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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.34pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全356件 221~240 12/18ページ
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大学の時以来30年ぶり位の再読でしたが、当然ながらストーリー展開や登場人物はほとんど覚えておらず初読といってもいい感じでした。 この半年ほどでドストエフスキーの五大小説と言われているものを通読しましたが、ストーリー展開が絶妙で一番小説として読みやすいのはこの「罪と罰」。 ただし外見は推理小説としても通用しますが書かれている人物や内容はやはりドストエフスキーならでは。 罪を犯したラスコーリニコフが、捕まる恐怖に常軌を逸した発言や行動をしてしまうところがリアルに身に迫ってきます。 ラスコーリニコフは結局ソーニャの勧めに従う形で、半分納得しかねるまま自首しますが、エピローグでそれがやはり正しい決断だったことを理解します。 信じられないほど卑劣な方法でソーニャを陥れようとしたルージンや、女性をほとんど道具としてしか扱わないスヴィドリガイロフの方が、ラスコーリニコフよりも本質的に罪深く、彼らは仮に監獄へ入れられたとしても同じような再生はおそらく難しい。 ドストエフスキーの小説を読んでいると、人間は様々、人生は必然と偶然でできあがっている…ということをいつも思ってしまいます。 | ||||
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主人公が自分は神だから殺してOKと思い込んでいるのだけど、自分は単なる人の子じゃん殺しちゃったよ、という過程を事細かに書いています。 たぶんそんな話です。 知っての通り長いです。 同一人物に対して呼び方が沢山あって、紙に名前を書かないと混乱します。 描写が長いうえ、主人公の考えについていけず、だんだんよく分からなくなります。 それに耐え数回読むと、だんだん気持ち悪く感じます。 さらにもう数回読むと、主人公にそこそこ同調できるようになります。 するとどうしようもない気分になれます。 そんなどうしようもない気分になりたい時にお勧めです。 星5つ。 | ||||
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いろんな出版社からいろんな翻訳で出てますが、ぼくは『罪と罰』をこれで初めて読みました。こんな重いタイトルだし、しかも全三冊だしと、さぞかし読むのも時間がかかるだろうと思っていたのだけれども、いざ読み始めるさらっと読めてしまうじゃありませんか。まず翻訳がすばらしい。わかりやすくて、テンポがいい。100年前のことなのに、今のように感じられる言葉遣い。注釈もすばらしい。わからない単語の説明はもちろん、舞台となるペテルブルグの詳細な地図や、背景となる時代や宗教や物価まで丁寧に解説してくれている。さらに、目の離せない物語の展開が、読むスピードをぐいぐいと早めてくれる。もう、マンガ読んでるみたい。浦沢直樹の『 MONSTER』ぐらいどんどん読み進めていったもんね。推理小説、犯罪小説というのは、読んでいる間は楽しいのだけれども、読了後は何も残らないと、いうことが多いのだけれども、さすがは、ドストエフスキー、読んだ後に「人間とは何か?」「愛とは何か?」的な考察しちゃいますよね、もう、それは、純文学並に。『罪と罰』が読み継がれ、名作とされているのは、この娯楽小説でもあり純文学であるそのバランスが見事からじゃなかろうか。最後に手塚治虫の言を。「ボクの長編の基本は『罪と罰』なんです」と。 | ||||
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思い立って全3冊を購入し、年末年始休みを利用してとりあえず第1巻を読了した。遥かな昔に一度は読んだはずだが、当時は工藤精一郎氏が訳した新潮文庫版(だったか?)で、今回は活字の大きな、亀山郁夫氏の光文社古典新訳文庫。ロシア文学好きなら誰もが知っている外形的なストーリーはともかく、プロットの組み立て、登場人物の呆れるばかりの饒舌、酒臭さと生臭さが漂う夏のペテルブルクの雰囲気など、確かにかつて触れた世界だと懐かしみながら、陶然と読み終えた。陶然と、という形容はドストエフスキーには合わないが、他に言いようがないので。さて、第2巻へ。 | ||||
