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ひとり日和
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ひとり日和の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全34件 1~20 1/2ページ
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遠戚のお婆さんとの同居を通じて、主人公の女性が成長というか自立していく姿が伝わってきます。 直接的な表現でないく、何気ないやりとりや仕草で、雰囲気で伝わってくるので不思議な感じがします。このため、人により合う合わないがありそうです。 とても印象に残りましたのて、この方の他の作品も読んでみたいと思います。 | ||||
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私は主人公の気持ちが分かりすぎて、息がつまった。 私のことを書いているのかと思うほど核心をついていて認めたくないけど、認めざるを得ない作品でした。 感情移入しすぎて普段小説は一週間くらいかけてダラダラ読んでいるのに、この作品は三時間ちょっとで読んでしまった。 とにかく胸が苦しい作品でした。 でも、読んで良かったです。 | ||||
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芥川賞作品だが、良い意味で安心して読める作風。肩ひじ張って新しいものを書こうとせず、作者の視界の世界を丁寧に端正に描く。生きる形が定まっていない二十歳前後の女性が、人とのつながりや別れを通して、少しずつ自分の世界を作っていく。平明なので取り立ててうまい文章とは思わせないが、心の動きを描くとき、細かい揺れ動きをみごとに捉える文章がある。 ただ肉体の生理感覚のような生々しさには欠ける。それも作家の個性なので、ないものねだりしても仕方ないが。 | ||||
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高卒で世の中に出ていった女性の葛藤を描いた小説。実に素敵な作品ですね。 いろいろな世の中の制約のあるなかで、コンパニオンや駅の販売員として健気に生きている。恋愛も一度ふられて、駅のなかで見初めた一人の男との恋愛が成就する。結局、二度目の彼氏にも飽きられてしまうのだが、駅のホームの電車音の聞こえる家に老婆と住んでいる彼女は、よりをもどす手立てがない。三度目の相手は会社の同僚で既婚者。 社会に本格的に出ていくまでの女性の危うさと、女性が大人になってゆくまでの過程を描いた作品。 | ||||
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若者の成長の過程を感じる作品です。 とてもさわやかな作品に仕上がっていると思いました。 | ||||
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吟子さんと知寿の問答が禅問答か、人生問答のように聞こえ、二人の周りで起こるすべてのイベントは、そんな問答を彩っている。そんな感想を持った。よい作品だと思う。 | ||||
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小説は自由に読めばいいものです。 だから、この小説を「なにも起きない平凡な日常を淡々と描いた身辺雑記のたぐい」と読んで、 そこから、小春日和みたく心地よいと評価しても、退屈でつまらないと貶すのも、読者のまったく自由です。 けれど、「うるさがたの芥川賞選考委員が、そんな雑記のたぐいをあこまでほめるんだろうか?」、 あるいは、「プロの読み手でもある選考委員たちはどう読んだのか」と気になる人には、 選考委員の選評がヒントになるかなと思います。 「観念から出てきた作品ではなく、作者は日常の中に良質な受感装置を広げ、採るべきものを採って自然体で物語をつむいだ、かに見えるのは、実はかなりの実力を証明している。」「要点が押さえられているのに作意は隠されている。」(高樹のぶ子) 「落ちついて書いてある。この作者は見るべきところをしっかりと見ている。無駄がない。小説は表現するものであって、理屈で説明するものではないことも知っている。」(河野多恵子) つまり、これらの委員は、 1. 身辺雑記のふりをしているけど、裏に「書きたいこと」を隠してる。自然体にみえるけど、それは技巧だ。 2. 無意味にだらだら書いてない。無駄がない。つまり、どの箇所も狙い、目的がある。 3. 理屈での説明がない。つまり、登場人物の行動は描くが、それを「~だから」と単純な観念に収めてない。 と読んでいるんです。 たとえば、あの「庭でのブリッジ」の箇所です。 私、今まで、ブリッジする若い女の子がでてくる小説って読んだことない。だから、すごく印象的です、ホントは(追記 これを書いたとき武者小路実篤の『愛と死』を未読だった。宙返り!)。 