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苦役列車
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苦役列車の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.84pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全184件 81~100 5/10ページ
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自分が知らなかった人間の世界を教わった。文体はさすが芥川賞を取るだけのことはある。感心しきり。 | ||||
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インターネットもスマートフォンも、ガラケーすら登場しない80年代の頃のお話です。 主人公は一人暮らしですが、家に電話すら引いてません。 今の人から見ると、いったいどうやって連絡とってるんだろう?って感じですね。 戦後直後とか、戦前でもないのに、中学しか出ていません。 高校に行かなかった特別な理由や、別にやりたいことがあったとかそういう描写はありません。 ちょっと想像できないですね。 当然、仕事といえば日雇いくらいしかないので、そこで働いている日常の場面から、お話がスタートします。 日雇いの仕事に通う主人公の日常が描かれています。 大事件が起こることもないです。 久々にできた職場での友人との付き合い、その友人とのちょっとしたすれ違いから生じる負の感情や、その友人の 彼女が不細工だったのを見て優越感に浸るところ。など、時代や生活環境は違うけど、誰にでもちょっと当てはまる 感情が描写されていると思います。 文体がもっさりというか、殊更詳細な部分もあったりで、色んなところが昭和っぽく古臭い感じがします。 読んでると、舞台が80年代なのかどうかも一瞬怪しくなるのですが、友人に、スタローンの「コブラ」という映画を観に行こうと 誘っている場面があるので、なんとか戻ってくることができました。 でも、全然とっつきにくいわけじゃなく、むしろその古臭さがたまらなくいいです。 主人公は昭和の文学青年みたいに古臭い話し方なのですが、友人やその他の人は現代の話し方をしていて、会話は成立して いるのだけど、読んでると違和感があったりします。 まるで、主人公だけ、石ころ帽子をかぶらされて、ぽつんとしてる感じです。 それが、何だか微笑ましいというか、純真な感じもします。 | ||||
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タイトルと流し読みした書評から陰鬱な小説かと想像していたが、予想外に面白く、並行して読んでいたどの本より先に読み終えてしまった。 主人公は財も学歴もなく家族にも恵まれない典型的な社会的弱者で、二十歳前という年齢のせいもあり、自意識が強い。その自意識から自分をさらに貶める行動をとってしまうことに、気付きながらそれに抗えずにいる弱い彼の姿は、しばしば振り返り消し去りたいと願う昔の私にも重なり、身につまされる、けれどそこに嫌悪感は湧かず、むしろ愛らしさを感じるのは、主人公の親世代に近くなったせいか。いやテレビでお見かけする作者の容貌が優しげであるせいかもしれない。 主人公は不良ではあるが乱暴者ではなく、ただ社会人となる手順が普通から外れていただけだった。貧困から、彼のように子供から社会に溶け込むことが困難な若者はけして過去の像ではない。 優しげな顔つきに、先の見えない焦りや迷いの混じった表情でバスに揺られている貫多が目に浮かぶ。 | ||||
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はな読む気はなかったのだが、偶偶「随筆集 一私小説書きの弁」を読んで、結句「苦役列車」も読むこととなった。 (←西村賢太風) 芥川賞受賞の際の「風俗行く」発言、その後TVのヴァラエティ番組で何度か西村氏を見て、おもろい人やなぁ、と思っていたが、本を読むまでの気はなかった。 病院の待合室で偶然「一私小説書きの弁」を読み、これは小説も読んでみたいと思った。 一気に読ませる面白い小説だった。 みなさんが適切なレビューを書いてあるので、その作風等はそちらに譲りますが、私が感心したのは、西村賢太氏は40代の若さで「女にもてたい」という大概の男が持っている感情を放棄、封印している点だった。 意識的でも無意識でも男のあらゆる行動は「女にもてたい」願望に根差していることが多いと言われる。 例えばスポーツ選手が、初めはとにかく女にもてたい一心で頑張ったとか。 