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罪と罰
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【この小説が収録されている参考書籍】
罪と罰の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全369件 201~220 11/19ページ
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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発行年が古く、やや読みづらいが、これは読み手の問題だろう。 古いほんが手に取れて良い。 | ||||
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大学生の頃以来、15年ぶりに読みました。人生で何度か読むべき本とはこういうものを指すのですね。最初も面白かったけど今回はもっと面白かったです。次回はもっともっと面白いのでしょう。 | ||||
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長く重い小説なので、読了後の達成感もひとしおですが、 まだまだこの物語の続きを見たくなる、そんなラストを迎えました。 罪を犯した人間とその周囲の人々による心理劇、という言葉ではとても表しきれませんが・・・ 上巻にも増して下巻では、各々の腹の探り合い、ギリギリの精神状態でのカマの掛け合いが際立ちます。 それぞれの登場人物の思惑が絡み合い、ねちっこい論戦が展開されます。 ほとんど完全犯罪であったはずなのに、徐々に追い詰められていく主人公が危うい。 いつ狂ってしまうかと思うほど。 物語はペテルブルグの町の中だけで進行します。 非常に箱庭的だと思いました。 いろんな人がいて、それぞれの狙いや思想があり、出会い、別れ、事件を起こす。 それを上から眺める著者と読者。 この物語は、人間観察記録とでも言えるのではないでしょうか。 人間をしらみに例えるシーンがありますが、まさにアリの観察のような。 主人公の特殊な持論は頑丈で、なかなか崩れません。 しかし最後の最後で、がちがちの思想を温かく溶かしたものが、あの人の存在でした。 つらい出来事の多い物語ですが、最後の展開のおかげで心地よい読後感を得られました。 最後の段落が素晴らしい。 読了できてよかったです。というか読み始めたら引っ張られるようにどんどん読めました。 ビッグネームと本の厚さに二の足を踏んでいる方、とりあえず勢いで読んでみましょう。 | ||||
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一度挫折しましたが、再挑戦です。 最重要そして最重量級の古典です。 とにかく登場人物の名前が覚えにくい(笑) 長く、馴染みのない発音で、しかも呼称がいろいろ変わります。 苗字で、ファーストネームで、あだ名で、いろいろ呼びかえる。 何回かは混乱するでしょう。 しかし、読んでしまう。 重く、冗長な語り口ですが、登場人物の葛藤と心理的なせめぎあいは絶品。 発表から150年近く経ってなお、共感とスリルを味わえるとは。 この作品は人間の変わらぬ基本原理を突いている気がしてなりません。 数多い登場人物が織り成す人間模様にも注目。 ただ通り過ぎただけと思われる人物が、後々事件につながってきたりします。 このストーリーメイクも、ぐいぐい読ませる要因になっているでしょう。 物語はまだ半分ですが、 すでに戦慄を覚えるような場面にいくつか出くわしています。 この勢いのまま、下巻も読了してしまいたいと思います。 | ||||
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個人的には、江川訳は、好きで、普通に信頼度も大丈夫です。 翻訳書としては、原訳や米川訳がスタンダードとされています。付け加えておきます。 また、本書を何度か読んだ後、『謎解き 罪と罰』江川卓氏を通読されることをお薦めします。 作品の理解に役立つというよりも、ドストの偉大さに圧倒されることでしょう。 『謎解き』は、研究者の間では、パズル的なアプローチのためか、評価がしにくいようです。 念の為、付け加えておきます。 でも、『謎解き』 とても、面白いです。 繰り返しますが、ドストの偉大さに圧倒されることでしょう。 また、『謎解き』を読むと、ドストの偉大さだけでなく、作品を読み解くのに、このような方法がある のかと言う驚きもあります。 そして、この読み解きだけでは、きっと満足できなくなるはずです。 例えば、ドストの魅力と特徴であるリアリティなどです。 一体どうやって、ドストは、このリアリティを生み出しているのかと、そのエッセンス(創作手法)に ついても、是非とも知りたくなると思います。 このようにドストの種々の創作手法に興味を覚えた時点で、難解だ、難解だと言っている世界から、 別の次元に立っています。 そして、『謎解き』と異なるドストの別の創作手法から、作品の解説(読み解き)がされている、 きちんとした文献も読みたくなること、請け合いです。 そのようなきっかけとなるのであれば、『謎解き』は、害はないと思います。 個人的には、やはり、『謎解き』は、お薦めです。 とにかく、『謎解き』 面白いです。 是非、本書読後に、合せて、通読してみて下さい。 | ||||
