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(短編集)
暗渠の宿
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暗渠の宿の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 21~40 2/3ページ
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突然だが、芥川賞を受賞した作品は売れる。候補作は売れなくても、受賞作は売れる。もしかしたら受賞作と候補作のレベルに大きな差はないかもしれない。それでも、芥川賞を受賞することと受賞しないことの間には、深い溝がある。売れる、ということは、それだけ多くの人に読んでもらえる、ということだ。これはどの作家にとっても本懐だろう。多くの人に作品を読んでもらいたい。だから作家はその賞を熱望する。 本作「暗渠の宿」も「苦役列車」がなければ、読者に読んでもらえる機会はもっと少なかったかもしれない。けれど自分は賞云々でなく、純粋にこの作家の作品に惹かれる。本来、作品とは賞でその価値が変わるものでもないはずだ。もっともっと、この作品が世に問われることを望む。 どなたか失念したが雑誌で「西村賢太氏の作品を読むと動揺する」と言っていた。何故、動揺するのか? 西村作品の主人公は一貫している。その共通点を挙げれば、卑屈、狭量、短気なくせにネチネチしている。読んでいて、こんな奴とは付き合いたくない、と思う。しかし、読まずにはおれなくなるのだ。どの作品にも、どこかに必ず自分自身が潜んでいるのである。 例えるならば、沼の底の鏡。沼底にゆらゆらと揺れているものがあるので何かと目を凝らしてみたら、それは鏡に映っていた自分の顔だった。そんな時、動揺しない人間があるだろうか。西村作品を読んで、心が動揺しない人があるならば、その人は聖人か嘘つきのどちらかだろう。 | ||||
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いやー風俗で騙される話なんて、僕と同じようだ 何回約束しただろうか、待ち合わせ場所に来ないなんて 聞かれたくない、話したくない、いや話したくもないことを流れるような文体で読むと自然と入ってくるよ 同じだよ、彼女が欲しくて、ほんわかとした生活がしたかったあのころを思い出す あの芥川賞作家、直木賞作家の中で、群を抜く身近な作家、作家として凄い技量を持ち合わせている素人目でもわかる、清流のような文体から来る読みごこちの良さ 凄い作家だね 偉大なる私小説作家の芥川賞後の発表作がすごーく気になるよ 中古でなく新刊を買いたくさせる初めての作家です | ||||
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車谷長吉の文章のようにヒリヒリするところがないのが、 もひとつ、かな。 その分、ポップとも言えるが。 私小説、というか、小説の魅力の大半は文章なんで、 この作者の流暢な文章は、凡百の小説の中で魅力的だと思う。 | ||||
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野間文芸新人賞を取った表題作よりも、個人的に『けがれなき酒のへど』が面白かった。まずタイトルが良い。タイトルは本の顔であり、才能に比例する。これほど鋭く風俗業界の女性の本質と、単純な男の哀しさを描写した小説を知らない。私にも似たような体験があるのだ。 西村賢太の小説は、藤澤清造や川崎長太郎のパロディであり、それをさらに過激なブラックユーモアの文学に発展させたものである。大正時代の作家にどんなに文体が似ていようと関係ない。思わず噴き出す笑いを誘うこのブラックユーモアは西村賢太だけの宝であり、風俗を描く作家としては、吉行淳之介よりも川崎長太郎よりも面白い。しかし、それは近代文学の真面目な研究の土台の上に、まるで果物の木に実がなるように、自然にできあがったものである。この作家が有名になる前に自費出版した田中英光私研究は、第一級のものである。 | ||||
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典型的な私小説ということのようだが、車谷長吉のような「伝統」に根ざした美学はほとんど窺えず、太宰治のようなサービス精神溢れる巧緻な芸もあまりみられずで、ややモノトーンな筆致と展開。それだけ赤裸々で、痛々しい、とも言える。2011年のこのご時世に、こうした露悪的、自虐的な私小説に命を賭ける40代の作家がいる、ということを知っただけでも、十分な収穫か。同時に、作者がどう変化していくか(変化していったか)にも興味が残るので、今後も文庫本にて多少のフォローは試みるつもり。 | ||||
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好きな女性を得ようとするときの心はまるで純朴な少年のようであります。 ところが、いったん自分の女にしてしまえば何の落ち度もない(少なくともそのように書かれてある)女に対して言われなき非難の言葉を浴びせかけます。 「ちょっとそれはないだろう。もっと優しくしてやれよ」と読者が思うことは、多分百も承知で確信犯的にどうしようもない男を描いていきます。 暴力や性欲や見栄や嫉妬なんて醜いものは自分の中に認めたくないし、よしんば認めたとしてもできる限り隠しとどめておきたいもの。 それをこのように堂々と悪びれもせずに書かれると、こちらも恐れ入ってしまって、表に出る行動や言葉は違うにしても、自分の暴力や性欲を見せてもらった気がしてなぜかホッと安心したりするのです。 | ||||