この小説を読んでいて太宰治を思い浮かべない人はいないと思うが、その天性の偽悪家太宰だって、結構恰好をつけていたように思うし、人間失格と言いながら女にモテルことは忘れていなかったように感じる。(実際モテたし) ところがこの西村賢太氏の書くことときたら、まず女性に嫌われること間違いなしである。大概の女性が嫌悪感を覚えるであろうことをわざとのように書いているし、内容だけでなくその書き方のキタナサは確信犯だ。買淫(この言葉自体が嫌悪感を呼ぶだろう)した後、その相手をクソミソに書く書きぶりなどサイテーである。 しかし、そのようなサイテーを一気に読ませる筆力は確かだし、爽やかなのだ。 併載されている「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」でも、文学賞にノミネートされ結果を待つ40を過ぎた貫多のコロコロと変化する情緒不安定な心情を描いているだけで、ちょっと小説にはなり得ないような話なのだが、それがリアルに迫ってくる読み物になっていることは驚くほどだ。うまい。 しかし石原慎太郎の解説は実に適切で、まさに芥川賞受賞後の「その変質に尽きせぬ興味がある」。 | ||||
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とても気に入りました。 「。」まで、うっかりすると200字以上ある長い文章を、リズムのある心地よい語り口で読ませます。 自分のことを「貫多」と呼び、そして客観的に自分を見つめ、自分にツッコミを入れ、軽く笑いを取りながら、的確に社会の底辺を描いていました。 社会の底辺にいる人たちは共感を持って読んだことでしょう。 私もその一人です。 時々出てくる古風な言葉には賛否両論あります。確かに、どうにも読めない難しい言葉もありますが、一方で、例えば、「たらふく食べる」を「鱈」と「腹」で 「鱈腹食べる」 こう漢字になっているのを見ると、なんだか、かわいい。常用漢字表の外側に、豊かな言語空間が広がっているような気がしてきました。 | ||||
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西村賢太は私小説家である。 自分の経験をもとに作品を構成する私小説家にとって自分自身を客観的に観察することは非常に重要であり この小説の見どころといえばまさに、どこまでも北町貫多を客観的に分析している点である。 苦役というのは何も、肉体労働のつらさや貧困のつらさを表しているわけではない。 主人公のどうにもならない性格こそが苦役であり そのためにたびたび繰り返される人間関係の破綻、暴力、暴言、堕落、に貫多は苦悩し、それは一種の廃疾とも表現できるほどのものである。 | ||||
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『苦役列車』は再読三読しても飽きることのない作品である。 主人公である十九歳の北町貫多は安下宿に籠り、日銭を稼ぐために 嫌々人足仕事に出ては、安酒を食らう鬱屈した日々を過ごしている。 友達も彼女もおらず、夢と希望を持てないまさに苦役な日々が続く。 しかし、ある日新人の人足が彼の前に現れ、仄かな友情を 芽生えさせるのだが・・・。 今作が優れているのは、『私小説』と定義されているにも関わらず、 作者、西村賢太が貫多を徹底的に客観化して描写している点にある。 通常ならば、自己の生涯を振り返るのに多少の自己擁護や社会に対する異議申し立てを 試みるところだが、西村賢太の場合は希薄であることが興味深い。 主人公の境遇が中上健次の『十九歳の地図』に似ているにも関わらず 貫多は社会に反抗しようとせず、ただ流されていくばかりの自分を 苦々しく感じ安酒をあおるばかりなのだ。 しかしながら 同世代の若者に対する嫉妬と、密かに抱く己への自負、 悪鬼のような残酷性と、少年のような無邪気さが混在する 貫多の豊かなパーソナリティは読者を魅了してやまない。 また、文体上の特徴においても、例えば 曩時(のうじ)北町貫多の一日は目が覚めるとまず廊下の突き当りにある、年百年中糞臭い 共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。 という古めかしい書き出しと 天丼セットの食券を購(もと)め、すぐさま出てきたどんぶりを一気にかきこみ、 おそばのおつゆを一滴余さず飲み干すと、貫多はようやくに人心地がついた感じ。 といった幼い語り口が混在するアンバランスな感覚に不思議な快楽を覚える。 『曩時』『年百年中』『おそば』『おつゆ』『お刺身』といった 奇妙な言語感覚が計算ずくなのか、天性の感覚なのか理解不能であるが この言語感覚こそが、通常陰鬱に流れていく作品の雰囲気を柔らかく和ませ、 ともすれば非常に滑稽な風味を加えており、 貫多に対する読者の親近感を得ることに成功しているのだ。 この美しき天然の才を有した極めて稀有な小説家・西村賢太の世界 はどれ一つ取り上げても、決して読み飽きることを知らない。 | ||||
