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罪と罰



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罪と罰の評価: 4.34/5点 レビュー 425件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.34pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全356件 121~140 7/18ページ
No.236:
(5pt)

いきること

ヨーロッパの文学は香り高い。
美しい。
とあらためて感じます。

生きることは
罪の闇の中を
這い
苦しみに
のたうつこと。
強い風の中
罰に身もだえる。

いきるということの
現実を
ありありと感じます。

闇はそれに勝たなかった。

それは真実。

いきることの真実が迫る
文学作品ですね。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.235:
(5pt)

最高傑作

主人公の心情の変化が、上下巻を通して、読み手にまで胸の高まりや陰鬱となって伝わってきました。過去人生で読んだ中で最高の一冊でした。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.234:
(5pt)

ゆっくりと追い詰められていく

ラスコーリニコフは、自分かルージンか、二つに一つと妹・ドゥーニャに迫る。一方、ドゥーニャの結婚の決意も固い。
 ソーニャは未成年だが、少女ともいえるほど幼い。美人でもない。ソーニャは、父・マルメラードフの死に際して金銭援助をしてくれたラスコーリニコフを葬儀に誘う。
 ポリフィーリイはなんとなくラスコーリニコフを疑っているらしい。ラズミーヒンはこれに憤慨する。
 ドゥーニャがかつて家庭教師として住み込んでいた地元の地主であるスヴィドリガイノフもドゥーニャを狙う。彼もペテルブルグにやってくる。スヴィドリガイノフは好色であり、ルージンとドゥーニャの結婚を阻止したい。スヴィドリガイノフの妻は最近死んだ(スヴィドリガイノフによる他殺の疑いあり)。
 ドゥーニャはルージンとラスコーリニコフに仲直りして欲しい。ルージンは婚約者と兄を同列に扱うことに不満を示す。この失言でドゥーニャもカッとなる。ルージンは徐々に高慢さを示すようになり、母もルージンに反感を抱く。結局、婚約破棄となる。
 ルージンとしてはドゥーニャは惜しい。コツコツと金をためて、貧乏で若くて美しくおびえやすいドゥーニャのような女性をかしずかせることが長年の夢だった。自信満々だっただけにドゥーニャの抵抗は予想外。
 このいきさつには満足だったが、ラスコーリニコフはソーニャに「きみしかいない」「呪われた者同士」と語りかける。ラスコーリニコフは、自分にはソーニャが必要だという確信がある。ソーニャには理解できないが、彼女にもラスコーリニコフが限りなく不幸であることはわかる。
 ポリフィーリイは、ラスコーリニコフを訪ね、やんわりと語りかける。ラスコーリニコフは、からかうような真似をするくらいなら家宅捜査をしてくれと激高。ポリフィーリイは、明らかにラスコーリニコフを疑い、ラスコーリニコフは不必要に動揺する。しかし、庭番がなぜかアリョーナ殺しを自白するなど事態はまだまだ錯綜する。
罪と罰〈中〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈中〉 (岩波文庫)より
4003261364
No.233:
(5pt)

