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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全356件 141~160 8/18ページ
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他の訳者さんの本を当初読んでいたのですが、とても読み辛くて断念しそうになりましたが、この本に変えたところ、読みやすかったです。 訳者さんによって、すごく変わることを経験しました。 | ||||
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今再読しました。 自分を強者だと思っていた青年が実は虱だったと思い詰めてもんどりうつ、大変重いお話です。 ナポレオン云々の哲学が語られてとっつきにくい印象ですが、ただ話としては主人公が自分で語っているように傲慢で短気な主人公が狭い部屋で妄想を繰り返して「つむじを曲げ」、それが嫌になってめんどくさくなって、一思いにやらかした、、、この作品には妙に身近なリアリティもあります。 作品を通じて雰囲気はあまりに重苦しいですが、それでも僕は登場人物の多くが正直で人を愛する心を持っているこの作品が大好きです。 主人公の周りを飛び回っている学友に、健気な妹、どこまでも人に寄り添う小柄な少女。陰鬱な主人公にしても真摯で心優しいからこそ地獄に落ちました。 主人公が金欲しさに殺人までしたのに有り金を全部未亡人に渡す場面とかは何気に感動します。 読むのはなかなかしんどいですが、エンディングではそれに報いる感動があります。 だれかが青春小説と言っていましたが、その通りだと思います。 | ||||
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なかなかよろしいですね。普通の枕とはちょっと違う感じ。 この本を読んで何か思想的なものを見つけようと思ってる人はahoです。 壮大な、ただの、頭がおかしくなった ラスコーリニコフの、物語です。 | ||||
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壮大な、いろんなものが集結した、ラスコーリニコフの一時期の物語 としてもれば面白いです。でもそれだけです。思想的なものは一切ない気がします。 題名で何か高尚なこと、が生まるとか、書かれてるとか、そんなのありません ただの刑務所にいくまでのストーリーさ。女に心が打たれた?ahoか | ||||
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学生時代に初めて読みましたが、とてもショックを受けたのを覚えています。 その頃ちょうど精神が不安定だったこともあり、自分が犯罪者になったかのように落ち込みながら読みました。 ですが同時にゾクゾクするような、精神の深いところ、内部から今まで感じたことのないようなエネルギーが盛り上がる感覚があったことも記憶しています。 踏み越えるということ。 殺人という世間では許されない行為でソレを表現していますが、僕が実際踏み越えること、抜け出すことを覚えたのはこの本がきっかけでした。 | ||||
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僕は21歳ですが、この年から「小説」を読み始めました。(笑) ふいに興味を持ったのです。まずは夏目漱石の「こころ」。次にシェイクスピアの「ヴェニスの商人」そして、3作目がこの「罪と罰」でしたが、ほかの方も仰ってる通り、読み慣れるのに時間がかかる。 内容がとてもおもしろいので挫折はしなかったが、そうなりかけた。(笑) 結局上、下読むのに丸1月かかった。 主人公の「ラスコーリニコフ」は、「ロージャ」「ロジオン・ロマーヌイチ」と様々な名前で呼ばれます。 覚えてしまえばそれまでなんですが、「ロージャ」だけじゃなく、ほかの登場人物たちも多くの、所謂「別の呼び名」があるのでこんがらがると思います。 まだ小説3作目の僕にはハードルが高かった。(笑) ですが読み終わった後の一種の達成感は他では味わえないです。 作品についてですが、殺人を犯したラスコーリニコフの葛藤がメインです。 ナポレオンなどの、かの英雄たちは革命のためには「殺人」もその過程として成し遂げてきたが、世の改革には必要だったとむしろ肯定されている(本書では「肯定されている」とまでは言及はされていないが、少なくともラスコーリニコフはそう思っていると思う)なかで、ロージャは殺人を犯してしまったという「負」の気持ちを、さきほどの英雄論をもとに「正」の気持ちに置き換え、「殺人」という大罪を自分の中で肯定している。 