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その先の道に消える
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その先の道に消えるの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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縄、神道、薬物。人は何かしらを信じなければ、身を任せなければ、生きていけない。それは宗教であったり、家族であったり、愛する人だったり、ペットという人もいるだろう。それらと、冒頭の3つは何が違うのか?人は自らの幸せを追及するあまりに、他人を省みず、平気で傷つけたりもする。何にしても欲求のままに行動することが、脳内で幸福に結びつくことを、dnaに刻まれているからだ。平野に広がる多くの田を見れば、いかに人が白米を食べることの欲求に囚われているかがわかる。それと縄でしばられること、神社を敬うこと、覚醒剤を打つことの差は何なのか? この作品に、これまでと同じようにまたも価値観を揺さぶられる。自分が信じていたことの根底をぐらぐらと揺さぶられる。 では、正しいことは、そして自分にとっての幸せとは何なのかを改めてかんがえさせられる。 たかだかテレビにおっぱいが映るくらいで文句をいうコンプラ世代には、理解できないだろう。今日も満足げに正しさのナイフをぶんぶんふりかざして、平気で人の心を遠くから刺している。 それと冒頭の3つとは、どれほど離れているのだろう? | ||||
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始めの第一視点の人物からは、抑え難い欲望や欺瞞を感じる。すっきりしない話になるかと思われたが、後半の謎解きが痛快だった。 描写がいちいち美しいし、人間像も現実的で書き口に好感を覚えるが、セックスシーンにむせ返るほどの熱さを感じる部分に胃もたれした。 | ||||
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すごくおもしろいです。 中村さんの作品はほとんど読んでいますが、もし中村さんの小説を現時点で〈初期・中期・後期〉で分けていいなら、初期は『銃』中期は『掏摸』で、後期はこの『その先の道に消える』が傑作だと思います。 文学としてもですが、京極夏彦ばりの人類学/宗教学ミステリとして読んでもおもしろい。大麻と古代大和朝廷の関係などの推理は「なるほど!」と思わされました。 あと、供物を虚無そのものである神に捧げる、という登場人物の狂気的な行為は、まるでフランスの哲学者のバタイユの聖なるものの思想のようで、なんというか、凍りついた暗黒のような美しさがありました。 興味のある人は、過去作の『教団X』などが肌に合わなかった方もぜひ読んでみてください。とてもおもしろいですよ。 | ||||
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何とも不思議な小説である。 緊縛師の死体が見つかったところから物語は始まる。 ミステリーでもあり、官能小説でもあり、はたまた観念小説でもある。 麻縄を日本の古代史にからめ、結界とアナライズするところなどは観念小説そのもの。 他方で、緊縛の描写などはSM官能小説そのものでもある。 が、局面的には小説世界に浸ることはできても、ミステリーとしての全体に浸ることができないというもどかしさがあった。 この著者は、世界での評価も高く、『去年の冬、きみと別れ』『あなたが消えた夜に』『教団X』などは読んできたのだが、世代間ギャップか、単なる好みの問題かは不明だが、力量は感じつつも浸りきれない違和感がずっと残り続けている。 と言いつつ、次もまた読むのだろう、という予感もしているのだが・・・。 | ||||
