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(短編集)
猛スピードで母は
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猛スピードで母はの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全63件 41~60 3/4ページ
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この本の中に収められている「サイドカーに犬」が映画化されるのを機会に、5年ぶりに改めて読み直してみました。 収められている2作品は、共に子どもの目から見た「家族」が捉えられています。どちらも裕福とは言えず、一般的に言って「幸福」という言葉からは、かけ離れた存在でしょう。 でも、この中で「サイドカーと犬」では洋子さんが、「猛スピードで母は」では母親が、「解放」的な子どもへの対処の仕方をします。がみがみと「規制」することなく、子どものしたいようにさせているように見えます。そんな二人の大人の女性が、子どもたちに見せる何気ない仕草や言葉の中の優しさや愛情が、読者に「家族」の素晴らしさを感じさせてくれます。 「家族」の問題が、ニュースになる機会の多い現代ですが、この作品を読むと、ほっとした気持ちになるのは何故でしょうか。ほんのちょっとした気遣い、思いやりで、問題は解決するのでしょう。 | ||||
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この単行本に収められている2作品に共通するのは親子の関係の距離が非常に微妙であるということだ。「サイドカーに犬」では父親と息子の距離は程よい感じがするが、姉と父は決定的に距離感がおかしいと思う。これがこの主人公が社会に馴染まない感覚と同等であることは作者が意図していたとするとすごいと感じる。それ以上に母親との距離はあまりにもはっきりした間隔が開いている。これもこの主人公の荒涼として人間関係の冷たさを測るに足りるものであるように思う。そして洋子さんという中間的な存在が表れることで初めて主人公である姉に外の世界を導くのである。洋子さんだけが記号論的に名前を持っていることも興味深い。 「猛スピードで母は」も慎と母親のべったりしてない距離感が不思議な物語世界の中心である。この作品が芥川賞を受賞しているが、私は「サイドカーに犬」の方が出来がいいように思う。この作品は終わり方が良くないように感じる。そこまで書いているのならそれらしい結末を用意して欲しかった。 | ||||
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主人公は父のいない小学生の男の子。 彼の視点から、なんの飾りもない、さっぱりした文体で母との生活を綴ってゆく。 あまりにも平易な文と淡々とした展開なので、初読ではタイトル通り「猛スピードで」読み飛ばしてしまった。 けど二度目にゆっくり、三度目にじっくり読んで、その素朴な文字の中に散りばめられたカケラを拾い集められた時、 ラストシーンがじわじわと胸に迫ってくるようになった。 母の心を直接語るのではなく、あくまで少年の目に映る母の姿から描いている。 素朴なだけに、彼らの心の動きを、より淡く、暖かい印象として残してくれる良作。 | ||||
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表題作は芥川賞受賞作ですが、僕はこっちよりも併録されている 『サイドカーに犬』の方が好みです。著者の文学界新人賞を受賞 したデビュー作で、芥川賞候補にもなりました(この後に表題作 で受賞します)。竹内結子主演で映画化も決まっている『サイドカー に犬』です。 まずタイトルが素晴らしい。「サイドカー『の』犬」ではなく、 「サイドカー『に』犬」なのが素晴らしい。微妙なニュアンス の違いだけのように感じますが、そうではないのです。「の」 ではダメなんです。「に」だというだけで、どれだけ僕は心を 掴まれたか。 物語は単純で、母が家出をし、「わたし」と弟のもとに父の愛人 がやって来るというものです。「わたし」と愛人を中心にした一風 変わった日々が描かれます。愛人のキャラクターが抜群で、めちゃくちゃ カッコイイ。正確は大雑把だけど、どこかしっかりとしていて太い「芯」 を持っている人。ラスト近くで描かれるこの人の「わたし」の父に 対する愛情は切ないです。このシーンでこの人の繊細なココロが見えてきて 胸を締め付けられます。 この『サイドカーに犬』の持つチカラは計り知れない。文句なしの傑作。 ふとした時に読み返し、そして胸を震わせています。 | ||||
