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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全356件 61~80 4/18ページ
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これはよかった | ||||
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ロシアの名作。暗いお話ですが、一度は読んでおきたいですね。 | ||||
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一生に一度は読んでおきたい。 | ||||
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文学書です、読まれる事をお勧めします。 | ||||
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非常に暗くて辛い状況を見事な表現力で書かれていた。正直全てを読み終わるまで根性が必要だった。ところが最近見た映画のトランスポーター3を見ていたらこの名作の事を言っている場面があって笑えた。 罪と罰を読んでいて良かったと思った。 | ||||
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たくさんの翻訳版が出ている中、まぁ一部から批判の声も聞こえるが 比較的読みやすく情緒を失わない翻訳になってるかと思います。 酔っ払いの独白や母からの長~い手紙、この辺りで挫折してしまう人は多いでしょうね。 登場人物が多いので大変、名前が似ててわからない、と言われているけど全然気になりませんでした。 主要人物はどれもアクが強いのであっという間に頭に入るし、主人公の呼び名がいくつもあるけど、 そんなに頭がこんがらがるほどではない。これが難解で読めないって人は「飛ぶ教室」や「老人の海」なんかが 読みやすいんじゃなかな、あちらも名作文学ですし。 | ||||
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初めて読んだのが35年前、高校生の時でした。あまりの衝撃に読むのを止められず、睡眠時間を削って2日で一気に読みました。その後、ドストエフスキーの作品は全部読みました。その中でも「罪と罰」は「地下生活者の手記」と並んで大好きな作品です。今でもよく読み直します。 僕がドストエフスキーから学んだのは、思想・哲学とは「解析」するものではなく「体験」するものである、ということです。多くの場合、思想家・哲学者は思想を体系的に理論化・構造化して説明しようとしますが、ドストエフスキーは思想・哲学とは客観的・第三者的に外から「説明」するものではなく、自らがその中にどっぷりつかって「体験」するものであること教えてくれました。主人公の意識の流れに身を任せて、一緒になって流れを体験することの重要性です。そうでないと本当の意味での本質には近づけない。 ラスコーリニコフが「理屈で正当化して」金貸しの老婆を殺害するときの意識の流れと、その直後にたまたま居合わせてしまった老婆の妹を「理屈でなく」殺害する時の意識の流れのコントラストは凄い。結局、理屈で考えて行動しても、偶然(居合わせた妹)に翻弄されて理屈も崩壊してしまうという現実の迫力。犯行後、橋の上からコインを川に投げ捨てて、自らを「すべてのもの」(自分を愛してくれている母親や妹)から切り離す時のラスコーリニコフの意識。でも結局は愛する者と自分を切り離すことはできないという現実。ラスコーリニコフがソーニャに殺人を告白する時の両者の心理描写の凄さ。家族のために自らの尊厳を捨てて娼婦に身を堕としたソーニャが唯一の拠り所としているのが「神様はわかってくださる」という信仰。その信仰を「理屈」で踏みにじるラスコーリニコフ。ところがソーニャは「理屈」ではなく「心」で反応する。ソーニャは「理屈」で信仰を踏みにじられても傷つかない。ラスコーリニコフは空虚な「理屈」に振り回されているだけで、自分がでっち上げた「理屈」を全く信じていないという「本質」を「心」で見抜く。そしてラスコーリニコフが苦しんでいることを「心」で感じて救おうとする。 当時、数学と物理学が大好きで「論理」の信奉者だった青臭い高校生だった僕には頭をハンマーで殴られたような衝撃でした。論理というレンズだけで見ることがいかに視野狭窄症であるかを思い知らされた本です。その後の僕の人生観を変えた一冊です。 ちなみに、大学は工学部に入りましたが、ドストエフスキーを原文で読みたくて、第一外国語は迷わずロシア語を履修しました。幸運なことに当時大学でロシア語を教えていたのは江川卓先生でした。もっとも「江川卓」は訳者としてのペンネームで、大学では本名の馬場宏先生でした。50歳を過ぎた今、まだまだ頼りないロシア語ですが、原文での読破に挑戦中です。 | ||||
