■スポンサードリンク
青春とシリアルキラー
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
青春とシリアルキラーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.50pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全1件 1~1 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者である佐藤友哉についての前知識はゼロ。帯を飾った「中年男性は生きにくい」という滝本竜彦の推薦文に「NHKにようこそ!」からもう20年も経ったのかと時間の流れの早さを実感すると同時に、あの辺のウダウダやってた世代の作家が今何を考えているのか知りたくなって手に取ってみた次第。 物語の方は主人公であり作家として生きる「僕」と編集者である阿南という人物との会話で始まるのだが、どうもこの二人の関係はかつて出版を前提に書いたものの社会的にまずいという事でお蔵入りになった企画が挟まった微妙な物らしい。 その死蔵された企画を再起動させないかという阿南の提案を受けた「僕」はキャリアウーマンの連れ合いの稼ぎで生活が成り立っているぐらいには余裕があり、ほぼ専業主夫の様な立場で子供を育てているが自分の人生に言い様の無い違和感を覚えているらしい事も見えてくる。 その違和感の正体を探りながら「僕」が「青春とシリアルキラー」という題の小説を執筆する中で日々は過ぎて行き社会も変化を続けていく……というのが主な内容。 ひと言で表せば何ともとりとめが無いというかつかみ所の無い物を読んでしまったなという印象。私小説っぽく生きづらさを抱えた「僕」が悶々としながら日々を過ごす様を追っているのは分かるが結局の所この作品を通じて読者に何を訴えかけたいのか最後の最後までよく分からないまま終わってしまった感が残った。 どうもこの「僕」が潰されてしまった企画というのが25年前に須磨区の北の方にある住宅地で起きた連続殺傷事件を題材としていたらしい事は最初から匂わせてある……というか巻末に「ドグマ34」というタイトルで実際に収録されているこれまた私小説っぽい代物がそれらしい(作中に2年前に閉店した三宮の東急ハンズとか出てくるので微妙に懐かしさが)。 この「ドグマ34」という2008年頃の物と思しい名谷から妙法寺あたりを作者がウロウロしてその10年前に社会を騒がせた事件を起こした少年に迫ろうとした企画から時間が流れ、今では登戸で通り魔事件が起きようが京都のアニメ会社が放火されようが以前ほどには心が動かない人が多い事に気付いてそれは何故なのだろうと「ペスト」の登場人物を切り口にして自問自答したり映画「ジョーカー」をネタにした編集者との会話で突き詰めようとする様が延々と繰り返される。 ……これでバーンと「シリアルキラーに関心が持てなくなった理由はこれだ!」と読者に提示してくれれば読者としてその答えに賛同できようが出来まいが一応の納得は得られるのだけど、答えを出す訳でも無くずーっとウダウダしている。で、当然こういうものを読んでいると「言いたい事が分かり難い作品とか読んでられっか」となりがちな短気な読者なものだからイライラしてくるのはいつもの事なのだけど、どうもそこに停滞感によるもの以外のイライラも混じっている様に思えた。 作家がいくら自分の抱える生きづらさについてウダウダ悩もうとそれは御本人の勝手ではあるのだけど、付き合わされる読者としては「そもそもこの人って自分自身の人生に何か悩む様な部分が残ってるの?」と嫌味の一つも言いたくなる。 若くして作家としてデビューし、著作も複数出した上に(「僕」が作者自身だとすれば)高名な文学賞まで受賞して、プライベートではキャリアウーマンの嫁さんも稼いできてくれる中でマイホームも購入し、我が子を育ててる真っ最中って……どこをどう切り取っても誰もが羨望する「満ち足りた人生」だとしか思えないのだが。 あんまりイライラしたものだから著者の刊行記念インタビュー記事を読んだらまたここでイライラ。まだ高校生だった頃の神戸の事件には大いに引き込まれというのは分かる。バブルも来なかった千歳とはいえ親がかりの身であれば歳の近い人間が閉塞感を感じる街で起こしたシリアルキラー事件に構う余裕は十分にあっただろう。 アメリカの同時テロ事件の時は作家としてデビューし、駆け出しだったので他人に構う余裕が無く世界的大事件に対しても「それどころじゃねえ!」という気分だったが、東日本の大震災やコロナ禍では「どうしよう」と思わされたって……それ単にご本人に守るべきものと他人を守る余裕が出来たってだけの話なのでは? 作者は1980年生まれの氷河期世代らしいが、この世代には守るべき物としての安定した職業や連れ合いや子供なんか持てないまま2020年代に突入してしまったという人が珍しくも何とも無い訳で。そんな人は90年代後半から続くどうしようもない不況と日本社会の衰退に追い詰められっぱなしでシリアルキラー云々に構う余裕なんか無かったろうと。 件のインタビューで「それどころじゃねえ!」とシリアルキラーやテロ、大災害での他人の死なんかに構ってられない状態が続いている限りは青春であると仰っているが自身の経済的状況で世間を騒がす事件に構えない様な状態も含めて「青春」と仰るつもりなんだろうか? モラトリアム期であれ、社会的な成功を収めた後であれ余裕のある状況だけで許されるモヤモヤ感もゼロ年代初頭のまだギリギリ余裕のある時代であればともかく、社会のどこにも余裕なんか無くなった時代に訴えられかけても「そんな倦怠めいたものに付き合わされてもなあ」と訴えに対して変な痛々しさすら覚える。 酷く余裕の無い印象を与えるレビューになってしまったかも知れないが色んな意味でギリギリに追い込まれている中年の多い時代になって90年代~ゼロ年代の尖ったボクちゃんみたいな感覚を突き付けられても今さら感ばかりが強く、それこそ「それどころじゃねえ!」としかお答えのしようが無いな、と思わされたそんな一冊。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!