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中学生でも楽しめる、でもどんな大人も完全に理解することは難しい、そんな奥の深い作品です。 ジャンルは何?と聞かれると困ってしまいますね。 僕なら、結構考えて、あえて恋愛と答えると思います。 でももう1回読むとまた印象が変わってしまうかもしれません。 そういうそこの見えない深さがあります。 | ||||
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主題やテーマに関しては他の人がこれでもかというぐらい書き込んでいるので私はあえて書かない。私は決して小説を読まない人ではないが、やはりこれだけ重厚な文章にされると身構えてしまう。しかし、ひとたび活字の渦に飲み込まれてしまったら、足が抜け出せなくなる。いや、気が付いたら腰まで闇の泥にはまっていた。上巻、母からの手紙。長い、長すぎる。私の読解力ではそこに至るまでで数時間を要していたところに、あの大量の母からの一方的な手紙。私はいったん本を閉じて、翌日の仕事を済ます。帰りの新幹線の中、再び本を開いた。そして母の手紙を一字一句追いかけていった。気が付けば、自分はその手紙を読みながら主人公の気持ちを追いかけていた。10ページ以上にも及ぶ母の手紙を終え、そのあとの主人公の行動。わたしも、読み終えた瞬間に嫌な笑いと同時に指定席を立ちあがっていた。ああ、俺、いま、ラスコーリニコフになってたんだ、って思った。目的駅の近くまで新幹線が来たとき、凶行に及ぶ場面だった。吐き気がした。身体が動かなかった。でも、それもありだよなと思った。立ち上がるとき、本当に腰が抜けた。ああ、こんな、物語があるのかと、思い知った。 | ||||
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僕は最初からずっとラスコーリニコフは自分に思考回路が似ていると思って読み進めた。それは誰にも心を許せない猜疑心だと思う。 最終的にラスコーリニコフは、何に救われたのか。それは生活のなかに未来を見れるようになったということ。そうそれだ。毎日の生活を送るなかで、未来を見たときに希望を見いだせること。その中に、ソーニャの果たした意義は大きい。ずっといてくれるということと、逆にずっといてあげるということ。これは重い責任であり、それこそが未来への希望だ。このつながりこそが未来への希望だと気付いたということにラスコーリニコフは救われた。 | ||||
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実に30年ぶりに読みなおしました。前回読んだのは高校生のときだったなぁ。 選ばれた非凡な人間、たとえばナポレオンのような人間はおのれの偉業のために、一方で種の存続のためにあるような平凡な人間を犠牲にすることは許される。 そういった思想にその若い偏執的な環境の中でとりつかれ、とうとう自分の偉業のために、人を殺めてしまう。 が、計画にはなかった老婆の妹を殺してしまったこと、また、殺人を犯したその行為そのもに対して動揺し、自分を保てなくなっていってしまう。 このラスコーリニコフの思想と動揺、自首してもなお罪を悔やむのではなく自首してしまった自分の弱さと思想のゆらぎを悔やんでいた彼が最後に変わっていくその姿が以前は不満でした。 高尚な思想に基づき行動したのに、なぜ逡巡してしまい悔恨してしまうのか、高校生の時は共感できにくかったことを思い出す。 この作品の面白さは卓越した一気に読ませるストーリーももちろんだが、それぞれの登場人物のいきいきとした描写、ペテルブルクの暑さまで伝わってくるリアルな風景であろう。 ラスコーリニコフの未熟な怒りや思想ももちろんだが、怪人スヴィドリガイロフ、自首を勧めるポルフィーリイ、今でも近所にいそうな家主やカテリーナ、そしてソーニャや妹のドーニャ、中でもポルフィーリイとの犯罪がばれそうなぎりぎりの会話、カテリーナの狂信的なふるまい、スヴィドリガイロフのドーニャに対する愛と絶望、この生き生きとした人々の行動が我々を惹きつける。 これら周辺の人物の魅力と、青年の屈折した追い込まれた思想、その悔恨と再生。 ソーニャはなぜあそこまで身を呈して自分を大事にしないひとりよがりなラスコーリニコフについていったのか? 愛というよりは献身であろう。ここの流れは現代の我々には理解に苦しむところがあるし、最後に愛がすべてを救ってしまうのはなんだがご都合主義的なにおいもして、素直には受け入れ難いが、全編に通じて感じるドストエフスキーの人への興味と時代の批判を味わえる傑作である。 ノンストップなエンターテーメント、永遠の傑作。 | ||||
