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ビアンカ・オーバースタディ
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ビアンカ・オーバースタディの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全46件 41~46 3/3ページ
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あとがきに書かれていた文学的な読み方がよくわからない人向けのレビューです。作品を楽しむ目線のひとつとして紹介します。 筒井さんは、SFに対して並々ならぬ信念をもっており、その断片をこの小説で見ることができます。 その断片とは、筒井康隆の文学理論である「超虚構性」のことです。わかりやすく言い換えると「異化効果」というものです。 以下、その説明。 多くの人は普段小説を読んでいるときに、その読んでいる小説内の虚構世界を無批判に受け入れながら読んでいます。 虚構を虚構と意識せずに読んでいるということです。 そういった人に対して彼は、物事を相対的に見てもらうために作品内に「異化作用」を盛り込むのです。 どういうことか。例えを挙げます。 小説内では、ナイフで一刺しされただけで人が即死し、そこに探偵が現れ捜査をし、その結果アリバイがある、疑わしくない人が犯人になることがよくあります。 ですが、現実世界では、ナイフ一刺しで即死することや、探偵が殺人事件を捜査することや、アリバイがある、疑わしくない人が犯人になることはほぼありません。 ナイフ一刺しで殺すとか暗殺の専門家レベルではないでしょうか。現実なら、刺された本人は即死せずに通報したり、助けを求めて動き回るはずです。 しかし、読書行為を終えた読者は、現実世界に虚構世界の考え方を持ち込んでしまうのです。虚構世界のルールを現実世界に当てはめて考えてしまうのです。 「探偵は事件の捜査をするものだ。殺人事件においては、アリバイがある人間は逆に怪しい。」という考え方を。 そこに異化効果を盛り込みます。作品内の登場人物に「まるで推理小説だな」「現実でこんなことが起きるだなんて」というセリフを言わせるわけです。 すると、それを読んだ読者は、途端に作品の虚構性を意識し、現実の現実性をも意識します。「これは作品内世界での現実でしかないんだ」と考えるわけです。 以上、「異化効果」「超虚構性」の説明を終えます。長々と申し訳ありませんでした。 筒井さんがメタフィクションに与える役割はこのような感じです。あくまで一例ですが。「異化効果」、面白いと考え方ですよね。 筒井さんは自身の小説に上記のような文学理論を豊富に組み込んでおります。ぜひ、ほかの作品も手に取ってみてください。 なんだかステマみたいになってしまいましたが、ただ単に文学理論が好きなだけなので許してください。 | ||||
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この本を手にするまで、少々奇妙な体験をした。まず、当のアマゾンで発売日になっても発送の連絡がこない。 よくよく見ると発送は翌日以降。昼、近くの大型書店で尋ねるも、流通に乗っていて他店では入荷しているが当店は未定とのこと。 「ご予約されますか?」との問いに、いやいや、とひいた。それならばと、ネットで調べてみても入荷店の情報が少ない。 都内に勤めている者であるから、おそらくここならというところで店頭在庫ありとの手がかりを得て、19時過ぎに書店へとむかう。 出版社の弁ならばこれはライトノベルであろう。 しかし、しかるべきコーナーにはなく、ぐるぐると巡りまたしても尋ねる。 「ああ、ここはマンガコーナーですから、筒井さんの本ならば…」といわゆる文芸書のコーナーを示された。 そこに平積みになっていた、いとうのいぢのこの表紙はそこでひときわ浮いて見えた。 さて、惹句の「21世紀の“時をかける少女”の冒険が始まる!」の意味をわれわれはどうとらえるだろうか。 はじめは某誌での一挙3回分掲載から続くのか続かないのかのじれったい体験、 そして一冊の本として読む前に後書きの方が先に読まれるという不思議な体験、 ライトノベルを謳いながら、そこにあってほしいと思っていた期待が軽く肩すかしを食らったような感覚。 内容は筒井康隆の読者ならばどのようにでも受け取り笑っていられるだろう。 しかし、『時をかける少女』の次にこの作品に触れる世代には? 個人的にはかるくライトノベルとして手にとってげらげら笑ってほしい。 