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「サイドカーに犬」「猛スピードで母は」、どちらも子供の視点から、夫婦崩壊後の父や母を描いた作品。 子供のいたいけな気持ちとは裏腹に、大人は身勝手である。 現代社会にはいくらでもある、こうした家庭。子供に罪はないのになぁ〜と思わざるを得ない。 それにしても、小品ながら、なぜか読むのに時間がかかった。正直、文章は退屈であり、表現力もいまひとつ。きらりと光るものもなし。 これで芥川賞なんだぁ〜、。 | ||||
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長嶋有の小説を読んで、何だか「これが小説ってもんだよなあ。」という気がした。特にどこが目立ってるわけでも派手さがあるわけでもないのだけれど・・・。 いったい他の作家と、どこが違うのか。 それはきっと人間を書こうとしていることかなと思う。彼は物語を書こうとしない。書いているけど、それを作り出すことにとらわれていないように感じる。ただ、「人」は書こうとしている。で、ちゃんと書いている。だから、登場人物の何でもない言葉に人の生きた思いが乗る。自然に、うるさくなく、乗る。 最近の若手の作家は、どうも物語を作ることに目を奪われ過ぎて、小説を薄っぺらなものにしてしまっている。 でも、長嶋有の小説には人がいる。 そんな気がする。 | ||||
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「サイドカーに犬」と「猛スピードで母は」、いずれも主人公の母を中心とした人間模様を描いた物語である。 「サイドカーに犬」は、海外の喫茶店でちょっとコーヒーを飲みながら姉弟が昔を回想するという設定である。おとなしいがしっかりしている姉、グレてしまった割りに母や姉に対して従順な弟という関係が、気持ちの良い歯がゆさを漂わせながら、物語り全体を彩っている。 最後のセリフも意味深である。 「猛スピードで母は」でも描かれている母親も非常に力強いキャラクターである。母とその息子(主人公)が友達同士のような関係で、これもまた「サイドカーに犬」に見る姉弟のような、何とも言えない雰囲気を物語り全体に流している。 どちらもサクサクと読み入ってしまう秀作である。 | ||||
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芥川賞受賞作「猛スピードで母は」、カップリングの「サイドカーに犬」ともに、主人公のこども(息子/娘)と、親(母/父)の愛人もしくは恋人との交流を描いている。 僕はどっちかと言うと「サイドカーに犬」にヤラれた。かなりテキトー、生活能力なし、やくざな性分の父に愛想を尽かし母が家出、父のマージャン仲間が出入りする家に違和感なく登場した父の若き愛人ヨウコ。定番の文脈だと、トーゼン主人公の娘(小学生)はこの愛人に敵意など持っちゃうわけだけど、この愛人と娘の関係がなんとも良好で、気持ちよく読者の予想は裏切られる。娘(小学生)は、たとえば食器の使い方だとか、コーラの立ち飲みに対する見解だとか、そういった母親と愛人の、対象的な生活ルールの違いを鋭く感じる訳だけど、厳しくて怒ってばかりだった母親より友達感覚でサバけた愛人に好意を抱くんである。親子関係よりずっとナチュラルでフラットなひと夏の不思議な関係。もちろん永続的じゃないから、タテ関係じゃないし、無責任でいられる、他人だから甘えられる、ってことなんだけど。でも、自分がまるで犬みたいに思える安らかで心地よい関係って、なかなか本当の親子関係には芽生えないもんである。三浦百恵宅を探訪する愛人と娘の夜のお散歩シーンがなんとも、なんともステキである。 北海道M市が舞台の「猛スピードで母は」。こっちは僕自身がM市出身という個人的な思い入れがあって、町の情景を思い浮かべながら読んだ。こっちは息子(小学生)が主人公で、離婚した母親およびその恋人との関係を描く。北海道は全国でも離婚率の高い都道府県なんだけど、サバサバ生きるかっこいい母親がなんとも魅力的。こっちの息子にしても「サイドカー〜」の娘にしても、親の愛人、恋人に対する“犬のような”ナチュラルな態度、フラットな気遣いが、とってもおとなである。僕も今度生まれてくる時には、こんなこどもになりたいと思う。 それにしてもこの著者の、乾いた、飄々とした、ユーモラスな、それでいて切ない独特の味わい。ほかの作品もぜひ読んでみたくなった。 | ||||
