パラレル
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初めて「下品だから」という理由でレビューを削除されました。 以下、書き直します。 基本的に筆者の作品が好きですが、これだけは例外です。 30代の男性二人が仕事に邁進しながら女性の体目的でデートを重ねる話。 面白いので次々に読んでしまうが、 主人公が自身を職業的に尊敬している女性とすぐに関係を持とうとするのが気持ち悪かった。 なんで仕事で尊敬している=性的にも受け入れられると思うのか? 実際にそこを取り違える人もいるので、こういう思考なのかと参考になった。 女性を見ればすぐ関係を持てる・持てないと評価し、 別の女性と関係を持った後でも「こっちもまだいけるかも」としつこく期待し、 別れた妻は自分に未練がありそうで、 遊び相手は妊娠してそうでも勝手に自己解決し、 実際に妊娠したら見えないところで中絶してくれる。 このように、とことん都合がよい話で、つくづく気持ち悪いなあと思いました。 これでどうでしょうか。 | ||||
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ゆるめの純文学だがそこがいい。昨今の純文学はポリコレだらけで嫌気がさしていたが、ちょっと昔の純文学はこういう作品もあるのでいいなと思う。繰り返し読みたい。 | ||||
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不思議な読み口の作家さんでした。 ちょっと癖のある文章ですが、それが逆に癖になる書きぶり。また、30代位のアホでエロな男たちの挽歌とでも言いましょうか。主人公七郎やキャバ狂い!?の津田の行動に身に覚えがある男性諸氏も居るのではないでしょうか。 ・・・ 本作『パラレル』、タイトルの意味は何でしょうか? 作品では『パラで付き合う』という表現がありました。複数の相手とへらへらと付き合うことを『パラで付き合う』と表現しており、それなのかなあ。 時間軸が「大学時代」「ちょっと前」「現在」と三つに飛び飛びに展開しましたが、それはジャンプであってパラレルでもないしなあ、と独りごち。 2004年という、だいぶ前の作品ですが、かなり典型的な男性目線の作品であり、今の今新刊では出せなさそうな作風です。潔癖というか完全な倫理観をお持ちの方は読まない方がよさそうな作品。 ・・・ 解説によると、文芸誌では家族ものとして評価された一方、解説のゲーム作家さんが書くように『単行本発売記念の呑み会で、同席したすべての男性が「これ、オレなんだよー」と思っているようだった』とあります。つまり、多くの男性にとって親和性のある事柄が投影されていたとも言えます。 友人津田のキャバ嬢狂い、妙ちきりんな倫理観(結婚式のスピーチで『結婚とは文化であります』とうそぶきつつ、複数女性とお付き合い)、主人公七郎とキャバ嬢との友人関係、奥様の浮気と離婚の様子、はたまた津田の会社の破産など。 確かに30代という精力的な年代、お金もそもそこ自由になる世代(20代とか新卒当初と比較して)、こうして向こう見ずな生活の一端は私にもあった気がします。内向的な社会人生活を送っている私ですらそうでしたので、付き合いと称する呑み会が多そうな営業現場一筋とかの人は大いに膝を叩きそう。 ・・・ 文章はややくせのある会話調が多く、かぎかっこで会話を描くも『』の後にもぽつぽつと会話が続くのが特徴的。だから、さらさらとは読めず、注意しつつ二度読みすることがしばしばありました。 しかし、とっかかり・リードの発話と、それ以降のごにょごにょ(重要性低め)をこうした『』内外で分別しているのか、とも思いました。 これは何というか癖になる心地よさがあります。 ・・・ ということで長嶋有さんの作品、初めてでした。 もともと15年くらい前のBRUTUSで『読むべき現代の作家』みたいなチャラ目な特集だったのですが、特集ページだけ10ページくらいコピーして実家においてあって、近年ちょろちょろ購入し始めたというものでした。 時代の一端を切り取っているといえば、確かにそうかもしれないと感じた一作です。 | ||||
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どういえばいいのだろうこの小説。『パラレル』はある意味で実験的でもあり野心的な作品といえるのではないか。この作家特有の文体といえばそれまでだが、なんでもない日常的な時間が大きな起伏もなくとりとめもなくつづくスタイルはこの時代の感覚をみごとに浮き彫りにする。だが、本編ではそこに奇妙な仕掛けを施しているような気がするのだ。何故なら、ここでは今・大学時代・離婚前後といった三つの時系列における出来事やそれぞれのエピソードがパラレルに進行するように描かれているからだ。 