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パラレル
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パラレルの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 1~20 1/2ページ
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初めて「下品だから」という理由でレビューを削除されました。 以下、書き直します。 基本的に筆者の作品が好きですが、これだけは例外です。 30代の男性二人が仕事に邁進しながら女性の体目的でデートを重ねる話。 面白いので次々に読んでしまうが、 主人公が自身を職業的に尊敬している女性とすぐに関係を持とうとするのが気持ち悪かった。 なんで仕事で尊敬している=性的にも受け入れられると思うのか? 実際にそこを取り違える人もいるので、こういう思考なのかと参考になった。 女性を見ればすぐ関係を持てる・持てないと評価し、 別の女性と関係を持った後でも「こっちもまだいけるかも」としつこく期待し、 別れた妻は自分に未練がありそうで、 遊び相手は妊娠してそうでも勝手に自己解決し、 実際に妊娠したら見えないところで中絶してくれる。 このように、とことん都合がよい話で、つくづく気持ち悪いなあと思いました。 これでどうでしょうか。 | ||||
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ゆるめの純文学だがそこがいい。昨今の純文学はポリコレだらけで嫌気がさしていたが、ちょっと昔の純文学はこういう作品もあるのでいいなと思う。繰り返し読みたい。 | ||||
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不思議な読み口の作家さんでした。 ちょっと癖のある文章ですが、それが逆に癖になる書きぶり。また、30代位のアホでエロな男たちの挽歌とでも言いましょうか。主人公七郎やキャバ狂い!?の津田の行動に身に覚えがある男性諸氏も居るのではないでしょうか。 ・・・ 本作『パラレル』、タイトルの意味は何でしょうか? 作品では『パラで付き合う』という表現がありました。複数の相手とへらへらと付き合うことを『パラで付き合う』と表現しており、それなのかなあ。 時間軸が「大学時代」「ちょっと前」「現在」と三つに飛び飛びに展開しましたが、それはジャンプであってパラレルでもないしなあ、と独りごち。 2004年という、だいぶ前の作品ですが、かなり典型的な男性目線の作品であり、今の今新刊では出せなさそうな作風です。潔癖というか完全な倫理観をお持ちの方は読まない方がよさそうな作品。 ・・・ 解説によると、文芸誌では家族ものとして評価された一方、解説のゲーム作家さんが書くように『単行本発売記念の呑み会で、同席したすべての男性が「これ、オレなんだよー」と思っているようだった』とあります。つまり、多くの男性にとって親和性のある事柄が投影されていたとも言えます。 友人津田のキャバ嬢狂い、妙ちきりんな倫理観(結婚式のスピーチで『結婚とは文化であります』とうそぶきつつ、複数女性とお付き合い)、主人公七郎とキャバ嬢との友人関係、奥様の浮気と離婚の様子、はたまた津田の会社の破産など。 確かに30代という精力的な年代、お金もそもそこ自由になる世代(20代とか新卒当初と比較して)、こうして向こう見ずな生活の一端は私にもあった気がします。内向的な社会人生活を送っている私ですらそうでしたので、付き合いと称する呑み会が多そうな営業現場一筋とかの人は大いに膝を叩きそう。 ・・・ 文章はややくせのある会話調が多く、かぎかっこで会話を描くも『』の後にもぽつぽつと会話が続くのが特徴的。だから、さらさらとは読めず、注意しつつ二度読みすることがしばしばありました。 しかし、とっかかり・リードの発話と、それ以降のごにょごにょ(重要性低め)をこうした『』内外で分別しているのか、とも思いました。 これは何というか癖になる心地よさがあります。 ・・・ ということで長嶋有さんの作品、初めてでした。 もともと15年くらい前のBRUTUSで『読むべき現代の作家』みたいなチャラ目な特集だったのですが、特集ページだけ10ページくらいコピーして実家においてあって、近年ちょろちょろ購入し始めたというものでした。 時代の一端を切り取っているといえば、確かにそうかもしれないと感じた一作です。 | ||||