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とても分量が多い本ですが、それを思わせないように引き込まれます。 頭の中の観念から実際に人を殺した主人公が、現実との葛藤を苦しむ。 キリスト教では、赦しという考えがあるようですが、それがどのようなものかを少し感じたように思います。 キリスト教社会と接点がある方は一読の価値ありです。 小説として、宗教理解として面白かった。 | ||||
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この物語を真摯に読む者は、恐ろしい経験をするだろう。それはまるで、未来の自分が目の前にいて運動しているかのような幻覚である。・・・ラスコーリニコフは、全てが終わった所から始めた。そしてあの恐ろしい殺人を行ったのである。・・・ところが、それが物語の始まりなのである。ドストエフスキーの恐ろしさは、ここにある。我々が死を越えるほどの絶望を体験していない時、おそらく人類ーー我々は、まだあのラスコーリニコフのスタート地点にすらたどり着いてない。だとすれば、我々はやがて誰かに向かって、あの斧を振り上げたりはしないだろうかーーー?。・・・自分は常識人だから、そんな事は絶対にしない、自分は幸福な市民だ、収入もある、という奇特な方ももちろんいるだろう。だが、ドストエフスキーはぬかりなく、書いている。この物語の最後で主人公は一つの夢を見る。そこでは、めいめいの人間が自分が正しいと信じて他人を害する、という病にかかっており、それによって人類は滅亡する。・・・さて、現代のこの世界は、そんな夢の中の世界に酷似していないだろうか。我々は自分が正しいと信じる所から始めていないだろうか?・・・我々の誰が、あの恐ろしい病にかかっていないと断言できるだろうか?・・・そしてその最初の罹患患者が、ラスコーリニコフという、超人に憧れた凡人であった。そして歴史は繰り返す。ドストエフスキーの死後に、あのスターリンや、ヒトラーといった、自分を絶対にねじ曲げる事のできない奇妙な超人が現れ、あらゆるものを殺戮の海に叩き込んだのだ。 私は何の為にこの批評を書いているか、自分でも知らない。ラスコーリニコフもまた、自分の自意識から逃走しようとして、あの恐ろしい殺人を行ったのだが、結局、その自意識から逃れられなかった。だが、彼は贖罪の途中で、何ものかを見た。(ラストの遊牧民の風景を見る場面の事。)そして彼は救われた訳だが、それが何であるのか、作者は具体的には書いていない。それは、書けないものなのだ。だから、書かなかった。ここに一つの終点があるのだが、これはまた始まりである。ラスコーリニコフは、自分の罪を悔いる事、自分が殺人という罪を犯した事に対して、人間的に悔悟する事を覚えたのではない。(結果的にそうなったとしても。)そうではなく、彼ははじめて、精緻な頭脳によって、完璧を画した自分の理論が、現実に、世界に、自然に敗北した事を直覚したのだった。・・・そして、この青年の、彼自身の敗北は、同時に彼の第一の勝利であるはずである。何故なら、そこから彼の人生が始まるから。 | ||||
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一人の老婆の死とそれによって多くの人が助かるとしたら、その老婆を殺すことは許されるのか。 それは罪なのか、罰を課すべきなのか。 貧しさと正義感は両立するのか、貧しいものに他を助ける権利はあるのか。… Pさんも仰っていましたが、人生観変わります。私も高校のときに初めて読み、また今読み直したのですが、新しい発見があります。 多くの映画にも影響を与えている世界的名著ですね。私も原語で読みたいのですが、なかなか進んでおりません。 自己(と家族程度?)の利益を最大化すればいい、という考えはまっとうで倫理的に責められるべきでない。 そう考える一方で、どうしても社会を考えてしまう、どうすれば、ドストエフスキーのいう罪となりうるほど貧しさに苦しむ者を救えるのか。 いくつかの考えが出来る。 一つの考え方は、自己の利益最大化が社会全体の利益最大化につながる、というもの。 これが絶対的に、例外なく正しければ、幸せなんでしょうけどね。 また、自己の利益だけ考えて、弱肉強食というか、有能なものだけが残れば良い、弱い者は絶えてしまえばいいという考え方もある。 それに対して、社会の利益のためにある程度の個人の利益は犠牲にされても構わないという考え方もある(程度が問題なんでしょうが)。 ・・・その考え方の下で個人的な罪悪感の形成と、社会的な刑罰のあり方。 19世紀にこういう形で提起された根本的な問題は今も解決されない、というか 絶対的に正しい答えはないけれど考え続けなければいけない問題なんだと考えさせられました。 | ||||
