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(短編集)
すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた
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すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えたの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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本書は2004年に翻訳出版された日本で6冊目のティプトリーの短編集。米本国では1985年に出版された長編『輝くもの天より墜ち』の翌年、1986年に出版された5冊目の短編集“TALES OF THE QUINTANA ROO”の全訳。 内容は、ラクーナ・シェルドン名義で1981年から1983年にかけて2つのSF雑誌に発表されたユカタン半島の“キンタナ・ロー地方”を舞台とする連作のファンタジー短編3作に作品案内のような序文をつけたもので、書籍の方はティプトリー名義で出版されているようだ。 評者はティプトリーの著作(の日本語翻訳版)を米国での出版順に読もうと思っていたので、本来なら『輝くもの天より墜ち』の方を先に読むべきなのだが、『星ぼしの荒野から』の終盤にしんどい話が続いたので、続けて長編を読む気になれず、収録されている各短編はこちらの方が早くSF誌に発表されているので、執筆順からするとこちらが先だろうと(自分に)言い訳をして、気楽に読めそうな本書に逃げる。 期待どおり、読んでいる時には気楽に読めた。ティプトリーらしい重たさ、冷たさ、残酷さといった特徴がほとんどなく、長さも短編としては適当で、気軽に読める。 物語の舞台は、問題作「男たちの知らない女」の舞台となっていたユカタン半島の海岸沿いで、キンタナ・ローと呼ばれる地方(州)だが、作品のテンションは大違い。3篇それぞれ少し雰囲気が異なる味の軽めのファンタジーで、ストーリー構成は3篇とも良く似ている。 どの作品も、ラクーナ・シェルドン本人であるらしい主人公の物語で始まるのだが、それに続いて、作者=主人公がその地に関係する人物と出会う話があり、そしてその後、その人物から幻想的な話が聞かされるという形を取る。つまり、三段階の物語が語られており、階層が進むにつれて幻想の度合いが増すという形になっている。 それぞれの物語の基調となっているのは、少しずつ文明に汚染されていくキンタナ・ローの自然と、その地に暮らす人々の歴史。そして、その地の真の住民になることはできないが少しずつ受け入れられているような主人公の日常。 そこにあるのはそれまでの作品のような重大な事件や激しい対立ではない。描かれているのは、いかにも自然愛好者的な環境破壊に対する憤りと、若干マイルドな怪奇と幻想的な物語。 本書を読み終えた時に感じたのは、ティプトリーの新境地というか、従来の作品群とは別の側面。特にジェンダーとセックスに関する尖がった作品群からは想像もできないような穏やかさだった。 長年世話を続けてきた母親を看取ったこと。と、女性作家であることを隠す必要がなくなったこと。この2点によって、それまでの尖がったところが丸くなってきたのかなと思った。 しかし、巻末の越川芳明氏の解説“マヤ族と大自然の逆襲”を読むと、評者(自分)がいかに文章の表面だけを読んでいたかということを気付かされる。 ティプトリーは、評者のように中途半端な気持ちで読んではいけないのではないかと思い始める。評者としては邦訳されたティプトリーの著作、計八冊はすべて読むつもりでいるが、それを読み終えたら、新刊が出ない限りティプトリーを離れて他の作家の作品に移る予定でいる。 しかし、この解説などを読んでいると、ティプトリーから離れることは許さないと言われているような気がする。読むからには、生涯かけて付き合うぐらいのつもりで読まなければならないのではないかと。 本書の後も、ラクーナ・シェルドン名義で書かれた短編が3篇あるようだけど、本書の続篇ではないのだろうか? どんな話なのか分からないけど、読むのが楽しみ。 以下、各話の感想など。 キンタナ・ローのマヤ族に関するノート 約6枚 本書のための書き下ろし。序文のようなもの。 物語の舞台となっている“キンタナ・ロー州”(メキシコのユカタン半島の一部)と、そこに居住するマヤ族の特異性についての概要。 リリオスの浜に流れついたもの(アシモフ誌 1981/09/28) 約90枚 ある日わたしは、海岸沿いを一人の男が歩いて来るのを見つける。どこからやってきたのか?普通ならとても歩いてこれる場所ではない。彼は日陰での休息と多少の水を乞う。見かけよりもはるかに若いようだ。わたしは、食事を提供し、彼はその対価として経験を語る。それは、一夜の夢か幻のような話だった・・・ テッド・チャンの「商人と錬金術師の門(2007)」を思い出した。入れ子構造の物語。物語の中の物語の中の物語。まるで夢を見ているよう。雰囲気はもろファンタジーで、SF志向のティプトリーらしくない。 『星ぼしの荒野』には、ラクーナ・シェルドン名義の作品は環境保護関連だと書かれていたが、それ以外の点ではそれまでのシェルドン名義の4篇とは似ていない。あえて言うなら、「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!(1976)」だろうか。あまりSFらしくないという点で似ているかもしれない。 作品の雰囲気で言えば、ティプトリー名義でも本篇の前年に発表された「スロー・ミュージック(1980)」にちょっとだけ似ているかも。 一方、完全なファンタジーとは言い難い。とても普通の人間とは思えないような青年が登場し、幻のようにいなくなってしまう場面は現実的とかSF的とは言い難く、ファンタジー的だが、一夜の夢、又は無意識の願望実現小説的なところもある。 挿絵がなんと言えない緩い雰囲気を醸し出している。 水上スキーで永遠をめざした若者(F&SF誌 1982/10) 約55枚 陸の孤島のような場所にも道路が作られ、少しずつ景色は変わっていく。