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同潤会代官山アパートメント
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同潤会代官山アパートメントの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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興味深く拝読しました。 | ||||
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家族四世代の物語、私はこの二世代目にあたります。反省多し。涙目になりながら三回読み返しました。もっと若い時に読めばよかったです。追記、また何度か読み直しました。亡くなった父母を今になり思い出しました。過去に生活した土地をもう一度見に行く計画を練ってます。 | ||||
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具体的な建築物が舞台であり、土地勘?がないと若干残念かもしれない。周辺の雰囲気も同様。 個人的には、物語そのものも舞台も、面白く楽しんだ。 | ||||
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読み始めはつまらんと思いながらも、ビブリア古書堂の記憶が残り楽しみにしながら読みましたが、何というか自分たち世代には心の底を洗うような感動を与えてくれました。そうだったんだよなと思いだしながら、東京なんて知らないのに自分の故郷と住む町の思い出をたどっていき、たった一家族の長くて短い時の流れの中に、人の営みや感情をアルバムのように紐解くのは大変だった思いがあります。世の中、不満や鬱憤など渦巻いていて、普通は仕事場が多いですが、家庭を俯瞰したのは家族の中でも小さな世界があってそれが地球規模になると何と大変なことなんだろうと、ずいぶんと思いふけり感情が渦巻いて切なく人ひとりでも、世界は違ってそこに生きざまがあるけど表現しきれない辛さがあり、人の一生では時間が足りない気持ちになりました。物と人と気持ちの絡み合いが晴々とします。 | ||||
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代官山のアパートで暮らす歳月は、そのまま私たち夫婦のボロ家での暮らしそのものでした。 | ||||
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ビブリアが大好きで、三上さんの他の作品を読んでみたくて購入。 他のかたのレビューにもありましたが、たんたんと続くストーリーに懐かしいような、暖かい気持ちをもらいました。 その時代ごとの素朴さの中にある、各登場人物の青春の煌めきも感じました。 私は三上さんの作品がまた読みたくなりました。 | ||||
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ビブリアシリーズは知っていましたがライトノベルのイメージがあって読んだことがなく、読後に同じ作者だと知りました。 関東大震災から激動の時代を真摯に生きてきた八重さんと家族の物語です。最新式の憧れの住宅が老朽化して建替を迎えるまで、世間にも家族にも様々な変化が起こり、一人一人を主人公にしながら移り変わりとお互いを想い合う様が描かれます。 甘さや感動だけではなく、時代をしっかり土台に据えて厚みがあり、読み応えがありました。 森絵都「みかづき」を挙げたレビューがありましたが、私はより建物の役割が濃い中島京子「ちいさいおうち」、また市井の人が時代の中で懸命に生きる姿という点で「この世界の片隅に」を思い出しました。 表紙のイラストで食わず嫌いしていたので嬉しい誤算でした。軽薄なストーリーに見えて損をしていると思います。 | ||||
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物語はたんたんと続くけれどなんとも言われない暖かみがあります。 | ||||