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歴史的な作品だと思います。 色々な角度から楽しめる。つぎは賭博者?あたりにいってみようかと狙っております。 | ||||
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犯罪を犯し、それを追求する検事、周囲の多彩な人々。これが小説だという醍醐味で展開していく。 ドストエフスキーの諸作品の中でも、カラマーゾフの兄弟とともに好きな作品となった。 最終章の再生の物語が惹きつける。 なぜ人は犯罪を犯すのか、現代では別の脳科学や分子生物学の観点から語られるだろうが、それは別の観点だ。 | ||||
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初めて読んだのは高校生のとき。刑事コロンボっぽい展開だけが記憶に残っていたけど、40数年ぶりに新しく買って読み返したら本筋以外の色々なエピソードがからみあって壮大な思想小説だと感動しました。やはり名作中の名作と言われるだけのことはありますね。またガキのころと違っておっさんになってから読み返すと読後感もまったく異なり新鮮でした。 個人的にはこの続編があったらなあと思います。著者も少し触れているラスコーリニコフとソーニャの再生の物語ですね。もしそれがあれば本編よりもさらに面白いのではないかと思ったりします。 | ||||
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ラスコーリニコフの凡人と非凡人の論文についての場面は面白いですが、それ以外はつまらないです。そこをやるためのその他の筋だと思うので、全体としても名作です。 | ||||
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ラスコーリニコフが殺った動機が分からなかった。彼の発言はそのとき折りに意味を変える。英雄志向か破壊的志向か、そのどちらでもない理由なき情動に突き動かされているようだ。ペテルブルクの都市化と混沌が混じった中で、主人公の感受性が渦巻いている。 都合の良いときに、都合の良い人物が現れるのは、ちょっと作為的な感じがした。登場人物が多いとはいえ、こんなに長編にする必要があるのかとも思った。とはいえ多くの登場人物がラスコーリニコフを盛り上げている。女性達がみな男に献身的なのも、外国特有なのか羨ましかった。 最後まで読み通せたのは、昨今の凶悪犯罪(相模原事件のような)を考える上でヒントになりそうな気がしたからだ。ラスコーリニコフの動機は、時代に関係なく共通するものかもしれないが、殺伐とした現代ゆえに、今「罪と罰」を読む価値は大いにあると思う。 | ||||
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一度読み終えて考察読む。そうするとあらたな一面が見られるので 一度で二度美味しい本です。 | ||||
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出版された年によって、活字の大きさが違う。出版年の情報を丁寧に出してほしい。この本は最新でした。 | ||||
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ロジャーとポルフィーリーの息詰まる闘いがとても良かったです。 | ||||
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ロジャー、ソーニャ、カテリーナの様子が生き生きと描かれています。 | ||||
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初めて読みました。 3冊別々の注文でしたが、同時配送で助かります。 | ||||
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すでに語りつくされた名作ではあるが、読み込んでこそ、その価値が分かろうというもの。 なんといっても第Ⅲ部-5の後半、ラスコリーニコフが自作論文の解説を披露する場面が圧倒的だ。並ではない「本当の人間」(プラトンの言う「哲人」にあたるのかな?)が自分の発見や思想を全人類のものとするため、それを阻む何百人もの生命を除去することの権利と、その良心に基づいて他人の血を流すことの義務を有し、彼は必然的に犯罪者たらざるをえないことが論理的に展開される。この"対談"から、友人ラズーミヒンの叔父にして予審判事であるポルフィーリイとの思想合戦がすでに始まっていたのかと思うと、文豪ドストエフスキーの構成力の壮大さには舌を巻く。 それにしてもロジオン・ロマーノヴィチ(主人公)、プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワ、アヴドーチヤ・ロマーノヴナ、ドミートリイ・ブロコーフィイチ・ラズーミヒン、ポルフィーリイ・ペトローヴィチ等々、ロシア語の人名はなかなか手ごわいなぁ。 ・百の善行は一の悪行に勝るのか? 