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温室デイズ
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温室デイズの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 1~20 1/2ページ
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「学校まで一緒に行こうよ」 私は瞬の横に駆け寄った。 これでいい、辛い物語がホッコリとした。 さすがや、 瀬尾まいこはん、 この爺を泣かせ負って。 | ||||
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本自体は当然問題無いが、内容が想像と全く違いガッカリでした | ||||
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私が中学生、小学生だった頃は、こうしたイジメは無かった。 イジメはいくらでもあったけど、皆で寄ってたかって、それも長期間で、というのは存在しなかったように思う。 いじめられっ子はいたけど、カウンター勢力はすぐ出来て、助けたり遊んだり気を使ったりした。 クラスの大半がいじめても、数人は堂々と助けていた。 そして助ける人間に対してイジメの刃が向くことは無かった。 次第に虐める側が少なくなり、助ける・気を使う側の方が大勢を占めるようになる。 思えば牧歌的な時代だったのだろう。 小学校3~4年の時、体のデカイ男子が思い切り暴れていた。 誰彼なくイジメ倒すので、それに辟易した私はクラス中を味方につけ、土曜日の放課後、そのイジメっ子を階段の踊り場に呼び出しリンチした。 集団リンチ。 こいつさえおとなしくさせれば、クラスは平穏になって普通の小学生ライフが楽しめる。 まあ楽しくはなかったが・・・。 最初は4~5人の、腕に自信のある男子がいじめっ子をとっちめる役。 1:40人なので、イジメっ子は戦意なんて始めから喪失している。 かなり可哀想なところまで殴る蹴るをして、頃合いを見て、特に女子が「そろそろやめてあげなよー!」と言い始める。 私が最後まで実行犯。羽交い締めにされて事は終わった。 その日以降、彼は完全に大人しくなった。 そしてその時の事を話題にする生徒もほとんどいなかった。 もちろんそれ以上、そのイジメっ子を虐めることは誰一人しなかった・・・。 今にして思えば、きっとそのイジメっ子は家庭内で問題を抱えていたのだろうと想像する。 しかし子供時代の私達はそこまで思いを馳せることは出来なかった。 全く可哀想なことをしてしまったと今でも時々思い出す。 でも、ここで言いたいのは、この小説の子どもたちは人を味方につけるのが全く出来ない。 味方になってくれる人を突き放すことまでする。 どうしてだろう? なんで一人で戦おうとするのか? 親に言うのが恥ずかしいなら先生。 先生が動かなかったら友だち。 友達が駄目なら先輩や近所のお姉さんとか、誰か真剣に聞いてくれる人っているでしょ、と思う。 実際この小説内でも、誰かの味方になってあげたい、クラスを良くしたいって思う生徒がいる。 でも、そんな彼らも孤独に問題を解決しようと頑張る。 不器用だ。 あまりに不器用。 つまんない所で意地っ張り。 思春期手前ってこんなにアタマ悪いのかな。 もっと考えろよ。 解決策をいくつか発想して上から順番に試してみろよ。 でもね、主人公の最後の行為は、こうした私の小賢しい考えを吹き飛ばして魂の行動となった。 みちるも優子もとっても尊い面を持っている。 頭が下がるし、不器用に戦っている(=何らかの行為に出ている)子どもたちを皆応援したい気持ちになる。 でもリアルな現場では誰もこういうふうに戦ってないの? | ||||
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学生時代が辛かった人に読んでほしい1冊。 心が痛くなるけど同時に温まります。 | ||||
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学校の闇の部分をえぐり出している。例えば、教師がいじめを見て見ぬ振りをしてしまう所などの細かい描写はリアルだ。 教師は、実利的な理由からいじめを容認する。それは、いじめられる生徒が教師のクラスコントロールにとって都合の悪い存在だからだ。教師は、クラスをいかにコントロールするか、よく言えばまとまったクラスにするか、ということを考えるのが仕事といっても良い。クラス担任の場合はなおさらだ。もっと消極的に、学級崩壊を起こさないように、授業が成立するためにという場合もある。本質的に望ましい集団とは何か、ということを考え実践するというよりも、より実利的で事務的なことで行動している。学校という小さい世界と、日々の忙しさや精神的な種々の重圧からそこに倫理的な思慮は置き去りにされる。 現実を表しているが、解決策がいけない。重松清の「エビスくん」という話を読んだ時にも感じたが、問題行動を起こす子どもに対する見方が一面的で古臭い。