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代官山にある同潤会アパートを舞台に、何世代にもわたる大河ドラマを見せられたよう。一気に読むと余計にそう思う。 登場するのはごく普通の庶民ばかりだけれど、物語の質は芳醇。どれもこれも味わい深い。私はやはり、千夏ちゃんが好きかな。 冒頭のプロローグは最初何のことかわからないけれど、全部読み終わってから冒頭に戻って再読すると、なるほどなるほどという世界。一層味わい深い。 本来なら星5つあげたいところなのだけれど、個人的な減点箇所が一つ。それは童謡「月の沙漠」をめぐって、「月夜に照らされた砂漠」(本書13頁)と説明しているところ。 いやいや、「砂」漠ではなく「沙」漠」なので、これは海岸の砂浜のこと。サンズイだから砂よりは湿り気があるわけです。よく調べて書かないと。 | ||||
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素敵な本を読み終えて本を閉じる時の幸福を久しぶりに味わった感じ。 '71生まれの筆者が、よくまあこんなにこなれた筆致で、優しく深く昭和を見つめて書ききったものだと思う。 本の未来は明るいかも。 | ||||
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三上延は世代をまたいだ家族の物語を得意とするのだろうか。ヒットした『ビブリア古書堂の事件手帖』は、篠川家の女性が智恵子→栞子→扉子とつながる。それを、そばから見つめるのは五浦。彼女らのような能力を持たないが、だからこそ冷静に見守ることができる。違っているようで、血は争えないと思わせる強烈な個性が三代にわたって受け継がれる。幼い扉子にさえも。 『同潤会代官山アパート』では、八重が続いていく家族の系譜を見守る。完成したばかりの同潤会代官山アパートに引っ越してくる八重。やがて娘の恵子が産まれる。戦争をはさんで、恵子は婿である俊平と同じアパートで暮らす。恵子は二人の男の子を産み、その子も大人になり結婚して子どもが生まれる。八重はその間もアパートに住み続ける。 アパートとその住人は、日本に起きた大きな出来事を見続けてきた。そもそも、同潤会アパートが誕生するきっかけになったのが関東大震災だ。それが、太平洋戦争を生き延び、高度経済成長を経験し、バブルとその崩壊を経て、物語の最後は阪神大震災。八重は同潤会代官山アパートとともに日本と自分の家族を見つめる。 | ||||
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かつて東京にいくつかあった同潤会アパートのうち、代官山に存在した建物で営まれた4代の家族の物語を描く連作短編集です。 ◇「月の沙漠を 1927」 :茅ヶ崎の小間物店に育った八重には4つ年下の妹・愛子がいた。その妹は4年前のある日、結婚の準備のため、東京・上野に出かける。上野の凌雲閣から“遠くに見”える景色を楽しもうとするのだが……。 八重は4年後の今、夫の竹井とともに代官山のモダンなアパートの3階で新婚生活を始めるものの、この新しい建物がどうも気障りでなじめません。そんなある日、妹がかつて竹井に宛てた封筒を見つけてしまいます。大正から昭和へと時代が変わったころの日本女性が持つ奥ゆかしさから、八重はその手紙のことを竹井に問いただすことができずにいます。 そして物語の最後で、愛子が書き残した言葉と、竹井自身がこの新築アパートを選んだ理由が明かされます。その言葉と理由を知った私は、思わず目に熱いものがこみ上げてきました。奥ゆかしきあの時代に、人が人をそっと慈しむその心根の美しさに胸打たれたのです。 作者・三上延の紡ぐ言の葉が心に静かに添いました。 ◇「恵みの露 1937」 :12月、竹井は娘の恵子のためにネコのぬいぐるみを買って帰る。それを八重はクリスマスまでこっそり米櫃に隠しておいたのだが、しばらくするとそれが亡くなっていた。そういえば竹井家には、同じアパートに暮らす少年・俊平が遊びにきていた。俊平は素行が悪いと近所で評判だ。果たしてプレゼントを盗んだのは俊平なのか……。 1937年といえば日中戦争が始まった年です。日本は勇ましく逸(はや)る気持ちに満ちた世の中となっている頃ですが、一方で戦時にクリスマスでもなかろうという自粛ムードが社会を覆っています。そんななか、クリスマスプレゼントをめぐるささやかな謎が同潤会アパートの二つの家族にさざ波を立てます。 その謎は立ち現れたときと同じように静かに消えていきます。その刹那、私は、クリスマスの精神を端的に表しているディケンズの小説の次の言葉を思い返していました。 「とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持になって人を赦してやり、情けふかくなる楽しい時節ですよ」(ディケンズ『クリスマス・キャロル』村岡花子訳/新潮社) ◇「楽園 1947」 :昭和22年、道玄坂の東宝映画劇場で『素晴らしき日曜日』を観ていた恵子は、少し前のほうの席に俊平がいるのを目にする。復員兵の俊平はなぜか同潤会アパートへと戻ってこようとしない……。 終戦後、物語は恵子と俊平の世代へと本格的に引き継がれます。そして俊平はレイテ島での苦い記憶を抱えていて、それがアパートへと向かう気持ちを削いでいることがだんだんと見えてきます。 それでも恵子の存在が、俊平の気持ちをきっと変えてくれるのではないかというほのかな期待を伴って物語は閉じるのです。 ◇「銀杏の下で 1958」 :八重はある日、孫の浩平と進を預かる。元気いっぱいの浩平と内気な進。恵子は「最近 火遊びをしようとする」と心配げだった。確かに浩平はマッチを擦ろうとするが、不器用で火がつかない。そして事件は起こる……。 同潤会アパートが建って30年が経過し、建物も少し古くなってきました。八重と恵子は増改築を検討しはじめます。そんなときに起こった事件で、八重は30年大切にしてきたものを失ってしまいます。それでもそのかわりに大切な家族を守ることになるのです。時代と世代が移り変わるさまが、この<交換作業>の中に浮かび上がってくる展開が見事です。 ◇「ホワイトアルバム 1968」 :進はある日、ラジオでビートルズの「バースデイ」を聴く。すでに英国で発売された新しいアルバムに収録されていると知り、日本ではまだ売っていないそのレコードがほしくなる。つてを頼って、渋谷・百軒店のレコード店にたどり着くのだが……。 高校生になった進と浩平、二人の兄弟の物語です。反ベトナム戦争の学生運動や、淡い恋、そしてビートルズ。1960年代後半の激しい季節をめぐるストーリーが展開します。 今や日本未発売の外国製品など、インターネット通販で簡単に個人輸入ができる時代ですが、今から半世紀前の日本のゆっくりと流れる時間の中で展開する家族愛や友情の物語がなんとも温かく感じられます。 ◇「この部屋に君と 1977」 :年を取ってからは1階で暮らすようになっていた竹井は、新婚時代に暮らした1階へとのぼってみたくなる。しかし今は病院から一時退院の身で、一人ではのぼれない。そこへ3階に暮らす孫の進が祖父を負ぶって登り始める……。 曾孫の千夏も含めて4代が同潤会アパートの懐かしい3階へゆっくりとのぼっていく、ただそれだけの掌編です。しかしここまでの数編を経てきた読者は、老身の竹井とともに50年の暮らしを確かに振り返ることでしょう。ひとつの建物の一室でささやかに始まった竹井と八重の暮らしが、4世代の家族へと膨らんできたのです。もちろん順風満帆の人生を歩んでいる家族ばかりではありません。一筋縄ではいかない事情を人知れず抱えている進と、病をかかえた竹井を軸にして、家族がひとつの小さな企てを達成しようとまとまっていく物語です。 ◇「森の家族 1988」 :神戸で暮らしていた13歳の千夏が突然同潤会アパートへ転がり込んでくる。校則に持ち込み禁止と記載されているわけでもないのに、使い捨てカメラ(レンズ付きフィルム)を携行していたとして反省文を提出するように求められ、それを拒否して東京へ逃げてきたのだ。姪の東京観光につきあった進は、千夏の撮った写真を見てあることに気づく……。 1980年代に大きな問題になりつつあった事柄に千夏も巻き込まれていたことが見えてくる物語です。曾祖母の八重はそっと曾孫の悩みに寄り添ってある助言をします。どこか窮屈になってきていた日本社会に疑いの目を向けるその言葉は、令和の世になった今ですら大きな救いを千夏のような子供たちにもたらしているのかもしれません。 そしてまた、老いた同潤会アパートがそんな千夏の救いの場になっていることが見えてくる物語です。 ◇「みんなのおうち 1997」 :1997年、大学4年生の千夏は、2年前に故郷を襲った事件について思い返す。そのころ、代官山の同潤会アパートもまた大きな転換期を迎えようとしていた……。 代官山・同潤会アパートはもうありません。史実どおり、再開発の計画のもと、大正期の建物は完全に姿を消しました。そしてそこに暮らした人々の多くも過去の者となりましたが、今日に連綿とつながる家族を築いてきたのもまた事実です。 そしてこの最終話を読んで初めて、「プロローグ 1995」が誰のことを指しているのかが明らかになります。