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この作家は作品ごとに文体が変化し、不安定な印象を受ける。 本作に関して言えば、セックス描写の際の女性の声を地の文で処理せず、 台詞として書き起こしている点。 いわゆるエロ小説の文体に於いては多用されている手法であるが、 自分は否定的な印象を受けた。 音節として印字された「喘ぎ声」は逆に読む側の想像力を抑制させるのではないか。 なぜなら、情事の音声を手垢にまみれた紋切り型の手法を用いていくら念入りに書き起こしたところで、 読み手としては、「ここはエロ小説のやり方で書きました」 という作者の意思しか感じ取る事ができないからだ。 個人的には作品全体の調和を乱す良くない部分であると思う。 また、登場人物に作者の内的独白が込められているように思える事があり、 そのような場合には切実さが伴う分、迫力が増すので強い印象が残る。 本書でいえば「刑事・富樫」だった。 (その関係で、富樫が登場する前半の読み味は非常に良かった) 逆に、緊縛師の手記に関しては、麻縄が飛躍して天皇制にまで言及されるのには フィクションとしての趣向という意味で興味を引いたが、切実さ、生々しさが 感じられなかった分、作品を弱くさせていた。 読後感としては、良い部分と良くない部分が混在していて微妙な感じだった。 追記:表紙のデザインは素晴らしいと思いました。 | ||||
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普段、心で感じていても言葉に出そうとするとどう表現してよいのかわからないような類のことが的確に書かれている箇所もいくつもあり、その度に、ああこの表現いいいなあ…と特に前半は度々感じ入るところがたくさんありました。 全体を通して緊縛のお話ですから、正直性描写ばかりです。SM、殺人事件…と一見派手なあらすじのようですが、あくまでもメインは登場人物の心の中のことなので、刑事が殺人事件を追うような普通の警察小説のお話ではなく、どこか現実離れして精神世界をひたすら漂っているようなフワフワした物語だったような印象でした。体はそこにあって行動しているのに、心が少しずれた別のところにあるような不思議な世界観を、時間を忘れて楽しませていただきました。 | ||||
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著者の本を初めて読んだ。 本のタイトルは耳に残る響きがある。 すべてを語りつくすことなく、余韻ある表現が散在している。 甘美な世界とミステリー。 はじめの主人公たる人物は瞬断され、小説は広がっていく。 ベールに包まれた世界で、重苦しく陰影ある作風。 束縛し、結界でもって、閉塞空間を作り上げていく先には妖艶の美がある。 身も心もばらばらになってしまわないように。 | ||||
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殺人事件の容疑者が、付き合いのある女性とわかり証拠を捏造する刑事。 緊縛メインの性描写も含め、時に前半は関係性が読みにくく、ここで挫折する人もいるかもしれないが、それでも読み進めざるを得ない筆力がある。 けっして素直に面白いという展開ではないが、さすが中村文則と思わせるという点ではすごい。 文学作品的な魅力がある。 一見ありえない展開ながら人の予期せないきっかけでの転落はあり得ると感じさせる。 | ||||
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本書はミステリー小説としても読めるし、性倒錯を主題にした純文学作品としても読める。後者として楽しむのが適しているだろう。SM世界に緊縛師として生きた男の殺害事件の捜査を担当する刑事もまた殺害された男と関わった女を通して事件に巻き込まれる。二転三転するストーリーを追いかけるのは、もちろん本書を読む楽しみであるが、本書の面白さは、性倒錯を主題にした文学が、マルキド・サドのような西洋由来のものではなく、神道由来のものであることを述べていることにある。『古事記』では、天の岩戸に隠れたアマテラスを外に出すべく、神々が恥ずかしい躍りや乱痴気騒ぎをしてアマテラスの関心を惹き付け、アマテラスを外に出すことに成功することが面白く描かれている。神道では、縄(ロープ)で結ばれた内なる世界は神が住まう「神域」を意味する。SM世界において、SがMを緊縛する行為によってMの内面に生ずる「恍惚」体験は、「神域」に入り込むことによって生じるものだ。縄による緊縛の強度が限界に達し、「恍惚」が絶頂に達した瞬間が「神域」の結界であり、その先は死の世界である。そしてこの作品の素晴しさは、この内的体験を性倒錯による「狂気」(狂気のみでは単なる変態小説)ではなく、ジョルジュ・バタイユが『内的体験』で究明したような自身の内的エネルギーの「越出(エグゼ)」を意味する「恍惚」体験として大変美しく描写していることである。この点こそこの作品が性倒錯を主題として書かれた純文学作品として成功している理由ではないだろうか? もちろん殺人というものは、いかなる殺し方であろうとも殺伐とした雰囲気を醸し出すことは避けられない。しかも殺人事件に関与した登場人物たちは、皆破滅へと向かう。 最後に『その先の道に消える』とは意味深長なタイトルである。緊縛師を殺し、指紋をなくして殺害隠蔽を図った女性のその先の「人生」を虚しく暗示する。 前作『R帝国』と比べると、スケールが小さく、小粒になった印象は拭えない。しかし、登場人物の内面描写は一層の深まりを見せる。作者の性倒錯に関する研究成果の賜物と理解したい。次作も楽しみだ。 | ||||