不良少年である「伊佐くん」に対する教師の言動は間違っているとは言え現実を表しているが、もしこの学校に格闘家の屈強な先生がいたら暴力行為は収まる。不良というのは案外にそういうもので、実際に中学生の不良は自分より強い暴走族には向かっていかないし、ヤクザに対してなどなおさらだ。つまり、できるからやっている。アドラーのいうところの「目的」が達成されるから暴力行為を行い、ものを破壊するのだ。自分より屈強な相手がいて暴力が通じない、ものを壊したらそれなりのペナルティーを与えられるとなれば「目的」が達成されないので行動は起こらない。それを同級生が合理化のごとく、カウンセリングをするというのはリアルなのかもしれないが不良を曖昧な存在にしてしまっている。そして、行為に肯定的なメッセージを与えることにもなり兼ねず、その行動を助長する。 暴食行為や器物損壊行為を、いじめという言葉や不良という言葉で曖昧にしてしまっている表現はいただけない。この小説ではその部分のリアルさに欠ける。特別支援学級(例えば知的障害のある)の子どもに向かって、「生きている価値がない」と言ったら。国籍を理由に人格を侮辱するような言動を繰り返していたら。そこが描写されれば、最後のような終わり方にはならないはずだ。 著者は教育について専門的な知見を持っていないのだろうが、これを読んだ子どもは、学校とはこういうものなのだという諦めに近い感情を呼び起こしはしないか。結果として、仲間外れをしている現状、いじめがある現状を肯定することにはなりはしないかという懸念がある。 | ||||
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この物語は、はじめから終わり まで、ほとんど大きな変化はない。 物語が中盤、ハッピーエンドに向かう ような展開になっても、 ハッピーエンドにはならない。 小さな変化はたくさんあっても、 劇的な変化はない。 それが妙にリアリティがあっていい のだと思う。 この物語では「相手の話を聞く」 ことの大切さが語られている。 聞き手は話し手に質問し、 話し手の話を淡々と聞く。 アドバイスは決してしない。 こうすればいい、 ああすればいいとは言わない。 答えを導き出すのは聞き手 ではなく、 話し手が自分で考え、 見つけ出すことができるよう、 徐々に徐々に根気よく話を聞く。 コミュニケーションで大切なのは、 話し上手ではなく聞き上手であると よく言われる。 私は話をすることが好きで、 人の話を聞くことが苦手だ。 たまに悩みを相談されると、 つい、こうするべきとかああするべき と言ってしまう。 でも、この物語を読んで、 無性に誰かの話を聞きたくなった。 話を聞くだけで、誰かの気持ちが 楽になったり、少しでも元気がでるの なら、こんなに嬉しい事はない。 | ||||
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荒れている中学校を舞台に2人の主人公、みちると優子が自分なりの方法でいじめに立ち向かっていく作品です。(おっと!名脇役の斉藤君を忘れるところでした) 私の学校でもいじめがありました。社会にはどこでもいじめはあると思います。大事なことはそれに流されないことです。2人の主人公からそれを学びました。みちるは精神力の強さで、優子は色気(?)で、斉藤君は人心掌握術で、とそれぞれの武器を生かして戦っていく姿は、社会を生き抜く現代人の姿に似ています。 どこに居てもいじめを初めとする色々な困難があると思います。そんなときは自分の武器を最大限生かして戦っていくんだ、ということを学びました。 | ||||
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これまでのやさしい作風から一転、テーマ、内容ともに、骨太の新境地。 学校は温室のようなガラス張りの戦場。 暖かくてぽかぽかして、多種多様の植物がのびのび育つはずの温室。 その温室は冷えきって、枯れる寸前の植物たち。瀕死の温室。 温室の崩壊、学校崩壊を起こした学校の物語。 正義感から中学卒業目前に虐められる側へシフトしたみちる、 虐めを受け続け、不登校になる優子、ふたりの視点を交互に出して描かれます。 それは小学校の高学年から始まっていました。 虐められる子、虐める子、パシリ、不良。 いつのまにかじぶんにつたキャラ。その役割を演じ続ける子どもたち。 冷たい温室(学校)、温室の中のさらなる温室(保健室)、温室の外の別の温室(フリースペース)。 いくら場所を変えても、温室は温室の狭い枠。 そんな現実をつきつける小説。 子どものいない人には、衝撃的な学校の現場を知ることになります。 フリースペースでの場面に、考えさせられます。 「本や映画の感想を意気揚々と話す」「ろくなやつじゃない」奴、道下。 その道下に、君もみんなで同じことをする教室にいるのが嫌になったんだろうと共感を求められると、こう反発する優子。 「本当に知的なら、教室にいるわ。同じ制服を着て、同じ教科書使うだけで自由が奪われたと思うのは、知的能力が低い証拠よ」 ならばなぜ学校に行かないのか、自問する優子。優子も学校を嫌いにはなれないのだ、という複雑な思いが伝わってきます。 希望を持って描かれるラストシーンも印象的でした。 現実にはありえないとしても、学校の現場にいる人なら、こう描くでしょう。 | ||||
