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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全184件 141~160 8/10ページ
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芥川賞を受賞した表題作は、4帖半一間1万5千円のその日暮らしの若者が日当5500円の肉体労働にいやいや従事してやさぐれ、世間の成功者を妬み嫉み、そして鬱屈し、自涜し、たまに糞袋に精を遣りにいって身も世も呪いつつ自滅していく話で、底なしの自虐がいっそ心地よい60年代にはよくあった青春をコピーした私小説でどうということもないが、冒頭に「嚢時」なる旧弊の漢字をあえて使用したところに、著者の傲岸不遜さとあえかな矜持があらわれていると読んだは当方の僻目か。 そのようにいくぶん恰好をつけて書かれた「苦役列車」に比べると、同じ書物の後半にグリコのおまけのように収められた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」では、著者のやけくその捨て身の私小説家魂が赤裸々に叩きつけられていて、妙に胸をつかれる箇所がある。 「彼は文名を上げたかった。(中略)名声を得たなら、彼を裏切り別の男に去っていった女のことも、たっぷりと後悔さしてやれる。自分の方がはるかに価値ある男だと云う事実を思い知らしてやるのだ」 「後悔させて」ではなく、「後悔さして」であり、「知らせてやる」ではなく「知らししてやる」と書いてしまうところに、この人の本質がある。さうしてインテリげんちゃんならそう思っても絶対に書かないほんとうの本音を、この人はまるで芥川と対抗して都落ちしていた頃の菊池寛のように、マジで書いてしまうのだ。 | ||||
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表題作の「苦役列車」もいいですが、併録の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」がなかなか凄いです。 冴えない中年男の身辺雑記に付き合わせられるのかと思ったら、文学賞の話が絡んできて、 いつの間にか引き込まれ、つまり欲求をかきたてられ、 誰も知らない昔の文学者の話を我が身のように聞かされた後に 身につまされるようなオチが待っています。 「苦役列車」はアルバイト生活の経験のある自分でも、このくらいは書けるんじゃないかと思わせられる親しみの持てる作風ですが、 「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」は正直なところ、読み終わって真っ青になってしまいました。才能です。 | ||||
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中卒が芥川受賞! 話題先行につられて、読みました。 著者いわく「稚拙」そのものだという文体も とても中卒とは思えない人物、背景の描写がされていました。 自己開示の一手法として私小説を書く作家が多い中、 西村氏ほど小説を書くことを愛してやまない人は 少ないのではないでしょうか? 思うに酒と風俗と同等もしくはそれ以上の情熱を 掛けるものを見つけた人間にとって 学歴の有無などまったく問題にしない。 新たな生き証人の誕生に拍手を送ります。 | ||||
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「文学は毒である」という言葉を思い出させてくれます。「きことわ」と同時読みしていましたが、こちらのほうをどうしても先に読み終えたくなりました。 わずか11歳の時、父親の犯罪が元で主人公の人生は決まってしまったようなもの・・・なんて・・・悲し過ぎます。なのに、読後感はカラリとしていて読者を暗い気持にさせません。 19歳の悲惨な日常を描いていますが、自分の青春期にも主人公と似たような部分がたくさんありました。そういった所がとても共感を呼ぶのだと思います。 あまりにも過酷な「苦役列車」。賞を受賞した時の西村さんの言葉・・・圧倒的な私小説であると共に、一種の痛快感さえ覚えます。 なぜか素晴らしい! | ||||