苦境から抜け出すために敢えて罪を犯す

ラスコーリニコフはペテルブルグの貧乏学生。金がないので数ヶ月も大学に行けていない。ラスコーリニコフには母と美貌の妹・ドゥーニャがいる。ラスコーリニコフは二人の希望。ラスコーリニコフのもとに、母からドゥーニャがルージンという45歳の弁護士と結婚することになったという知らせの手紙が来る。ルージンは財産家。母と妹はいずれ、ラスコーリニコフがルージンの助手となり共同経営者となることをなんとなく期待している。ラスコーリニコフは妹の自己犠牲的な結婚に大反対。
 このころラスコーリニコフは酒場でマルメラードフという下級官吏と知り合う。マルメラードフの娘のソーニャは、家計のためにやむなく娼婦になったという話を聞く。ドゥーニャのやっていることはソーニャと同じ。
 ラスコーリニコフは質屋の老婆・アリョーナに金を借りている。アリョーナの妹のリザヴェータ(35)は、臆病でおとなしく、アリョーナにこき使われている。ラスコーリニコフは、自分の才能や能力を発揮できないという金銭的苦境を脱するため、アリョーナ殺害を計画。
 ラスコーリニコフは、アリョーナの家に入り、斧でアリョーナの頭を一撃。アリョーナは即死。盗みを働き、帰り際にリザヴェータに出くわしてしまい、やむを得ずリザヴェータも殺害。善良でまともに抵抗すらできなかったリザヴェータを殺害した事実が後にラスコーリニコフを苦しめることになる。目撃されてしまいかねない危ない場面もあったがなんとか無事に家に戻る。犯行後、ラスコーリニコフは発熱。
 ラスコーリニコフは警察に呼ばれるが、犯行のことではなく、金銭取り立てに関する呼び出しだと知ってホッとする。しかし、このとき予審判事ポリフィーリイに疑われたかもしれない、と考えラスコーリニコフはまたまた自分の想像に苦しめられる。
 警察は、アリョーナ殺しの犯人として、ペンキ屋を疑っているらしい。
 ルージンは、ラスコーリニコフを訪ねてくるが、ラスコーリニコフはルージンに強い敵意を示し、このときはルージンを追い返す。
 もともとは大して親しいというほどでもなかった友人のラズミーヒンは、ラスコーリニコフが発熱して以来、なにかとラスコーリニコフの世話を焼くようになる。
 マルメラードフは、馬車に轢かれて死んでしまう。残ったのは継母とソーニャ以下の子どもたち。ラスコーリニコフの母と妹はペテルブルグにやってくる。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.232:
(5pt)

登攀者

ほとんど改行が無く、終始誰かと誰かが議論を交わしているのす。人物相関図を作成し、ロシア名の表記の仕方を確認しないと、楽しくもなんともなくて絶対に放り投げます。私にとってはやはり高く険しい山でした。しかし読了しました。登り切って初めて村上春樹と松本清張が分かったような気がします。すべての小説の原点がここにあります。負けずに、又、負けそうなときはドーンと飛ばして読んでも構いません。この罪と罰という山を是非、登り切って下さい。読む前の自分を見下ろすことが出来ます。他人の人生さえも。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.231:
(5pt)

結局はハッピーエンド

罪と罰。
それは青春時代におそらく誰もが読むであろう一冊であり、
この作品を巡っては今後も人は様々な意見を交わすのだろう。

主人公ラスコーリニコフは金貸しの老婆を殺害してしまうが、
結局は自分で自分の良心に裁かれ煉獄の苦悩に苛まれる。

もちろん彼は金貸しの老婆を殺害した事を自分では「罪を犯した」という自覚は露ほどもない。
むしろ自分は依然として「正義」だと思っている。

しかし、ではなぜ彼は苦しむのか?
なぜ、彼は絶望の淵にいる自分に気づかざるを得なかったのか?
「自分で自分を殺してしまった」からである。

ある意味、この物語は悲劇的トーンに支配された作品だが、
しかし彼には最後に救いとなる、自分のそばにいつも寄り添ってくれる、
「ソーニャ」という天使のごとき少女によって救済される。

シベリア流刑になった後も、おそらくふたりは結ばれることになるだろう。
そんな予感がする。
これは一読者であるわたしの感想に過ぎないが、
結局はハッピーエンドでこの物語は終わっているのである。

人間という生き物は、たとえどんな冷徹非情に徹したところで、自分の本心の領域に潜む「神」という存在によって、
悪しき行為には良心の裁きを受けるという事実をわたしはこの作品から学んだ。

ラスコーリニコフとソーニャの物語については興味深いが、
それはまた別の物語である
罪と罰〈下〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈下〉 (岩波文庫)より
4003261372
No.230:
(5pt)

現代的な「青年」の姿

全3巻を通してのレヴューです。

あまりに有名で且つ長大なため、なかなか手を出せずにいるかたも多いと思います。私も長年書棚に眠っていた本書をようやく読み終えたのですが、とにかく読み物として面白かったです。そしてこんなことならもっと早くに読んでおけばよかったと、おそらく読了した多くのかたたちと同じ事を思っています。