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普遍的ともいえるロシアの長編文学作品「罪と罰」の下巻です。 ドストエフスキーらしい、良くも悪くも長大な物語と、生々しい人間描写。 「一つの罪も百の善行で打ち消される」との考えで殺人を犯したラスコーリニコフ。 しかし予定外の殺人も犯し、その良心の呵責にとらわれたラスコーリニコフが最後に下した決断とは? 現在のどんなドラマよりも驚くほどドラマティックな展開です。 仮に「計画通り」の殺人がなされたとして、はたして彼は同じように「罪と罰」を感じることはできたのか? そのように考えると、本作品は無限の広がりを見せるのかもしれません。 また、違った角度ですが、あの「刑事コロンボ」でおなじみの「先に犯人が分かっていて、それを刑事が追いつめる」という手法の元祖が描かれています(解説にも掲載されていますが)。 ともあれ、本好きなら一度は通っておくべき「ドストエフスキーの大作」です。 | ||||
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歴史的な文学作品もきちんと読もうと思い、手に取ったのが本書です。 ドストエフスキーときくと、どうしても学生時代に学校の先生が評していた、 「ロシア文学は長ったらしい」 「ドストエフスキーは暗い」 という先入観があったのですが… 良い意味でその通りでした。 貧しい学生ラスコーリニコフが「小さな罪もそれ以上の善い行いに使えば罪は無い」的な、今でいうところの厨二病のような考えで、強欲な高利貸の老婆を殺す計画を立てる。 計画は見事に成功のはずが… カバー裏のあらすじには「鋭敏な頭脳」とありますが、正直言ってラスコーリニコフは頭が良すぎるのか、熱病にうなされたのか良くも悪くも「厨二病」のような考えを行動に移します。 このように書くと、冒涜しているように思えますが、途中のラスコーリニコフの考えや行動は、正直「頭が良い」とは言えません。 そして、結局計画通りには殺人をできず、別の人間をも殺めてしまいます。 しかし、それでも本書が文学作品として高い評価を得ているのは、その内面の「極限状態」の人間描写・心理描写が驚くほど生々しいからでしょう。 おそらく、そこには作者のドストエフスキーの泥臭い人生経験があるからだと言えるではないでしょうか。 上巻での数々の「起」「承」は、どのような「転」「結」を見せるのか…それは下巻で明らかになってきます。 | ||||
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昨夜読み終えた。そして一睡もできず朝を迎えた。 今、レビューを読みながら、ああ私は世界がクリアに見えるようになってしまったために、目が覚めて寝付けなかったのだと理解した。 「小賢しいことは言わず、とにかく生活を始めろ」というポルフィーリーの忠告が、今の私には一番痛かった。 早速その忠告に沿って健康的な生活を始めようと思って布団に伏したのに、初日からできなかった。 でもそれも「生活」なのだ、と筆者は言うだろう。自分の信条が不適合なものと分かったところで、それがどうした?と。 かっこよさとかかなぐり捨てて、生き延びるのだ。 自分が自分の太陽でありさえすれば、誰かとの関係のなかに新しい物語が生まれるはずだ、と信じて。 | ||||
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あまりにも有名なこの題名。 日本では一番人気じゃないだろうか? この主人公、今の日本にたくさんいるだろう。 自分にだって当てはまる部分がある。 こういう、当たり前の視点があるのが、ドストエフスキーの良いところ。 犯罪者も一市民もたいして変わりない。 その境界線はどこにある?と考えて、ドストエフスキーは夢中で書いたことだろう。 集団心理なら悪霊がオススメ。 社会、を必要とする人間にとっての最大の課題は何か? それは、〈共存〉、である。 | ||||
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世界的に有名で、教科書にさえ載っているドフトエフスキーの「罪と罰」。 さも文学的で読みにくいのかと思いきや、普通に小説。 普通に面白い。 一つ一つの文章やセリフが長いので、全体的にかなり長編になっているけれど、 読んでしまえば意外にサラリと読める。 私が読解力が無いからか、ちょくちょく意味不明な文や、一つ前の文と180度反対の ことを言っているようにしか思えない文があったけど、そこはスルー。 最後まで読んでよかったと思える作品。 ほかの作品も読んでみよう。 | ||||
