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落花
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落花の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.07pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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直木賞を受賞した著者の作品は過去に2、3読んだことがある。「若冲」は別として「腐れ梅」の読後感は良くなかった。 本書は、平将門を題材としており、舞台も常陸、下野や下総とそれなりに土地勘もあるところなので、期待して読み始めたのだが、やはりどうも面白くない。やっとのことで最後まで読み終えた。 巻末には参考文献のリストが収められており、それを見ると相当な準備が投入されている。著者の経歴を見る限り、おそらく最近の歴史学の成果も反映されているのだろう。そしてテーマの選択も類書には見られないもので、悪くない。仏教と音楽という切っても切れない関係にある2つの存在が本書の基底に置かれている。 ところがだが、出来上がった作品は面白くない。仏教と音楽というテーマが、この時代の文脈ではそうとうにわかり難いもので、この歴史小説の読者を引き付けるためには、それなりの創造的な昇華を必要とするのだが、つまるところわかり易く消化されていないのだ。 将門の描き方も平板だ。周りの係累の抗争に無理やり引き込まれてしまった人物という扱いだ。最近の歴史学会の定説はそうなのかもしれない。ただこれでは本作品の中心人物たりえない。歴史的な人物でもある寛朝もあくまでも傍観者の域を出ないのだ。寛朝が東国に現れた理由もどうも一般読者にはわかり難い。 全編を通して流れる東国と都の対立というストーリーも平板なもの。そこに霞ヶ浦を根城とする自由な存在としての「傀儡女船」という新味を加えてみたのだが、最終的に出来上がったストーリーラインはよくわからない。戦闘シーンに至っては、驚くべきことに、残酷な描写がかなり頻出するのだが、その美的昇華への努力にもかかわらず、とばし読みになってしまう。 この著者の作品、また読むことがあるのかな。 | ||||
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中古で購入しましたが、申し訳ないほど綺麗でした。読みやすく、これからどう展開するのかが楽しみです。 | ||||
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有難うございます | ||||
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発売当初〜気になり読みたい!と思いつつ忘れてました。ひょんなことからご紹介頂き注文!対応が早く!丁寧な梱包で安心致しました。読むのが楽しみです。有難うございました。 | ||||
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僧侶から見た平将門。史料か古典にそんなものがあったような気もしますが、話は皇孫の僧・寛朝が色々良くない噂のある坂東で出会った正直な男・平将門と出会う事で始まります。 武勇に優れ下々の者から慕われる将門に寛朝も惹かれて行くのですが、一方でお人よしすぎるくらいの性格を利用され大乱の首謀者として祀り上げられていく姿を歯ぎしりするような思いで見つめるしかありませんでした。 | ||||
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英雄史観的かつ英雄叙事詩的な海音寺潮五郎『平将門』に比べて、乱に翻弄される官人や僧侶、傀儡女たちの視点から描かれる生々しい戦禍としての将門の乱。かなり最新の研究成果も取り入れていると思う。 三里離れた山上から俯瞰する将門と秀郷の戦いが斬新。 最初、会話文のヘタクソさで乗りにくかったんだが(海音寺将門の台詞の妙! いや、彼が上手すぎるのだ)、最後は珍しく泣きながら読んだ。 海音寺潮五郎『平将門』という比類なき巨壁がありながら怯まず挑んだ快作。 素晴らしいと思います。 | ||||