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今の時代にこの小説はあきらかに異色を放つ存在でしょう。 現代、確実に社会問題となっている貧困層の暮らしを描いているが上から目線でなく確実にその中に身を置いている当事者の生の声で語られている。 この実体験による切実さに心打たれない人はいないでしょう。 正直、自分と近い世代で特に手もつけられないひどい不良だったわけでもないのに教師に放っておかれ、進路相談どころか就職の相談も全くされず中卒になってしまったという身の上に驚きを隠せませんでした。 当時は学園ドラマ全盛期で結構熱血教師も多く、進路指導は徹底して行われていたように思えたのですがひどい話です。 かつて「ライ麦畑で捕まえて」主人公のホールデンがライ麦畑で遊んでいる子供達が崖っぷちから落っこちそうなのを捕まえるため見守るそんな大人になりたいといっていましたが 過保護のいきすぎで大人になってさえライ麦畑に閉じ込められているのではないかというような人間が多い今の世の中でそれを止める大人もいないまま、本当に崖から落ちてしまった人間がいたとは・・・・。 ただ、その切実さもやりきれなさも正面きってまっ正直に語られているのにこの作者の強さを感じました。 そのせいか共感できる部分が多く不思議と悲惨な感じがしないのがこの作品の魅力でもある様な気がしました。 | ||||
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まあ,こういう作品はいつでもありではあるのですが,特に今はこういう時代ですので不幸にもしっくりきてしまいます。その昔,『なんとなく、クリスタル』ってな作品は読んでいて不快になりましたが,この作品にはそういう感情を抱かないでいられます。身体感覚で本作品の世界観は共有できてしまうんですね。ロクに食べるお金がなくても風俗に通うための資金は積み立てるなんてのが実にリアルでいいです。犯罪者にならないまでも,社会にはどうしてもはみ出しちゃう人が出るんですね。いつでも中心を明確にしたり強化するには周縁が必要で,その周縁にももちろん人間らしい営みやすったもんだがあるわけなんですね。一緒に芥川賞を受賞した朝吹さんとともに西村さんの今後も楽しみですねえ。 | ||||
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読後感はすがすがしいです 徹底したダメ男ぶりが・・・・とさんざんな紹介のされかたでしたけど どこが ダメ男なんだろう???と首をかしげましたね 良い奴じゃないですか カンタ ていうか ごく普通の善良な少年だと思いますよ 正直でほほえましいですね 誰だってあれくらいの妬みそねみはありますよ 彼女ほしいし 毒づいたり見栄をはったり 若者なら余計にそうですよね カンタはそれを全部ば〜って出しちゃうし 正直っすよね 健全です 正直すぎて 毒が薄いくらいです 話の中で出てくる 専門学校生のほうが狡猾で小ずるくて小市民的で 要領だけよくって でもその一方でカンタのような 少年を見下しており 本当に典型的でありきたりな詰まらない常識人だと思います 私は断然 カンタの方が好きですね 性的な妄想も出てきて その過激さに 性犯罪者の父親とのつながりを感じてゾッとするなんていう場面もありますが あれくらい誰でも妄想してるでしょう?私的には物足りないくらいです^^: 19歳ならもっとグロい事考えていてもおかしくはないと思いましたね ただ ラストが少し気に入りませんでした 友達を失って またひとりぼっちになったけど 私小説家のコピーをポケットに無造作に突っ込んでいるという一文 これはいらないでしょ 最底辺みたいだけど じつはインテリなんだ〜おれ 小説家めざしてるんだ〜〜 そんなニュアンスがあって ちょっと興ざめでしたね 最後までひとりぼっちでいいと思いました 徹底的に一人ぼっちになってほしかったですね あんな平凡な小市民とは混じりようのない「ダメ男」→無垢な少年であってほしいわけですね 余計な一言だったように思います しかし文章は上手いですね この文章でなかったら もっと下品で通俗的でありきたりの話になりそうですよね 文章でもってるところは大きいと思います ところどころ出てくる 日常生活では耳にすることのない熟語の使用については どうなんだろう?と思いますが もっと普通の熟語でもいいような気がしましたが どこまでもずらずら続いていく文章が、ダラダラしたカンタの生活を象徴しているうようで小説の内容とよくあっていたと思いました しかし 「最底辺」 世の中の最底辺に暮らす人 その人をどうとらえるか これは 漫画「リアル」なんかでもとりくんでいるテーマだと思うんですが 経済的な最底辺=人格的な最底辺ではないですよね 逆に言うと 世の中で「富裕層」と言われる人たちが 人間的にも「富裕」な人なのかどうか という事でもあると思うんですよね 先生とよばれるほどの馬鹿でなし って言葉もありますが 富裕層とよばれるほど貧しくはない 最底辺とよばれるほどの余裕なし みたいなね 「富裕」と呼ばれるくらいなわけだから 相当危ないことや人を痛めつけるような事しないかぎり金は稼げないというのも ある意味真実なわけでね カンタをどう見るのかは そういう意味でもあると思いましたね ぜひ読んでほしい作品です | ||||