しかし、ロジオン・ロマーヌイチは英雄論をもとに殺人を肯定していても、肯定しきれず、罪を犯した意識に苦しむ。 革命のための第一歩である「殺人」に苦しむ、そんな自分に苦しむのである。 先代の英雄ナポレオンは革命の過程である「殺人」に苦しまず(実際には苦しんだかもしれないが)革命を成し遂げたのに、自分はその過程でさえも完遂できない。と苦しむのである。 畢竟、シベリアに流刑されるがその時でさえも、「殺人」に罪の意識は無く、革命の過程「殺人」、その第一歩に堪えきれなかった自分自身を罰するために自首をしたと言っている。 ここまでの文からわかるように、ロージャはナポレオンと同種の「革命をする側」の人間だと思っている。(実際にはナポレオンがしたほどの革命ではないにせよ、ラスコーリニコフの中では大きな革命なのだ) だいぶおおざっぱに物語の根っこの部分を考察してみたが、読む人それぞれによって変わると思う。あるレビューでは愛の物語と言っていたし、犯罪小説だと言っている人もいた。 ここまで、読み終えた後の興奮が冷めず、レビューにだらだらと書き続けてきたが、文にしないと自分の気持ちが自分でもよくわからない性質なので、レビュー(感想文)のようになってしまった。 ちなみに自分はロージャを除くと、ポルフィーリィが一番魅力的でした。 | ||||
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Kindleで購入。 訳は読みやすいです。 巻末の解説もなかなか役に立ちます。 53年間読まずに生きてきてしまったことを反省。 | ||||
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多分ドストエフスキー自身が崖っぷちの人生を送ってきたからこそ書ける緊迫感なのだろう。 すごいです。 カラマーゾフの兄弟に比べると、人物相関も比較的シンプルなので読みやすいと思いますよ。 カラマーゾフと迷ったら、まずこちらから攻めましょう。 | ||||
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登場人物の個性が非常に強く、各それぞれが己の意志、また神の御心に従って生きている姿が印象的であった。また背景描写でも、その独特の文体から、油を塗りたくられたかのような、とても強烈な感覚に至るものであった。ラスコーリニコフの英雄論では現代または歴史を紐解いて行く中で必ず当てはまる瞬間があるなど、社会の中で生きる事の本質が現れていた。また、良心に悩まされるラスコーリニコフから、人間として生きる事の本質が見える。 またルージンの、感謝を道具にしてしまう姿や、ラスコーリニコフへの間接的な復讐には卑劣さがより明確に描写されていて、彼の本質がラスコーリニコフとは決して相入れる事のないものを表していた。 他にも多くの登場人物が出てくるが、この作品を読む事は必ず自分への変化をもたらすだろう。 | ||||
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この岩波文庫の『罪と罰』は上中下巻とあるわけですが、殊にこの上巻において、翻訳で使用されている言葉は極めて簡素で修辞を凝らしたようなものではありませんが、醜悪なる人間の本性が克明且つ生々しく描かれています。この写実性の根拠が作者自身のギャンブル癖やこの作品の出筆当時の作者の閉塞した状況、特に女性関係などが凄まじかった事などに依るということは云わずとも伝わってきます。 人間に都合の良いように解釈された民間信仰的キリスト教が根付いた当時のロシア社会とそこに住む人々のの腐敗と堕落、これを象徴するかのようなマルメラードフの告白(ある意味では信仰告白?)やロージャの思考の経過は読んでいて胸糞悪くなるとはまさにこのことか、と感じるほどの嫌悪感を感じましたが、果たして我々がこの小説の登場人物を責めることが出来るか、それは否としか言えません。この小説の恐るべきところは、徐々に読み手に自身の内的洞察を与える力を持っているというところです。この本を読む時、我々は自信が否が応でも認めたくない、あるいは気づいていなかった精神の奥深くに巣食う独善性、則ち「罪」が見えてくることでしょう。 | ||||
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とても素晴らしいでした。 aWeSome.really nice | ||||