ですが、わたし、この箇所が担っている意味を、一回目に読み落として、二回目で気づいたんです。 ここ、スーパー開店って既知の話題から始まって、ひとつひとつは明解だけど、 関連が見えにくいばらばらの情報がヅラヅラ続く上に、 風船が出てきて、浮ついている、はしゃいでるとは分かる。で分かった気になって読む飛ばしてしまった。 多分、「女の子のブリッジ」に「すごく喜んでいる」という「感情表現という観念」、「説明」の誘導がついてないから。 日常でこんな行為をを目にすれば生じる当然の疑問をスルーした訳です。 「なにをそんなにはしゃいでいるの?」って。 で、読む直せば端的に書いてある。段落の最初のところに。その理由が。 「次の日、藤田君の家から帰ってきたら」って。 ご丁寧に、一行分の空白まで取って。 その前は、藤田君と初めて結ばれて、彼がホームで手を振ってくれる場面だから、 この「藤田君の家からの帰宅」って、二回目の交渉が早速あったってことですよね。 しかも、かなり上機嫌になるような素晴らしい時間であったと。 で、この一か所でがらっと、主人公の見方が変わってくるんです。 あれ、この子、随分、感情の起伏が激しい子なんじゃないの、っと。 そう思って読んでみると、結構「重たい女」だし、「肉食系」だし、 「男の切れ目がない」し、「節操がない」ともいえるんじゃないの、と。 これらは「分かり難さ」の一例にすぎません。 無駄がないという選考委員の言葉を信じて丁寧に読めば、 無茶苦茶たくさんの作意が見つかります(「化粧」なんかキャラ理解にすごく大事です)。 また、石原慎太郎、村上龍があそこまで誉めた「駅、鉄道とそこに近傍する家」が象徴する「都市性」 (三田誠広によれば京王線芦花公園駅。ああいう類の駅がイメージできない地方の人には結構きつい)や、 おばあさんを通した「関係性」、丹念に書かれた季節の推移を介する「時間」など 現代ニッポン文学の主要テーマも見えてきます。 結構やりすぎってくらいやってます。いったん、気がつけば。 そうやって読めば、「ひとり」、「日和」といった題名でこの小説がやろうとしているのが、 いまの時代の若い女性の孤独、ひとりという感覚を、「うつろいやすいもの」「一度しかないもの、その場だけのもの」「再現できないもの」として、「いろいろな二人の関係」の陰画として描く、つまり、女の友情、主人公の未来の姿、親子といった定型的な関係に収め取らないで描写することではないかと。 さらに、主人公は、一年を通して、非常に緩やかな速度で冒頭とは異なった心性の人間に変化するが、 その経過を「成長」という過去から未来への単一の時間の流れとして読ませることを拒絶すること、 つまり、小説のみならず、現実の私たちの時間の理解の様式に他ならない「見せかけのゴール」を捏造して、 それを基準に出来事に序列・意味づけ・取捨選択をして、時間を過去から未来に切れ目になくスムーズなものに仕立て上げること、つまり「物語的時間」による時間理解を無効化して小説を成り立たせることだとおもえるのです。 日和とは、流れというにはあまりにも抑揚にかけた時間の感じ方、切り取られかたなのだから。 ここで豊かな細部すべて(クレプトマニアは小説の要請から構成されたもの、現実とは差、ここを軸に破綻的社会性向を読みたくない、など)について語るのは無理なことです | ||||
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読んだら、すごく落ち着く気分になりました。日常のことがうまく描いて、素晴らしい表現力です。その作者の他の本も読みましょうかな。 | ||||
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人間、「面倒くさい」と思うことが多い。他者との関係で不器用な人も多い。親子、 親族、職場、恋人同士、子育て、などなど数え上げればキリがない。しかし、「面倒 なこと」を「面倒」と思わずに生きていくしかないだろう。面倒くさい症候群で、 一人で生きていきたいわ、と思っている女性とおばあちゃんとの、コミカルであるが、 しみじみとした感情が押し寄せてくる作品である。約一年の物語。 高校で国語を教えている母親が、交換留学生で中国へ行くという。父とは、私が五歳 のとき離婚している。二十歳で、フリーターをしている私(三田知寿)は、遠い親戚で、 東京にいる「おばあちゃん」(萩野吟子・七十歳)家に居候させてもうことになった。 しかも、死んだ飼い猫の額縁写真が二十三枚飾ってある部屋である。 知寿は吟子との意思疎通なんか面倒くさいと思っている。自己紹介も吟子からされた くらいである。自ら積極的に動こうとはしない。しかし、食後の茶碗洗いとか、猫が 鼠をもてあそんだ後始末とか、次第に吟子の「愛」の鞭に鍛えられていく。 人間関係はどうだろうか。実は、知寿には「小物」の盗癖がある。知人から、タバコ やキーホルダーをちょろまかし靴の空箱に収集している。まともな会話を回避し、小物を 見ながら淋しさと孤独感を慰めるために、持ち主を回想するのである。 二人の恋人に去られた。知寿には原因がよくわからない。よくわからない事が多すぎる。 吟子が病気になっても対処法がわからない。