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朝ごとに死におくべし 葉隠物語



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【この小説が収録されている参考書籍】
朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)

朝ごとに死におくべし 葉隠物語の評価: 4.50/5点 レビュー 4件。 -ランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.50pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全4件 1~4 1/1ページ
No.4:
(3pt)

「葉隠」がテーマだが、小説ではない。

よく確認せずに買ってしまったが、時代小説ではなかった。「武士道と云うは、死ぬこととみつけたり」 が余りにも有名な「葉隠」ではあるが、その基になった逸話が23話に亙って述べられているものである。従って「葉隠」とは何かを知りたい向きにはいい作品かもしれない。
ただ「葉隠」の考え方が安部龍太郎の基礎にあるのならば、そして他の作品(物語)において武士の凄烈な生き様が描かれているのならば面白いかもしれない。
朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)Amazon書評・レビュー:朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)より
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No.3:
(5pt)

組織の理不尽・困難が小さく感じられます

主君のために、国のために、ここまで身を捧げられるのかと。
目を見張りながら読み進めていました。

そこには「自己犠牲を払っている」という痛ましさはなく、
組織の中で強くしなやかに生きるためのヒントがあるような気がしました。

ー死身になってこそ、より良く生きる道も開けてくる。

毎日「命は今日までだ」と思うことで、日々「命」を感じることができる。
そんなことに気付かせてくれました。
朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)Amazon書評・レビュー:朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)より
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No.2:
(5pt)

この著書は最高です、がすでに日経文芸文庫版で購入済みで既読でした。残念でした。

序章から解説まで全く同じ、しかし再読の機会を与えて頂きました.
朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)Amazon書評・レビュー:朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)より
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No.1:
(5pt)

安部龍太郎「朝ごとに死におくべし 葉隠物語」と三島由紀夫「葉隠入門」を読み比べて考えたこと

「葉隠」に触れることを、私はずっと敬遠してきた。それは、三島由紀夫が称賛していたからであり、三島の自決を思い浮かべて、死を称揚する、何か凄惨な武士道を語っている書物を想像していたからである。そのような武士道は、私の生き方に無縁なものと感じていた。

今秋、角川文庫から復刊された安部龍太郎の「朝ごとに死におくべし 葉隠物語」(正確には、2014年4月に日経文芸文庫より刊行された「葉隠物語」を、加筆・修正のうえ改題したもの)を手に取ることで、私は初めて「葉隠」の世界に少し触れた。そこで、折角の機会であるから、三島由紀夫の「葉隠入門」(新潮文庫)も併せて読んでみた。

三島の「葉隠入門」を読むと、三島が「葉隠」を通じて、戦国時代から江戸時代という時代の移り変わりと、戦中から戦後という時代の移り変わりを、重ねてみていたのではないか、という気がしてくる。どちらの移り変わりも、死が当たり前にあった時代から、生き延びることが優先される時代になり、死が忘却されることになった。だからこそ、死という劇薬を調合する「葉隠」は、当時にあっても反時代的であったし、生しか選択できない、自由のない戦後という時代においては、逆説的に、死という自由を与える書物に思えた。三島にとって「葉隠」は、「それが非常に流行し、かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえってわたしの中で光を放ち出した」のである。

また、戦国時代から江戸時代へ、あるいは戦中から戦後へと、時代が移り変わることにより、武士道の時代から、芸能やテクノクラシーの時代となったが、三島は、「葉隠」は「芸能」というものを侮蔑している、とする。三島にとって、「葉隠」は、自らが携わる文学という「芸能」を否定し、行動倫理、行動のあり方を考えさせる書物であった。そして、三島は、このような問いを投げかける。「さて死がやってきたとき、行動家と芸術家にとって、どちらが完成感が強烈であろうか?私は想像するのに、ただ一点を添加することによって瞬時にその世界を完成する(行動家の)死のほうが、ずっと完成感は強烈ではあるまいか?」。

つまり、戦後という、大義のために死ねない時代にあって、死を伴う何がしかの行動をすることこそが、自由であり、完成感が強烈な人生ではあるまいかと、三島は「葉隠」を通じて自省しているように読めるのである。

しかし、安部龍太郎の小説を読むと、三島を読んだときとは全く異なる、「葉隠」についての印象を抱く。まず、死ぬことそのものが目的ではなく、「死身になって、生きる」ことの重要性が語られているように思う。それは第9話に描かれた、中野神右衛門晴明(「葉隠」の著者である山本常朝の祖父にあたる)の生き方であるし、第13話に描かれた、島原の乱後に、鍋島家臣団が幕府にとった態度に明らかである。死身になるからこそ、筋の通った、真っ直ぐな生き方ができる。「葉隠」は、死を説いた書物ではなく、生を説いた書物ではないのか。

また、三島が「行動家か、芸術家か」という対立軸として捉えたのに対して、安部龍太郎の小説では、「葉隠」の著者である山本常朝が、主君の古今伝授のために、古今和歌集の千百十一首を全て誦んじていたことを描いている。また赤穂城主の浅野内匠頭を、故実に暗かったゆえ、家の断絶を招いたとしている。「行動家か、芸術家か」という対立軸ではなく、武断の政治から文治の時代に移りかわるにあたり、生き延びるためには、必死になって「芸能」の世界に習熟しなければならない。「葉隠」の作者は、本当に「芸能」を侮蔑していたのだろうか。

安部龍太郎と三島由紀夫を読み比べることで、両者の隔りの大きさを感じ、「葉隠」の原典に当たりたくなった。そして、安部龍太郎の作品の魅力は、もっと大きい。鍋島家が、戦国時代から、豊臣政権、徳川政権に移行するなかで、いかに筋を通して生き残ってきたのか、「葉隠」の断片をもとに、達意の読みやすい文章で、長い大河ドラマを見事に描ききっている。そして鍋島武士の人柄と精神を、颯爽と描いている。評価は「最優秀の作品」の☆5つとした。これは私の書いた34番目のレビューである。2021年11月20日読了。
朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)Amazon書評・レビュー:朝ごとに死におくべし 葉隠物語 (角川文庫)より
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