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中村さんの十九作品目になる小説「この先の道に消える」は、<縛る>がテーマ。 「麻縄で縛る」ということが古代の縄文時代にまで遡り、壮大な人類史となるところが中村さんの真骨頂。 人は常に縄のような結界に守られながらも、同時に縛られている。その縄は<常識>であったり<思想>であったりもする。あるいは<人間関係>なのかもしれない。 我々は常に何かに緊縛されて、苦痛を感じながらも縛られていることに喜びすらも得るらしい。 本当に、奇妙でやっかいな生き物、それが人間である。 「これはひとつの到達点だと感じている」と中村さんは仰っているが、確かにとても綺麗な作品で、おそらく今までで最も読みやすい作品なのではないだろうか。そしてあまりに美しい。 だが、そのあまりにも読み易く洗練されていたためか、実は私は物足りなさも感じてしまった。なぜか・・・。 多分、読んでて私は苦しくなかったから。私にとっては、もしかしたら当たり前すぎるテーマを、とても美しく削られて渡されたからかもしれない。とても素晴らしいプレゼントだったのに。 もしかしたら、人物をあまり深く掘り下げなかったからかもしれない。 何か人の奥深くに眠る化け物のような深層心理。あるいは、その人物すら気づいていない影。 どうやら私は屈折しているらしい。 私はやはり、光よりも影に興味があるようだ。 おそらく今作品のような「光」を中村さんはずっと描きたかったのかもしれない。 今までのなかでも一番ラストが美しい終わり方だ。 それなのに、私はまだ求めてしまう。 例えば、三島の「金閣寺」のようなラスト。 『生きようと思った』。 金閣寺のラストのこの一文は決して明るい決断ではない。でも、私の胸に刺さる一番印象深い終幕だ。 私は中村作品からいつも命をもらっている。それをとてもありがたく思っている。 今回もサイン会で私を憶えていてくれたということが何よりの贈り物で、 「ありがとうございます」と私が言わなければならない言葉を逆に送っていただいた。 だから本当は、もっともっと作品を賞賛したい。 でも、敢えて、私はもっと求めてしまう。 もっと抉ってもいいから、私の心臓から血を流させてもいいから、もっと突き刺して欲しいと。 これは私の悪い癖だ。痛みを求めるなんてマゾのようだ。 でも、知りたいという強い欲求なんだと思う。 何度命懸けで壁を登るんだろう・・・。肩の力は抜かないといけないのに。 中村さん、こんなレビューですいません。 何かが逆に今、私は欠落しているのかもしれないです。 でも、本当に書き続けてくれることを願っています。 これからも執筆、無理せずに続けてください。 いつも尊敬しています。ありがとうございます。 | ||||
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緊縛の状態の男性の遺体から話が始まる。 現場に駆け付けた刑事富樫が見つけたのは、自らが愛した女性につながるものだった。 彼女への愛からなのか囚われなのか、富樫は、捜査をしながらどんどんと内省的になっていく。 そして、捜査の為なのか、彼女の為なのか、富樫が深みにはまりこんでいく姿は痛々しい。 文章がとても詩的な感じで美しいと思った。 淡々としているのだけれど、まるで伝統工芸の職人が編んだきれいな網目(いや、綱目か?!)のように。 美しい文章が、谷崎潤一郎の描く耽溺の世界を思わせた。 | ||||