一般には、難解な哲学小説と見なされています。しかし、主人公ラスコーリニコフが殺人に到るまでの心理描写や、予審判事ポルフィーリイとの論争場面、さらに終盤のスヴィドリガイロフとドゥーニャとの緊迫したやりとりなどには、推理小説さながらの迫力とスリルが感じられます。また、エピローグなどは恋愛小説としても読めます。この作品には、小説という文学形式の実に多様な相貌が詰まっているように感じました。ときに難解と言われながらなお読む者を惹きつける所以の一つではないでしょうか。

ときに「現代の預言書」と称されるほどのこの物語の現代性は、冒頭に既に現れているように思います。或る暑い日暮れのペテルブルク、登場したラスコーリニコフは、不安・不穏・不機嫌・自意識を重苦しく抱えるまさに現代的な青年の姿と言えます。観念的で独善的で極端に走りやすく、自尊心が強く他者を見下し、疑心暗鬼と神経症に苛まれ、内省的で没社会的で都会の孤独の裡にありながら、内面において過剰な自意識が世界との闘争を演じている。そんな主人公の姿は、現代の私たちにとってもなじみ深い典型的な青年の登場であると感じられ、自分自身の物語として読むことができました。
罪と罰〈上〉 (岩波文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈上〉 (岩波文庫)より
4003261356
No.229:
(5pt)

やばい

ラスコーリニコフのソワソワ感、心臓バクバク感が読み手に伝わりすぎる。
こんな小説後にも先にも『罪と罰』だけ。
絶対に読んだほうがよい。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.228:
(5pt)

犯罪者目線のクライムサスペンス

好き嫌いあるかもしれませんが、主人公に感情移入すると心揺さぶられます。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.227:
(5pt)

ラスコーリニコフの中のキリスト教

難解なこの小説。私なりの感想なのですが書かせて頂こうと思います。

私も読むのに苦労したので偉そうな事は言えないのですが、欧米の小説だけに、
この小説のバックボーンにはやはり「キリスト教」があるのではと私には思われるのです。

主人公ラスコーリニコフは「金貸し」の老婆を殺害してしまいますが、「金貸し」という仕事はキリスト教では最も卑しい仕事とされ、キリストを十字架に架けたユダヤ人に割当てられた仕事です。
(その為にユダヤ人は皮肉にも富を得、その富を狙う者に戦争に乗じてまた迫害を受ける事になるのですが)

それゆえに主人公は、罪の意識とは逆に「正義感」とも言える感情で、金貸しの老婆を殺害します。

しかし、家族のために体を売るソーニャに出会った事で主人公は、最終的に「罪」の意識を持ちます。

私にはこの事が、「キリスト」が、娼婦といわれた「マグダラのマリア」に手を差し伸べ身近に置いた事に、主人公ラスコーリニコフが、自身とキリストとを無意識にも重ね合わせたのではと思うのです。

キリストなら、自分を磔にしたユダヤ人を恨んだだろうか。自分の恵まれているとは言えない境遇を自ら克服せず、人のせいにばかりして生きていたのだろうか。

様々な登場人物が主人公を揺さぶります。これは私たちの日常にもあふれています。
日常や環境にもまれ、人は「人間」というものを忘れてゆきます。
その中で彼にとってソーニャとの出会いが、彼の中の「人間」を取り戻させたのだと私は感じます。
(そしてそういう意味でいうならば、キリストは最後まで「人間」だったのかもしれません。(キリスト教徒の方すみません))

主人公がその後再生できたのかは、作者は読者の側に委ねていると私は思います。
私は、彼の再生を信じこの本を閉じることにしました。

長く読みにくいですが(登場人物の名前を省略するだけでも読みやすいのになと思いますが)読み始めたら読破する価値のある本だと私は思います。

(戦時中、少なからずキリストを利用しユダヤ人を迫害した「彼」は読んだのでしょうか…)
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.226:
(4pt)