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時代は平安時代だろうか。至誠の声を求める寛朝と琵琶の逸品を求める千歳が坂東(関東)へと旅をする。その中で、平将門や傀儡女、盗賊の異羽丸らと出会う。千歳は琵琶に取りつかれ、人の道を外す。寛朝は戦場の平将門に至誠の声を聞く。落花は綺麗な花なのか、戦場の血なのか。地獄を見ながら芸術を追い求める二人。 登場人物が多いので、最初は人物のメモをとりながら読むのが良いだろう。無駄な人物はおらず、誰もが歴史の中で翻弄されながら、歴史に流されていく。それを無常と言っても良いが、ここでは“落花”と表現するのが良さそうだ。 | ||||
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本の帯のキャッチフレーズ風に言えば、「目くるめく澤田ワールド。時は平安中期、所は坂東。野に海に繰り広げられる戦闘の中で見つけた『至誠の声』とは・・・。」でしょうか。 お経に節をつけて唱える梵唄(ぼんばい)、漢詩の朗詠、琵琶の音、香取の海(霞ヶ浦)に浮かぶ傀儡女船(遊女船)、野を駆ける盗賊、そして平将門の乱。歴史の通説とは違う物語ですが、古語を駆使した簡潔な文で、黒沢明のアクション映画さながらの迫力あるシーンが描かれます。 物語の展開で数か所、納得性にちょっと疑問を感じるところがありますが、梵唄(声明)の名手の僧侶・寛朝が坂東の野で探し、聴き、見つけた妙なる音、「至誠の声」の提示は素晴らしいものでした。 | ||||
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『陰陽師』にも登場する仁和寺の僧侶、寛朝と平将門の交流とすれ違い、その先に待つ平将門の乱が描かれています。 平安時代というと、きらびやかな京都ばかりがモチーフになりますが、本作はまだ未開の地だった頃の死臭漂う坂東が舞台です。その荒れた世相の中、それぞれの想いを胸に生き生きと暮らす登場人物たちの織りなす群像劇は非常に密度が濃く、読み応えがありました。最終的には史実通り将門の死に向かって進んでいきますが、歴史的にも不明な点の多い時代だからこそできる創作によって味付けされた物語、将門像はとても新鮮でした。 一つ、低評価のレビューがありましたが、この作品の初歩的な部分すら全く理解されていません。寛朝は「左遷」ではなく自らの意思で至誠の音を求めて東下りしていますし、本作の将門は「坂東の安寧を司る気高い男」ではなく、愚直に民のことを思う不器用な男として描かれています。きちんと内容も理解できず、ご自身の理想とする将門像と違うから駄作呼ばわりする的外れなレビューに踊らされて読む機会を逸するには惜しい作品です。 | ||||
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平 将門は平安中期の人物で下総、常陸方面の人なのに、神田明神に祀られていたり、首塚も大手町にある。 この本を読むと時代背景が良く分かります。 | ||||
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「音楽の追求」が主だと勘違いし、いつ本題に入るんだろう?のまま読了してしまい、肩透かしを食ってしまった感じに ↑の先入観を持たなければ、普通に人間ドラマとして楽しめたと思う 多分、自分の読む姿勢の失敗 | ||||
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平安時代の貴族社会の没落と武士勢力の台頭の時期、僧・寛朝の目を通して、関東地方の混乱ぶりを活劇風にえがかれた展開を、大変面白く読むことが出来た。寛朝自身の生い立ちが、貴族社会に浸かった生活だったのに対し、当時の関東は、別世界の様相であったと思う。梵唄の名手、琵琶の名器を求めて彷徨う姿が、戦場の喧騒の中で聞こえる「音」に凝縮されていく部分は、梵唄を知らないものにも、無常観とともに伝わってくる。 平将門や平貞盛との交流場面も、新しい社会の幕開けとして大人物であったような風格を想わせている。 最近の書店では、歴史小説・時代小説のジャンルが隅に追いやられているような気がしている。彼女(著者)の作品をすべて読んでいる私は、何か文学賞を取って欲しいと願っている一人です。健闘を祈ります。 | ||||