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この学校生活のどこが温室なんだろうと思うほど過酷。 閉鎖的という意味での「温室」なら分かるが、決してぬくぬく育っているわけではない。 | ||||
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中学は、社会に出る前の「温室」と言いながら、あまりに恐ろしいいじめと荒廃の現実に息を呑む。自分の子供がこんなところに行っていたら、いじめた子供を殴りに行くか、すぐに自分の子供をもっといい学校へ転校させるだろう。やはり公立中にはやらず、私立にしようか、と思う。 しかし、やはり、逃げるだけでは社会は良くならない。この学校の現実は、北朝鮮か、戦前の日本社会みたいで、窒息してしまいそうだが、日本の現実でもあるのだ。少しで良いから、皆が努力することなしに、この社会は良くならない。それをこの本で再度学んだ。 主人公の女子生徒二人(とサポーターの教師見習い)が、いじめと暴力に会いながらも、自分なりの方法で、学校を変えようと努力する姿が、清々しく、美しい。 | ||||
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本の紹介には「2人の少女が起こした小さな奇跡」とありますが、それを期待して読むと外れかもしれません。 荒廃した中学校で奇跡なんて簡単には起きない。 でも、(2人の少女だけでなく)みんながそれぞれのやり方で少しずつ「温室」という現実に向かおうとする、その必死さに切なくなりました。 暖かい親子関係や恋人たち、飄々として爽やかな高校生などが出てこないので、ほかの瀬尾作品と少しテイストが違います。 ですが、結末にものすごいカタルシスを置くのではなく、結末に向かう過程が丁寧に描かれているのは同じ。 その過程に心を揺さぶられる思いでした。 | ||||
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”本当にありそうで、ないこと” それが優れた本、と教えられたことがある。 まさに、そのお手本のような本だ。 どこにでもある 学校の風景に見える。 でも、 きっとないんだろうなと思える。 その境界線を バランスよく行き来している。 学生時代の甘酸っぱい思い出たちが、 走馬灯のように、駆け巡ってしまった。 『温室デイズ』 温まるのは読者の心にちがいない。 | ||||
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物語に名を借りた教育現場の現状を訴える告発文的作品。 なので登場人物や舞台はそれぞれ象徴的で極端な描かれ 方をしています。 ラストも物語として(ひとつの)解決方法を描く事はできたとは 思いますが、作者が実際に教育に携わっている事や作品の 性格上安易な解決方法を描く事をしなかったと言うより出来 なかったのではないでしょうか。 とは言ってもガチガチのドキュメンタリー風でも説教臭くもなく きちんと物語として成立しているのはさすがだと思いました。 又途中で語りの視点が変わる事により、誰か1人に感情移入 する事無く作品(問題点)を俯瞰的に見る事になります。 その辺りにも、単純に誰かが悪いとか何かが悪いとは言えない という作者のメッセージが有るような気がしました。 いじめや学校生活に最終的になんらかの答えが欲しい人や、 カタルシスを得たい人には向かない作品だとおもいます。 実際に教育現場に携わっている人が読んで、どういう感想を 持つのか聞いてみたい気がしました。 | ||||
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つまらないと思いました。 他の作品では瀬尾まいこさんにしか出せない家族や友人や他人の温かさがあったのですが、この作品は、それがなく、よくあるストーリーになっています。 そして登場人物が浮いて見えました。不良と幼なじみとゆう設定の女の子もどうかと思うし、不良をカウンセリングしてる女の子も嘘くさいです。 嘘くささの中にも晴れやかな気持ちになれるのなら良かったが、なんとなくジトーッと終わった印象。 いじめられたからって・・保健室とかに行かないです。私は、屋上に逃げたり、好きな社会の先生の部屋に入り浸っていました。 重松清さんの 『きみの友だち』の方が感情移入しやすかったし、すっきりしました。 | ||||
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崩れ始めたクラスの兆しを敏感に感じ取り、 何とかしようとして行動に出たみちるは、 それまで友達も多く好かれていたにも関わらず、 一気にクラスのいじめられっ子になってしまい、 そんなみちるを見ていられなかった親友の優子は、 教室に入れなくなってしまう・・・。 主人公でもあり、 いじめ、登校拒否、学級崩壊等の当事者でもある、 中学3年生のみちると優子、ふたりの視点から 「崩壊していく中学校での生活」が描かれています。 みちるは、崩壊したクラスで、 一方、優子は別室登校や「学びの部屋」、「カウンセリング・ルーム」で、 ふたりは別々の場で過ごしながら、互いを支えとしながらも、 お互いを頼らずそれぞれのやり方で学校を元に戻そうとします。 現在、学校に来られなくなった生徒には、 同情や優しさ、義務や立場から、 色々な救いの手が差し伸べられやすい、らしい。 でも、ラクチンで居心地の良い状態なわけではない。 学校に登校しながら苦しんでいる生徒には、 厳しい言葉はとんでも、なかなか救いの手は届かない・・・。 でも、それでも学校は生徒を守ってくれる「温室」!? 「ひとりになりたくてなるのと、ひとりにされるのとはわけが違う」 「パシリになるのと、パシらされるのは根本的に違う」 そんな言葉たちが印象に残る、 いろいろと考えさせられた1冊です。 | ||||