「何も知らない」ことを思い知らされる。 吟子はじっと知寿の行動を観察し、言葉に聞き入っている。すべて御見通しの感がある。 吟子との生活で知寿は徐々に自立の様式や他者との付き合い方を学んでいく。悩みを ぶつける知寿。飄々と、哲学的で、禅問答のような返事をする吟子。読者に考えさせる 会話である。例えば、「人は去っていくからね」、「型からはみ出たところが人間。はみ 出たところが本当の自分」など。「吟子さん名言集」でも出来そうである。 吟子と別れ、自立の日がやってくる。掠め取った「小物」を猫の額縁の裏に隠していく。 「面倒くさがりや」の過去や、盗癖などと決別するために。吟子さんとの思い出とともに。 やさしい文体ほど行間に顔を埋めて、登場人物の「心」を読み解いていきたい。 作品は、「不器用」で「面倒くさがりや」のあなたへ、ほのかに、かすかに、一灯をもたらす。 「知っている人を入れ替えていく。知らない人の中に自分を突っ込んでみる」。 けだし、語り手の名言である。素晴らしい作品。 | ||||
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この小説に書かれている空気は、等身大で、リアルに感じられました。 何気ないようだけど、やるせなさとか、不安とか、希望とか、伝わってきます。 私は、いい小説だと思いました。 会話や間に、独特のキレがあり、おもしろい。 | ||||
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半世紀の年齢差がある二十歳の女の子、知寿と七十一歳のおばあさん、吟子さんの同居生活が描かれる。 吟子さんの家には猫がいる。猫の写真もずらりと並んでいる。 その猫たちはすべてチェロキーという名前だ。どうやら過去に飼っていた猫たちの「遺影」らしい。 吟子さんは独り身だが、ホースケさんというおじいちゃんのボーイフレンドがいる。 笹塚駅の売店の売り子を始めた知寿は、藤田君という男の子と付き合うようになる。 知寿には「盗癖」がある。 といってもお金や高価な品物を盗むわけではなく、彼氏とか吟子さんとか、身近な人間からどうでもいいような小物(たとえばホースケさんの仁丹とか、中にはモト彼からこっそり切り取った髪の毛もある)を盗んでは、カラの靴箱につめこんでいるのだ。 「靴箱の小物たちは・・・苦かったり、甘かったりする記憶を、自分ひとりで楽しむ手伝いをするだけだった。それでもわたしは箱を捨てることができない。」 最後に吟子さんの家を出るとき、知寿はコレクションした盗品の全てをチェロキーたちの額縁の裏に置いていく。 こうして見えてくるのだ。 知寿と吟子さんとのパラレルな関係が。 吟子さんは知寿の未来の姿なのだ。 いや、語り手の知寿は、実は吟子さんの記憶の中の吟子さん自身なのではないか。 知寿は未来から照射されて浮かび上がる吟子さんのイメージではないか。 チェロキーと同様、知寿は吟子さんの記憶の中に並べられる一枚の写真なのだ。 すべてが淡々としている。 知寿は職場ではそつなく人間関係を築けるのに、一歩進んだ関係となると結べない。 母親さえ、いや母親だからこそか、自分からは遠い。単に母親が中国に住んでいるからだけが理由ではないだろう。 藤田君との関係もあっさりと終わってしまう。 すべては半世紀前の記憶のように薄い。 細い道をひとつ挟んで駅のホームが見える吟子さんの家。 そこに暮らして、ホーム上で手を振る人を見送りながら、知寿の人生も過ぎていった。 描写も淡々としているのに、何かしら不思議に深い小説だなあ。 こうしてレビューを書いていたら(読後感を反芻していたら)、「感性豊かな若い女性作家が細やかに描く若い女性の日常」というクリシェがぴったりの、つまり、いかにも底の浅い芥川賞作品の典型だと思って☆☆評価だったのが、☆☆☆☆にまで増えてしまった。 | ||||
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ありふれたストーリーだと思う。すこし偏屈ですこし問題を抱えた主人公が大人になっていくはなし。 居候先のおばあさんとの交流がさりげなく絡む。とてもありふれているし、つまらないといえば言えなくもない。 でも、なんだか不思議と魅力的だった。居候先のばあさんは、がばいばあさんのような名言や金言は一切云わない。 ただそこに居るというだけ、そしてごくさりげなく心配して、たまに言葉を交わす。普通のやりとりがこんなに魅力的な小説は結構珍しい。 いい言葉があふれている世の中にあっては、こういう言葉にならない優しさみたいなのが、実は一番心にしみるのではないかと思える小説だった。心の動きを丹念に描いた秀作だと思う。 | ||||
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賛否両論の作品だとは思いますが、 私は著者の文章に魅かれました。 内容だけではなく、 文章の美しさ、日本語の美しさが好きです。 | ||||
