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(やまいだれ)の歌
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(やまいだれ)の歌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.69pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全26件 21~26 2/2ページ
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正直、飽きてきて、そろそろ終わりかと思ったらこれで巻き返した、といった印象。これまで彼のことを単に「おもろい話を書くのが上手なおっさん」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、それは勘違いだった。 で、今回の中身。ハイライトは年末の餅つきの後の宴会。いつもの如く神経質なまでに細やかでくどい情景描写と心理描写が綿々と語られ、最後にいつのも如く主人公の脳天気な夢は呆気なく崩れ去る。知らぬは本人ばかりなり。お粗末……。といいたいところだが、今回はいつもの如く笑ってはいられなかった。軽く戦慄した。 これは俺ではないか、俺の話ではないか、笑えへんやないか、どうで、畢竟、ローンウルフ、濡れたな、真逆などという言葉はない、と今頃になってハタと気づいた次第。 考えるとこの作者の小説はぜんぶ読破している。普通、アカの他人の書いたどうでもいいような些末な作り話にいい歳こいたおっさん(私)が金を払って買ってまでつきあうという話はあまり聞かない。 単なる娯楽ではなかったのである。阿呆は私自身であった。 で、勘違いの源はどこかというと、作者は「自分を客観視しうる天才」である、ということ。だが、これも既出。 | ||||
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西村氏初の長編。 とはいうものの、まあいつもの感じです。 上手く仕事にありつけたり、そこで順調に人間関係を築けたり、 事務員の若い女の子が登場したり、忘年会に誘われたり、 そんな些細な出来事が起こるたびに、これ以上ページをめくるのが恐ろしくなる 「西村フラグ」立ちまくりな状況に終始苦笑いが止まりませんでした 「(うむ、濡れたな・・・)」というような何となく漫画チックなモノローグを挟んで見たり、 何となく氏の作風に今回はドライな明るさも感じました。 そして貫多青年の運命を変える事になる、作家田中英光の作品との邂逅。 さらに、近づく「藤澤清造」の影。 壮大な貫多ヒストリー物語において大きなターニングポイントとなる作品でもあります。 果たして今までどうしようもない恥と猥雑を晒し続けてきた彼が いかにして芥川賞受賞作家・西村賢太への変容に至る道へと歩み出していくのか、 次作への期待がいやがおうにも高まってなりません。 未読の方でアルバイト先などで失態経験がある人には特にオススメですね。 「今から11人でも大丈夫だってよっ」 ←きつい・・・(笑) | ||||
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かつて、吉田健一はヘンリー・ミラーの『暗い春』について 彼はこんな風にしか書けないのだろうか、と嘆きとも呆れとも取れる 一文を書いていた。 本作は、『苦役列車』に続く北町貫多の十代最後の日々を描く長編小説。 ある読者は、吉田健一のように、 「どうして西村賢太はこんな風にしか書けないのだろうか」 と眉をひそめるかもしれない。 徹底した露悪趣味と悪口雑言にまみれた貫多の青春は 確かに、読んでいて爽快感を覚える性質のものではないかもしれない。 しかし淀んだ汚濁が汚れ果てた究極の末に、汚物やおりが沈殿し、 清らかな上澄みが現れるのと同じように、 貫多の青春も汚れ果てているからこそ、突き抜けた一種の清潔感を 感じさせるのも事実である。 西村賢太はこんな風にしか書けないのではなく、 こんな風にしか書かない小説家であり、 その意味で彼は確信犯なのだ。 私はこの上ない清潔さを本作に感じた。 インチメートな感情さえ抱く。 西村賢太は清潔な小説家なのだ。 | ||||