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この中間に当たる部分で、ラスコーリニコフとソーニャの会話が、ラザロの復活をテーマに語られるあまりにも有名なシーンが描かれている。 ソーニャは「罪深い女」であるかも知れないが、心があまりにも清らかである。 ソーニャはあたかも「マグダラのマリア」のように、ラスコーリニコフを愛する。 ラスコーリニコフはそんなソーニャの足下にひざまずく。 「僕は全人類の苦悩の前にひざまずいたのだ」 と述べるラスコーリニコフ。 ソーニャに聖書から「ラザロの復活」を読んでもらうシーンは意味深長である ラスコーリニコフは果たして「復活」できるのだろうか? | ||||
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[編集][削除] 今月の初め、古稀を目の前にしてドストエフスキーの傑作《 罪と罰 》を完読した。わたしにこのような意欲と集中力をいまだに授けていて下さる神に感謝したい。 多くの人が知りながら、なかなか手のつけられない大部の小説で、文庫本にして1200頁程ある。《 罪と罰 》というとなにやら難解で哲学的な内容のとっつきにくい小説と思われているが、読み始めてみるとさにあらず何と流麗で読みやすいことかと驚かされる。今読んでもちっとも古くないし現代小説を読んでいるのと同じという感想を持たせる。 物語の舞台は19世紀中ごろの古都サンクトペテルブルク。その夏の二週間程の間の出来事である。元大学生ラスコーリニコフは薄汚く天井の低い狭い屋根裏部屋に下宿していた。彼は頭脳明晰ではあるが鬱屈したニヒルな性格の持ち主である。貧窮していて質入れのため弊衣破帽のまま外出する。都とはいっても当時は悪臭漂う家々が連なりいかがわしい店もあった。彼がふと入った酒場で質入れして入手したなけなしの金で飲んでいると元官吏の男と出くわした。彼から後妻と三人の子供、それに家計を助けるため娼婦となっているソーニャの話を聞かされる。ここがその後の物語の展開にかかわる重要な場面となる。ラスコーリニコフはかねてから強欲で虫けら同然とみなす質屋の老婆を殺害することを企てていた。ちょうどいい計らい時が訪れたと断じ、彼は老婆とそして予期に反して居合せたその義妹を殺害してしまう。首尾よく逃げおうせたものの、それからは良心の呵責といつか司直の手に落ちるのではないかと戦々恐々とする。いわば生き地獄の様な心理状態である。 わたしは長々とストーリーを追うつもりはない。核心となる重要なポイントが掴めれば幸いであると思っている。 ある夜更け、街角でくだんの元官吏、ソーニャの父が事故で死にそうになる場面に彼は偶然居合わせる。家に運ばれるが助からない。ラスコーリニコフは母が送金してくれた金を葬儀代にとすべて未亡人に与えてしまう。そういう優しい面も彼は持ち合わせているのだ。 同じ頃、彼の母と妹が上京して投宿していた。ラスコーリニコフは殺人事件以来、精神病やみの様になっていた。それを彼の友人たちが懸命に支えた。それと妹と婚約していた卑劣な俗物弁護士の横柄さに婚約は解消された。 またラスコーリニコフを老婆殺しと嫌疑をかける予審判事の三度にわたる追及は鬼気迫るものがある。その根拠としているのが彼が以前ものした論文でそれに予審判事はこだわる。ここがこの小説の核心部分となるのかもしれない。その論文の論旨は『一つの悪事は百の善行によって償われる』、つまり正義のためには凡人は殺しても構わないとした彼のある意味独創的ではあるが選民思想的な傲慢極まる論理に依拠する。 これら何れの場面もいつ果てることもなく延々と叙述されるのである。これもこの小説の特徴の一つである。 ここで一つ不満を述べさせてもらいたい。ソーニャがラスコーリニコフに所望されて聖書を読んで聞かせるところは感動的であるが、いわば彼にとって聖母マリアにも相当する彼女の描写がそれほど多くないことである。ラスコーリニコフが初めて罪を告白したのはソーニャへであり、彼に自首を促すなど重要な役目を果たしたのも彼女である。 エピローグでシベリアに流刑されたラスコーリニコフについて行き身の回りの世話をするのは彼女である。互いに手を取り合って残る刑期を指折り数えて待つ彼らの姿は美しい | ||||
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本作で最も印象的な登場人物は?と聞かれたら多くの人が 独特のニヒリズムを持つ謎の男、スヴィドリガイロフと答えるでしょう。 悪役でありながら後半は主人公の一人と言っても過言ではありません。 よほどの観察力や人生経験が無いとこのようなキャラは生み出せないでしょう・・・ | ||||