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どういえばいいのだろうこの小説。『パラレル』はある意味で実験的でもあり野心的な作品といえるのではないか。この作家特有の文体といえばそれまでだが、なんでもない日常的な時間が大きな起伏もなくとりとめもなくつづくスタイルはこの時代の感覚をみごとに浮き彫りにする。だが、本編ではそこに奇妙な仕掛けを施しているような気がするのだ。何故なら、ここでは今・大学時代・離婚前後といった三つの時系列における出来事やそれぞれのエピソードがパラレルに進行するように描かれているからだ。 今、といっても8月末から12月までの僅か4か月の物語にすぎないことではあるが、そこに大学時代と離婚前後の状況とエピソードが断片的に織り込まれ、すべてが同期するように措定されている。 そのことが、さらに読者の個人的な体験とかさなりあうように記憶を刺激し読むことの経験を更新し感覚を覚醒させる、という実験的なカラクリになっているように思えるのだ。 つまり、ここではそれぞれの出来事やエピソードを構築して一つの物語として固定的な世界を表すのではなく、断片的に提示されているだけで固定されたイメージが提供されるのではない。流動的とはいわないまでも、あえて読者の体験や記憶とかさねられるように考えられているのではないか。 たとえば、今の僕はこのように描写されている。 「またこういうゲームを作らないんですか」うん、なかなか難しくてね。そうですか、大変ですものね。きっと。 本当は、もうゲーム制作に携わりたくなかった。僕以外にも新作を発表しなくなったフリーのゲームデザイナーを何人かしっている。理由は様々だろう。売れないからと決めつけられて好きな作品を作らせてもらえない、労働に対してギャラが少ないなど。 「わがままいっているだけでしょう」リメイクの仕事をやめたと告げたとき、妻には手厳しくいわれたものだ。(本文p104) 大体が人は一日に三時間も働けば十分だとぼくは思っている。する事も特にないのに数あわせでいる奴は帰ったほうがましだし、何時間も集中力を持続できるはずがない。 携帯電話やメールに触れ、その便利さを実感する毎に思う。これで楽になって浮いた時間の分は、働かない方向に費やされればいいのに、世界は一向にそうならない。空いた時間を詰めて次の仕事を入れるようになっていくだけだ。 いつか三時間労働説を唱えたら津田は目を丸くして 「うん、おまえはそれが正しい」といった。僕の正しさと津田の正しさとあるということか。 そのころ津田もまさに幾晩もの寝泊りを繰り返していた。会社に三年休まずに勤め、胃に穴をあけて入院したりしていた。(本文p108) 別れてもなお連絡がきて往き来したりする元妻、そして新しい恋人・・・、いくつかのエピソードと相談ごとがあり何気ない時間が流れていく。 一方、顔面至上主義のプレイボーイ津田の日常はどうかといえば、いろいろな女の子とパラで付き合い、会社を立ち上げたり倒産したり、それなりに充実した生活ぶりなのだ。 「ラブか、ラブはもういい」津田は弱気にいうと焼き魚を箸でほぐしはじめた。 「最近は、ラブよりも弟子にあこがれる」とつづけた。弟子?そう、弟子。津田は持論を披露しはじめた。 「師匠と弟子は、世にあるあらゆる関係の中で、今やもっとも珍重すべきものだ。恋人は裏切るし、夫婦は干からびるし、家族だって持ち重りが過ぎる。部下だって上司だって、扱いってものがある。バイトやパートはすぐに帰ってしまうし、美人秘書にはべらぼうな高給を払わないといけないだろう」 「まあ、美人はおしなべてそうだね」だろう、というように頷くと津田はおかわりのつもりで空のジョッキを持ち上げた。(本文p112) このように時代の気分は二人の感覚をとおしてみごとに描写され読者の記憶と交差する。まさしく、長嶋ワールド特有のスタイルといえそうだ。 だが、完成された1つの作品でさえ引用の対象とされブリコラージュされることをおもえば、この作品はたしかに読者の記憶や体験をとおして成り立つ不定形ともいうべき自由度をもつことを視野に入れた作品ともいえる。これほど魅惑的な試みがあるだろうか。 | ||||