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青春だ。 共感する箇所が山ほどあった。 恋愛のほろ苦さで「若きウエルテルの悩み」と肩を並べるのではないかと言ったら、言いすぎになるのだろうか。 | ||||
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人の人生を覗き見ることは、卑怯者の私にとってとても楽しいもの。しかしこの本は、ここまでさらけ出す?!思わず私はひきょう者で「スミマセンでした」とわびたいくらい潔い。かっこいい。三島由紀夫を読んだ時の衝撃と同じでした。あっぱれ! | ||||
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私小説という分野があるのはなんとなく認識していたが、すべての著作が私小説で固められている作家がいるとは知らなかった。 西村賢太の小説は、かつて一冊読んだことがあるが、そのダメっぷりに迫力があった印象がある。 さて、本作であるが、まさに著者の体験をしかもかなり狭い範囲の出来事を小説にしている。 物語としてはその設定から主人公の性格、まわりの人物、どれをとっても完全に矮小である、しかし不思議とおもしろい。 小説を書くということはどこまでも自分を掘り下げる作業である、と、ある作家がいっていた。 そういう意味ではこれほど純粋な小説家はいないかもしれない。 | ||||
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主人公(著者本人)の持つ、強烈な劣等感、僻み、妬み、その他負の感情の数々に、どこか共感してしまいます。 この主人公からは誰しもが少なからず持つ人間の負の部分を嫌というほど見せつけられるのですが、 そう言いたくなる、想いたくもなる気持ちもわからんでもないと妙に納得してしまう。 普段の生活を送る中で、考えるだけでも自分って嫌なやつだなとか、 こんなこと考えてるの誰かに知られたら一発で嫌われてしまうだろうなといった、 表に出すことを許されない感情を この主人公は時に心の中で、時に酒によった勢いで声に出して晒してしまうのですが、 普段押し殺し続けなくてはならないような感情を代弁してくれているようで、 妙な、なんとも言えない不気味な爽快感があり一気に読み進みました。 ただ、一気に読めてしまい、一気に話しが終わります。 唐突に終わってしまうのでちょっと拍子抜けするかもしません。 巻末の石原慎太郎さんの解説が物凄く簡潔な解説をされていて、言い得て妙だと思いました。 | ||||
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迅速に発送頂きました。本も綺麗でした。いっぱい買いすぎてまだ読んでません。 | ||||
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ま、内容がリアルでいいですね。現代の闇というものが伝わってくる。」 | ||||
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文体の古めかしさは 以外と気にならない。 絵画で言えば 「額縁」の様なもの。 文章の流れが良いので読みやすい。 「中途半端な自虐」が かえって面白く、読後の爽やかさを誘う。 なお、著者には「痩せて下さい」と言いたい。 本作の主人公は 痩せている方が似合う から。 石原慎太郎の解説が素晴らしい。全てを言い尽くしている。 石原慎太郎を見直した。 | ||||
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中卒で怠け者で下劣でコンプレックスの塊。19歳の主人公貫多の特徴である。 私小説の中で躊躇なく露呈される彼の中流層に向けた見当違いの恨みの心情、勝手な妄想、狡猾さ。妬み、僻(ひが)み、嫉(そね)みが延々と連鎖する救い用のない考え癖。 良くもまぁこれだけの負の感情に終始囚われながら正常で居られるもんだと、感嘆さえ覚える。いや、正常で居られずに臨界点を越えた時は暴言と暴力となって迸り噴出するし、またその沸点が低いから周りは迷惑でしかない。 父親の性犯罪という大変な重荷を11歳から背負わされ、これまた沸点の低い母親に育てられた愛情に恵まれなかったという不遇は、中流層に対する僻みを醸成するに充分な温室だったとは思う。しかし両足に嵌められた重い鎖を自ら外す意思も脆弱で、ただただ、性の放出費用とその日食べるための日銭稼ぎを、気持が高揚したか経済が窮地の時だけに行う事から抜けられないのは全て自己責任。 まぁ、そんなことは彼は解っていて、殊勝になることも有るけど、ちょっとした外部からの刺激で殊勝さはとたんに引っ込み、開き直りがムクムクと頭を擡げる。 