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私は西村さんと同世代。あの時代、20歳前後で日雇いとして日銭を稼ぎ、糊口をしのいでいた人がどの位いたのだろう?まわりを見れば華やかに見える生活をしている人たちが大勢いたのだから、やっぱり主人公は鬱屈するだろうな。この小説の中で「華やか側」にいる対比となる人物は同じバイト仲間の専門学校生。そして、もう少し「より華やか側」にいるのがそのバイト仲間の恋人(慶大生)。主人公との微妙な距離感が非常に上手く書けています。 この本では主人公の鬱屈した気持ちや、だらしなさ、性欲がかなりストレートに表現されています。概してそういった本音をそのままズバリ書くと、2チャンネルのように非常に品がなく、読んでいて嫌な気分になるものです。しかしそこはさすがに芥川賞受賞作(!?)。適度に客観的、またどこかユーモラスな文章で、少なくとも私は全く嫌な読後感は持ちませんでした(ただ、特に女性読者の中にはこの主人公に嫌悪感を持つ人が多いだろうとは思います)。 ともかくも自分の中のどこかにあるネガティブな部分が共感を覚えるのか、この小説をたいへん面白く、一気に読むことができました。 でもこの本が芥川賞に値する純文学なのか、というとちょっと疑問符も付きます。改めて芥川賞の基準って何なのだろうな、と感じました。 | ||||
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なぜ私が西村小説にハマるのか。 これまでの著作を読んできて気づいたのは、これは現在の『男はつらいよ』ではないか、いうことだった。 新たな「寅さん」が観れなくなって、ずいぶん経つ。 同じパターンを繰り返しながら50作近くも続いた『男はつらいよ』にハマっていたのは、まさにそれが同じパターンであったがゆえであり、「寅の帰宅 → いっときの家族団らん → 妄想 → つまらぬことで家族と喧嘩 → 家を飛び出す → マドンナの登場 → ふられる → また旅に出る」という鉄板の流れに身をゆだねることの心地よさからだった。 私は西村作品に、それに似たものを感じるのだ。 「テキ屋稼業と日雇い人足」、「マドンナと藤澤清造」、「自己中なひがみや妄想と行動」、「女好き」、「つまらぬ喧嘩と、女や周囲とのいさかい」、「それでもどこか憎めない」、最終的には「これまでどおり」、といった、ある種の“安心感”にハマるのだ。 私におけるクライマックスは、貫多がぶち切れた時に、同居する女や周囲に吐く怒涛の“呪詛”(寅さんにおける自己中な妄想や、とら屋一家やタコ社長との喧嘩)だ。 本作では、第五節中盤の 「― 理不尽だ」 辺り以降と、その終盤の部分。 吐く内容はオゲレツ極まりないが、寅さんの啖呵売のごときそのキップの良さに、酔ってしまうがようになるから不思議だ。 若者だけでなく中年も含め、貫多と同じ“列車”に乗っている人が増えていること。 また、芥川賞受賞によりテレビや紙面にその姿をさらし、西村賢太≒貫多というビジュアルが与えられ、私小説が映画のようなリアリティを得たことも、この作品および西村の各著作が支持を得ている理由だろう。 盆と正月の「寅さん」が楽しみだったように、次回作を待っています。 | ||||
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今、テレビに出るのは「もってる」人ばかりだ。甲子園の優勝投手で早稲田に進学し、今季日本ハムに入団した斎藤佑樹は自らを「もってる」と言った。名声もあり、素晴らしい仲間もあり、今は、日本中の報道関係者をもっている。な〜んももってないオレは、口をアングリとして見るほかはない。 テレビではニュースをやっている。直木賞、芥川賞の発表らしい。「道尾秀介」…あ、このまえ情熱大陸に出ていたぞ。才能あり、大ヒット作連発、セレブな友人多数。写真のモデルにもなっていた。こいつももってる奴だなあ。「きことわ」…なになに、慶應義塾大学院生の20代?フランス文学者一家?あ、きれいな人だ。才色兼備じゃねえか。この女性ももってるなあ。 今や、もってる人でないと世に出ることは難しい。傑出した能力、清潔な外観、温厚な性格、つまり紳士淑女でないとダメなのだ。彼らは瞬く間にもってる者同士でネットワークを築き上げてしまう。今流行の「無縁社会」も、もってる人達による囲い込み運動の結果にすぎない。そして、彼らは決して「もってない」我々は視界に入らない。 ニュースは続いている。え、もう一人、芥川賞いるのか。ぱっとしない中年男がでてきたぞ。 「今から、風俗行きます。祝ってくれる友だちもいませんし、連絡する人も誰もいません」 ??? なんだ、こいつは?見事なまでに、もってない!!! オイラはすぐに本屋に駆け込んだ。お金を使いたくないが仕方ねえ。「ボクに『苦役列車』を売ってください」 すげえよ、これは。ここまで魂をゆさぶられたのは久しぶりだ。この孤独感。この孤立感。この虚無感。あがいてもあがいても浮かび上がれない息苦しさ、滑稽さ。これは、もたざる者の、もたざる者による、もたざる者のための書だ。 日雇い先に向かうバスの中から野球場が見える。そう。オイラも何度も見てきた。バスからは決まって野球場が見える。誰もいない野球場が。 圧巻は、日下部の彼女と接点をつくるため、一緒に野球を観に行くシークエンスだ。そこだけ主人公の頭は素早く回る。断じて怠惰ではない。フロイト曰く。「性衝動は自分が思っているよりもはるかに強い」しかし、主人公は失敗してしまう。 『苦役列車』が優れているのは、もたざる者の声を代弁してるからではない。もたざる者が怠惰な海に心地よく浸ったときの苦境をあますところなく描いているからだ。 それにしても、我々にしかわからない世界だ。よくぞ、選考委員の方々が推してくれたものだ。おかげで、怠惰なボクも西村賢太を知ることができた。その僥倖に深く感謝する。 | ||||