古くからの問いかけに対し、彼、ラスコリーニコフは英雄的で特別な人間にはその権利があると理論づける。その決行のきっかけは著しく内的なものであっても、一歩を踏み出した彼は、しかし英雄的行為の意味の消失を悟る。 ・仇敵ルージンの妹への求婚を退け、家族団らんと新しい展望が開けるかと思いきや、突如、ラスコリーニコフは決別を宣告する。親友ラズーミヒンが追いかけ、二人が対峙する第Ⅳ部-4のラスト。「廊下は暗かった。ふたりはランプの傍らに立っていた。一分ほど、ふたりは無言のまま」互いに顔を見つめあう。そして無言のまま、二人の間で「ある出来事」のすべてが了解された……。電撃が走ったように「ラズーミヒンは死人のように蒼ざめた」このシーン、まるで読者を試すかのようなドストエフスキーの恐ろしい筆力が圧倒的だ。 ・第Ⅴ部-1の会話劇も面白い。コンミューン、フーリエ、啓蒙と労働組合。女性の自由。そしてソーニャの美しい天性。行動するロシア知識人が主導する社会主義の幕開けが予想されるような展開は興味深い。 ・馬車にひかれて死んだソーニャの父親の追善供養の席では、『この馬鹿なドイツ女』、野卑なポーランド人の描写など、ドストエスフキーはロシア人からみた異国人の表現に容赦がない。また零落したとはいえ、あくまでも「上品な家柄」を誇る母親カチュリーナ・イワーノヴナの態度はテーブルの席でも傲慢であり、出席者を「酔っぱらったとんまなロバ」「箒で吐き出さるべきバカ者たち」と呼ぶその姿はこっけいでもある。第Ⅴ部-2、追善供養の席の終末は混乱と罵声とに満ち溢れたシュールな場面となる。人の執念、思い込み、情念とはかくも恐ろしく醜いものなのか。そして次なる悲劇がヒロイン、ソーニャを襲うとは。 ・第Ⅵ部-2。予審判事ポルフィーリイ・ペトローヴィチがラスコリーニコフに自白を奨めるシーンには鳥肌が立つ。「問題は時間にあるのではない、あなた自身の中にあるのです。太陽におなりなさい」「太陽は何よりもまず太陽でなければならない」(p477) ・ラスコリーニコフの「秘密」を握った50男、スヴィドリガイロフの人生もなかなか興味深い。その目的に破れて彼自ら破滅の道を歩む様はとても悲しすぎる(第Ⅵ部-5,6)。 「遠くへ行くんです」と、かたくなに自分を信用してくれる母親と対面し、ラスコリーニコフが「愛と別れ」を告げる瞬間は切ない。「で、今日はドアを開けて、見るなり、ああ、いよいよ運命の時が来たんだって、そう思ったんだよ。ロージャ、ロージャ」と呼ぶ母の声は悲痛であり、その表情も窺えそうだ。続けての妹との対峙。「そのまなざしに接しただけで、彼は妹がすべてを知っていることを直ちに悟った」 クライマックス直前の美しいシーンは、繰り返し読む価値がある。 「いったい僕は何のために生きるんだろう」と、その問いに苛まれて生き続けることこそ、人が人たりうる証である 多様な示唆に富む本作は、オリジナルな人生に身をゆだねることの意味を考えさせてくれた。少なくとも、「他人の思想の下僕」にはなりたくないな。 悪事と英雄的行為、人類の新秩序、宗教的信念、ニヒリズム、そして愛。重層的なテーマを持つ本作。時をおいてまた読みたい。 | ||||
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亀山訳はドストエフスキー特有の無数の枝葉をスパッとまとめて読みやすくしてあるし、解説もあるので、作品の面白さ自体に熱中しやすくて良いです。 亀山訳を読んでから他の訳者のものを読むとより味わい深いです。 | ||||
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ソーニャは素晴らしい、天使。 スヴィドリガイロフは意外といいひと。 ピョートル・ペトローヴィチは作中の言葉通り卑劣で小物。もっとひどい目にあってもよかった。 カテリーナ・イワーノヴナの悪口雑言のセンスとスピード感は痺れる。 ドゥーニャは毅然としてかっこいい。ソーニャと仲良くなってよかった。 ラスコーリニコフはひたすら悩みに悩んで、小心ゆえに不安に押しつぶされそうになり、かわいそう。 本来の性質は自身の生活や生命を投げ打ってでも他人を救おうとする慈悲深さと行動力を持ち、 世の不条理に対する義憤が高まるあまりに自分の中で理論が育ってしまった不憫さもある。 ただ、最終的に独自の理論の間違いに気づき更生したのではなく、ソーニャの限りない無償の愛に見合わなければという気付き、感謝、愛情を与えられ続けて鏡のように磨かれた精神がそのままソーニャの愛を反射した結果のように感じる。生きるに値しない人間はやはりあるという理論はもはや信念となって彼の心にあると。 リザヴェータも出くわしてしまったばかりに災難にあってかわいそう。 重厚で熱くて深い思索が感じられるこの本が一人の人間の頭の中から生み出されたなんてすごい。 どのページを開いても、気がつくと自分も何かと向き合って考え込んでしまうような言葉がぎっしり詰まってる。 ドッさんは大作家の名にふさわしい天才です。 ドッさんすごい。 | ||||
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