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あくまでも僕自身の感想ですが、長嶋有の諸作品の中ではあまり評価の高くない作品。 最後のエピソードが出来過ぎというか、彼に求めているのはウェルメイドやハッピーエンドじゃないんですよ。新刊即購買というわけにはいきませんが、本屋さんに寄ればこれ読んでいなかったけなあ、という具合にいつの間にやら手にしている日本の現代作家なんですから、おのずと高い期待値が付与されているんです。 『パラレル』と表題にあるように、本書はいくつものパラグラフが時系列に関係なく余白と共に並べられています。もちろん本書は一つの作品で、実験とか前衛にはおそらく接点のない?長嶋有にしては比較的長めの中篇、長らく友人関係にある30代の男二人、ぼく(=七郎、バツイチ)と津田(社長、女の出入りが激しい独り者)、そして女たちの日常が、最初のページから終わりまで、グダグダとそれでいてひょうひょうとした作者特有のキャラクター形成、および語り口ははいつもながらうまいと思うし、ところどころにハッとするようなセリフもちりばめられているのだけれど、読み終えた後のいつまでも余韻を引きずるようなひょうびょうとした風景(これを噛みしめたいがために僕は彼の作品を求めるのです)が本書では断ち切られしまったんです。 | ||||
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中年になるということは、いろんなことに折り合いとつけることなのだと思う。もちろん、精力的にガンガンバリバリわが道をいく人はいる。しかし、大方のおっさんというものは、諦めに近いものを秘めたまま、周囲に調子を合せながら生きているような気がする。 長嶋有『パラレル』の主役、僕=向井七郎をみていると、あらためてそんな事を思い知らされる。 若い頃、ゲームデザイナーとして成功をおさめた向井は、今は第一線を退いている。妻に浮気をされ離婚を余儀なくされた向井は、私生活でも仕事でも力強さを感じない。流されているわけではないが、強い意志を表明することもない。大学時代の友人で会社社長 顔面至上主義の津田との交流は、そんな向井のひょろひょろとした生き方を際立たせる。 上昇志向が強くプレイボーイの津田を前に、男として嫉妬すらしない向井。向井は、自分を捨てた妻に対しても、やんわりとした愛着を持っていつつも、言葉にすることができない。 本作品は、そんな向井と中心に、向井の(元)妻、津田、津田と仲良しのキャバ嬢サオリらのある意味ゆるゆるの交流が描かれている。91年向井と津田の大学での出会いから、向井と妻の別離、その後が時制を前後して語られていく。過去からの積み重ねではなく、時がいったり来たりすることで、肩の力が抜けてしまうから不思議である。深刻さを胸にしまい込み、事実を受け止めてそれに折り合いをつけていく様は、あるべきおっさんライフとでも言おうか。うっとおしくならない距離感での友情は、うらやましくさえある。 そんな中、向井が元妻の身体を気遣い涙するシーンは良い。 「「生きててよかったよ、本当によかった」僕はぼろぼろ泣いていた。心から、出てきた言葉をいった。・・・生きていたことの安堵感と、僕のせいではなかったことの解放感とがない交ぜになった。」 思いのたけがポロっと出てしまうそんな瞬間である。 さて、本作品では、顔面至上主義の津田がキャバ嬢を口説くときのテクニックが披露されている。顔を褒めずに、靴を褒めると話がはずむそうなのだが、はたして如何だろうか。 | ||||
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何かにつけて『確証』を求めてしまうのは人間の性、だけど、それが中々得られないのも現実。曖昧な感情から生まれる曖昧な人間関係を肯定も否定もしない、それを第三者的な視線で眺め、観察し続ける主人公の態度、というか心の有り様の描写が面白い。物語を象徴する『結婚式』は、確証にはなり得ないけれど曖昧な人間達にとっては必要なのかと思う。 | ||||
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えーと。 なんていうか、淡々とするすると。 主人公の友人のモットーは、「なべてこの世はラブとジョブ」 でも、主人公はそんなパワーのかけらもなく。 結構どろどろしている世界のはずなのに、とにかく淡々としてるんですよねー 私もジョブはとにかく、ラブはもうお腹一杯なので、 これくらい淡々としているがいいです(笑 まあ、文庫で読んでも損はない本と思います。 とにかく、読んで疲れないのがいいです。 | ||||
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長嶋作品がいろいろな賞をとったり映画になったりしていろいろ読みましたが、一番好きです。 女からすると、実際にあんなことされたら(パラに走らされたり、いろいろ)許せん!と思うものの、そんな生き方うらやましくて、ページが進みました。出てくる本人たちは全然そんなふうには思ってないのでしょーが。 | ||||