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芥川受賞、おめでとうございます! 純文学エンターテイメント部門、私小説! いったん読み始めると病みつきになるのは、町田康以来かな。 エンターテイメント作家は危機感を持ちましょう。 人殺しも、衝撃の真相もないけれど、 こっちのほうがずっと面白いじゃん、という読者が急増するの、請け合いだもの。 平成の純文学は、面白いだけじゃない。現代人のだーい好きな、癒し効果もありますよ。 自分より駄目な奴がいる? いえ、いえ、その逆です。 だって今の若い人(中年も)たいへんでしょ。 英語喋ってコンピューターを使いこなせなきゃ、もう生きていけません。 いろいろなところから役立つ情報を忙しなく掻き集め、就活に婚活。 一方で、ゆるやかに衰退に向う日本国。 そのうちホワイトカラーもブルーカラーも、メタルカラーだって、海外出稼ぎですよ。 最高学府を出たって、国内だけで通用する学歴。欧米どころかアジアでだって、もう誰も感心しない。ブルーカラーの出稼ぎも、片道数千円の航空運賃でアジアのどこかの国へ行き、発展途上国からやってきた労働者に混じって、日本では考えられないような劣悪な労働環境で汗を流さなくちゃいけない日が、近い将来くるかもしれません。 そんな世の中で、西村賢太氏の小説は、不思議な癒しの力を持っているのではないかしら。 笑いながら、癒される。いいじゃないですか! でも出版関係の方々は、喜んでばかりもいられませんよね。 だって、西村氏は作家になってからのことも、引き続き私小説として書き続けるでしょうから。 笑っていられるのも今のうちかもよん。 | ||||
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この作品は日雇い労働者の、平凡な2人を中心に物語が進んでいくのですが、平凡とはいえ、作者は主人公とその友人・日下部を対照的に描いています。 日下部は両親もしっかりいて、世間の評価的には、いたって普通な人間。日下部は何をするにしても平均的にでき、 世間の批判も受けずに、生きていけます。 それに対して、主人公の父親は性犯罪者で母一人、子一人で、11歳で人生が終わったととらえ、自暴自棄に生きる人間です。 この主人公を作者は徹底的に救いようのない「陰」に貶めていく。世間という枠からはずれ、なおかつ、過去に固執して前を 向けれない人間の末路がどれほど哀れか。そこを作者は主人公を通して、描き出したように私は感じました。 しかもこれは今の日本社会のリアルな実態の一つでもあります。 本来、父が性犯罪者という汚名を着せられたことが、人生を終わらせるほどの絶望的なことであるとは私には思えません。 そこまで世間が冷たいものだとも思えないし。 ただ、この主人公にとっては絶望的であったようです。 なぜなら、主人公は無縁社会の代表例ともいわれる人間で、幼いころから、地域のおじちゃん、おばちゃんも含めて、 なんらいい出会いをもっていなかったからです。親の教育環境も影響して、自信も失い、愛ももてず、友達もいない。 そんな孤独な人間が日本にはわんさかいるんだということが本書を通して伝わってきました。 無縁社会は、確実に社会を陰に貶めていく。主人公が幼き日から誰か一人でも対等に、希望をもって話し合えるような人間がいればどれほど救われたののかな。そんなことを思わずにはいられない作品でした。 | ||||
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一気に読めるが、女子供などにはきつい内容で共感がよべなそう 男性でも、ちょっと忌避感があるひとが多いような作品 私にはおもしろかった。でもこの作品を面白いっていうことが ちょっと恥ずかしい人が多いかも知れない まあドラマ化や映画化もするでしょうし、 そちらの方が楽しみかも さっと読めるので周りで回し読みします。 こんなに話題になる本も珍しい。 | ||||
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もう読んで何日か経つのだけれども、天丼をかきこんで、 そばのつゆを最後の一滴まで飲み込んで、やっと人心地つく、 という食いっぷりが忘れられない。 思い出してはニヤニヤしてしまう。 労働で汗を流した後の飯のうまさは、やっぱり格別だよな と肉体労働のバイトをしていたころを思い出した。(港湾労働ではなく物流系だけど) 三ツ矢サイダーも美味そうなんだよな。 星4ってとこだけど、ご祝儀も兼ねて、星5で。 | ||||