しかし、まだ観光客が押し寄せて来るようなことはない。わたしは誰もいない入り江を訪れ、トゥルムの遺跡を遠くに眺めながらスノーケリングを楽しんでいた。 そこにやって来た〈アンヘリケ号〉。わたしは昔馴染みの船長、ドン・マヌエルと酒を飲みながら懐かしい日々の話をする。船長は彼の昔の仲間である純血マヤ族の青年、アマドマーロ・コーのことを語り始める・・・ 悠揚迫らぬ口調で語られる幻想譚。 大いなる謎を秘めた古代マヤの遺跡が眠る土地。そういう土地柄であれば、何があっても不思議はない。 デッド・リーフの彼方(F&SF誌 1983/1) 約60枚 久しぶりにコスメル島のレストラン〈エル・プソ〉に寄ってみると、アメリカ人のダイバーが大勢押し寄せるようになっていた。わたしは地元の人が集まるテーブルで、オーナーが店の一番古い客の一人だという少し年下のなかなか感じの良い白人男性と相席することになった。 食後、彼はわたしを散歩に誘う。彼もダイバーで付近の穴場や最近の環境破壊について話が弾む。彼はブリティッシュ・ホンジュラス人、すなわちベリーズ人だという。 彼はわたしが気づかないまま巻き込まれかけていたトラブルを解決し、その後、私の求めに応じて3、4年前のデッド・リーフでの出来事を語り始める・・・ 自然保護と環境保全をベースにしたSF的な怪談話かと思いながら読み終えて、そのまま解説を読んだのだが、これほど裏のある奥の深い話だったのかと驚く。やっぱり、全然読めていなかった。 〔解説〕 マヤ族と大自然の逆襲 ラテンアメリカ文学 越川芳明 約16枚 巽孝之と小谷真理の著作での指摘を引き継いで、ティプトリー自身の中にいる「怪物」について自説を語る。 そうか、そういうことだったのか。 | ||||
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1987年 世界幻想文学大賞 アンソロジー/コレクション部門 受賞作。 本書は、ティプトリーが女性であることが判明してからの作品で、ユカタン半島キンタナ・ロー州を舞台とした3つの連作短編からなっている。語り手となるのは、心理学者と思しき老人。彼が出会う海に魅入られた人々の怪異譚ということになるだろうか。カリブ海やその周辺の風景が、幻影に溶け込むがごとく美しく描かれていている。まぶたに焼き付くような色彩表現には懐かしさに似たものを感じた。 語り手の老人はティプトリーの男性としての分身なのであろう。彼が出会う人々との交流を読み解いていくと、ホモセクシャルな関係を連想してしまうのは考えすぎなのかな。ティプトリーはエキセントリックなところもあったようだから。 解説では、CIAの創設スタッフだったティプトリーの、アメリカの対中南米政策へのうしろめたさを示唆している。なるほど、”マヤ愛好症”のティプトリーによる海洋幻想小説(ファンタジーかな)でありながら、アメリカ的生活様式の流入に対する嘆きを感じてしまう。幻想的なフワフワ感に、現実のやるせなさを混ぜ込んだ短編集である。 | ||||
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1970-80年頃に筆者が、メキシコのユカタン半島にあるキンタナ・ロー 州での体験をつづったエッセイです。 筆者が現地で聞いた、夢なのか現実なのか定かでない都市伝説のようの ような幻想的な話を、自分自身を語り部としてつづっています。 海にまつわる不思議体験に満ちた本ですが、SFやFT的な要素はほとんど ありません。面白い本ではあります。 この本の筆者は、海(自然)とマヤ文明をこよなく愛しています。開発 に伴い、海(自然)もマヤ文明も失われていくことに対しての悲しみとあ きらめがない交ぜになった挽歌のようなこの本です。 ユカタン半島の原風景と、マヤ文化をかいま見ることもできます。 「キンタナ・ロー州民話(現代版)」といった趣もある内容です。 | ||||
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メキシコのユカタン半島に位置するキンタナ・ローを舞台に、そこに長期滞在している老心理学者が出会う人物から聞いたちょっと不思議な物語である。「リリオスの浜に流れ着いた者」「水上スキーで永遠をめざした若者」「デッド・リーフの彼方」の3編。一種のメタ小説の体裁をとって、ティプトリー独自のテイストをつけている。そこには海の神秘と自然を蹂躙する外部の人間、現代文明と伝説が描かれている。ティプトリーの簡潔な語り口は、ちょうどキー・ウェスト時代のヘミングウェイの短編を思わせる、そんな印象。個人的には「デッド・リーフの彼方」が一番完成度が高いと感じたが、どれも読ませるなかなかの出来。 | ||||
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今まで読んだ中では、一番おとなしいジェイムズ・ティプトリー・Jrでした。彼(?)のSFのイメージを持つと肩透かしを食らうかもしれませんが、これはこの本の「話中話」のスタイルがさせているのかもしれません。 でも、作品に登場する「未知なる物」の異質さはリアル。SFのガジェットが外れたことで、著者の意図がよりわかりやすく伝わります。 改めて、今まで読んだ著書を読み返したくなる一冊でした。FTかと思ったのですが、自分では違うような気がするので星4つですが、小説は文句なしに面白いです。 | ||||
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1986年世界幻想文学大賞アンソロジー部門の受賞作。3つの短編から構成。 舞台はメキシコ、ユカタン半島にあるキンタナ・ローという実在の地。これを読むまで知りませんでしたが、キンタナ・ローは観光地として有名らしく、googleで検索すると美しい砂浜の写真がいくつも見つかります。 物語はいずれも海を舞台にした不思議なものですが、キンタナ・ローの風景写真を見ると、そんなことが起きてもおかしくはないような気がしてきます。 それにしてもティプトリーは、(勿論翻訳者の腕もあるでしょうけど、)文章が巧いですね。 | ||||
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