これを読んだらこうなる

これを読んだら、
・いつの間にか200ページ読んでる!ってなる
・他の小説が物足りなくなる。
・恋愛したくなる。
・give and take じゃなくて give give giveしたくなる。
・ペテルブルグってそんな感じだったんだ~ってなる。
・合理的とか非合理って何だっけ?ってなる。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.225:
(5pt)

ここまでは順調ですね。

私の友人は買うように勧めてくれたので、私はこの製品を買った。 特別なデザイン、完璧な品質、素敵な外観。 私はそのような良い製品を否定することはできませんでした。 私は今朝別の注文をしました。私はそれが前のものと同様になる可能性があることを願っています。 はい、それはまだ完璧です。ありがとう! 完璧な状態、 製品に満足して、本当に良い、速度が速いです。多くのものを買って非常に満足している、非常に良い売り手私は頻繁に来る
罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751849
No.224:
(5pt)

罪と罰 下巻

ドストエフスキー(1821ー81)は、貧しい軍医の家に生まれ、38年にペテルブルクの陸軍工科学校に進学します。当時から文学に心酔していた彼は、46年に作家としてデビューし脚光を浴びますとなります。
しかし、空想的社会主義サークルに参加したことから、1849年に逮捕され、54年までシベリアに流刑にされ、さらに軍務勤務を命じられます。

59年になって、ようやくペテルブルグに戻ってきたころ、ロシアは61年の農奴解放に向けて、大きな社会変動が起こっていました。ドストエフスキー自身も兄・妻と死別した上に、賭博で借金まみれの生活を送ることとなります。

こうしたぎりぎりの状況の中で、「罪と罰」は66年1月から雑誌に連載されます。暴力と革命を主張する傲慢なラスコーリニコフと、宗教的価値観に生きるソーニャを対立させ、信仰が勝利することを本作では描いています。
罪と罰 (下巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.223:
(5pt)

罪と罰

ドストエフスキー(1821ー81)は、貧しい軍医の家に生まれ、38年にペテルブルクの陸軍工科学校に進学します。当時から文学に心酔していた彼は、46年に作家としてデビューし脚光を浴びますとなります。
しかし、空想的社会主義サークルに参加したことから、1849年に逮捕され、54年までシベリアに流刑にされ、さらに軍務勤務を命じられます。

59年になって、ようやくペテルブルグに戻ってきたころ、ロシアは61年の農奴解放に向けて、大きな社会変動が起こっていました。ドストエフスキー自身も兄・妻と死別した上に、賭博で借金まみれの生活を送ることとなります。

こうしたぎりぎりの状況の中で、「罪と罰」は66年1月から雑誌に連載されます。暴力と革命を主張する傲慢なラスコーリニコフと、宗教的価値観に生きるソーニャを対立させ、信仰が勝利することを本作では描いています。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.222:
(5pt)

人間の弱さや闇、悪魔の存在、そして神への信頼から生まれる他者への愛(光)を、その時代を背負い深奥まで描ききった世界最高峰文学

賛否あれど現代最高峰の小説家の一人村上春樹さんが敬愛するドストエフスキーの重要な小説の一つですが、貧乏のどん底にあった大学生ラスコーリニコフが自分の心に闇に付け込まれ、悪魔に仕組まれたと思わざるを得ない絶妙なタイミングで条件が揃い、かねてから妄想していた目的(殺人)を犯してしまう。

頭の切れる美しい青年ラスコーリニコフと家族の為に娼婦となった幼い少女ソーニャが日本最高峰のアニメ作家富野由悠季さんのガンダムのシャアとララァに重なりました。この小説が日本の優れた表現者たちに多大な影響を与えたであろうことが読み進める内にズンズン実感として感じられました。