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いじめにあっても学校に行くことをやめず耐えていたみちる、学校には行かず学びの部屋という公民館に通いながらカウンセリングを受け始めた優子、形は違えど二人とも学校をなんとかしたいと思いつつ懸命に頑張っている姿に胸を打たれた。みちるはいじめが父親に知られることを何よりも恐れていたが、父親は涙を流してみちるの味方になった。ただ、父親が口出ししても結局学校は変わらないから、やっぱり自分が頑張らないといけない。それでも、父親が味方でいてくれる限りは心強いと感じる。だからこそいじめにも耐えられる。そんなみちるの想いが強く伝わってきた。 | ||||
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いじめにまっこうから立ち向かうみちる。 いじめられても、毎日教室に向かう。 担任すら、みちるがいじめられていることを気がつかないふりをするのに。 強いなぁ、と感じたが、我が子にはこの方法は選んで欲しくない。 あんまり張りつめすぎると切れてしまうよ。 頑張りすぎないで。 友達の優子のように、保健室登校したり、不登校するのもひとつの方法なんだろうけど、実際そうするのも、かなりの勇気が必要なんだと思う。 弱音を吐くのも強さなんだけどな。 | ||||
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荒れた中学で何とか日々をしのいでゆく中学生たち。徒党を組むいじめグループ、いじめを受ける子、傍観するサイレントマジョリティー、腕っ節の強い不良グループ。 主な登場人物はあまり豊かでない父娘家庭の中森みちる、裕福な家庭で美人に生まれついた前川優子、中森の幼なじみで不良になったヤクザの息子伊佐瞬、使い走りの役を上手に演じる斉藤、教師見習いの吉川。 いじめを受けてる子を庇うとその子がいじめを受けるという陰湿な閉鎖社会。とても温室とは思えない。 教師たちも1人で解決できなければ団結して生徒たちに安心して勉強できる環境を与えようという気が無い。 現実世界でも、自殺者がでて遺書が出てきてはじめて、校長が神妙な面持ちでいじめに気づかなかったなどと言い訳するのを何度もニュースでみて軽侮を感じたものです。 瀬尾まいこさんは現職の中学校教師ですから教室の実態を見ていて、この本を書いたのでしょう。 今の中学ってこんなに陰湿で卑劣なのですか。藤原正彦が「国家の品格」で「卑怯なことをしてはならない」って書いてたのに同感です。 今の中学生って見栄えもよくて生き方のスタイルももっとスマートと思っていたのに。 いろんなところで相談してもうまくいかなかったら、弁護士のところに行って相談して卑劣、無責任な人々と戦いましょうね。 | ||||
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「みちる」の視点と「優子」の視点から描かれていて、一方から他方はすごく「強い」存在に見えるのだけど、自分自身のことは「もっと強くならなきゃ」って思ってる二人。 対照的な優しさに包まれて育った二人の、 対照的な強さが印象的。 厳しく、頑固な存在として描かれていた満の父の別の一面をみちるが目の当たりにする場面にホロっときました。 みちるも優子もこの先の高校生活、社会の中で、色んな人の色んな面を見ていくのでしょう。 自分自身の中の色んな面を見ていくのでしょう。 | ||||
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なるほどなあ、と思わせるタイトルでした。まさに現在の子ども達の日々を表したタイトル。 テーマとしてはとても重たく、まさに現代の子ども達の日常を描いていたと思ったのですが、正直なところ多少物足りなかったかなあ、という気持ちも…。もっと単純じゃないかと思うところもあれば、そんなに簡単ではないよな、と思うところもありました。 「一番書きたかった」と言うようにテーマへの思い入れは感じましたが、瀬尾さんらしい心の微細な描き方や、日々の中の何気ないけれどすごく特別な一つ一つをすくいあげるような表現があまり見られず、ちょっと物足りなさを感じたのも事実です。 個人的には瀬尾さんの小説がとても好きなので、だからこそこの小説には満足しきれませんでした。 | ||||
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