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本書では「緊縛」「神」「空虚」がキーワードとなる。 それはニーチェのいう「神は死んだ」…つまり、ニヒリズムを連想させた。現代の科学が蔓延る世界では、神への信仰を失いつつある。信仰とはある意味愛と同じである。神への愛と人への愛は似通う。つまり、人間関係の中の愛ですら実態の無い良く解らないものになってしまった。 そして、現代のニヒリズムの世界では、生きる意味は自ら創りだし、信念とするものである。 登場人物は各々ニヒリズムの中で、生きる意味を模索していた。 そこで、胸が締め付けられるような切なさを感じるのは誰の中にも虚無感があるからだろう。 緊縛はSMプレイのひとつである。 危険が伴うSMプレイは、信頼関係がないとそこに恍惚を見出すのは難しいだろう。 その信頼関係とは、失われた神への信仰、さらに愛という誰かを信じる行為の代替なのではないだろうか。縄を通し誰かと精神的に繋がることが生きる意味だったのではないだろうか。 自分だったら、この世界に生きる意味は愛だと答える。しかし、愛は実態がなく不安定だ。だから、愛を形にしたい。愛の形の価値基準は皆んな違う。 善悪や異常・正常なんてあり得ない。 私たちはこのニヒリズムの中で懸命に生きる意味を模索している。 誰の中にもある虚無主義を緊縛と結びつけ、読者にも生きる意味を自問自答させる巧みさを評価する。 | ||||
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中村文則さんの作品は集中して一気に読まないとその本当の良さが分からないことが多いが、本作品も例外ではなかった。 このため、通常何冊かの作品を併読しながら読書ライフを楽しむ私であるが、本書を読み始めてからは他の作品を読むのを中断した。 緊縛師の殺人から始まる作品だけあって、性描写が非常に多い一方で、人間の多様性を考えさせられる凄さを孕んだ作品でもある。 中村文則ワールドを強く感じる作品だった。 | ||||
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著者の出身地在住で、芥川賞受賞直後くらいにK市の図書館で行われた著者初のトークショーの時からのファンです。まさかこんなに長年追い続けることになる作家との出会いだとは当時の私は思いませんでしたが。 昨日手元に届いて先ほど読み終えました。これまでにもこの描写は市内のあの辺かな?あの川かな?と連想させる表現が度々ありましたが今作はド直球に地元が出て来てページめくった瞬間コーヒー牛乳むせてしまった。 あと登場する女性が本当に人生ドン詰まりでどうしようもない、自分丸投げ・諦念の塊系女子(←)なんですが 毎度毎度リアルだなぁと思う。 昔は本当にローカルな場にもトークショーにいらっしゃってた著者ですが最近は本当にご活躍されて多忙なようで嬉しい反面、なんだかすごくすごい、遠い人になったんだなぁ………と少し寂しくも思います。厭世的な作風の著者ですがどうかどうか体に気を付けて息の長い執筆活動をしていただきたいなぁと思います。またこの近辺でトークショーやってくれないかなぁ……… | ||||
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一読しました。 性的描写が多いです。緊縛師の話ですからね。でも、性的な部分も含めて人間なんだなと思います。 中村作品は、単行本になったものは全て読んでいますが、今回の作品は、今までと何かが違う感じです。何かは捉えきれてませんが。 相変わらず、紡ぐ文章には、引き込む力があり、一気に読んでしまいました。 話は、緊縛師の謎の死から色々な人の人生が絡み合います。当然、一人一人に個人史があり、今を生きています。全ての人が、うまく生きていません。 そして、エピローグの葉山の言葉が胸に刺さりました。「精一杯だった」という言葉。 「いい悪いを超えて、そう生きていくことが精一杯だった人もいる。そして、自分もそうなんじゃないか。」そんなことを思わせれます。(ほぼ、葉山の言葉ですが。)そうすると、そうやって生きているだけで充分だと思えました。 書いてて思いましたが、ここが今まで中村作品と違うところかもしれません。 今まで以上に、善悪を超えて人間を捉えているように感じます。 もし、そんな風に捉えることができたら、きっと残るのは寛容さのようなものだと思います。 最後に、個人的なこと。 全く仕事がうまくいかない日々。 この本を読んで、「私も精一杯だ」と、少し自分を肯定する心持ちになりました。 | ||||
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表紙を開き、ページをめくると、「すべての虚無に。」の文字が。それだけで泣いてしまいました。 闘う作家さんの最新作。まだぜんぶ読んでないけどいいのはわかってます。読ませていただきます。 | ||||
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