今、といっても8月末から12月までの僅か4か月の物語にすぎないことではあるが、そこに大学時代と離婚前後の状況とエピソードが断片的に織り込まれ、すべてが同期するように措定されている。 そのことが、さらに読者の個人的な体験とかさなりあうように記憶を刺激し読むことの経験を更新し感覚を覚醒させる、という実験的なカラクリになっているように思えるのだ。 つまり、ここではそれぞれの出来事やエピソードを構築して一つの物語として固定的な世界を表すのではなく、断片的に提示されているだけで固定されたイメージが提供されるのではない。流動的とはいわないまでも、あえて読者の体験や記憶とかさねられるように考えられているのではないか。 たとえば、今の僕はこのように描写されている。 「またこういうゲームを作らないんですか」うん、なかなか難しくてね。そうですか、大変ですものね。きっと。 本当は、もうゲーム制作に携わりたくなかった。僕以外にも新作を発表しなくなったフリーのゲームデザイナーを何人かしっている。理由は様々だろう。売れないからと決めつけられて好きな作品を作らせてもらえない、労働に対してギャラが少ないなど。 「わがままいっているだけでしょう」リメイクの仕事をやめたと告げたとき、妻には手厳しくいわれたものだ。(本文p104) 大体が人は一日に三時間も働けば十分だとぼくは思っている。する事も特にないのに数あわせでいる奴は帰ったほうがましだし、何時間も集中力を持続できるはずがない。 携帯電話やメールに触れ、その便利さを実感する毎に思う。これで楽になって浮いた時間の分は、働かない方向に費やされればいいのに、世界は一向にそうならない。空いた時間を詰めて次の仕事を入れるようになっていくだけだ。 いつか三時間労働説を唱えたら津田は目を丸くして 「うん、おまえはそれが正しい」といった。僕の正しさと津田の正しさとあるということか。 そのころ津田もまさに幾晩もの寝泊りを繰り返していた。会社に三年休まずに勤め、胃に穴をあけて入院したりしていた。(本文p108) 別れてもなお連絡がきて往き来したりする元妻、そして新しい恋人・・・、いくつかのエピソードと相談ごとがあり何気ない時間が流れていく。 一方、顔面至上主義のプレイボーイ津田の日常はどうかといえば、いろいろな女の子とパラで付き合い、会社を立ち上げたり倒産したり、それなりに充実した生活ぶりなのだ。 「ラブか、ラブはもういい」津田は弱気にいうと焼き魚を箸でほぐしはじめた。 「最近は、ラブよりも弟子にあこがれる」とつづけた。弟子?そう、弟子。津田は持論を披露しはじめた。 「師匠と弟子は、世にあるあらゆる関係の中で、今やもっとも珍重すべきものだ。恋人は裏切るし、夫婦は干からびるし、家族だって持ち重りが過ぎる。部下だって上司だって、扱いってものがある。バイトやパートはすぐに帰ってしまうし、美人秘書にはべらぼうな高給を払わないといけないだろう」 「まあ、美人はおしなべてそうだね」だろう、というように頷くと津田はおかわりのつもりで空のジョッキを持ち上げた。(本文p112) このように時代の気分は二人の感覚をとおしてみごとに描写され読者の記憶と交差する。まさしく、長嶋ワールド特有のスタイルといえそうだ。 だが、完成された1つの作品でさえ引用の対象とされブリコラージュされることをおもえば、この作品はたしかに読者の記憶や体験をとおして成り立つ不定形ともいうべき自由度をもつことを視野に入れた作品ともいえる。これほど魅惑的な試みがあるだろうか。 | ||||
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あくまでも僕自身の感想ですが、長嶋有の諸作品の中ではあまり評価の高くない作品。 最後のエピソードが出来過ぎというか、彼に求めているのはウェルメイドやハッピーエンドじゃないんですよ。新刊即購買というわけにはいきませんが、本屋さんに寄ればこれ読んでいなかったけなあ、という具合にいつの間にやら手にしている日本の現代作家なんですから、おのずと高い期待値が付与されているんです。 『パラレル』と表題にあるように、本書はいくつものパラグラフが時系列に関係なく余白と共に並べられています。もちろん本書は一つの作品で、実験とか前衛にはおそらく接点のない?長嶋有にしては比較的長めの中篇、長らく友人関係にある30代の男二人、ぼく(=七郎、バツイチ)と津田(社長、女の出入りが激しい独り者)、そして女たちの日常が、最初のページから終わりまで、グダグダとそれでいてひょうひょうとした作者特有のキャラクター形成、および語り口ははいつもながらうまいと思うし、ところどころにハッとするようなセリフもちりばめられているのだけれど、読み終えた後のいつまでも余韻を引きずるようなひょうびょうとした風景(これを噛みしめたいがために僕は彼の作品を求めるのです)が本書では断ち切られしまったんです。 | ||||
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