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母子家庭で暮らす埼玉県に住む若い女性が、母が中国に単身赴任するのを気に、東京で暮らす遠い親戚のお婆さんの家に間借りして暮らした1年間の物語・・・ 確かに人間の内面を切り裂いていくような作品ではなく、権威ある芥川賞の受賞作として相応しいか議論はあるだろうね でもやっぱり物語って読者にページを進めさせる力がもっとも必要だと思うし、そういった意味でこの作品は飽きさせないし なんとなく読後もすがすがしい気分になって主人公の今後を応援したくなる・・・ | ||||
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淡々とした毎日にあるような襞をすくい上げて編み込まれた、どこにでもいそうな少女が日々に揺られる物語。 人が人に重なり、ズレ、離れ、そしてまた重なり、有機的に形を変えながら、人間関係という名の「ひとり」の地図は今日も開かれる。 | ||||
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会社の女性が言っていた。朝、満員電車の埼京線で新宿駅に到着したら、新宿西口ロータリーの喫煙所でタバコを1本吸ってから出勤するんです...と。私は、それを聞いたときこの小説にある「出発」という短編と会社の女性が重なった。あの場所は、新宿の始まりであるとともに、日本の中心を思わせる場所である。高層ビルに囲まれた都会のエアポケットなのだ。ある種の喪失感、閉塞感は「ノルウェイの森」の最後と重ならないか?pour voir le monde differemment.日常の視点を変えてみてみよう。千葉や埼玉、八王子から新宿まで出てきたのに、伊勢丹の敷居が高く感じられ、ついついユニクロで買い物してしまうようなあなた!はたまた、地方から東京に出てきて5月病(死語か...)になっている社会人1年生、2年生のあなた!何気ない日常の積み重ねが人生なのだと、あたりまえのことをあたりまえに教えてくれるだろう。この小説は。過激な場面や奇想天外なドラマだけが小説ではないと信じたい。味のなくなったガムをいつ吐き出そうか、小さいことの葛藤も小説にしようとすればできるのである。ここは作者の腕の見せ所といえるだろう。彼女は充分にその才能を発揮した。 | ||||
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芥川賞をとった作品なので、どんな物かと思い、読んでみたのだが、初めは少々退屈な出だしかと思ったが、読み進めるうちに、どんどんストーリーに引き込まれていった。主人公と老婆のゆっくりとした生活が描かれており、主人公が人と触れ合いながら、人間的に成長していく様子が書かれていた。途中、主人公の老婆に対する微妙な心理が描かれていて、何となくだが、共感出来た。サラリと読めるので、まだ読んでいない人にはおススメである。 | ||||
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無気力とも言える淡白さとのんびりさと共存する慎ましさといい意味での地味さ。まさに草食系女子が主人公。草食系男子・女子さんは読めば意外と共感できるのでは?書いてる青山七恵さんも草食系女子っぽい。堅実で丁寧であっさりした文章を淡々と書いてる。 職人っぽい人な気がする。 私はいいと思うけど、淡白で地味なのでつまらないと思う人が多そう。芥川賞もらわなきゃ読まれてないかも。でも、この堅実さと丁寧さは、雑な文章の目立つ昨今では少ないながら固定ファンを集めそう。 いかにも肉食男子な石原&村上龍がプッシュしたのは、「若い作家を誉めて、知事選で若者の票をゲットだぜ」という魂胆から、とある本に書いてましたが、そうでしょうね。彼らが素直に誉めるわけがない。 | ||||
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第136回(2006年下半期)芥川賞受賞作品。 芥川賞っていうと、純文学というイメージを勝手に持ってて とっつきにくく感じていたんだけど、 そんなこともないんだなと読んでみて思った作品。 この主人公の21歳千寿の心の動きが上手く書かれてた。 千寿は親の愛情というものを感じられずに大人になり、 そのことを自身で認められない葛藤があるよう。 他者に愛を安易に求めるところから‥そう感じたかな。 なんだか著者の内面から出てきた感情を盗み読みしてるみたいで 後味の悪い気持ちになったりしました。 さらっと読める文体には好印象♪ | ||||
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私は21歳だから主人公と同い年。 それはもう共鳴してしまって、一気に読んだけれど三度も涙しました。 おばあちゃんのえもいわれぬ強さや可愛らしさや儚さや健気さ、それから諦念や折り合いを付け切れぬ主人公の、ちっぽけなおばあちゃんを邪険にしてしまう気持ちとか少しの労わりとか淡白を装う不器用さだとか、そういうものの堆積が、最後の車窓の情景に寂しさを伴わせてそのまま掻っ攫われました。 | ||||
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