延々この連鎖だから救われない。 でも、この救い様の無い彼の言動から目が離せずについつい先を読んでしまうのは、彼が自分の代弁者でもあるからだと思う。僕らが平穏に日常を過ごすために心に蓋をしておく負の感情を、彼は思い切り迸らせ、言動で表す。自分を基準にした時に、彼はやり過ぎだろうと思える事には嫌悪を覚えるけど、同意出来る部分も多いにある。例えば怠け者根性とか。 ヒーローが活躍する勧善懲悪のストーリーで非力な自分に代わりヒーローが悪を懲らしめるとスカッとするのとは真逆にあるけど、貫多もまた大人の僕らが抑えている事を開き直って全開にしているので、代弁者なんだと思う。 なので、病みつきになるダメ男。 | ||||
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年を取ると読書は実用書ばかりになって純文学から遠ざかる でも彼の「風俗」発言が気になって本書を読んでみて、感動して手が震えた 成功している人間はほんの一握り、もちろんだからこそ「成功者」は少なく、多かれ少なかれ著者のような鬱積した気持ちを抱えて生きているか もしくは若い時分に無限に可能性があると思った自分が、実は落ちこぼれであった時の社会への妬み僻みを誰もが一度は抱えたのではないか そんな思いを彼は文学の中に見事に表現している・・・ 彼の本を読んでから純文学に目をむけようと2000年以降の芥川賞受賞作をあらかた読んでみた その中での結論は 「彼は同時代の作家から実力が抜きんでている」 | ||||
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150本近くのレビューがアップされ、その大半に目を通し、多くに感心した手前、もはや気の利いた新しいコメントは難しい。芥川賞受賞の標題作ほか1編を含む当文庫は1年前の刊行。石原慎太郎氏が小説家の肩書きで「魅力的な大男」と題する短い解説を書いており、そこには「成功がもたらすだろう生活の変質の中で、このしたたかな大男がさらに大きくなるのか萎縮するのかその変質に尽きせぬ興味がある」とある(170頁)。 評者にも確かにそんな読後感があり、いま現在の作者の様子と最新作を知りたくなった(芥川賞受賞からしばらくした後、テレビのインタビューで、作者が「毎月々々銀行口座に100万円入ってくるんですから」云々と答えるのを見たことはあるが)。なお、当文庫の読後の第一印象は、時代に背を向けた若さの悲惨、自暴自棄がもたらす貧窮の苦渋、そして自らを客観視しようとするうえでの巧まざる諧謔といったところか。 | ||||
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芥川賞受賞作品ではあるのだけど、 西村さんの授賞の際の発言などから女子供が読むにはどうなの〜?ってイメージでした。 でも、女の私でも面白かった! 自分の好きなタイプの小説とは真逆なんだけど、とまらなかったです。 文章もうまい。巧みな言葉のチョイスには思わずにやりとしてしまいます。 ガチの私小説だし、主人公が感じている生きにくさや葛藤が生々しい。 19歳貫太はダメなままで成長も反省もなく、何もなく終わるのがリアル。 そして「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」で40代になった彼を見て、 人生の目的を見つけ、身を削るように生きる姿に凄まじい生命力を感じた。 どこからだってのし上がれる。生きるって泥臭いものなのだ。 19歳から40まで彼はどんな生き方をしてきたのだろう。 それを想像するのも楽しいです。 | ||||
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読了後、ドストエフスキーの『地下室の手記』を思い出した。 自分自身のどうしようもなさを理解しながら、次々に、また不合理な行動をとっていく主人公・貫多。 たとえ、一瞬に反省するにしろ、やはり、また、同じような、だめ人間の行動を反復していく... その様を、『苦役列車』となぞらえ、具体的に、克明に描き出す、西村氏の執念に脱帽した。 西村氏の画期的な点は、私小説を、通俗化して見せた点にあるといっていいだろう。 西村氏の私小説には、私小説が持っていた、芸術家を標榜する者たちの驕り、 あるいは、共産主義的な政治性を有することなく、 身近な文学として、提示されている。 | ||||
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満足してます!面白い本で何度も読んでしまいました。また西村さんを読んでみたいと思いました。 | ||||
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