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(短編集)
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猛スピードで母はの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.95pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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なんだかなあ。ごく日常的な出来事の描写の合間にところどころ少し気の利いた言葉をちりばめると芥川賞が獲れるのかと思ってしまった。じっさいにはそんなに簡単ではないことだが、それでもこの本を読んでいると芥川賞の立ち位置に疑問がわいてしまう。 気の利いた言葉が書けるのは、新しい視点、めずらしい視点がなければならない。それがあれば、読者を感心させる言葉を書くことができる。うらやましいことだと思う。だが、それだけか? とも思ってしまう。気の利いた言葉は言わばトッピングだ。作品のテーマとさほど関係がなかったりもする。読者は気の利いた言葉に感心するだけで満足するかもしれない。しかし、作品の根幹にかかわるテーマということになると、どうもそれだけでは物足りないのだ。 収録されている「サイドカーに犬」も「猛スピードで母は」も面白いとは思うが、面白い以上の意義が把握しづらい。これは当方の読解力が不足しているせいだろうか。もっと分析眼を持っていれば、この二つの作品に深遠なテーマ性を見いだせるのかもしれないが、小生は残念ながらそんな分析眼を持ち合わせていない。どうも食い足りなく感じてしまう。 もちろん、ごく日常といっても、主人公の置かれた立場や出来事はけっしてごく平凡な日常的なものではないし、その物珍しさで惹きつけるようなところもあるが、それって、奇をてらうのとおなじことではないのだろうか。それは言わば、ドラマトゥルギーではなくセンセーションということになりはしないか。つまり、小説としての要件で成立している作品ではなく、単にショッカーで売っているということになるのではないか。 それに、みじかいわりには夾雑物が少なくないように感じられる。テーマにかかわらない、どうでもいいことを重要な要素のように扱っているように見えるし、主人公の内面性や置かれた立場を象徴するためのものだと言われれば納得せざるを得ないが、それでも小説の醍醐味や面白さとは別次元のものとしか思えない。若いころ、ジッドなど西欧の古典に馴染んでいた身としては、どうも疑問符が頭のなかにわいてしまう。 とはいえ、けっして駄作ではない。読む価値はそれなりにあると思う。しかし、人間心理の掘り下げが一定の深さで止まってしまい、それ以上深みに行けないという印象もある。換言すれば、行間を読ませる作品という高評価も成り立つだろうが、行間そのものが薄膜の向こうにしか見えないのである。 | ||||
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とても面白かった。 いずれも思いきりのいい男勝りの女性がモチーフになっている。こういう女性は嫌いではないが、私自身は嫌われてしまう。私が女々しいからだろう。 個人的には「サイドカーに犬」のほうが、あっからかんとして楽しめた。 ふざけたようなタイトルだが、いずれにしても心理の表れが、具体的な言動などに的確に表れていて、とても優れていると感じた。 機会があれば別の作品も手に取ってみたい。(120430) | ||||
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テーマはいいのかも知れないが、芥川賞はあくまで小説の賞のはずでしょう。 1行2行手前から、展開どころか言葉づかいまでもあらかた見当がついてしまいそうなありきたり随筆的断片寄せ集めのどこが芥川小説だろう。 観察の目は必須だが、それを随所にただペタペタただ貼り付けるだけならないほうがテンポが速くていい。著者の観察を生で出してしまっては小説から遠のく一方だ。 しかもその観察に独自の鋭さ深さがない。ビラビラ貼り付けてあるのが吹けば飛ぶ透けすけ薄紙片ばかりでは邪魔でしかない。 「つい最近こんなことがあった」式の付け足し書きにいたっては、手練れ作家のやっつけ仕事であってさえ鼻白むのに、新人の手抜き作業としてはひたすらうすら寒い。加えて主人公とそのフィアンセが作り物臭プンプンときては悲惨と言いたい。 書いていていちばん楽しくあるべき著者本人がひょっとしたら誰よりもいちばんつまらなく且つ辛い絶望的な思いをしたのではないか。意図も狙いも逐一透けて見えるだけに、その呻吟ぶりばかりが胸をうってみじめにも気の毒なばかりだ。 たった一か所、さてこそと思いかけた部分があった。 ――― 「若いときは、こんなふうに可能性がね…」母はだんだん両手の間隔を狭めながら「それが、こんなふうにどんどん狭まってくる」とつづけた。 「なんで」 「なんででも」 ――― 「なんででも」ときて少しは芥川賞らしくなったかと思ったのもつかの間、直後、「母が珍しく口にした教訓めいた物言いよりも、その手を広げた動作の方が印象に残った。」ではまたもスクラップだ。稚拙な解説調もさることながら、自分を裏切ってまで気取ってしまっては何のために書くのかわからんだろうに。まあそれが筆の抑えとかタンタントだとか単純に思い込んでいるのだろうが、お話になりません。 以上、中ほどの「アイス食べようか」までで読みやめたから、あとは知らない。 このセリフも、芽のない素人作家の十人が十人やりそうなゴミだ。これ1つで読む気が吹っ飛ぶ。場面展開と密接有意の関わりも緊張もない水増し野次馬ゼリフは、一人前の作家なら1行1字とて避けるところだ。 蛇足の一言: 練習不足文章がいたるところで目にさわる。 | ||||
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無色透明な主人公という鏡に映し出される、個性的な母の姿。狙いは分かるのだけど、自分には退屈に感じられた。特に何が起こるわけでもない淡々とした日々の生活に、余り魅力を感じなかったのだ。敢えて現実社会の残酷さや毒といったものを排除した書き方に共感が持てない。やはり、芥川賞というからには、自分の心に潜む暗い毒のようなものを片鱗でもいいので、作品に埋め込んで欲しかった。まあ、それは最終的には好みの問題だが。 | ||||
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「サイドカーに犬」「猛スピードで母は」、どちらも子供の視点から、夫婦崩壊後の父や母を描いた作品。 子供のいたいけな気持ちとは裏腹に、大人は身勝手である。 現代社会にはいくらでもある、こうした家庭。子供に罪はないのになぁ〜と思わざるを得ない。 それにしても、小品ながら、なぜか読むのに時間がかかった。正直、文章は退屈であり、表現力もいまひとつ。きらりと光るものもなし。 これで芥川賞なんだぁ〜、。 | ||||
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何にも中味がない。風雅や洗練さ、緊迫性を好む読者は、極力排除したいらしい「文壇」のお歴々は、…。これは明らかに、純文学ではなく、中間小説か児童文学に仕分けされるべき物だろう。 子供向けの子供目線の小説であり、大人がどういう代物ではない。 どうしてかくしたレベルのものに、「芥川」の名前を冠したがるのか? 文学は芸術ではないのか? 芸術文学は何処に行けばいいのか。 正直言わしてもらうと、綿矢りさ、金原ひとみのほうが、数段上だと思いました。 文学をだめにした人間を、心のそこから憎む! | ||||
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特に印象にのこる強烈なシーンも無く、あっさりと読めてしまいます。話の展開もすっきりしているので、重たい長編や推理小説のあとに読むとホッとすると思います。かくいう私がそうでした。 私的にはタイトルの作品よりも、同時収録の「サイドカーに犬を」が好みでした。 | ||||
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