人間の醜悪な部分、悲劇、心の闇、そこに付け込む悪魔をこれでもかこれでもかと時代性と臨場感と真実性を持って見せつけられますが、最後のエピローグで救われました。

ドストエフスキーが悪魔の存在を描くことで同時に神の存在を描き、愛(光)の大切さを人類に説いた名作。

自分の心の位置や成長或いは後退を知悉するだめにも、これからの人生で繰り返し読み続けたい世界最高峰文学の一つです。

~以下、上巻より~

それにしてもなぜ? 彼はいつも(殺人を犯した)あとになっていつも自問するのだった。いったいなぜあんな重大な、彼にとってあれほど決定的な、同時にめったにない偶然のめぐりあいが、(通る理由さえなかった)センナヤ広場で、ちょうどあの時間に、彼の人生のあの瞬間に、それもあんな状態のときに、しかもこのめぐりあいが彼の全運命にもっとも決定的な、最終的な影響をあたえるには、いまをのぞいてはないという状況のときに、起こったのか? まるで故意に待ち受けていたかのようだ!
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.221:
(5pt)

人間の弱さや闇、悪魔の存在、そして神への信頼から生まれる他者への愛(光)を、その時代を背負い深奥まで描ききった世界最高峰文学

賛否あれど現代最高峰の小説家の一人村上春樹さんが敬愛するドストエフスキーの重要な小説の一つですが、貧乏のどん底にあった大学生ラスコーリニコフが自分の心に闇に付け込まれ、悪魔に仕組まれたと思わざるを得ない絶妙なタイミングで条件が揃い、かねてから妄想していた目的(殺人)を犯してしまう。

頭の切れる美しい青年ラスコーリニコフと家族の為に娼婦となった幼い少女ソーニャが日本最高峰のアニメ作家富野由悠季さんのガンダムのシャアとララァに重なりました。この小説が日本の優れた表現者たちに多大な影響を与えたであろうことが読み進める内にズンズン実感として感じられました。

人間の醜悪な部分、悲劇、心の闇、そこに付け込む悪魔をこれでもかこれでもかと時代性と臨場感と真実性を持って見せつけられますが、最後のエピローグで救われました。

ドストエフスキーが悪魔の存在を描くことで同時に神の存在を描き、愛(光)の大切さを人類に説いた名作。

自分の心の位置や成長或いは後退を知悉するだめにも、これからの人生で繰り返し読み続けたい世界最高峰文学の一つです。

~以下、下巻より~

ソーニャは叫んだ。「あなたは神様のおそばをはなれたのです、神様があなたと突きはなして、悪魔に渡したのです!」~略~
「お黙り、ソーニャ、ぼくだって、悪魔にまどわされたくらいは知っているよ。お黙り、ソーニャ、お黙り!」と彼は憂鬱そうにしつこくくりかえした。「ぼくはすっかり知っているんだよ。そんなことはもう暗闇の中に寝ていたとき、何度となく考えて、自分に囁きかけたことなんだ・・・」
罪と罰 (下巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (下巻) (新潮文庫)より
410201022X
No.220:
(4pt)

私が普段文庫サイズの小説を読まないからか…

よく名前を耳にするので気になって購入しました。
文庫サイズの為か、一ページに改行なく続いていく事が多く、読みにくかったです。
罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751687
No.219:
(5pt)

すさまじい悲劇の書

「悪霊」を読むのは50年前僕が20歳前後の学生だった時以来である。スタヴローギン、キリーロフを中心とした19世紀後半を生きた若者達の混沌とした当時の空気の中での苦闘ぶりに何とも言えないほど強烈に精神を揺さぶられた思い出がある。50年経った今もこの本を読めばあの頃と同じように強い感銘を与えられるだろうという確信があった。

 確かにそこには悩み苦しむ強烈な若者像があった。ただ少し印象が違った。若者たちの中に無限の可能性を夢見ることが出来た50年前に比べて、若者達はもっと絶望的で暗く見えた。登場人物のほとんどが死んでしまう、しかも希望の光も残さずに死んでしまう。以前読んだ時はシャートフが最後にピョートルに処刑されて物語の幕が閉じられたように思っていたが、ここではシャートフが殺された後、ピョートルはキリーロフの家に行き、かねて哲学的信念に基づく自殺を公言していたキリーロフに自殺するように迫る。ピョートルはシャートフ殺害の罪をキリーロフに着せる目的で自殺を迫ったのだ。キリーロフは自身の自殺論哲学の完遂のため喜びの中で自殺を遂げるつもりでいたのに、ピョートルの邪悪な策謀の片棒を担がされるという思いもかけない不本意なかたちで自殺を遂げた。キリーロフには親友のシャートフが既に殺されていることが分かり、自分の死に際の行動がシャートフの生死にもう何の影響もないことを悟った。その時彼の自殺哲学の完遂の中にも喜びを見出せなくなったのではないのだろうか? キリーロフがあるいは絶望の中で死んでいったのかもしれないと思うと僕の胸が痛む。

