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日日平安
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日日平安の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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椿三十郎の原作が収録れていると知って、読んだ。 外ではめっぽう女房に強気を装う亭主が、家では、可哀想なくらい尻に敷かれてるとか、 将来の改革に備えるために、愚君を装おう殿様とか、惚れた女のを食い物にする男を殺す話とか。 どこかで見た情景があり、映画やドラマなどで参考にされているのだろうか。 江戸の庶民や城内の風俗を想像しながら読んだ。 | ||||
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安かったので、それなりの商品でした。 | ||||
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全11編の短編集です。中でも『水戸梅譜』はわずか25ページの短編であるがこの短い小説の中に光圀の品格・威厳・温かさを凝縮させ人物の大きさを感じさせる語り方は周五郎ならではで読書中自然に涙が頬を伝いました。本書名になっている『日日平安』においては題目どおり平穏な日々を過ごしていた城代家老を政敵から奪還する話なのですが主人公の浪人が飄々として知恵を使いテンポよく藩の内紛を爽快に解決する話であっという間に読み終えてしまいます。この話は椿三十郎の元ネタとのことですが主人公のキャラは全く別物です。もう一つ『若き日の摂津守』この短編は暗愚な藩主が領民の窮乏状況を知り目覚めてゆく話で最後まで一気に読み切れ、続編が読みたくなる一話です。下名が明るく爽快な小説を好むこともあり特にこの3編をお気に入りに上げますが他も秀逸作品ばかりです。悲しく切ない話もありますがそれだけで周五郎小説は終わらせません武門・親友・縁者等、人の絆を掘り下げ必ず一縷の光明を差し結んでいます。 | ||||
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どの短編を読んでも感銘深い。 どの短編も読みはじたら、いっきに最後まで読んでしまう。 山本周五郎の他の小説も読んでみたい。山本周五郎の小説は数多く出版されている。楽しみ。 | ||||
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・古くは黒澤映画の快作「椿三十郎」、その原作となった表題作始め11篇からなり、何れも男の意気地を描いて、秀逸。駄作と切り捨てたくなる作品は一つもない。 作家周五郎の抜きん出た力量と、この本を編んだ作品選定の自負が、ここでもハッキリと、窺い知れる。 | ||||
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城中の霜、何度読んでもジンときます。 理想には程遠い人物像ですが、不必要な語りがなく、簡潔で心地よい。 | ||||
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この人の文体があまり・・・・。 | ||||
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実は映画を鑑賞後 ずいぶん経ってから本書を手に取りました。 映画とは「椿三十郎」です。 先ずオリジナル(黒澤明)の大フアン。 そして織田裕二版・・・・・ やらかしてくれましたね。 本書読了後に思ったのですが。 黒澤明は当初主人公を 三船敏郎=剣豪タイプではなく 原作に比較的忠実な 小林桂樹=飄々とした知略のみ で企画を進めていたとか。 当時東宝側に 「そんなもんヒットする訳ねーだろ!」 と却下されたとか。 日日平安。 読んでみて思いました。 これ今なら「当初の企画」でも もっと原作に忠実でも 行けるのでは? (「雨あがる」が近いかな?) 織田裕二で。 色々な顔を見せてくれる俳優ですが 彼の持ち味の一つに 飄々というのも入っています。 そこはもしかしたら 三船敏郎よりも活かせたかもしれません。 椿三十郎(仮名)は 三船を置いて他に在りませんが 本作の主人公菅田平野は 織田裕二の方が もしかしたら適役だったかもしれません。 今更全て 手遅れですが・・・ 本作はスタンダードです。 色々な御馳走が 巷に溢れている現代人の口には 薄味かもしれません。 「何だ食った事あるよコレ!今更・・・」 しかし数々の御馳走の奥底に 必ずベースとして入っている。 醤油味噌砂糖味醂出汁・・・ そういう作品です。 しかしこの「ハルキ文庫版」。 ウイーク・ポイントが一つだけ。 表紙が酷えな。 何だこの絵? 椿三十郎の原作でなければ 山本周五郎の本でなければ 絶対買いませんよコレ。 幼稚園児にテキトーに描かせた絵の方が これよりまだマシ。 | ||||
