みがわり
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これがどんでん返しと言えるのか? 最初はおもしろそうな雰囲気でどんどん読み進めていきましたが、途中で雲行きが怪しくなりよくわからない展開に戸惑いました。 んー時間を返してほしいと思える内容です。 | ||||
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長編で読み応えたっぷり。 全体には「まぁまぁ」な感じで読み進めていく感じでしたが、 ラストで「はぁ~?」と確かに驚きました。 商品説明に偽りなしと納得。 | ||||
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ある作家の(しかし作家とは言いつつデビュー作だけであとは全く書けない一発屋的作家)サイン会に、大ファンという人が現れる。会った瞬間に号泣。何も言わずに抱きしめられる…。ここまで自分の作風が好きなのか…と思っていたら、豈図らんや、亡くなった姉と瓜二つなのだという。 実際に写真を見たら、自分でも判断がつかないくらい似ている。 (私と佐村河内さんみたいな関係なのだろう…) で、これも縁だから…ということで、その姉の伝記みたいなものを書いて欲しいと依頼され、お金もらえるなら(200万)ということで仕事は受けるのだが…。 登場人物として、その作家の仲の良い女友達、その作家の体だけの関係の男(こいつは本当に体だけしか求めてない。途中で結婚してもまた家にやってくるようなやつ)、依頼主の旦那(こいつの存在がとても面白く、もうやりっぱなし。)その娘…。 伝記を書くために、妹に当時の様子を聞くのはもちろん、自分でも取材を始めるのだが、依頼主が言っていることと世間の話に齟齬がある。そんな取材の最中に何と依頼主の旦那と寝てしまう(笑)。しかも後でわかったのだが、その旦那は自分の友人とも寝ていた。しかも落とす時の言葉は同じ…。 もうこれはやってられない…と伝記を書くのを断ったら、何と…。映画のミザリーのような展開を期待して思わずページをめくったら…。なぜこんな結末なのか。残念。 | ||||
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ここ最近、日本の女性作家の長編小説を読む機会が多い。偶然ではあるがいずれも普遍的な女性の主人公にまつわる人生とか家族や恋人との日常生活とか、を題材にしたものである。 男性の私から見ても、その(作家によって創作された主人公の)感性や感情の動き、に新鮮な感動を覚えることがよくある。それらはいずれもときに情緒的で大胆な描写で、またあるときは思わずうんうん、と唸らされるような、共感させられるような日常生活の描写で、あるように思う。 この作品を読み始めてはじめのうちは主人公、律(りつ)の、小説家という体をとりながら、決しておごり高ぶることなく、その日常生活を親しみやすい表現で語りかけてくれているような描写にどこかほっこりとした、安心できる、そういった印象を持った。 ところが話が進むにつれて、物語は戯曲的な展開をしていき、ぐいぐいと読む者をひきつけていく。ある種ミステリー小説のような趣きすら感じられる中盤以降のスピード感には、思わず唸らされた。 そして最後の種明かし…ここまでの物語は小説だからこそ戯曲的で面白いのだと、まるで作者が我々に訴えかけているようだ。日常はかくもつまらないものであるのだと…ともあれ、我々はこの作品の世界に浸っているときにはその創作を思う存分楽しむことが出来る。創作とは、かくもあるべきであるのだなあ…と実感させられた寡作であると思う。 | ||||
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亡くなった祖母(作家志望だったらしい)の本名(鈴木嘉子)をペンネームとしている遠州律と言う新進(24歳)女流作家をヒロインとしたチャレンジングな作品。律が文章を担当して共同製作した絵本の発表記念イベントで律に対してストカーまがいの好意を示したセレブ風の九鬼梗子という30代の女性が物語を動かす。梗子は誠実そうで律にとっては稀なファンである事から、律が梗子の家を突然訪れると、梗子は律が亡くなった姉の百合にソックリだと言う(百合も絵本作家志望だった由)。「律=百合の『みがわり』」、「律=祖母(あるいは鈴木嘉子)の『みがわり』」というダブル・ミーニングで、<アイデンティティ>の問題を扱った作品だと言える。 しかし、次第に物語が歪んで来る。梗子と娘の沙羅が百合の事を専門に描く"お抱え作家"となる事を律に懇願し(これ自身狂気だが)、律が契約金にためにそれを引き受けてしまう事で更に物語が動く。作家(特に作者自身)という職業の意義を問い掛けた作品でもあるらしい。この間、ドストエフスキー「二重人格」を初めとする様々な文学作品に言及したり(あるいは作品間でヒロインのリレーをしたり)、梗子の夫の青磁が(新しい版の)映画「華麗なるギャッツビー」のディカプリオにソックリだったり(このため、律は青磁に惹かれる)、草花の描写が全編を覆っていたりと雰囲気創りに工夫を凝らしている。そして、律は百合の伝記を書くために梗子やその伯母に"取材"するのだが、その過程はサイコ・サスペンスさながら。その後、スティーヴン・キング「ミザリー」張りのシーンが出て来たり、"夢オチ"に近い形(少し残念)で「百合=梗子の(下僕としての)『みがわり』」、「律=梗子の『みがわり』」として梗子の狂気を浮かび上がらせる構想は秀逸だと思った。 サイコ・サスペンス・タッチで、幾重もの「みがわり」構造を提示して<アイデンティティ>の問題を扱うと共に、作家(特に作者自身)という職業の意義を問い掛けた意欲作だと思った。 | ||||
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