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老人力という言葉が一時はやりましたが これは圧倒的な私(ワタクシ)力! 鬱々と自分探しをしている若者は、いったん探すの中断して ためしに思いっきり他人と軋轢を起こしてみましょう。 そこに探していた<本当の自分>が現出してくるかもよ。 探すどころか、もう嫌で振り捨てたい<本当の自分>が。 文章のアナクロニズムは、作者が大正から昭和中ほどまでの私小説作家に私淑し、 文学のイロハを彼らから独学で学んだせいでしょう。 | ||||
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「けがれなき酒のへど」、「暗渠の宿」、二編。 平成に書かれた昭和の私小説。 主人公は藤澤清三(「清」は旧字)の没後弟子を自負し、その全集の刊行をめざす、志のある人。 その志にたがわぬ秀逸な作品。ものすごくよく書けている。 じぶんの病の部分を、客観的に、かつ粘着質に、描写していて、そこに迫力がある。 「けがれなき酒のへど」はセックス中毒で恋愛願望の強い男が、プロの女にやられる話。 「私」は中年初期の男で、純情一途な強さと、性欲に翻弄される弱さとが同居している。 途中から、ああああそっちへいっちゃあお終いよ、と思う道を選んで転落。 気の毒だけど、理解者は、得られる道理がない。 「暗渠の宿」は典型的なDV加害者の「私」の同棲の顛末。 暴力のトリガ―は飲酒で、暴力をふるった後、やさしい気持ちになる所など、DVする人の心理が詳細に語られる。 プライドが高く、社会から認められていないという劣等感があり、ちょっとしたことで傷つき、弱い者にはけ口を求める。 相方には厳しく、ラーメンの作り方ひとつで、ものすごい怒りの爆発、暴力になるところなど、リアル。 相方に甘え、相方をじぶんに従順であるべき物としてしか見てないところも、DV加害者の典型。 吐き気がするほど微細に、暴力をふるう心理的な経緯が描かれている。 主人公は自分を正当化しているわけじゃない。 「買淫」という言葉の選び方にもみられるように、 じぶんのやっていることの実態を理解している。 だから余計みじめになるし、じぶんを責める。 つまりは善良な「傷ついた子ども」で、 おいたちに起因する心の傷を抱えており、 それが文章から伝わってくるから、同情的に読める。 余計なお世話だけど、ここまで客観的に自己分析できるなら、 信太さよ子さんのところでも行って、DVとセックス中毒から抜ければいいのに。 それができないうちは、女性との交際はやめとかないと、この人はよくても、相手が不幸になる。 これだけ書けるんだから、この治療の過程を書くと、すごい小説になる気がする。 | ||||
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今までスマートでカッコいいミステリーをハラハラドキドキしながら楽しく読み漁って来たが、この私小説に出会ってからというものの、手に入るこの人の作品全てを読まなければ居ても立ってもいられないという状態が続いている。 早く、全部読んで、2度目3度目を読んで、もっともっと、浸りたい。 全ての方にお勧めできる内容では無いかもしれないけれど、僕のように他のどんな小説よりもガツンと来る、という方はきっと、絶対、居る筈。 こればかりは読んでみるしか、ない。 尚、芥川賞受賞作よりこちらから入る方がよりディープで良いと思う。 | ||||
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西村氏の作品は、内容がとても下品。 酒と女と暴力がメインテーマ。 本書には2話が収録されている。 1話目は恋人の欲しい主人公が風俗で恋人を得ようとする。 金銭的にかなり無理をして店に通い強い下心を隠して格好良く振舞う場面など、男なら記憶があるはず。 そしてこの風俗の女性の本音に気付いた時は既に遅し。 結果はある程度予想できたが、面白く一気に読んだ。 2話目はやっと同棲に至った彼女を愛している一方で、心の弱さから暴力を振るってしまう主人公の姿が巧く描かれているのが印象的。 愛するが故に彼女の過去の男性遍歴を聴いて嫉妬し、やるせない気持ちを爆発させる主人公の姿には共感する。 暴力の是非は一旦置いておくとすると、主人公は非常に男らしい。 というのも、セクハラ・パワハラをはじめコンプライアンス遵守の言葉が先行し、部下に些細な注意すらできない男やコンプラさえ注意していれば無難に過ごせるという守りのスタンスの男が増加する社会環境の中、自分の気持ちに正直に生きる主人公の姿は現代社会では稀少の人物であると感じたためである。 現代社会ではロクデナシのレッテルを確実に貼られてしまう主人公に共感する男性は少なくないはずだ。 僅か数百円でこの作品を味わうことができてとても幸せに感じた。 | ||||
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まるで東スポを読んでいるようで面白かった。 騙されるよね、と思いながら読んでいたら、やっぱり騙されましたね。 風俗嬢に本気になってはいけませんね。 かく言う私も、著者と同じような経験をしたことがあります。 読みながら、「これ俺のことじゃん」と思うところがいくつもありました。 著者の他の作品も読んでおこうと思いました。 おススメ。 | ||||
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以前、芥川賞をとり話題になった作家の本を読み、あまりのひどさにびっくりして、それ以来、芥川賞を信じるのをやめた。 しかし、今回は大当たりである。おもしろすぎでしょう。とりあえず、この人の本を全部買って読む予定である。品薄で手に入るまで時間がかかるであろうが。 | ||||