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何度読みなお押しても面白いですね。 文庫で買って、過去、何度も読んでいるうちにボロボロとなり、キンドルで買い直しました。 気なるのは、昔の漢字でいま使われていない漢字が、たくさんあるのですが、その漢字が他の漢字より大きく浮いて見えることです。 いまの技術をもってすれば、作れると思いますが…内容に変わりはありませんが素直に流れるように読めないのが、残念。 | ||||
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ちゅうもんどおりの、のうひんでした。じょうたい良し。文句無し。 | ||||
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全て一気に読めるし、話しの展開が意外性があって非常に面白い! | ||||
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山本周五郎の短編としては 割にたんたんと読めていく作品が集められています。 最初の「城中の霜」でじんわり それからは特に後半の「末っ子」から 「屏風はたたまれた」そして最後まで どの作品も生きていく姿を写していて 心の内にしみいるように残してくれます。 いつどれを読んでもあからさまな人生訓よりも 読み手にゆだねる形でいいです。 | ||||
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基本的に短編集は苦手な方なんですが、周五郎先生の短編はいろいろ考えさせられて面白いです。電子書籍で短編集を読むのも相性がよく感じますので今後も利用していきたいです。 | ||||
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70代の男性から薦められて読みました。私は60代女性。タイムスリップできますよ。 | ||||
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表題の「日日平安」が黒沢明の映画「椿三十郎」の原作であるので読む機会を得た。 黒沢の話によると当初はこの原作は他の映画監督に撮って貰う積りで脚本を書き始めたらしい。ところが、途中で東宝から「用心棒」の続編にしてほしいという依頼があり、脚本も大きく変更して自身で映画化したとのことだ。「椿三十郎」の大ファンである僕にとっては幸せな昭和の歴史である。 原作と映画の違いは主人公の設定にある。映画の主人公はいわばスーパーマンだが、原作ではむしろ弱い人間という設定となっている。黒沢が「弱い人間」を主人公として設定すること自体にピンと来ない。黒沢の映画では幸不幸、善悪の問題があるも、基本的には強い主人公が闊歩することが大半だからだ。従い、上記の東宝からの云々という話も上手な嘘なのかもしれない。 では原作と映画のどちらが良いのか。これに関しては優劣をつけがたい。どちらも良いと言うしかないだろう。 原作は主人公を弱くしたことで、ペーソス溢れる人間像を作り上げている。「頭の回転は良くても、剣術に弱い」という主人公から立ち上る滑稽味や人間味は映画には見られない隠し味だ。これはこれで大きな効果を挙げていると言って良い。 黒沢は山本周五郎の原作をよく起用した。本作、「どですかでん」、「赤ひげ」がそうだ。一人の作家からこれだけ原作を起用したのは他にはドストエフスキー位である。読書家としての黒沢の視線の動き方が見える気がする。 | ||||
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映画「椿三十郎」を見たこともあって、また某サイトで取り上げられていたこともあって、本作を読んでみました。 時代劇そのものがわりと好きなので、けっこう大御所と呼ばれる時代劇作家の作品は一つは読んでいるのですが、この山本周五郎さんは珍しくまだ一冊も読んだことがない作家さんだっただけに、これを契機と読んでみました(池波正太郎とか司馬遼太郎とかは割に早く読んだのにどうして山本さんだけ手つかずだったのか不思議ですが)。 内容のほうは、時代短編集ということで、全然別個の11の作品が収められています。 連作ではなく、主人公の境遇や時代もばらばらの11の独立した作品群です。 映画「椿三十郎」の原作である「日々平安」も入っていますが、むしろこれはこの短編集の中ではどちらかといえば扱いが軽い一篇。映画は大筋を借りているだけで、かなりストーリーやキャラの性格が変わっています。映画は別物と考えたほうがよかったみたいです。あらすじだけ見ると近いんだけれど、小説を読むと別物と見た方がいいくらいです。 さて。個人的にこの短編集の中で感じ入ったのは、かなり趣きが違いますが、「水戸梅譜」と「しじみ河岸」「ほたる放生」の三編。