 一方、シャートフも前日妻マリアが子供を産み、その喜びのため虚無的な彼の人生が一気にバラ色に輝き渡ったばかりだった。彼はピョートル達の仲間と縁を切るため、預かっていたものを彼らに引き渡すいわば最後の事務処理のために暗い公園の池畔での会合に臨んだ。
 喜びに輝く前日、そこにはシャートフの幸せを心から喜ぶキリーロフの姿もあった。
 輝きわたる幸福と真っ暗な公園での惨殺。こんな両極を一気に描いても良いものだろうか? ドストエフスキーは幸せを描いても悲惨を描いても完全に天才なのだ。我々は天上から地獄までを一気に見せられることになる。

 この小説の主人公は一般にスタヴローギンとみなされている。だが彼の登場場面は意外に少ない。何故誰もがスタヴローギンが主人公だと思うのだろうか?案外読者が彼に寄せる過大な評価は革命家ピョートルが深遠な思想の持ち主にふさわしい育ちの良さ、教養の高さ、上品な物腰や風貌に惚れ込んで革命運動の旗として彼を押し立てようとしていた目論見と相通じるものがある。だが昔読んだ時に比べてスタブローギンの輝きは薄れていて、治癒の見込みのない彼の精神疾患が大きくクローズアップされて、今の僕は彼の中に深い絶望だけしか見ることが出来ない。令嬢リディアと一夜を共にしても愛はなく、リディアも群衆の中で悲惨な最期を遂げる。どうやらスタヴローギンが愛することが出来たはずだったダーリアとも運命の糸がうまくつながらず、スタヴローギンはダーリアの返事を待つことなく自殺を遂げる。ダーリアを愛していながら自分の愛を信じられなかったスタブローギンの悲劇である。                                           

 老齢に達してから読み直すと以前見過ごしてきたことに気づかされることも多い。今回はかつて若者達の師匠格であった老ヴェルホヴェンスキーの存在に気づかせられた。僕の記憶から完全に抜け落ちていたこの人物は物語の冒頭に登場し消えゆこうとしているロシアの古いインテリゲンチャを体現した人物として、ドストエフスキーは非常に愛着を持って描き続けている。彼はピョートルの父だがピョートルに深い愛情を注いで育てることがなかったことで息子に引け目のようなものを感じているようだ。彼は最後に一人家出するような形で客死している。彼の死の前後の丹念な描写はまるでこの小説の主人公が彼であるかのごとく思われる。ドストエフスキーは革命の嵐が吹き荒れようとしているロシアで風前の灯火といった心細そうなヴェルホヴェンスキーに深い同情を感じたに違いない。ドストエフスキー自身も革命運動に乗ってゆくことのできない自分を知っていた。1870年代はロシア革命より遡ること約半世紀という時代であった。
罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)より
4334751849
No.218:
(4pt)

小説としてはとても面白く、文章表現は抜群であるが、扱われている内容としては、最悪である。

言うまでもなく、最も有名な小説のひとつである。

しかし、自慢じゃあないがと言うか、恥ずかしながらと言うか、レビューアーはこの小説の内容がどんなものであるか全く無知であった。ものすごく有名な本で、かなり部厚め(上下2巻からなっている)なので、きっと中身はかなり難解で高尚な哲学的な内容が書かれているのであろうと思って敬遠していたのである。理系人間のようなものには、哲学的内容と言うのは何となく、敬遠してしまうのである。

