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ひとごろし
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ひとごろしの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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本作は表題作はじめ面白さに趣きを置いた作品が多かったです。 表題作「ひとごろし」は臆病者の主人公が殺しの罪を犯した剣豪の討手となる物語。臆病者らしい戦術はかなり漫画っぽいですが話はとても面白く結末も良いです。 許嫁のある身ながら母が連れてきた侍女に恋をする武家の息子を描いた「女は同じ物語」も驚きの結末まで一気読みできる面白さでした。 本作の中では異質でしたが「暴風雨の中」は印象的な作品でした。暴風雨で家が浸水した一室で繰り広げられるヤクザ男と岡っ引きと女の掛け合い。死と隣り合わせの緊張感の中での人間模様に終始引きつけられました。 | ||||
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四十年も前に読んで,再読したかった!TVで映画を観たので再読したが,はるかに面白かった!「観てから読むか,読んでから観るか?」原作ははるかに映画に勝る!「トットちゃん」が映画化しない見識が、これで納得。読者それぞれがトットちゃんをイメージ出来るから‼️ | ||||
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まったく予想を裏切る展開でとても面白くほっこりする物語です。これ以上書くとネタバレになるので止めておきますがお勧めの本です。 | ||||
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・戦前の作には、教訓めいた硬さが窺われるものの、他の作品には、単なる筋の面白味を越えて、「人間愛」を基底に置いた、周五郎ならではの多彩な「物語性」が詰まっていて、味わい一入の短篇集である。武家もの、岡場所もの、滑稽ものなどの、場や人物設定の幅広さに加え、ストーリーのユニークな展開は、後世の時代物作家の及ぶべくもない、高みにある。それらの全てが〈自分がどうしても書きたいというテーマ、これだけは書かずにおられない、というテーマ〉であったと云うから、驚く。それも「修練」を重ねて生涯取り組み続けた、と聞くと、周五郎の作家魂に、改めて感嘆せざるを得ない。何せこの本には、秀作が目白押しなのである。 | ||||
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人情ものとして絶品です。若干表現は古いですが心温まる作品ばかりです。夫々読み終わると爽やかな気分になります。 | ||||
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人によって書物の好みは色々あるのは当然で、10の話があれば良いと思う作品も人それぞれ違ってくると思います。しかし、山本周五郎氏の短編集を読んで感じるのは、その一冊の中に必ず素晴らしいと思える作品が含まれているところにあると思います。必ず期待に応えてくれる一冊です。 「壺」講談雑誌(昭和15年10月) 百姓の倅としての身分を恥じる七次郎は自己流で刀法を身につけて、あわよくば軽輩なりとも武士になりたいと思っていた。そんな時に荒木又右衛門と出会い忠誠奉公を申し出て刀法を教えてもらう約束をします。半年経っても又右衛門は全く剣術を教えようとはしなかった。たまりかねた七次郎は又右衛門に直訴するが、返ってきた答えは、裏庭にある高い一本杉の影の差す土中に秘伝の極意を記した一巻の書が入った壺があるから、それを掘り出せということだった。食事もせずに五日十日と掘り続けるが壺の所在はつかめず、体は痩せ細り、顔は日に焼け赤黒く変色してしまった。しかし、その過酷な作業の中に七次郎にとっての生きてゆくべき本当の姿が有った事を知ることになる。七次郎は無意識のうちに掘り起こした土を、瓦礫と草根を分別していた。掘り起こした後の地は、立派に耕された畑地になっていたのでした。七次郎は土を掘り起こしながら又右衛門から無意味なことをさせられているのではないかと猜疑を持つようになる。人が持つ醜い心の底の描写した秀逸な作品でした。 「暴風雨の中」昭和27年9月(週刊朝日新秋読物号) 烈風と豪雨が荒れ狂い氾濫した隅田川の水によって、その二階家は一階まで浸水していました。その家の二階に悪人(人を殺めた)三之助が逃げ隠れていた。三之助に裏切られた“おしげ”は岡っ引きの佐平に三之助の隠れ場所を密告します。悪人の三之助、三之助に裏切られた“おしげ”、三之助をお縄にするため追っていた佐平。その三人が、あたり一面川水が氾濫した家の狭い二階で憎悪を剥き出しにしていがみ合う。さらに暴風雨は強まり、家は倒れるばかりになる。本作には登場人物は三人しか現れないが、緊迫した状況の中での三人の人間描写が実に巧みに書かれた作品。周五郎氏は天変地異の表現にはたけていて「さぶ」のなかでの両国橋の上での雨の様子、また石川島での嵐の様子などにも匹敵する出来栄えを感じました。 