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唯一の追っかけて読んでいる芥川賞作家である。 本書は初の長編だ。 エンタメの直木賞に対して芥川賞は純文学ということになっている。私は小説は娯楽だと思っているので、もちろんエンタメ重視だ。 でも現実には、この両ジャンルは線を引いて分けられるようなものではない。 純文学でとにかく面白いものもあれば、エンタメでも社会や人間に対して深く考察した作品もある。 この人の北町貫多シリーズは、もしかすると変種のエンタメなのではないか。 港湾人足の仕事にうんざりした貫多は、横浜に引っ越して造園会社に就職する。 例によって相手の容姿や言葉遣いにいちいち心中でケチをつけ、「土方」「田舎者」呼ばわりする。 唯一のプライドが「江戸っ子」というのだから、どうしようもない。世間に愚劣な自慢は数あれど、出身地自慢はその最たるものだ。痛い。 若い女の子が事務のアルバイトに入ったことから、痛さがいっそう加速する。彼女の言葉ひとつ、目線ひとつに過剰に反応する。 「根は隠れジゴロだが、恋愛経験は少ない」隠れジゴロて何だよ。単なる妄想だろ。 「ワイルドな中卒の魅力で」そんな魅力、ありませんて。 あーあ、やめときゃいいのに・・・と読者に思わせつつ、暴走のあげく当然で最悪の結末を迎える。 やたらと高いプライド、まったく追いつかない能力、自分への苛立ちが他人への怒りとなってほとばしる。 ある意味、人の普遍的な有りようとも言える。ただ生活レベルが低すぎるので、あまりにも生々しい形で露呈するのだ。 サスペンスフルでかつ笑える。痛さを楽しむエンタメと言えるかも。 独特の言葉遣いが味わい深い。真逆(こんな語はないが)という表現に笑った。日本語として間違ってると思うなら、使わなきゃいいのに。 インチメートルという語句はよそで見たことがない。センチメンタルのことだろう。造語かな。 苦笑しながらも、新作が出ると即買い・即読みする数少ない作家である。 | ||||
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デビュー以来、全作品を読んでいる。 彼女への暴言・暴力など駄目な男(西村氏自身)を巧みに描く私小説が大半であるが、これらの短編の中に共感できる点、眉をひそめてしまう点など多くの面白みを含んでいる。 本作品は西村氏の初の長編作品。 19歳の貫多(西村氏)を描いている。 20歳を前にして怠惰な生活を一新しようと決意する貫多。 無事、日雇いではない真っ当な就職をして横浜で働き始め、一旦はそのアットホームな職場を気に入り、恋もして真面目に働きお金も貯まるが・・・。 本作品で最も共感した点は、モテない男の心情。 私自身、モテないので貫多の女心を読んでいるつもりである貫多の大きな誤り具合が非常に面白い。思わず共感して頷く部分も多数。 また、部屋の前に住んでいる女性の洗濯ものを干している姿を覗いて興奮したり、酒を飲み過ぎて職場の上司や先輩に対してものすごい暴言を吐くなど、(多くの男性が経験する)若かりし頃の男の駄目な部分を鋭く描いている。 加えて、彼女との同棲生活を描いた作品がやや飽きがきていた中で、短編には少ない当時の心情を丁寧に描いている部分が気に入った。 「あとがき」で『質より量に、より一層の比重を置いている』と記しているが、今後も西村氏の短編・長編をたくさん読みたい。 また、同じく「あとがき」に記しているとおり、村山槐多のデッサンが本のカバーになっているが、非常に西村氏の作風にあった雰囲気である。 | ||||
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著者は、あとがにて「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」以降、意識的に作風を変化させていると記されているが、「寒灯」はさておくとしても、その後の二作のうちの一つのあとがきで、「野暮ったいかたちをとってくれたとの自負がある」とあるが、今作はそれとはまた別の野暮ったさがあると思わざるを得なかった。 西村氏特有の会話文で読者を煽る痛快さはとことん身を潜め、地の文でネチネチと自らの心情を語ってみせるような流れが全体に感ぜられたからである。 これは、著者自身が意識してか否かは別としても、一小説書きとしてのあからさまなステップアップと見てとれるのではないだろうか。 それが、長編であれば尚と顕著になろうと思われた。 或いは西村氏自身、ことこの出来事にかけては一種特殊な思いを描いていたのかも知れぬが……。 ともあれ、おこがましいながらも私自身は、今回の作に貫多の醍醐味であるネチっこさを表現として今までの作品以上にくみ取れたし、それが相変わらずの淡々とした文体によって軽減されるもよし、またその結末にしても「そんな風」であったので、これを著者の確実な私小説家としての上階段だと捉える事が出来た。 | ||||
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