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ギンイロノウタ
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ギンイロノウタの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.93pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全15件 1~15 1/1ページ
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今どきの若い子の狂気が怖すぎる。 | ||||
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村田紗耶香の中ではこれが一番好き。 | ||||
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脱いだら女優として一人前みたいに、露骨な性描写出来れば作家として一皮向けるのかな?語らなくてもいい余計な自体験描写、キモくて途中で捨てました。買って最後まで読まなかった本はこれが初めてでした。 | ||||
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『ギンイロノウタ』DVっぽい父と「皮膚の裏側が汗でぐっしょり濡れているような笑い方」をするアカオさん(オカアさん)。危うい状況です。捨て場の無い放射性廃棄物のように何かが溜まっていきます。いろいろあったが、なんとか銀色の扉を開けられたようで、有里の未来に幸あれ。 | ||||
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個性とは突き詰めると狂気になるのかな? 著者様の作品を読んだのは 『コンビニ人間』に続いて2作目ですが、 味なのか食材なのか、 似たところはあるもののとても美味で。 ジャンルすら不明なほどどれも個性的で。 今回は二篇ともホラーぽいのかな? 幽霊も妖怪もゴアもスプラッタも出てこない、 でも、全部出てきたように感じさせられる、 言葉の魔法でそう感じさせられる、 少しだけエロも含んだ、 純粋な、少女のしぼり汁のような不気味さ。 女性が描くからこそ説得力がある物語で。 しっかり読みごたえはあるのですが、 どうしても面白くて、 すぐに読んでしまいます。 表題作の他にもうひとつ入ってますが、 ぼくはどっちかと言えば、 『ひかりのあしおと』が好みでした。 どちらも狂人の独白なので、 全部は語ってくれません。 ここはもう、想像するしかないという、 見えなくなる部分があります。 と言っても、想像なんてしてませんが。 見えないものは、 見えないままにしておくのもいいかなと。 だから眩まされた部分も、 誰かと語ったりはしたくない。 そっと自分のなかだけにしまっておき、 また、忘れたころにもう一度読みたい。 そんな、 存分に自分を変態にできる小説で。 狂った少女と、 それを見て楽しんでる大人の男と、 どっちがヤバイのかな?と自問したくなる、 タブーを楽しんでいる感じがとても美味。 毒々しい話なのにそう感じないのは、 語り口がどこか冷淡だからでしょうか。 表紙がポップなのも理由かな? ぼくは嫌な気分にはなりませんでした。 でもたぶん、表紙のイメージで読むと、 ショック死するので御注意ください。 中身は刺激物。劇薬です。 R指定とか、小説にはあるのかな? 大人の読み物です。 追記。 読み終えて数日してこの2作品を思い出すと、 不思議なことに『怖い』という記憶はなく、 それどころか不気味とか変という記憶もなく、 上質な悲喜劇という印象だけがのこりました。 人生を道化として生きるしかない、 悲しくも滑稽な女性たち。 ハードボイルドな男もこんな印象ですが、 女性が女性を悲喜劇として描くと、 こうなるのか!!と。 目から鱗がおちたといいますか、 これは凄いなと。 村田沙耶香さんのファンになってしまいました。 うちにはあと1冊、 未読の村田作品があるのですが、 また1冊、注文してしまいました。 映画でもマンガでも小説でもですが、 変態的天才は、無条件に尊敬します。 | ||||
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『ひかりのあしおと』と『ギンイロノウタ』の二作品を収録。正気と狂気の危うい淵をゆらゆら歩いているような女子大生の日常が、身近にいるちょっと変わった女の子(いや、相当変わってる?)といった感じのリアリティで描かれている点で『ひかりのあしおと』のほうがよかったかな、個人的には。『ギンイロノウタ』もいいんだけど、こちらはストーリーのほうがゆらゆら揺れてて、焦点が定まってない感じ。だから読んでて、れれれ、となってしまった。ま、メーター振り切った感はあるけど、それゆえに凡人にはちょっとついていけないところはある。 | ||||
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村田さんの本との事で即決。 2つの話が載ってる。 外の世界が自分の中に入ってくる、わかるわぁ。 他人の声·音が意味を持って自分の中に入ってくる。 あのコンビニでの内情からして、仕事意識の問題じゃないだろ。あの作中のおばさん。 他にも色々、ああいう副店長なんなん。 ちょっと性的な内容が入ってて、読むのに時間かかった。 | ||||
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コンビニ人間がちょっと変わってるけど面白かったので他の作品も…と思って読んでみました。 表題作ももうひとつの物語も異様すぎて、気味が悪くて、怖くて、なんでこんな本を書いたのかさっぱり理解できないと思いながら読みました。 物語の中で主人公をとりまく人々が、主人公に対して感じる違和感や気味の悪さがそのまま私の感想になっているので、そこが作者の狙いなのでしょうか?? 何度か途中で止めようと思いましたが、文章はサラッと読みやすいので、なんだかんだ読み終わってしまいました。 私のように後味の良さを求めている人にはオススメできません… | ||||
