引き込む吸引力が必要だ。そこで重要になってくるのが一行目のインパクト。ここでどれだけガッチリと読者の心を掴むかが決まってくる。もちろん以後に広がる世界の転がしかたも重要だが、印象的な一行目が書けた時点でその短編は半分成功したとみなしてよい。本書にはその実例が多く収録されている。読んで驚いていただきたい。瞠目していただきたい。
結ぶAmazon書評・レビュー:結ぶより
4163181601
No.1:
(5pt)

読め!そして瞠目せよ!

『そこは縫わないでと頼んだのに、縫われてしまった』
これは、本短編集の表題作である「結ぶ」の出だしなのだが、なんとも衝撃的な一行である。
縫う?そこってどこ?読者の心を鷲掴みにするという意味で、これほどインパクトのある出だしをぼくは他に知らない。そして後に続くこの一行から広がる世界は、まさに驚嘆の一語に尽きる。これほどまでにナンセンスで独創的な世界を創造する皆川氏のセンスに脱帽だ。
本書には他に13編の短編が収録されている。「結ぶ」ほど強烈なインパクトを与えてくれる作品はないが、みなそれぞれ作者の持ち味が遺憾なく発揮されていて愉しめる。また一行目の素晴らしさについては他の作品にも凄いのが揃っている。
短編は、短いがゆえに一気に物語の中に引き込む吸引力が必要だ。そこで重要になってくるのが一行目のインパクト。ここでどれだけガッチリと読者の心を掴むかが決まってくる。もちろん以後に広がる世界の転がしかたも重要だが、印象的な一行目が書けた時点でその短編は半分成功したとみなしてよい。本書にはその実例が多く収録されている。読んで驚いていただきたい。瞠目していただきたい。
結ぶAmazon書評・レビュー:結ぶより
4163181601

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!