「水戸梅譜」は、さきの副将軍で有名な水戸光圀のもとに仕官に訪ねた武士とその息子の生き様を描いた作品で、その主従関係のまっすぐさに妙に感動してしまいました。仕官がかなわなかった後もその息子がなした事、その事実に感動しました。「しじみ河岸」と「ほたる放生」は非常にやるせない話で、読んでいて非常にものがなしくなる話ですが著者の語りの力をまざまざと感じさせる作品でした。特に「ほたる放生」は救いのない話なんですが、妙に気になるし、いつまでもひきずる話でした。 短編集で傾向も雰囲気もばらばらですが、それだけに山本周五郎という作家が自分にあっているかどうか見極めるのにはちょうどいい一冊だと思います。 追記 これは新潮文庫版のレビューです。同タイトルでハルキ文庫からも出ていますが、中身が全然違うのでご注意して下さい。 | ||||
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周五郎の作品のレビューを書こうと決意し、 小学館短篇シリーズ5作を投稿しました。 新潮文庫21冊を手元に揃え、うち18冊読破、 順々にレビューを増やそうと企んでいます。 周五郎を読んでいると、 生きるとは何かを考えさせられます。 生きる難しさを痛感させられます。 生きる意味を真剣に悩まされます。 生きるとは…深いのです。 その最も鋭い指摘が刺さるのが「橋の下」です。 庶民にスポットライトをあてる周五郎、 何気ない日常を上手く切り取って作品にしています。 見事と声高に叫びたくなる場面も多々あります。 生きるとは…必死なのです。 誰もが必死に生きています。 この世に生を賜り歩む人生は偶然ではないのです。 この肉体滅びるまでの数十年間は儚いのです。 しかし魂は不滅、永遠に続く形のない自分です。 悪に染まる人生を終えたとしても…また悪です。 人間と生まれた喜びも無にする行為は自虐です。 精一杯の自分でいいのです。 無理や背伸びは入りません。 その人、その人の身の丈に合った日々が大事です。 しかし、この肉体での人生は一度きりです。 そう思うと恋する炎もまっしぐらに突き進みたい。 今の自分の気持を素直に表現することも大事です。 「あー、楽しかった」そう言える人生にしたいです。 | ||||
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氏の作品は“武家もの”“下町もの”“岡場所もの”“不思議小説”などに分類されるそうですが、この本にも書名の『日々平安』を含め11の短編が集められています。『橋の下』は話が旨すぎるよと思う反面、人生は出会いだとも思います。何気なく人と接しているのですが、相手の言葉の内に、ハッとするものを見つけることはよくあることです。思うように行かないと思う時、それを受けとめるゆとりがあれば、道は開けていくのだとも思えます。「お茶」をすすめてくれる方がいるとき、ちょっと相手の言葉に耳を傾けてみたいと思います。『末っ子』もなかなですし、『水戸梅譜』:心持もシャンとします。 | ||||
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表題作の「日日平安」は、「椿三十郎」の原作です。あの映画のユーモアの原点はこの原作で示された山本周五郎のものだと、改めて知ることになりました。 その他5編の短編が収められていますが、一番印象に残ったのは、「鶴は帰りぬ」という作品で、男女の愛の機微が温かいタッチで描かれていました。 「糸車」は、実の親と育ての親の問題を正面から扱っています。 「「こいそ」と「竹四郎」」は、これも恋愛ものですが、二人の気風の良さというようなものが前面にでていて、とても清清しい作品でした。 | ||||
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永いあいだ山本周五郎を読むことができなかた。20代か30代の初めのころ「おそるおそる」評価の高い(たしか「橋の下」だったか)短編を読んだが理解することはできなかった。本とはまさに出会い。その後私に山本周五郎の文庫本をつづけて50冊ほど読むことにさせた、そのきっかけの一編がこの文庫所収の「水戸梅譜」である。いま読めばきっと甘いところに目がいくのかもしれない。だが他家の階(きざはし)でいきなり果てるという衝撃的な設定(いま思えば古今東西の古典的悲劇はみなこの結構をもつ)に打たれた。たとえば『ロミオとジュリエット』、相手の死を確認することもできたのではないかと思うのはつまらない見方である。恋に殉ずる、というのは、つねに相手の思いにさきがけて、何か取り返しのつかぬことを先行的に決意して実行してしまう、その人間の悲劇的な存在の仕方に根源をもつ。根っからの読み手はきっと違う解釈をもつのだろうが、これが正直、私の感想である。 | ||||
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