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彼の文章の素晴らしさ、語彙の豊富さは、ちょっと真似のできない熟成されたレベルだと感じる。 話の筋自体はすごく単純だ。 しかし著者のいう苦役とは何も港湾荷役の仕事自体を指しているのでは無いのは明らかである。 普通の人なら脱出することがそれほど困難でもないにもかかわらず、 自らの生い立ちやそれによる狷介で攻撃的な、それなのにプライドが高い性格などの要因が作用して、 そこから脱することのできない貫多の現在の境遇そのものを指している。 だから何も大きなことは起こらないし、淡々とダメな日常生活が続く。 しかしこれこそがこの作品のキモだと思う。 つまり、淡々としたダメな日常的なストーリーだからこそ、 著者の豊富な語彙力や文章力によって読者を一気に引き込む。 何も発想力だけが小説じゃない。 小説に華々しさや荒々しさなどのアイディアだけを求める人こそ偏ってはいないか。 未来や過去を行き来するような未来的な話も小説なら、 こういう古臭くて何もできないダメ人間のくすぶった話だって小説だと僕は思う。 | ||||
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自分をとことん暴いて、さらけだして、「どうだ、俺ほどどん底はそういないだろう!」 作者は意気がっているが、ここまで開き直り自分を客観視できるのは、きちんとした知性が必要だ。 事実、自分と正反対の日下部を敵対視するのでなく親しくなりたい、対等になりたいという主人公がなんだか愛おしい。 まっとうな生活はできないけど、まっとうに暮らす人間にも少しは敬意みたいな感情を持っている。 どん底の生活をしても、何処からか薄日が差してくる。精神の根っこは病んでいない。 これがバブル時期の若き日を書いたという所が「私小説」なんだが、昨今の社会状況を思うとリアルだ。 この作者は人を動かす術を心得ている、と感じた。 | ||||
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小説、ましてや純文学とは無縁の私ですら、この「苦役列車」は面白くスラスラと読めてしまった。同じ平成という時代を生きる一人のダメ男として、似たようなコンプレックスや願望を持ち、似たような行為をする主人公、北町貫多に素直に共感する所が多かったからだろう。一方で著者の西村賢太氏がインタビューで「自分よりダメな人間がいると思ってもらえれば・・・」と語っていた通りに、「いくら私がダメ人間とはいえ北町貫多よりは余程ましだ」という上から目線で安心して、半分面白がりながら「ほんとにこいつ(北町貫多)はしょうがないなー」と他人事のように読めた事もあるだろう。 もう一つの小説「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」では、文学賞というものを散々コケにして、文学賞を欲しがる作家を俗物扱いしながら、実は北町貫多自身が誰よりも文学賞を欲している一番の俗物だったということを恥も外聞もなく告白している。 このような読みやすい(「読みやすい」というのは西村氏の優れた技量による)純文学の私小説作家の存在は貴重である。読者が抱えている他人に対する卑俗なコンプレックス、嫉妬、妬み、厭らしさなどを吸収し、その代わりにカタルシス、自己の存在の安心感というものを読者に与えてくれるからだ。 | ||||
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正直、作者の経歴に興味を持ち読みたくなった本だった。 もう一方の文学一家に育ちきっと何の不自由もなく育った「お嬢様」作家とかことごとく違った作品だ。 ある意味殺人と同じくらい忌み嫌われている「性犯罪」を犯した父を持ち、母からも愛を受ける事なく育った作者のただひねくれた性格から 起こった出来事なのだからそれこそ「自己責任」の一言で終わるものかも知れない。 しかし、作家として「書きたい」という思いと「作品」の中には熱すぎる熱気と汗と泥臭さがドン!と読む側に伝わってくる。 その臭さがまったく嫌な感じがしなかったのが不思議だった。 また次の「作品」を読みたいと思わせる十分な「作品」だと思う。 | ||||
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西村さんの私小説を読み、肉体労働者の方たちが訴えるような社会主義・左翼的発言がないことから、このひとは私小説を書くにふさわしい方なのだと思いました。 | ||||
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辛い体験をユーモラスに書いてあって、読んでて元気になった。とても良かった。 | ||||
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