かつて若い頃、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ。若くて理想に燃える少年の理想と現実との狭間に揺れつつ精神的な成長をしていく過程を描いた極めて、哲学的な内容の小説で、取っ付きは悪かったが、最後の方はかなり面白く読めた。しかし、どちらかと言うと薄めの本であったが、かなり読むのに時間がかかった。これは、かなり哲学的命題にまっすぐに挑んだ小説と読めた。

また、アルベール・カミュの「異邦人」は、「今朝ママンが死んだ」で始まるなんとも分かりにくい実存主義的な哲学の小説であった。これこそなんとも理解を超えるところがあった。「不条理の条理」などがテーマで、主人公は「夕日が眩しかったから」と理由で殺人を犯したらしいのであるが、その思想は現レビューアーにはまったく分からなかった。これもそれほど厚い本ではなかったが、読破にはかなりの時間を要した。

これら二つの本のトラウマがあり、とにかく哲学的命題を扱った小説と言うのは何十年もの間、忌避し続けていたが、なぜか、アマゾンのネットオークションで、「罪と罰」の上巻を買ってしまった。内容を全く知らず、これもきっと哲学的命題の難しい本だと言う先入観を持っていたのにもかかわらず、である。しかもこんな厚く2巻にもなっている本を何故買ったのか、理由が分からないだけでなく、老人性痴呆症が始まったせいかもしれないが、買ったことすら忘れていて、本が届いてから、買ったっていたことに気がついたくらいである。

団塊の世代の悲しい性で、買ってしまうと売ったり、捨てたり、人にあげたりすることが出来ず、とりあえず「ツン読」を決め込んで、他の興味深いブルーバックスなどを読んでいたが、その系統を読み終えてしまい「ツンで」ある、本書を「他に本がないから、仕方ないから読むか」と覚悟を決めて、読み始めた。

本小説はとても有名なもので、その内容を全く知らないと言うレビューアーのような不謹慎者は他にはいないと思われるので、この小説のプロットには改めて言及せず、すぐに感想に入りたいと思う。

感想の第一は、「とにかく長い」である。いろいろなエピソードが次々と出てくるが、それら一つ一つの描写がとにかく長い。従って、全体もとにかく長い。こんなに長い必要があるのかどうか分からないが、よくまあここまで、詳細に文章にしたものだ、さすが小説家と感心させられた次第である。そして、驚くべきは、その記述の緻密さと巧みさである。したがって、一つ一つのエピソードがどうしても長くなるわけである。最初の方で、主人公のラスコーリニコブが酒場で話しかけられる酔っ払いのオヤジの描写を読むと、その親父の酒臭い息や小汚い服や顔(恐らく無精ひげみたいなものが生えているだろう)などが本の中からあふれ出てくるようで、臭くて気分が悪くなりそうで、早くその部分から、逃げ出したいと思われるほどである。

そして、このエピソード以外にも次々と膨大な数のエピソードが出てきて、それぞれの場面で、登場人物の人となりだけでなく、気迫や体臭などまでもにじみ出てくるのである。この小説の前半のハイライトである、金貸し女性を殺す場面などは、それこそ被害者の熱い血液や脳漿までもが紙面から飛び出してきて、読んでる者の顔や手に飛沫がかかってしまった感じがするほどである。気持ち悪いことこの上ない。思わず、洗面所に行って、手や顔を洗いたくなってしまう。

この著者の表現力は凄いし、そのロシア語を日本語に訳した翻訳者の語学力もものすごいものがあると感じさせられた。レビューアーには、そこまで精緻かつ詳細に描く必要があるのだろうかと言う疑問がわくほどである。また、これほど多くのエピソードも必要なのであろうかとも思われた。本筋とは関係のないエピソードも数多くあるようだし、適当に端折ったら、全体のボリュームはかなり少なくなるのではないかとレビューアーには思われた。ただし、ひょっとすると著者にはレビューアーのような凡庸な読者には読み取れないような話の筋書きがあり、そのために、数多くの詳細・精緻なエピソードが必要なのかもしれない。