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ドストエフスキーの5大長編小説の、最も初期のものです。 はっきり言って他の長編に比べると、明らかに質は落ちます。 (それでも傑作であることに間違いはありません。) この本の冒頭のテーマは、 「一つの瑣末な罪は、百の善行により許されうる」 といったものです。 しかし、物語が進行するにつれ、主人公ラスコーリニコフは、 その思想を変えざるを得ない状態に追い詰められます。 この物語を読んで思い知らされることは、 ドストエフスキーは圧倒的に人間の心理を描くことに長けていたということです。 もはや、衝撃的といっても過剰ではありません。 もう、150年ほど昔の作品ですが、古さを全く感じさせず、 現代でも十全に通用するテーマを読む者に突き付けます。 この本に衝撃を受けた人は「現代の預言書」とまで賛辞を送っています。 人間の存在に対してなんらかの疑問を持っている人は読むべきです。 | ||||
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一言でいえば、よくわからない作品です。 読んでいるうちにころころと考えが変わる主人公を見ていると こちらまで頭の中がかき回され不安定な状態になります。 しかし、そのように意味がわからないと考えれば考えるほど 作品を楽しめているのではないでしょうか。 合わない人は考えるまでもなく読むのをやめてしまうと思います。 ただ、登場キャラの名前が異常なまでにわかりにくのでwikipediaなど 見ながら読むのは必須かと。 | ||||
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ドストエフスキーの代表作、罪と罰。たった今読了し、勢いに任せて筆を進めています。 本作では主に、人が殺人者になるまでとなってから、そしてその後、という過程が描かれます(他にも様々な読み方が可能ですが、罪と罰という題に則って)。それは外部の者が野次馬的に語ることが許されないほどの圧を持っており、本作を読むこと以外に経験しえない空間を作り上げています。したがって全体における内容及びその考察はここに記すことができませんし、そうすべきではないでしょう。私は、クライマックスについて考えたことについてのみ語りたいと思います。一読者の感想として読んでいただけたらと思います。 さて、私が本作の終焉で最も感じたこと、それは『罪は裁かれ、罰は救われる』ということでした。内容に触れてしまいますが、それは罪を抱えたままのスヴィドリガイロフと、罰を受けることになったラスコーリニコフの対比として明らかだと思われます。すなわち、同じくして罪を背負ったもの(おそらくスヴィドリガイロフは咎人でしょう)は、罰を被るか否かによって救いの有無が分けられるということです。 贖いという言葉があります。罪を償う、という意味です。しかし贖いは罪を認め、罰を受け入れる勇気を持った者にしか与えられません。罰を受けることとなったラスコーリニコフは最後の最後までもがき続け、自らの思想と異なる現実のギャップを憎み、挙句にはあれほど憎んでいたスヴィドリガイロフすら羨ましく思ってしまいます。その姿に読者は(なぜここまで来てそんなことを思うのだ!)と憤るでしょう。 しかし、多くのものを失い、自己をも失いかけたラスコーリニコフは、物語の一番の終焉で変化します。ソーニャという一言に賦することのできぬ女性の心の清らかさによって、恢復するのです。それは罰を避けた人間には与えられることなく、全てを受けいれる勇気を持った人間にのみ与えられる、最後の救いでした。 もちろんラスコーリニコフは無傷ではすみませんでした。当人だけではありません。母は死に、妹、友人、恋人全員が傷を負いました。しかし、ドストエフスキーの、『絶望的な状況においても、殺人者は恢復できるのだ』というメッセージを見たとき、思わず涙してしまいました。 全体として難解で、読むのに大変な労力を必要とすると思います(私も何度も挫折しかけました)。しかしそれはドストエフスキーがいかに苦心して作り上げた小説なのかが私たちに伝わってくるからなのでしょう。読了後、私たちはみな納得できるはずです。罪は裁かれ、罰は救われる。 未読の方、ぜひ読んでみてください。 | ||||
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ドストエフスキーの代表作、罪と罰。たった今読了し、勢いに任せて筆を進めています。 本作では主に、人が殺人者になるまでとなってから、そしてその後、という過程が描かれます(他にも様々な読み方が可能ですが、罪と罰という題に則って)。それは外部の者が野次馬的に語ることが許されないほどの圧を持っており、本作を読むこと以外に経験しえない空間を作り上げています。したがって全体における内容及びその考察はここに記すことができませんし、そうすべきではないでしょう。私は、クライマックスについて考えたことについてのみ語りたいと思います。一読者の感想として読んでいただけたらと思います。 さて、私が本作の終焉で最も感じたこと、それは『罪は裁かれ、罰は救われる』ということでした。内容に触れてしまいますが、それは罪を抱えたままのスヴィドリガイロフと、罰を受けることになったラスコーリニコフの対比として明らかだと思われます。すなわち、同じくして罪を背負ったもの(おそらくスヴィドリガイロフは咎人でしょう)は、罰を被るか否かによって救いの有無が分けられるということです。 