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読売新聞の連載をとびとびで読んで、『若沖』で話題(直木賞候補になってた)の著者だし本になったら読みたいな、と思っていた作品。 主人公は二人。私でさえも知っている平清盛と、寛朝という、徒然草でおなじみ「仁和寺」のお坊さん。仁和寺の法師といったら、お調子者だったりうっかり者だったりというイメージしかなかったのですが(兼好のせいだ)、この寛朝は生真面目で、悩みの多い「音楽家」。彼が究めようとしているのは、琴でも琵琶でも笛でもなく、梵唄(ぼんばい)です。 ボンバイ。このイマイチ聞き慣れない音楽ジャンルが、数年前、友人に誘われて聴いた声明(しょうみょう)と同じものを指している、と気づいた瞬間、私はこの物語の虜になりました。 それまで足を踏み入れたこともなかった築地本願寺に溢れる、幾重にもかさなったお坊さんの声。歌のような、お経のような、不思議な音階の連なりが、大きな大きなうねりになって、圧倒された私は、もうこれはただ頭を垂れて手を合わせるしかない……という気分になったものでした。あんなに感激したのに、その後すっかり忘れてました。不信心でお恥ずかしい。 ともあれ、この物語全編を貫くのは「音楽」です。寛朝の追い求める「至誠の声」、将門が戦場で響かせるさまざまな音、その他の登場人物も皆、それぞれの音楽を携えています。音楽の素養なんてろくにない私ですが、この作品を読んでいる間、どんなシーンにも、高く低く音楽が流れているのを感じました。この作家さんは、音楽と共に生きて死ぬ人間の業の深さを丹念に描写することで、インクの乗った紙の束に「音楽」を生み出そうとして(たぶん)、そしてそれは成功している、と、思います。 漢字はたくさんだけど難しい単語はそう多くはなく、登場人物のセリフは平易で、とても自然。丹念に選び抜かれた(これは間違いない)言葉の連なりを気持ちよく辿っていくうちに、物語はぐんぐん進みます。 それにしても、登場人物の内面を含む描写の細やかなこと。想像だってことは承知してるんですけど、私には、目の前で起こっているものごとをそのまま書き留めている……くらいに感じられました。平安時代って異世界なんかじゃなく、現在と地続きなんだなあ。こんな実感をもっと早く持てていたら、興味を持って日本史を学べていたかもなあ。 澤田瞳子さん、すごい。他の作品も読みます。 | ||||
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主人公の寛朝は、将門の乱の際に祈祷をしたという実在のお坊さん。 将門との間のこんな交流があったら…という設定がじつに魅力的で、 立場のまったく違う二人のあいだの友情に胸をうたれました。 寛朝が究めようとしている梵唄についてはまったく知りませんでしたが、 その歌声や琵琶の音が行間から音がたちのぼってくるような、素晴らしい読書体験でした。 | ||||
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読売新聞の夕刊に連載されていた小説を単行本化したもの。宇多天皇の孫に当たり、雅楽の名手でありながら父親(更なる名手)に疎まれて武蔵国の国司へと左遷された寛朝という僧の眼を通して、「平将門の乱」、を描くという新しい視座の作品。海音寺潮五郎氏「平将門」との比較が楽しみだった。なお、題名の「落花」とは雅曲の名称であるが、"都落ち"の意味も兼ねているのだろう。 結論的に言うと、海音寺氏の作品が史実を骨格とした歴史小説であるのに対し、本作は良くも悪くも作者流の抒情的時代小説である。もっと言えば、坂東に"都落ち"した僧を主人公とした「伊勢物語」風"貴種流離譚"の一種である(寛朝=在原業平という見立てか)。寛朝の唯一の望みは、10年以上前に坂東へと突然隠棲した"雅楽の天才"の是緒という貴族を探し出し、その教えを乞う事であるが、それならそれで、"雅楽の世界"に焦点を絞った物語に仕上げれば良かったと思う。実際、全体的に"侘び寂び"は良く描かれているとは思うが、これなら、「平将門の乱」を題材とする必然性は皆無だった。その上、本作のトーンに合せるためか、将門を坂東の安寧を司る気高い男(寛朝が将門に"至誠の声"を聞くというから呆れる)として描いている点にも違和感を覚えた。現存する史料が全て正確という訳ではないが、「平将門の乱」はかなり偶発的に起こった行き当たりばったりの事変であり、将門は計画性や理想を持たない粗野な男というのが定説である。それにも関わらず、「平将門の乱」が後世(特に源頼朝)に大きな影響を与えたという事実を軽視している点も如何なものか。また、戦闘の描写は作者の不得手を反映して凡庸極まりなく、これまた、「平将門の乱」を題材とする理由を見出せなかった。結局、寛朝の悲哀を際立たせるために、(京と比して)鄙びた「坂東(将門)」を"ダシ"として利用したという印象を払拭出来なかった。 「若冲」を読んだ時にも感じた事だが、作者は自身の抒情的世界を守る事だけに懸命で、題材はどうでも良いと考えているのではないか。作者の熱狂的ファンは別として、新しい視座からの「平将門の乱」を期待した一般読者にとっては落胆するしかない駄作だと思った。 | ||||
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