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白が5なら、黒は3



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【この小説が収録されている参考書籍】
白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)

白が5なら、黒は3の評価: 4.25/5点 レビュー 4件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.25pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全4件 1~4 1/1ページ
No.4:
(4pt)

しゃべり方の違いが邦訳では分からない?

まず邦題が少々分かりにくい。原題は「5分の3」であり、解説によれば「この数字は一七八九年のアメリカ合衆国憲法において、黒人奴隷に与えられた人間としての尺度である(p239)」そうだ。物語の舞台は1995年だが、その時点でも黒人の「人間性」は「5分の3」しか認められていない、という意味を込めたタイトルなのだろう。したがって本書ではその人物が黒人か、それともそうでないかが重要なのだが、その描写が非常に少ない、と感じる。そう感じるのはおそらく邦訳されたためだろう。たとえばボビーがアーロンに向かって「それはそうと、何だよ、そのしゃべり方」と注意する場面がある(p136)。この台詞が発される前提に「白人と黒人ではしゃべり方が違う」という事実があると推測できるし、本書ではおそらくしゃべり方によってその人物が黒人か否かが明確に描き分けられているのだろう。しかしその違いが日本語訳になると平坦化してしまう。訳者は区別しているのかもしれないのだが、それは読者には伝わりにくいのだ。もちろんそれは翻訳の問題だ。物語としては絶望感に彩られ、どこにも出口のない息苦しさに満ちている。
白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)Amazon書評・レビュー:白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)より
4150019649
No.3:
(5pt)

話は1995年だが、ここに登場した人々は、2021年の現代に生きて生活している。

テンポのよい流れで、気持ちよく読めた。翻訳もよかったし、題材も理解できる。ただし、内容は暗くて希望の持てるものではない。筋書きとしては私の好みではなかったが、読んでよかったと思っている。書評が褒めていただけのことはある。

 舞台は、1995年のピッツバーグで、ちょうどアメリカンフットボールの往年のスター、O・J・シンプソンの裁判が背景にあるが、人種差別を強調するという意味だけで、特にこの物語の筋書きに影響与えるものではない。主人公は、白人のふりをした、黒人の血が流れている青年で、そのことを知られるのを恐れて生活している。気持ちの優しい男で、気はいいが自堕落な母親と一緒に生活している。

 そんなところに、出所してきた幼馴染と出会い、その男の暴力的な生き様に巻き込まれ、彼の貧しいが常識的な人生はメチャメチャになってしまう。白人による黒人への人種差別を主題にしてはいるが、それだけではないアメリカの複雑さを見た思いだ。1995年を舞台にしてはいるが、2021年の今は、どうなんだろう、とも思った。一方で、青年とその母親を取り巻く人々、特に母親の男友達や、青年が働くカフェでアルバイトをしている黒人女性の描き方に好感を持った。こういう人たちを登場させたところに、作者は将来の希望を見捨ててはいない、と思い、それが現在の2021につながっているのだろうかと思った。良い読み物だった。
白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)Amazon書評・レビュー:白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)より
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No.2:
(5pt)

時代を超えてずっと残る本になってほしい力作

トランプ政権の終焉とともに世界の表面にシミのように浮き出てきた<人種差別>。白人警察官による黒人青年の殴殺とそれに抗議するデモへの暴力による弾圧、それを扇動する大統領。世界は狂っている。でもそれは今急に始まったことではなく、アメリカが、世界が抱えてきて隠してきたものが、表面に浮き出して可視化してきただけのことだ。

 人種間ヘイトはどの国でも存在する。これは人間が持つ特性なのだ、と言うしかないのかもしれない。でもだからこそ人間は一方でヘイトへの憎悪を覚える。やさしさと愛情に包まれて人種間の壁を越えることができる。だがゼロにはできない。

 本書はそうした世界でのヘイトの真実を炙り出す作品である。人種差別というテーマを追求する直球勝負の物語である。人間の愚かさ。ヘイトゆえに陥ってゆく狂喜と暴力。秩序の否定。解体する人間関係。境界線の向こうとこちら。

 1995年3月の三日間を描いた家族と友の物語だ。否、家族や友を破壊する悪について。人種間ヘイトについて。物語の軸となるのは肌は白いが黒人の血が入っているとある年齢で知った青年ボギー。

 ある日ボギーのもとを三年の懲役を終えた親友アーロンが訪ねてくる。彼がその夜に犯す暴力事件によってすべてが崩れ始める。彼を育てる白人の母イザベル。離婚の危機に直面する黒人医師ロバート。白人たちの中にまぎれて黒人の血を隠すボギーと相談相手ミシェル。

 すべてのアンバランスで危険な要素が、アーロンの起こした暴力沙汰により一気に動き出す。悲しきファミリー・ゲーム。白人と黒人の混在する灰色の街。世界が圧縮されたような三日間を、耐えることのない張りつめた空気の中で描き切る傑作クライム小説の登場である。

 ちなみに本作翻訳は『弁護士ダニエル・ローリンズ』の訳者である関麻衣子さん。どちらも社会問題を浮き彫りにした骨太の物語。良い作品を連続して手掛けています。グッドジョブ!
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4150019649
No.1:
(3pt)

囚われる米国、ストリート

「白が5なら、黒は3 "Three Fifths"」(ジョン・ヴァーチャー ハヤカワ・ミステリ)を読み終えました。
 1995年。ビル・クリントンの時代。舞台は、ピッツバーグ。背景にはLA騒動、「O.J.シンプソン事件」といった人種間の対立が蠢いています。その点、現在の米国と何も変わらないと言ってもいい。クライム・ノヴェルというより普通小説に近い味わいを持っています。
 黒人の父親と白人の母親との間に生まれたボビー。彼は、黒人の血を偽っています。親友のアーロンが刑務所から出所し、ボビーが迎えにいきますが、ある酒場で二人はある諍いに巻き込まれ<事件>を引き起こしてしまいます。人種差別、ヘイト・クライム、白人至上主義、アルコール依存、薬物依存が引き起こす機能不全。そして、貧しさ。ボビーとボビーの母親との共依存。そこに<事件>の被害者が担ぎ込まれた病院の医師・ロバートの人生が注ぎ込まれ、物語を暗く、重く彩ります。<事件>がどう露見することになるのか?主要な4人の登場人物たちの行末はどうなるのか?ミステリ的な興味はそこにありますが、登場人物たちは行き着くところ自分の中に流れる「血」によって人生を左右され、苦悩を与えられ、生み出された心の闇の中で繰り返し煩悶していくことになります。既にこの世に産み落とされた時から背負うことになる苦悩と葛藤。それは、とても苦しい。短絡的な言い方になるかもしれませんが、それが建国当時から今でも「米国」に継承される決して回復することがない<病>を表しているのでしょう。2021年になってから読んだ小説の中、「ラスト・トライアル」、「刑事失格」などとも共通する根深い闇の中に米国は囚われたままそこに存在しています。華やかなハリウッド、活力あるスポーツ・シーンという米国の影に入り組んだストリートがあって、そのストリートへの理解なしにリアリティを語ることはできないのだと思います。
 網羅的に翻訳ミステリを読み続けていますが、今回はとても苦しい読書になりました。
白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)Amazon書評・レビュー:白が5なら、黒は3 (ハヤカワ・ミステリ)より
4150019649

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