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やっと読み終わった。これ1冊読むのに、新書だったら5.6冊読めていたんじゃないだろうか。下巻にもなると文体にも少し慣れてくる。 きっとこの経験が、今後の読書の糧になることを切に望みます。 (本書を読んだ後に別の本を読むと、ページが進む進む) 本書が19世紀中ごろに上梓されたと知って、「なるほど、それは世界の名作に受け継がれ続けるわけだ」と確認した(しないと、この苦労を昇華できなかった。苦笑)ロシアの荒廃した街の雰囲気、登場人物たちの思想、行動など、当時の様子がありありとわかるのも歴史的価値が高い。 さらに、ドストエフスキーで一番評価されているのが彼の“リアリズム”。読む前は予想できなかったけれど、確かに彼の描く、人間の内実をえぐりだすような表現の“リアリズム”は、現代でも体現できる小説家は少ないんじゃないだろうか。さらに、その表現方法が当時(19世紀中ごろ)に行われていることにも驚いた。畢竟、ラスコーリニコフは自首するんだけれど、その過程や、殺人を犯したときの自己内省は、現代でも難しそうな心境を可能な限りに書ききっているのには迫力があった。 あと、『カラマーゾフの兄弟』(全3巻)が待っている修業は続く。 ───「ぼくたちは別々な人間だねぇ、ソーニャ、ぼくはいまになってはじめて、いまやっとわかったんだよ、昨日きみをどこへ連れて行こうとしたのか?昨日、きみを誘ったときは、まだ自分でもどこへ行くのかわからなかった。きみに見すてられたくない、ただその一心できみを誘い、ただその一心でここへ来たんだ。ぼくを見すてないね、ソーニャ?」(p.246) 著者:ドストエフスキー 発行:S62.6.5 – H5.2.25 14刷 読了:2015年/116冊(10月/01冊)★3.8 | ||||
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文学に疎い人でも十分楽しめるので、とやかく言わず読むと良い。 しかもそれが文学史上、名作中の名作なのだから、読まずしてどうするのか。 著作を完璧に読み込もうとするならば書かれた時代の歴史情勢や信仰の理解は欠かせないが、その知識はヨーロッパの歴史を理解する上である意味普遍的でもあるため、ヨーロッパの歴史を学ぶきっかけをくれる作品でもあると思う。 繰り返すようだが、それら知識がなくても十二分に楽しめる。 ちなみに、ドストエフスキーの作品を読んでしまうと他の作品に手をつけるのが億劫になる。 結局私も後期5大長編をすべて読んでしまった。 | ||||
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ほんは分厚くながいですが、初めての世界名作です。 とてもいい作品でした。 | ||||
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主人公のラスコーリニコフが殺人を犯したのがわかり読んでてハラハラしました。 ロシアの法律は厳しいとの認識をしていましたが、おかしな行動をとる主人公から目が離せなくなりラズ―ミヒンやゾシーモフが本気で心配しているにもかかわらず相も変わらずふてぶてしいラスコーリニコフに感情移入ができました。 でもやはり最初が知りたくて上巻から読みたかったですね。 | ||||
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(ありがとうございます。 畏れ多いですが微細でも参考になればうれしいです。 ) 青春の若き日の悩みは、果て無い。 この書は、それを癒してくれる書物の内の一冊(「ジャン・クリストフ」や「学生に与う」などと共に。 )。 青年の心の成長を描く教養小説であり、殺人事件を解明していく推理小説であり、殺人者と娼婦の恋愛小説である。 傷ついている限界状況人たちの霊的リアリズムを描く深層心理小説である。 | ||||
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この小説ほど、読んでいて頭に映像が浮かんだものはかつてなかった。 映画のように読みながら頭の中を駆け巡り、そして感動のラストへ。 今の日本の閉塞的な若者も読んでみたらいいかも。 何か得るものはあると思う。 | ||||
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