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これまでも著者のファンでしたが 本作はすこし違ったテイストです。 (離婚絡みなのはいつもと同じ) パラレルとは並行のことかな、と さほど深く考えずに話を読み始めました。 主人公は元ゲームデザイナー ITベンチャー、キャバクラ、浮気、 身近なような遠いような話 時間を行ったり来たりしながら ゆっくりと進んでいきます。 結婚や倒産、妊娠、離婚、 人生上のイベントもどこかゲーム上の話のような、 自分もそうですが、30代くらいファミコン世代の リアリティだと思います。 読み終わって、なんとなくタイトルが腑に落ちました。 「僕はもう頭の中でゲームの一場面にしてしまっていた」 ぼくもそうしてしまっていたようです。 | ||||
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「猛スピードで母は」を読んで期待していたら、ちょっと肩すかしを食らった感じ。ちょっとふつうのエンタメっぽい。ただ、たいしたことも起こらない(わざとらしいことが起こらない)わりには最後まで面白く読めた。イタリア料理店での主人公の感想、「ラグーのパッパルデッレってなんだ」というつっこみは面白かった。でも全体になんか印象が残らなかったなあ。感じいいんだけど……。宙ぶらりんなアラウンド30の男子にはお勧めするけど、それ以外の人にはどうなんだろうなあ。よくわからん。 | ||||
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ナンセンスなのに切ない、だけど可笑しくてあったか〜い気持ちになりました。 ☆笑っちゃいました・・・夜のお姉様とのラブスキルがあるオトコは、普通の人と上手く恋愛できないコンプレックスを持っていること。 ☆理解しました・・・オトコがメールの返信しない訳。 ☆やっぱり好きか・・・ゲームとF1。 ☆泣けるよ・・・オトコの友情。 ☆可愛いじゃん・・・ラブは純愛が一番? ☆みんなそうなのか・・・オンナ心を分かろうとしない! 序段あたりの結婚式の場面で、主人公の親友である津田が 「結婚によって自分たちを守る文化を築いていってください」 とナイスなスピーチを披露する。 ラスト、主人公の七郎が別の結婚式で行うスピーチのアンチョコ 「円満の秘訣は信じること。ただもう無闇に信じるのです。屁理屈も理屈、邪道も道、腐れ縁も縁。」 は津田のそれを肉付けしたものだ。 当たり前だけど、結婚するということは、相手と死ぬまで添い遂げる覚悟が必要。 無闇に信じ切るというのは、逆説的でありながらも、ある意味極論ですね。 長嶋作品のなかでは、群を抜いて面白いと思います!(拍手) | ||||
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時間軸が目まぐるしく変わり、物語に深みを与えていく。軽いんだか真面目なんだか解らない登場人物達。ちょうど30代後半になった我々の周りに「いた」、あるいはまだ「いる」人達の物語。バブルを学生時代に体験し、そんな恩恵にあずかったわけでなく、就職しようとするときには、バブルがはじけ、就職難。そんな時代に生きた僕たちに贈られた、中年に差し掛かる手前の物語。ハットする言葉が散りばめられていて、ちょっとだらしない私たちには、最高の物語です。本当に最高な物語なので「Hot-Dog PRESS」なんか読んでいて「試みの地平線」なんかに涙した人は必読です。そんなあなたの物語ですから。 | ||||
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人間はそんなに変わらない。 根底で自分に満足している人間はなおさら。 変えたい部分があり、追い求める結果はある。 一つのことを追いすぎるとほかの事は一切手に入れられないかもしれないし、 何にも興味を示せなければ、手に入れたものの大きさにすら気付けない。 | ||||
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なぜかもてまくる、ということを除けば、恋愛および仕事で転換期を迎えるすべての三十代の男が感情移入しやすい会話と思い出のオンパレード。どう逃げたってある「責任」を追わなければならない年齢に達してしまった、かつての青年たち。 物語ではなくエピソードが時間を無視して想起される書き方と、軽妙な会話が、危ないくらいに気持ちいい。人間関係も自分自身の過去もどうしようもなく「パラレル」で、今の僕とは交差しようがないようなところで、愚直なくらい楽観的に何かを信じることが切ない。 「F1の川井ちゃん」と聞いてはっと気付く人は読むべし。 | ||||