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久々に少し読み返して見ると、高校生の頃に読んだ印象と全く違う事に驚きました。あの頃は単純に当時かっこいいと思っていたスーパーモデルがドストエフスキーを愛読していると知り、感化され読んでみたもの、主人公のラスコーリニコフの壮絶なる苦悩と葛藤、敏腕予審判事のポルフィーリィとの壮絶な心理戦と頭脳戦に心身ともに疲れました。ラスコーリニコフの考え方にこっちまで発狂しそうになりました。。若かったからでしょう、今は冷静に受け止める事が出来ます。やはり、考えすぎるのは良くない。。ですね。 | ||||
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亀山版「カラマーゾフの兄弟」を読み、安岡版「貧しき人々」を読み、今回本書を読みました。 誰が訳したかなどという議論は置き、面白さを堪能できました。 てんこ盛りの小説です。嘗て檀が長編は長すぎたら前と後をちょん切ればよいと言っていましたが、本作は緻密な構成で無駄がありません。 訳者には失礼かも知れないが、老眼が入り始めた私には一頁当たり米川岩波版817文字に対して、亀山光文社版は570文字。 そう、字が大きいのです。 これだけでも選択理由になります。 確信犯として斧を振り下ろして「越えて」いけると考えた23歳の青年が彷徨う青春記です。 矢張根底にはキリスト教がありますが、「カラマーゾフの兄弟」ほど、知る必要なく読了できます。 第三巻を読んでる最中にふと坂口弘の事を考えてしまいました。 二つの家族、二人の犯罪者、友人たちが徹底的に話をてんこ盛りにしてくれます。 亀山氏に教えを請うていた外大を卒業したての青年に「おい、次はいつ出るんだ。」と訊いたところ、「翻訳でバッシングに遭い、学長にもなって忙しくなったので、もう出版しない。」て言ってましたよ。と聞いたが、実は今年の9月に「悪霊」が順次出版されるらしい。 実に楽しみです。 ドストエフスキーだからとか亀山訳だからで読むのではなく、面白さてんこ盛りの小説として「罪と罰」をお読み下さい。 これが亀山氏の功績です。 | ||||
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初めて罪と罰を読んだのは中学生の時。 その時は新潮社版でしたので面白いけれども読みにくいな と思いながら読んだ覚えがあります。 その新潮社版と比べるとこの新訳版はとにかく読みやすい。 すらすらと内容が頭に入ってくるので 罪と罰という小説を純粋に楽しむことが出来ました。 気楽に罪と罰の世界を楽しみたい方にお勧めです。 私はエピローグが大好きでここばかり何度も読み返していますが ラスコーリニコフが悪夢を見たあと 人間として心が甦っていく描写が本当に素晴らしい。 何度読んでも心を打たれます。 | ||||
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多摩市での講演会に足を運び、遅ればせながら、第一巻、読了しました。なんと20年ぶりの再読です。前回は、新潮文庫でしたが、いま比較しながら読んでも、驚くほど洗練され、すばらしい流動感に満ち、なおかつ濃厚です。これなら若い人でも一挙に読みとおせるでしょう。岩波の江川訳には、微妙なクセがありますが、それがありません。日本の新しさは抜群です。新訳というのは、それなりに意味があるのだな、ということを実感させられました。迫真の場面は、やはり馬殺しと、老婆殺しの場面でしょうか。この二つの場面を読み比べてみれば、今回の新訳がいかに画期的かわかるでしょう。 | ||||
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ドストエフスキーの代表作であり、その特徴である精神の葛藤の描写が存分に味わえる作品です。 人間の罪と罰、そして愛。自分自身、読みながら多いに考えるところがありました。 最近の小説などは「軽く」てお手軽に読めるものが多いが、しばらくするとその内容を忘れてしまうようなものが多い気がします。 ドストエフスキーの本は、非常に重厚感があり、面白いのになかなか進んでいかないという読み応え十分な本ですね。 最近の本に物足りなさを感じている人は是非読んでみていただきたいです。 工藤精一郎の訳がまた良いんですよ。 | ||||