「雪と泥」昭和29年1月(オール讀物) “岡場所もの”に属する作品です。ラストは悲しい結末になる話です。五千石の大身、小出家の長男折之助は酒も飲まず女遊びもせず純真すぎるほどの男でした。そんな彼が偶然道で出会った茶屋の女“おしの”に一目惚れし夢中になってしまう。“おしの”は身分を小伝馬町の太物問屋、美濃庄の娘だと偽り。さらに悪い男に付き纏われ手切れ金二百両必要だと折之助を欺いた。折之助の父、又左衛門は吝嗇家(けち)であったが居間の銭箱の中には小判が蓄えられていた。折之助はそれを拝借しようと企てるが失敗する。思い余って折之助は、その悪い男を辻切ろうとするが、それも上手くゆかず逆に切られてしまう。意識が朦朧とするなか雪と泥の中へ倒れてゆく姿の描写は、とても悲しすぎました。 「鵜」昭和29年8月(講談俱楽部) 現代小説の表し方に“ファンタジー”という表現がありますが、周五郎氏の作品の場合はそれを“不思議小説”と解説しています。本作はその不思議小説にあたります。江戸で謹慎の身となった布施半三郎は国詰め(江戸から国元へ帰される)となった。半三郎は江戸から持ち帰った釣り竿を抱え毎日加能川へ鮠(はや)だとかウグイ、鮎を釣りに出かけていた。ある日、断崖の下にある絶好の釣り場を見つけた。そこへ数日通っていると、ある日上流から着物を身につけていない女が流れてきた。死体だと思った半三郎だったが、その女は生きていて岩の上に登った。半三郎は、その女の美しさに驚き誤って釣り竿を川へ落としてしまい一目散に逃げ帰ってしまう。しばらくして、また、その釣り場へ行ってみると、なんとその女がまた現れ、釣り竿を持って来てくれていた。その後しばらく二人はそこで秘密の逢瀬を重ねることになります。しかし、突然女は来なくなってしまった。その訳は?妖艶なファンダジー小説でした。 「女は同じ物語」昭和30年1月(講談俱楽部) 武家の町人の若い男女の恋愛ものであります。二千三百石の城代家老の梶竜右衛門の一人息子広一郎には六つ年下で許嫁の安永すねという娘がいた。しかし広一郎は幼い時に“つね”と一緒に遊んでいる時、さんざん意地悪をされたのがトラウマになり全くの女嫌いになってしまっていた。ある日、母さわが広一郎の侍女として紀伊という女を召使にさせた。毎日一緒に過ごしているうちに、やがて広一郎は紀伊に好意を抱き始める。紀伊も広一郎を好んで結婚の約束までした。しかし突然、紀伊は広一郎の前から姿を消してしまった。失意のもとに広一郎は許嫁の“つね”と祝言を挙げることになったのだが、その日現れた女は紀伊そのものだった。“つね”は広一郎の女嫌いを直そうと広一郎の母と相談し紀伊の名を語り広一郎の女に対する苦手意識を取り払ったのでした。 「しゅるしゅる」昭和30年10月(オール讀物) “滑稽もの”の範疇に入るのだろうけど、私には純愛ものに読めてしまう。若き城代家老の由良万之助は次席家老の片桐五左衛門から、お上から老女として来た作法教授の尾上女史の教え方が厳しすぎるので、少し手加減するように家老から申し伝えるようにと頼まれる。万之助はそれを躊躇っていたが、尾上女史の余りのも男勝りな性格が癇に障り、舟遊びを口実に激流の中に連れ出し、泣き言を言わせようと企んだ。しかし予想もしない激流に二人は慄き必死に脱出を図る。この激流に押し潰される舟上の二人の描写は「暴風雨の中」と同様に気象状況に狼狽える人間たちの恐怖する姿を実に上手く書いている。舟から放り出された二人はシカッリ抱き合ったまま砂地で伸びている姿で発見された。「あんな姿を皆に見られたのだから夫婦になるしかないだろう」最高のセリフで締めくくってあります。 「裏の木戸はあいている」昭和30年11月(講談俱楽部) 高林喜兵衛は屋敷の裏門の木戸には鍵をかけていなかった。その木戸を開けると右手に縦五寸横一尺ほどの箱があり、その中に僅かな小粒銀や文銭が入っていた。喜兵衛は貧しい町人たちのために、それらの小銭を持っていくことを許していた。町人たちのなかには返しに来る者もいたが、返しに来ない者いた。箱の中の小銭が無くなると喜兵衛は、また小銭を補充するのだった。喜兵衛は納戸方頭取で、ある日城中で事務を執っている時、城代の細嶋に呼ばれた。細嶋は「目安箱の中に喜兵衛が金貸しをしている」という訴状が有ったと言う。しかし、これは金貸し業を営む商人たちの嫌がらせで、喜兵衛の善行を快く思わない者によるものだった。最後の裁きはどうなったかは当然の結果として推測出来ると思います。 「地蔵」昭和36年3月(別冊文藝春秋) 風刺もの。石の地蔵に縄で縛られた手石(ていし)。手石は別に悪いことはしていないが、脛黒(すねぐろ)は「こいつは人間とも思えない人殺し、強盗を繰り返した悪人で」と聴衆の前で叫ぶ。それが地蔵尊の霊験によって改心し「今は真面目な人間に生まれ変わった」と言っては地蔵尊への寄進を集めていた。もちろん、それは事実でもないし、その金も二人は取ったわけでもない。実は、その集めた金は役人が集めに来るのでした。手白と脛黒の会話「役人や大将、大臣は、酒を飲みながら珍味を食し美女を抱く。暑さも知らずひもじい思いも苦しさも知らない。でも、これはオラたちが死ぬほど働いて年貢を納めればこそ、あの衆は苦労知らずにやっていられるんだ。そう考えれば晴れ晴れとした気分になるじゃないか!」寄進を横取りする役人を皮肉ることで、体制に対する批判を風刺した作品。