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バツ一男の日常の話。バツ一になるまでの色々とか バツ一になってからの色々とかが、時間を今→昔→今って感じで 交差して(秩序だってはいない)書かれている。 男性からの視点で女性を見て描いているので読んでいて面白かった。 離婚前の妻への「お前が悪い悪い」(実際妻が不倫して いたから悪いのだけど)みたいな気持ちとか女々しさが 男の人っぽいって思った。 ありきたりの日常なのに、これだけ退屈させないように 描けるってすごいって思う。 | ||||
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「ラブとジョブ」が主題、となればどうしても想起する小説がある。 ’80年代のエネルギーが渦巻く村上龍の「テニスボーイの憂鬱」である。 村上は主人公にこんなようなモノローグをさせる。 「誰かを助けることも、誰かに助けられることもできはしない。できるのは ただキラキラと輝くことだけだ」。 それから20年ほどが経ち、知りあいのキャバクラ嬢の結婚式でのスピーチとして、長島有は次のような地声を聴かせる。 「夫婦円満の秘訣は信じることです。信じるとは、なにか疑わしいことがないから信じるのではなくて、ただもう無闇に信じるのです」。 現代日本でもし上品に生きようと思ったら、長島の意見は傾聴すべきだ。上品さとはカッコいい話し方ができることではなく、ベンツはどの車種に限るといった商品情報に秀でていることではなく、ただ無闇に信じることができるというその一点において測られるべきだ。 時代の変化の(評者にとっては)好ましい変化を掬い取った意欲作である。 | ||||
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これは、油断していると大変おもしろくて困りますよ。主人公の七郎は大変善良な感じがするが、長期別居の末離婚し、女に餓えていたりもする。その餓え方が小市民的で、女の自分も共感できる。 なべてこの世はラブとジョブ、というのが七郎の友人津田の言葉として出てくるが、七郎も津田も、少しずつラブともジョブともずれているところがいい。ラブとジョブといいながら、ラブでもジョブでもないライフがそこにあるような。でもそれこそがラブとジョブでもあるような。 あと、北斗の拳とかテトリスとか出てくるので、1970年代生まれの人間は心くすぐられるかも。 | ||||
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女が本音で語りだした時代、ガードが固かった男たちも、ぽつぽつと、語りだしたその奥底、相手のトランプをちょっと見ちゃったようで、「なあ~んだ、同じ物を待っているんだ」という男女のゲームへのテンションが、少し下がった読後感である。不倫して別れたはずの妻が復縁も匂わされるような近距離をうろうろされて、結局は「腐れ縁も縁のうち」というしめかたをしてしまった主人公、昔の男は、こんなに大人ではなかったような気もするが、とも思いつつ、時々、急所を刺されつつ、ところどころ撫であうような、妙に肌の感触のある、今後にさらなる期待を持たせる本だった。 | ||||
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『ジャージの二人』のときは、じんわりくるおかしみより、妻に対する陰にこもった湿った感情が、いやに目について、どうもしっくりこなかったのですが、この『パラレル』は、とてもうまく、いろんな感情が消化されて描かれていると思いました。あるレベル以上の作品は、こちらが望まずともすうっと、作品の世界に引きこんでくれるような感じがします。 長嶋氏の持ち味である、ちょっととぼけたような雰囲気も、作品全体に行き渡っていて、決して明るい話ではないのに、深刻ぶらず、淡々と物事を受け止める主人公・七郎のようすが、丁寧に書き込まれています。友人の津田、元妻、キャバクラ嬢のサオリ、みんな、どこか醒めたような、それでいて人と繋がりたがっている感じ。サオリの孤独も、元妻の孤独も、七郎は感じているようですが、自分からは入り込んでいかないところなんか、七郎という人間をよく表していると思いました。 サオリの堕胎や、後の結婚。嫉妬に狂ったような赤い唇の女など、結構濃い描写もあるのですが、全体として、するするとした印象で、それなのに、人の様々な感情がこんなに伝わってくる作品は珍しいと感じました。 | ||||
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