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幼いころ、私は母が誇らしかった。娘がいうのもおかしな話だが、母は美人の部類に入るし、田舎にしてはセンスがよかった。しかし、あのときの母も“女”だったのだろうか、ということは子供としては今なお考えにくい。本作の主人公、小学6年生の慎は、授業参観にきた母を見て周囲を周囲の友人が「かっこいい」と口々に評するのをみて戸惑う。慎の母親はたしかにかっこいい。女手ひとつで息子を育て、車を運転しながら、「今度、結婚する」と宣言したりする。離婚後の恋愛経験も少なくなく、“女”として生っぽく生きている。しかし、その幸せの焦点は時にぼやける。彼女自身、つかめていないのだろう。“女”という一言のなかに、セクシャルな面も母としての一面も、かよわい部分もたくましい部分も、すべてがふくまれている。どの部分を抽出して見せるのかは二の次で、まずは猛スピードで生きていかなければいけない。この物語には、女の爽快な生命力がある。 | ||||
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何にも中味がない。風雅や洗練さ、緊迫性を好む読者は、極力排除したいらしい「文壇」のお歴々は、…。これは明らかに、純文学ではなく、中間小説か児童文学に仕分けされるべき物だろう。 子供向けの子供目線の小説であり、大人がどういう代物ではない。 どうしてかくしたレベルのものに、「芥川」の名前を冠したがるのか? 文学は芸術ではないのか? 芸術文学は何処に行けばいいのか。 正直言わしてもらうと、綿矢りさ、金原ひとみのほうが、数段上だと思いました。 文学をだめにした人間を、心のそこから憎む! | ||||
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第126回芥川賞受賞作。芥川賞直木賞が量産体制にあるので、それほどすごいという印象はないんだけど、やっぱり受賞作と帯に書かれると気になって手にとってしまう。書評誌でも好評みたいだったし薄いからと購入。 読んでみての第一印象は非常に文章が読みやすい。自分が理想とする文章はスラスラ朗読できるような文章なんだけど、見事に読みやすかった。偉い人は「話し言葉」と「書き言葉」の違いが大切だとか、漢字の持っている語彙をきちんとふまえてだとか、まあ色々言うわけだけど、テンポよく読めないような文章はダメだと思う。要するに読むものに教養や読む能力などを「過度」に要求するような本は好きじゃない。 自分は「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」の二編からなるこの本をすべて朗読で読破した。それくらい読みやすい。 | ||||
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わりとエンタメよりの作品だと思う。個人的には芥川賞の猛スピードで母はよりも、文学界新人賞のサイドカーに犬のほうがよかったと思う。 サイドカーは出て行った母親、その隙間を生めるように現れた洋子さんという女性と過ごした短い子供時代を描く作品。そのキャラの個性、さらに、今までの踏襲されていたシステムの塗り替えのシーンなどは鮮やか。世代が違うのでよくわからない感覚もあるけれど、やはり作品的には秀逸。子供の視線も見事。オチもべたべたせずに、さらっと流していく技術も見事。 猛スピードで母は。これも母親の話だが、どっちかというとサイドカーのキャラの個性に負けるような気がする。 | ||||
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こんなに無駄ない文章はすてきだ。話の脱線の仕方も好みだ。媚びるところがなくていい。 | ||||
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解説者の方が長嶋有は女性にもなれるし子供にもなれる、と書いていましたがまさにそうだと思います。 なんの変哲もないような言葉がぐぐっとくるのです。 子供の感受性、怯え、強さ、大人のやるせなさ、不可解さ、言葉で書き表すのが難しいようなことを普通の言葉で染み込むように書いてある。 読んでいて共感する面が登場人物のひとりといわずあるのにどこか客観的に読めてしまった。長嶋有ってすごい人だ。いろんな人に寄り添っている、そんな小説だった。 | ||||