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内輪で評価が高いらしい 村田 沙耶香 内輪で書いて内輪で出版してほしい 感性とか振り回されても 実社会で働いている人間にとっては響いてこない | ||||
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妻に頼まれて、購入しました。 一晩で読み切ったと聞いてます。よかったんじゃないかな。 私は、読む予定はございません。 | ||||
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『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞を受賞した小説家・村田沙耶香の『ギンイロノウタ』(第31回野間文芸新人賞)が文庫化された。 彼女の作品は、子どもの頃に抱き、そしていつのまにか薄れていたどことない違和感や欲望、そして絶望を思い出させる。懐かしい胸のざわつきに苦しみ、戸惑いを覚えながらページを進めていけばいくほど、強烈で生々しくドロドロとした性描写のように、それらがまとわりついてくる。そこにはなぜか罪悪感も混じっている。 学校で繰り広げられる残酷な駆け引き、家庭での疎外感に覚えのない人は少ないのではないだろうか。収録されている二編の作品(『ひかりのあしおと』、『ギンイロノウタ』)は、それらの中で、膨張する憎しみによって壊れていく少女と女子大生の姿を描く。読む人を選ぶ作品だろう。しかし一度は手に取ってみて欲しい。 【Reviewed By Synodos/シノドス】 | ||||
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文庫化して再読。「新潮」2008年7月号に初出なので5年ぶりくらいになる。村田は、野間新だけでなく三島賞まで取っているのに、芥川賞は候補にすらなっていないのだから、出世したのかしてないのかよくわからない作家だ。この作品については、発表当初から少し古いと感じていたが、最近起こった慶應大生の自殺教唆の事件(2014.02)から、まぁ被害者が読むような作品になれなかったのだろうと、残念に思った。(それでレビューを書いている。) まあつまり、インターネットが登場して、内向的で文章能力のある人間はだいたいネットカルチャーに触れるようになって、というのが90年代末からで、南条あや(1980-1999)はかなり先駆者だったとしても、そこに触れないと同時代のフィクションとして説得力を持たないんじゃないか、ということだ。 (補足するなら、佐世保の女児殺害事件(2004.6)の加害者の少女は、小説「バトル・ロワイヤル」を元にした同人小説をネット上に公開していた。) 説得力、つまり、希求力がないなら、それは読まれない、誰のための作品なのか? 誰が読むのか、ということになる。別に普通の人が娯楽としてフィクションを手に取るのも一つの形だと思うが、切羽詰ってる人が手に取る作品として、この小説のような「純文学」が選ばれててくるのでなければ、その表現は一部の物好きのためのものでしかなくなる。 現にそうなのだが、1979年生まれの村田も、出てくるのが2000年代後半からでなければ、また違った評価だったかもしれない。もしくは生まれてくるのが遅ければ、か。高校の先輩に誘われてセックスするも、うまくいかず、というだけでなく、ネット経由で不特定多数の相手とつながるのが、90年代後半からの光景(落とし穴)なのだ。そういう経歴を持つ「メンヘラ」ーそれこそ経験人数が数十人、はいくらでもいる。そういったネットカルチャーの暗部に主人公が触れることなく終わるのは、やっぱり一昔前の作品という印象になる。 作品自体の完成度は高いとは思う。ただ、作者が何を期待して書いたのかは分からないが、この作品はあまり「届かなかった」し、これからもそうだろう。特に若い世代には、と僕は思うのだが、それは結構致命的なものだと思う。(文庫の帯や解説で、それなりの年齢の人が賞賛しているのを見ると、そのあたりの感覚の差がとても残念に思う) | ||||
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表題作は、2009年度野間文芸三賞受賞作のひとつ。衝撃的な書き出しからセンスの高さが伺えた。秋葉原での事件から通り魔殺人が頻発し、「誰でもよかった」という供述が報道されてきた。閉塞感漂ういまを表現する試みに挑んだ意欲作である。 | ||||
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公衆トイレに押し込められた孤独と恐怖の中で見たピンクの人影と謎の呪文が印象的な「ひかりのあしおと」、押し入れの中にこもって広告から切り抜いた男の視線のなかで耽る自慰行為が印象的な表題作。他者と自分との間の距離感を正確に認識し、折り合いをつけていくことが思春期のテーマであるとすれば、まさに稀代の思春期小説である(そしていずれの主人公も全力で間違った方向へ行こうとする)。 決して長編でもなく複雑な構成でもないのに読み終わった後の徒労感、ひりつくような不快感がとれないのは本作が第一級であることの証明である。 | ||||
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自閉症傾向を強めていく少女の自己否定感が、粘つくような確かさで描かれている。母も同傾向を持っているように読み取れる。 小中時代にシカトされるのは、卵が先か鶏が先か。家庭に真の安らぎがないとほのめかされてもいるが、それも言い訳にはしない。そういったところに自己正当化の理由を求めず、自らを化け物と認識するところが新しい。だが、そうやって裏返しにせよ自分が特別な存在であると思うのは、実際そうなのかもしれないと思わされる。 池田小事件以来、自分内部だけの理由で殺人を犯す者達の心理の一つを言い当てているような気がする。…私は人を殺しても良い。私は特別な存在だからだ。あなた達がそれを認めないならどうぞ死刑にしてください。… 私たちはこの挑戦に、冷笑や無視ではなく答えなくてはならないのだろう。 | ||||
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