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不覚にも芥川賞までこの作家を知らなかった。 読めば実践したか、どうかは関係なく、男なら思い当たることが多数、あるいは一つでもあるのではないか。 所詮男なぞ、思う時に思う相手と思うがまま、セックスできれば、よい充実した人生と思ってる自分がいることに改めて気づく。 当たり前のことを本音でこれだけ書いている小説が今までなぜなかったのか。(それこそ私小説にはあるのかもしれないが、そこは全くノータッチだった)。そこが逆にすごく不思議だった。 この路線で続けてもネタ切れになるので。どこか変わったり、成長したり、なんて変化をまた小説で読んでみたい作家だ。 そして最も不覚だったのは。私は石川県七尾市出身。この小説を読むまでこの作家の存在はもちろん、藤沢清造を全く知らなかった。おまけに藤沢は七尾尋常高等小学校卒という。なんと古い大先輩だったとは、、不覚どころかショックに近い。従って評価において著しい共感や思いが強くなったことはご容赦願いたい。。 | ||||
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いいなぁ、こういう人間臭い話(笑) 野間文芸新人賞作品ということだけど、文芸と聞いて変に身構えずに読むとめちゃくちゃ面白いですよ。 西村賢太氏の他の作品も随時読みたいです。 | ||||
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芥川賞にあたり、初めて著者を知る。このようなジャンルはあまり読まないが、法律、道徳という縛りがなければ極めて男の本質に近いものを描ききっていると感じる。 どうしようも無い人間と評すればそれまでだろうが、あからさまに自らを表現できる人間はどれほどいるだろうか? 彼の半生に自らのフィルターを通し感じてみたいと思った。 | ||||
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このアマゾンの「おすすめ商品」で勧められて読んだ。今になってはじめて知って読んだ。世間知らずでした。 車谷と大塚銀悦の甥っ子のような作風だが、両者に比べると軽みというか剽軽さが漂う。肩の力が抜けているので笑える。絶対笑える。 「けがれなき酒のへど」は風俗嬢に入れあげる男の話。細かい描写がいちいち優れもの。ネタにしようとわざと騙されたのかと見紛うばかりのスポーツ新聞風体験ルポルタージュ小説。 表題作は初めて女と暮らし始めた男の話。ラーメンのくだりは自分のことを書かれたのか思ったくらいメンタリティーが似ていたのでぞっとした。だいたい女性は即席ラーメンに対する思いが男性よりはるかに淡泊である場合が多い。なぜか? | ||||
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週刊文春の文庫本レヴューで坪内祐三氏が紹介しているのを読んで興味を持った。書店で見つけてすぐ購入。読み始めたら文章の魅力に引きつけられっぱなしになった。内容も、男と女のぶつかり合い、理解し合えない溝を現代を舞台にこれほど正直に書いた本は他にない。なぜ藤澤なる作家にあれほどのめりこんでいるのかまだ解らないが、もっと読むうちに解るのだろう。何を読んでも期待を裏切ることない稀有な作家と信じる。 | ||||
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語り手の「私」はどこまでも破廉恥だ 「私」は感じたこと、思ったことを容赦なく言葉にする しかも、決してそのことに酔わない 「私」は徹底的に、淡々と恥を晒していく その意味で、西村は典型的な私小説作家だ 西村文学の魅力はまさにこの点にある 今この時代に典型的な私小説を書くこと 現代日本に近代の私小説を甦らせること 西村は意図的にアナクロニズムを仕掛ける 西村が描くのはあくまで悲劇だ しかし、それは悲劇ではありえない なぜならそれは、反復された悲劇だからだ | ||||
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作者の作品は前作「どうで死ぬ身の一踊り」を読んでいたが、何でここまで同じテーマで作品を書くのでしょうか。2編が収められているが、全て女と酒とお金と暴力と最後に藤澤清造。しかしながら作品のそこらじゅうに僕の心に突き刺さってくる言葉が散りばめられている。汚いんだけども、見てみたい、そんな感じの作品となっている。それは、作者自身が自身の生活や心情を余すことなく、作品へ反映させているからであろう。その作品とは正反対の清い姿を僕達は見つけることができるからこんなに心揺さぶられるのである。 「無頼」というのは魅力的な響きである。こんな世の中だから作者の作品は光輝くのである。 | ||||
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とくに「けがれなき酒のへど」。前著「どうで死ぬ身の……」は、はじめに入っていた「一夜」が、面白いものの、淡々とした描写や説明の部分が少し入りにくかったので、本書はやや気構えして読んだのだが、すらすらっと読めて、あれっこの人、こんなに入りやすかったっけ? と意外に思いつつ一気に読了。よく「大正時代のような……」と形容される文体だが、独特のリズムが気持ちよく、語り手の思考の流れも時代錯誤なわけではなく、真剣に身につまされる人は多いと思う。なによりも自虐的なユーモアセンスが秀逸。 | ||||
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