そして、何より肝心なこの小説のテーマである。レビューアーの偏見に満ちた「これは難解な哲学書ではないかという」思い込みに反して、この小説は全くそのようなものではなく、単細胞な始点で言えば「刑事コロンボ」的な推理小説である。いや、刑事コロンボの方が、この小説の影響を受けて出来たドラマであろう。即ち、既述のように、この主人公は殺人犯であり、その殺人場面は、小説の前半のすぐのところで記述され、後は、その犯人を追う予審判事のボルフィーリーとの知的対決と言うことであると言っても過言ではない。

さすがに、世界的な小説家の作品だけに、推理小説とだけとしか見なければ、それはあまりに浅薄な感想といわれても仕方が内面をこの小説は持っている。

しかし、この著者が言いたかったことと思われる「命題」には、レビューアーは全く共感できなかったし、読んでいる間中イライラのしどうしであった。この主人公は自らを「非凡庸な人間」であると確信し、他の多くの人々「凡庸な人間」とし自分とは人種が違うと確信しており、特に、彼が殺した金貸しのような人間を「しらみ」として軽蔑し、そのような人間を一人殺してもその殺人の罪の何倍にも勝る功徳があるくらいに考えているのである。まるで、アドルフ・ヒットラーのような人間と言って過言ではない。直近のことで言えば、相模原、やまゆり園殺人事件の犯人のような「パーソナリティー障害」がある人間といえるような人物である。

そのような人物が出てくること事態で、読んでいてイライラすることにはならないが、この小説の大部分の場面で、その「パーソナリティ障害男(以下パ男)」がまるで、英雄のごとく描かれているのである。彼の肉親である、母と美貌の妹、若い俊才とも言えるパ男の友人、パ男の恋人ソーニャはもちろん、さらには、パ男の妹の恋人で普通なら結婚したかもしれないのに、このパ男の偏見から、引き離されてしまい、最後は自殺するスヴィドリガイロフやパ男を追及していた予審判事でさえ、彼を高く評価をしているのである。

しかもあきれることに、このパ男は、自分のおかしな論理を実践するために、正に何の落ち度もない「無辜の市民」である金貸しの女性とその女性の同居人の哀れな生涯を送っていた女性までも巻き添えで殺人したにもかかわらず、知らぬ顔で、追及を逃れようとした。それでも良心の呵責に耐え切れず自首し、シベリア送りとなって収監されてもなお、自分の心の問題のみに拘泥しているだけで、殺された二人に対する反省の念はまったくない。

殺された金貸しの女性にもそれなりの辛い過去があり、その結果、守銭奴になったとしても、それゆえに、このパ男のような人間に「しらみ」と呼ばれたり、殺してもよいような存在と決め付けられるいわれはないであろう。ましてや、巻き添えで殺された同居人の女性は気の毒としか言いようがないのであるが、このパ男には彼女を思いやる気などさらさらない。

もちろん、小説上の人格であるから、どれほどの卑劣漢が主人公であっても、また、その主人公がどれほど悪辣なことをしてもそれは小説である以上、何ら問題ない。しかし、レビューアーが気になるのは、ドストエフスキーはこのパ男に感情移入している節があるという点である。何かによらず、この主人公の心情を弁護するような記述にあふれている。即ち、著者はこのパ男を介して、著者の考えを訴えているのではないかとしか思えないところがある。レビューアーから見れば、パ男のような卑劣漢は無辜の市民二人を、全く身勝手な論理で手にかけているのであるから、如何に初犯であると言っても、終身刑から死刑が妥当なところであろう。それを8年の刑で済ませていると言うことは、著者は、この男の罪はその程度としか考えていないと言うことであり、何とも、おかしな善悪観の持ち主に見えてならない。

小説としてはとても面白く、文章表現は抜群であるが、扱われている内容としては、最悪である。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211
No.217:
(5pt)

読みやすいです。

他の訳者さんの本を当初読んでいたのですが、とても読み辛くて断念しそうになりましたが、この本に変えたところ、読みやすかったです。
訳者さんによって、すごく変わることを経験しました。
罪と罰 (上巻) (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:罪と罰 (上巻) (新潮文庫)より
4102010211

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