贖いという言葉があります。罪を償う、という意味です。しかし贖いは罪を認め、罰を受け入れる勇気を持った者にしか与えられません。罰を受けることとなったラスコーリニコフは最後の最後までもがき続け、自らの思想と異なる現実のギャップを憎み、挙句にはあれほど憎んでいたスヴィドリガイロフすら羨ましく思ってしまいます。その姿に読者は(なぜここまで来てそんなことを思うのだ!)と憤るでしょう。 しかし、多くのものを失い、自己をも失いかけたラスコーリニコフは、物語の一番の終焉で変化します。ソーニャという一言に賦することのできぬ女性の心の清らかさによって、恢復するのです。それは罰を避けた人間には与えられることなく、全てを受けいれる勇気を持った人間にのみ与えられる、最後の救いでした。 もちろんラスコーリニコフは無傷ではすみませんでした。当人だけではありません。母は死に、妹、友人、恋人全員が傷を負いました。しかし、ドストエフスキーの、『絶望的な状況においても、殺人者は恢復できるのだ』というメッセージを見たとき、思わず涙してしまいました。 全体として難解で、読むのに大変な労力を必要とすると思います(私も何度も挫折しかけました)。しかしそれはドストエフスキーがいかに苦心して作り上げた小説なのかが私たちに伝わってくるからなのでしょう。読了後、私たちはみな納得できるはずです。罪は裁かれ、罰は救われる。 未読の方、ぜひ読んでみてください。 | ||||
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世界的文豪の代表作であり、その名前の有名さと長さから敬遠している方も多いと思います。 ですが、充分に「読んで面白い」作品ですし、それほど難しく考えずに読めると思います。 主人公が老婆を殺した動機うんぬんとか、理論と哲学が云々だとか難しく考えれば読み深めることは出来るのでしょうが、 必ずしもそれをしなくてはならないものでもないと思います。 個人的には、登場人物たちの対話を楽しむ読み方、ペテルブルグの下町の描写を楽しむ、 迫害された人間の苦しさを読みとる、ゆっくりと狂気にいたる仮定の描写を楽しむ。。。など色々な楽しみ方があると思います。 中でも物語後半のとある人物の葬儀(法要)の描写が最高に素晴らしいです。 かくありたいと願う本人の想いの空転と周囲の人々の振る舞いの不一致。 不幸ってこういうことだなと、思い知らされます。 なお、本作を読みづらくする要因の一つに登場人物の多さとその名前の長さがあります。 主要人物のみ下記に簡単にまとめましたので、ご参照ください。 何はともあれ、世界的文豪の代表作なので、話題の一つとして読んでおいて損はないと思います。 ということで★4つです。 <以下登場人物一覧> Aロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ (ロージャ):主人公。 Bアリョーナ・イワーノヴナ:高利貸しの老婆。Aに殺害される。 Cリザヴェータ・イワーノヴナ:Bの義理の妹。Aに殺害される。 Dアヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ (ドゥーネチカ、ドゥーニャ):Aの妹。 Eプリーヘヤ・アレクサンドロブナ・ラスコーリニコワ:AとDの母。 Fアルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ :Dを雇っていた家の主人。Dを誘惑。 Gマルファ・ペトローヴナ: Fの妻、故人。 Hドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン(ラズミーヒン):Aの友人。Dに求愛 Iセミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ :飲んだくれの元役人。 Jカテリーナ・イワーノヴナ・マルメラードワ :Iの妻。 Kソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ、ソーネチカ):Iの娘。Aと相愛 Lアマリヤ・フョードロヴナ・リッペヴェフゼル :I一家に部屋を貸している大家。 Mピョートル・ペトローヴィチ・ルージン ・・弁護士。:Dの婚約者でF,Gの親戚 Nアンドレイ・セミョーノヴィチ・レベジャートニコフ :役人。Mを間借りさせている。Kに思慕? Oポルフィーリー・ペトローヴィチ:予審判事。Aを追い詰める。Hの親戚。 Pゾシーモフ :医者。Hの友人。Aを診察する。 Qプラスコーヴィヤ・パーヴロヴナ (パーシェンカ):Aの下宿の大家。 Rナターリヤ・エゴーログナ:Aと嘗て婚約(故人。 Sナスターシヤ・ペトローヴナ (ナスチェンカ):Aの下宿の女中。 Tアレクサンドル・グリゴリーウィチ・ザミョートフ :警察署の事務官。Hの友人。 Uニコージム・フォミーチ:警察署長。 Vイリヤ・ペトローヴィチ:警察副署長。 Wニコライ:ペンキ職人。 | ||||
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