そしてさらにすべての物語が始まった「エピローグ 1927」によって、この連作短編集が家族の物語だということが明白になるのです。 ベストセラーシリーズ『ビブリア古書堂の事件手帖』で見せてくれた三上延氏の筆致は変わることなくやわらかくぬくもりのあるものです。 ---------------------------------- 親子孫と連綿と続く家族の物語を描いた小説をいくつか紹介しておきます。 ◆北杜夫『楡家の人びと』 :明治・大正・昭和と激動の時代を生きた三代に渡るある医家の物語ですが、登場人物たちがこの大部の小説の中で何かを成し遂げることはありません。滑稽さをまじえながら、そして物語の途上でその何人かを実にあっけないほどに殺してしまいながら、市井の人々の姿をじっくりと著者・北杜夫氏は描き続けています。幕切れもまたありふれたある日の茶の間風景の中にまぎれて訪れるほどです。 ◆有吉佐和子『紀ノ川』 :日本の家制度の伝統に身を任せる母、それに激しく抵抗する娘、そしてその二人を止揚したかのような新世代の孫娘。この三代の血の流れと紀ノ川の流れとが重なるかのような風景の中で、日本の女の物語が静かに編まれています。 ◆森絵都『みかづき』 :昭和36年、千葉県習志野市立野瀬小学校の用務員を務めて3年目の青年・大島吾郎が、生徒の母である千明とともに学習塾を立ち上げるところから物語は始まります。そしてこの塾の歩みを昭和の半ばから平成の現代まで、吾郎・千明夫婦とその子供たちの歴史とともにたどる大河小説です。 ◆ガブリエル ガルシア=マルケス『百年の孤独』 :南米コロンビアの街マコンドに暮すブエンディア家の6代100年に渡る歴史を描く小説です。人間は生まれて死んでいく過程で何かを積み上げ次世代へ伝承し、そして進歩を促すことを旨とするところがあるでしょう。しかしこの小説の人々の 性癖や行動原理は100年を経ても進化も深化もありません。一直線の確実な進歩に懐疑的な作者の思いが投影されているのでしょうか。永劫回帰的な物語展開 に強い説得力を感じるのです。 ◆クリフォード D.シマック『都市』 :1万年かけて犬類が人類から地球を引き継いでいった経緯を世代の変遷とともに語るSF小説です。全部で8つの短編から構成されていて、いつ果てるとも知れぬ人類の殺戮史への悲しみ、人間が地球の絶対的支配者であると自負することの傲慢さ、都市文明への疑念といったものが描かれていきます。センス・オブ・ワンダーに貫かれた、人類文明批判の書といえるでしょう。 . | ||||
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昭和2年建築の最先端でモダーンな住居、同潤会代官山アパートメントの三階。"その部屋"に重心を置き、70年におよぶ時の流れに生きた、ある一家の四代にわたる物語がつづられる。 ・1927年から1997年まで、ほぼ10年刻みで短編が重ねられてゆく。八重と妹"愛子"、その婚約者である竹井の悲劇とはじまりを描く『月の沙漠を1927』、戦前昭和の事実上最後のクリスマス、そのプレゼントをめぐる感動の『恵みの露1937』は胸に染み入る。 ・ほうぼうに手を尽くして、完成したばかりの、しかし規則づくめで窮屈なアパートメントを新婚宅に選んだ、亡き妹の婚約者=八重の夫、竹井の理由とは。それこそが究極の愛のかたちだ(p35)。 ・『銀杏の下で1958』、『森の家族1988』では八重の強さと包容力が光る。 ・「神戸、震度6」(p228、数か月後に震度7に訂正された)を記録した1995年の激震、阪神・淡路大震災の災害の様子もさりげなく、的確に盛り込まれている点は、地元民としてポイント高し。 ・「嬉しいことも、悲しいことも……」、無邪気な子供の声が明るいリビングに響き渡る。そして"鍵"。最終章『みんなのおうち1997』のラストシーン(p243)にはぐっときた。 『プロローグ』と『みんなのおうち1997』前半部分が見事にシンクロし、『月の沙漠を』の歌詞と相まって、思わず涙を誘う。"その部屋"は彼ら=竹井と八重と"愛子"にとって、特別な場所。永遠の幸せのかたちは、きっと奇跡だ。 昭和東京と平成神戸の二つの大震災、近しい人の死に直面しての「悔しさ」、家族のかたち。様々な要素が最終章に向かって収れんしてゆくさまは、極上の読書感を味わわせてくれた。ありがとうございました。 | ||||
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