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子供っていうのは、孤独感っていうものに凄く敏感なんだと思う。 この本で描きたいところって言うのはまさにそこだった。 特に母という存在との関係は、意識的にたとえ小さいと思っていても、やっぱり深くて。 だから、この本の主人公の言葉が強く胸に刺さった。あー、やっぱり母とのちょうど良い距離を持つことは、重要なんだなあと感じさせてくれる。 | ||||
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なんかキュンって切なくなる。 子供の頃、親が考えてることって計りきれなくて、親がイ ライラしてたり、機嫌が良かったりっていうのに子供とし てホッとしたりびくっとしたりしてた。 その感情の一つ一つをブルボン小林ならぬ長嶋有氏は思い 出させてくれる。 あの時の、実は一番感受性が強くそのくせ何も出来なかった 表現できないテンションをほろ苦く思い出した。 長嶋さんより年下の僕にそんなことを思い出させてくれるな んて長嶋さんはよっぽど記憶力いいのかなあ? 個人的にはサイドカーに犬の方がいいと思う。 | ||||
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文庫になるまで読まなかったことが悔やまれる傑作。 「人とのつながり」という手垢のついた言葉の意味を根底から考えさせる、 味わい深い二編を収録しています。 詩心に満ち、そして時折湧いてくる深い情感に胸打たれます。解説者の語るように、読み出してしばらくは「作者は女性なのかな」と思わずにいられなかった繊細さがどのページにも感じられ、それが行と行の間にかすかな吐息や希望として現れるときに、日本語で書かれたよい小説を読むよろこびを読者に与えてくれます。 | ||||
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文庫になって早速買いました。すごい。ぐいぐい読めました。 感動させられたりはっとさせられるときって、書き手の読者への裏切りかたがどこか冷たかったり鋭く感じたりするものですが、 これは素直な描写で淡々と書かれているおかげで、おっかなびっくりさせられることなく自然なリズムで読んでいけました。 なのに、泣けてくるのです。その感情は、実際私が今まで感じたことのある気持ち(家族とのいざこざだったり、気持ちのすれ違いだったり。) にすごく近くて、本当なのです。だから作者は女の人だと思っていたら二度びっくり。なんでこんなに女の人の気持ちが分かるのでしょう。 1970年代前半うまれの読者にはなつかしいいろいろなグッツが出てくるあたりも、リラックスさせる一因かも。 芥川賞を受賞した表題作も良いですが、私は「サイドカーに犬」が好きです。 読み進むのがもったいなくなるくらい、私にとっては面白い本でした。長嶋さんのほかの作品も読もうと思います。 | ||||
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お茶漬けをかっこむが如くさらさらと読みやすい本。 重くも無く、軽すぎも無く、おしつけがましさも無い。 メッセージ性やテーマといったものはどうなのかと言われると、やっぱりそれほど感じない。だからこそカッコいいかなって。 「サイドカーに犬」・「猛スピードで母は」に2作品収録されているが、共にあっさりとした女が描かれている。前者の方は最後まであっさりと、後者は強くたくましい母親の中にも弱い部分が見え隠れする。 情景描写もライトだし、子供の目線から見た大人像はこんなものだったかなぁなんてこそばゆい。現代的といえばそうなのかも。 | ||||
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文字に表しずらい微妙な人間の心理を説明的ではなく、会話や登場人物の動きで上手に表している。 話は2つの中編からなっているのだが、両方ともそんなに大きな変化はない。誰にでもあるような心情や経験であるが、それを文字で表すのは難しい、これを読むと詳しい解説はないけれども、こういうことあるなぁと共感できる部分が沢山ある。 | ||||
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