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お話は婆さんを殺した方が有益と考えて婆さんを殺したら婆さんの娘に見られて無益な娘までも殺してしまって葛藤に悩まされると言うお話なんですが毎回読むと自分で感じる考え方や背景などが段々変わって行って読む度に引き付けられて行くと言う不思議な物語です。最初に読んだのが四年前。久々に読みたくなったので購入することに。最後に長く引っ張ってた伏線が最後に解った時はすっきりします。読む時はお金の単価を調べてから読んだ方が良いかもしれません^^ | ||||
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混沌に陥った当時の社会影響と、愛と信仰(信仰への憧れ)を通して更生を成した青年の物語です。 時代背景が我々では想像も付かないようなドン底にある上、青年が容姿に優れ、非常に賢い、将来有望であること。貧困にあるとはいえ一般的には(外的に見れば)恵まれている部類に入る。特殊な性格の持ち主であること、を含んでも尚、共感を覚えずにいられない。人間の本質に迫った作品なのだからでしょう。 我と現実と理想と傲慢と誠実と、もうずっと葛藤してきた主人公の病状は慢性化し、どうやったって改善の余地はないように思えるのですが、 たった七年間の牢獄での暮らしの中で、ソーニャの献身に触れ、彼女への愛を確信し、 割りとあっさりと改心してしまいます。筆者自身獄中生活を体験したことから、このことは非常に象徴的です。(この経緯に信仰が深く絡みます。また作者が無神論者であること。つまり信仰にたいし否定の立場にたった上で、客観的な信仰を語るのですから、興味深い) 自分は出所を終えた時、きっと今ある考え方とは違ったものになっているのだろうか。 主人公は作中でこの旨のことを何度も思案しています。 物語はもっとずっと複雑で ほんの一部分に触れただけなのです。 | ||||
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great condition and good book | ||||
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凡人であるならば、現行秩序を踏み越える権利を持つ、といった理論に従い殺人を犯す青年ラスコーリニコフ。 自らが非凡人ではないことに気づき、彼の闘いと苦悩が始まる。 罪を犯し、罰が与えれ、その先にあるものは…。 人間の本性を忘れ、理性に頼った行動が人間を破滅させることを説いた一冊です。 | ||||
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この『罪と罰』が、私が近代西洋の文学や思想の本を読みあさるきっかけになった本でした。ドストエフスキーは作家として、これ以降の文学や思想に大きな影響を与えている人物です。旧ソ連に地理的に近いヨーロッパだけでなく、近代の日本にも影響を受けた作家がいます。それほどに作家や哲学者のあいだ、ひいてはある種のひとたちに内在する普遍のテーマを書いてきたというか、打ち立てたのだと思います。 ドストエフスキーの書くたいていの物語には、「神がいなければ、すべてはゆるされている」という思想が描写されています。この罪と罰の主人公、ラスコーリニコフもこの思想を一つのかたちで体現し、そしてそれは正しかったのかという疑念にさいなまれます。その最後まで続く苦悩のプロセスが、のちに続く作家たちに大きな影響を与えたのだと思います。 一つの物語として、また、後世にも広く影響を残した哲学の資料としても価値を持った本だと思います。 | ||||
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悪いことをして平気でいる人の精神は病んでいる。 精神が病んでいると、どんなに健康な体でも、思うようには動かなくなる。 自分が思うように動くのではなく、他人の思惑でしか動けなくなることが、 悪いことをしても平気でいられる人の精神構造なのだろうか。 人が悪いことをしたときには、社会的な手続きに従って、粛々と対応されるのがよいのだろう。 逃げれば逃げるほど、追いかけてくるものがあるように感じていくのだろう。 自分で自分の影におびえていくのかもしれない。 罪を犯した人への、罰のあり方を考えさせられる作品です。 罪を犯した人は、それだけで、精神的にはもう罰も受けているのだという。 | ||||
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私もいつか私のソーニャに出逢えるだろうか… 私もいつか誰かのソーニャになれるだろうか… 難しい解釈などたぶん必要ない。 これはソーニャの愛の物語なのだ。 | ||||
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