それにかつて10代で「時をかける少女」を手にしたわれわれの世代の追体験に近いものを期待したい。 過激?エロ?それ以外の筒井康隆を読みたいの?メタラノベ? 広告やネットの上ではラノベでも現実ではこれは文芸書として置かれている。 書店よ、どうぞマンガとライトノベルと一緒のコーナーにおいていただきたい。 その上で「喜寿だからもう書く根気が…」といっている著者の志をくんでみてはどうだろうか。 いみじくも筒井康隆は「時をかける少女」を「金を稼いでくれる孝行娘」ともいってくれている。 「『ビアンカ・オーバーステップ』というタイトルのアイディアがあるから、誰か続篇を書いてはくれまいか。 ─中略─ 傑作を書いて大もうけしていただきたいものだ。」 その書き方のテキストは作者が全部そろえてくれている。 楽しんだ後は、いよいよ若者の出番だ。楽しみに待っている。 筒井チルドレンは世に満ちている。今や還暦のオヤジどもだってそれで育ってきたんだ。 「○○が○い」の言葉に惑わされるな、若い読者よ。早く誰か次の物語を語ってくれ。 四十も半ばの俺は、今夜、そう思ったわけだ。 | ||||
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ご本人があとがきで書かれている通り、通常のラノベとして読むかメタラノベとして読むか、そして付け加えるなら「筒井康隆の小説」として読むかで、それぞれ感想が大きく異なってくると思います。 で、私はこの作品を『ハルヒの消失』に感銘を受けたと語られる御大の「返歌」と解釈しました。そういう読み方だと、『ハルヒ』の作品だけでなくそれに熱中したファンや世間までもに対する批評性がたっぷり込められてる気がしてきませんか。 もちろん何も考えずさらっと読んでも面白い、そして一歩踏み込めば作者の意図をいくらでも深読みできる、そういう意味で77歳の筒井康隆がライトノベルを書いた意味は確かにあった。日本SFを支え続けた大御所作家から2010年代のラノベシーンに送られた、まさに「ジュブナイルのタイムマシン」だと思いますね。 | ||||
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ビアンカ様に○○されてえええええええええええええええええええええ。 でかい! やっぱりでかい! 巨大カマキリを倒すため、カエルと人間を混ぜ合わせ、皮と御手とかが擦れ合うまで○○○○だーーー!! | ||||
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禁忌を恐れない筒井康隆がメタラノベを書いたという噂を聞いて、不安感を抱きながら読み始めました。 しかし、中身は気楽に読める穏やかなエンターテイメントでした。 綿密で丁寧な部分もあれば、適当で巫山戯ている部分もあります。勉強を感じられる部分もあれば、不勉強が目立つ部分もあります。科学的だったり、空想的だったり、挑発的だったり、好々爺の鼓舞のようでもあったりして、穏やかで善意も含まれた毒舌はいつもの筒井節でした。 謎ではない白い液体をこれほどまでに爽やかに表現できるのはさすがです。円熟した筆力と常識を突破できる実績があってこその技でしょう。 あとがきによるとメタラノベだそうですが、それほど明確にメタメタしていません。わかりやすく率直な寓意もありますし、深い隠喩的な心象も含まれていますので、それらを読み取るのがあとがきに言う文学的読み方なのかもしれません。あるいは、表現技法そのもので「メタラノベ」なるものを表現しようとしたのかもしれません。性という題材を通じてライトノベルへの皮肉を表現しようとしているのかもしれません。いずれにせよ、気楽に読めるツッコミどころの多い作品だと思います。 | ||||
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可憐な学園のアイドルを、学内の男は見てるだけ。 そんなビアンカは、オーバースタディに実験三昧。 何か得体の知れない面白さだった。 筒井康隆だし、どうせ面白いんだろって思ってたら、ちょっと予想してない方向だった。 何だろう、ラストなんかはガッチガチのお約束なんだけど、逆に真新しく感じられちゃったり。 いとうのいぢの挿し絵の力か、意外とキッチリライトノベル。 単純明快でバカらしい、良い小説だった。 星海社の装丁は良いセンス。 なんだけど、やっぱりあとがきには敵わない。 とりとめの無いレビューになってしまったけど、読後感がもう大体こんな感じ。 どうしたもんか。 面白かったです。 | ||||
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