当時、あからさまに批判出来ない時代、これだけでも強烈なインパクトを与えたことが想像出来ます。 「改定御定法」昭和37年12月(文芸朝日) あまりにも民意を受け入れ藩法制を改革してしまった結果、武士といえども悪行をすれば町人商人から訴えられる事が起こるようになってしまった。矢堂玄播は、呉服問屋の要屋から百八十両もの大金を借りたうえ、返済を迫る要屋主人を脅したという罪で要屋主人、要屋喜四郎が町奉行所へ訴え出た。町奉行としても玄播を裁けば藩の面目は丸潰れ、威信までも失ってしまうことになる。御定法の改廃に頑強に反対し閑職にとばされた中所直衛が、その重大な裁きに名乗りを挙げる。矢堂玄播の家禄は二百石ほどで、そもそも百八十石もの大金を貸し付けたことに要屋の思惑があると気づいた直衛は、その担保としての根拠を執拗に問い質す。要屋主人は要として答えられない。それは、借財はいずれ藩が肩代わりするだろうという狡賢い計算があったからだった。そこを直衛が巧妙に尋問してゆく。読み応え有。 「ひとごろし」昭和39年10月(別冊文藝春秋) 福井藩の御堀支配という、実に無の役につく双子六兵衛は、藩でも有名な臆病者で、嫁も来なければ妹の嫁ぎ先も見つからないほどの有様でした。仁藤昴軒は狩場で口争いから御側小姓、加納平兵衛を斬ってしまい、江戸へ逃げて行った。江戸にいる平兵衛の親兄弟は激怒し上意討ちを命じるが、昴軒は剣術の達人で誰もが、その役を引き受けない。そんな時、名誉挽回のために、六兵衛が上意討ちに名乗りを挙げた。剣術では勝てないと分かっている六兵衛は昴軒の立ち寄る先々で「こいつは人殺しだ!次は誰を殺すかわからない!」と叫び続ける。宿屋や茶屋の者は、恐れをなして宿泊を断ったり、食事を出せなくなったりする。剣を向けると逃げ出す六兵衛も六兵衛だけど、行く先々で「ひとごろし」と叫ばれ、まともに寝食もままならない昴軒もとうとう辟易してしまう。ついには観念する。昴軒は諦め、首を斬れと六兵衛に言う。しかし六兵衛は恐ろしくて、とても首など斬れないと言って、斬っても腐ってしまって福井まで持って帰れないと言う始末。そこで、二人で相談し、斬ったことにして福井へ帰る。国へ帰った六兵衛は大喝采を浴びる。切実な話なのに二人の会話が実にユニークな名作でした。 いつも山本周五郎氏の短編集を読んで感じるのは、木村久邇典氏の選出の見事さです。 | ||||
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弱者が勝ったり、思いを貫く筋立ては分かるが、少し無理あり。状況描写は流石。 | ||||
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題名は怖いが、実はお笑い小説である。 と言っても軽々しく捻って書き連ねたわけではなく、 史実を元に話が作られているから、しっかりとしたストーリーの中に、 馬鹿馬鹿しい笑いが詰め込まれていて、声を出して笑ってしまう。 何故「ひとごろし」というのかは読めば解るのだが、 なぜ主人公がそんな経緯に至ったかもキッチリと書かれていて、 話の筋もしっかりとしている。 そして敵役の人物の焦りや苛立ち、それに開き直りまでが逐一書かれていて、 思わず同情しながらも笑ってしまうのだ。 余裕でいちゃつく彼と、神経衰弱なもう一人の彼という、 対称的な二人の姿がまた面白い。 これを長々と書き連ねていれば、無駄で余計なものが付きまくり、 タダの駄作になっていたかも知れない。 そもそも「臆病」という性格設定だけでここまで話を作り上げるのは、 さすがと言うしかない。 巧いところで短く切って仕立てるところに、山本周五郎の妙味がある。 | ||||
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Very tragi comic story. More comic than tragic. One of his best short stories, so the commentary goes. To Rokubei, principal character, tormented by the mission he undertook by order of the feudal sovereign to kill a samurai superior to him in martial arts, a superb tragi comic idea occurs. Instead of fighting with sword with an evident end, he tries a soft approach which consists in tormenting his adversay with continuous and never-ending accusation, day and night,not letting him to rest nor to sleep. And, in the end, Kouken, his adversary tired of them, gives in... | ||||
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