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草原の椅子
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草原の椅子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全44件 21~40 2/3ページ
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「これからは親友だ」「そうしましょう」ではなく、親友の契りの経緯について、もっと自然な工夫がほしかった。 他にも日本についてのダメ出しがこれでもかと出てくるのだが、作者がこのとき心に溜めていたことなんだろうな、とは感じるんだけど、物語上の脈絡に乏しく、強引にセリフに突っ込んだ感を拭えない。 おっさん二人がここまで「日本はダメ」と思うに至った説明が不足していて、居酒屋でのウダ話以上の説得力を持たない。 特に震災を機に「日本はダメだ」と思ったという憲太郎の叙述は唐突。作者自身、被災者だからこその実感があるとは思うが、読者をそこに導く説明もエピソードもなく、ただダイレクトに感情を吐いているように感じられて、居心地が悪かった。 物語の全体像からはやや宙ぶらりんの印象がある袴田知作の事件よりは、このあたりのエピソードが必要だったように思う。 とはいえ、後半あたりから作者の経験や人間的な厚みがじわじわと感じられ、当初うっとうしく感じられた感情の吐き出しが、次第に魅力へ転じる。 作者が旅先で感じたのであろう「宗教的感覚」や「希望」は、憲太郎と富樫の友情や、圭輔という虐待を受けてきた幼い子供を通して、感動的な情景として描かれる。 そして物語の技巧を超えた「熱」は、どろどろとした日本に対する呪詛に埋もれながらも、「それでも生きる」というポジティブなエネルギーとして、胸に伝わってくる。 | ||||
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圭輔のトーマに対する子どもとしての思いが伝わってきて、胸が痛みました。主人公の、相手の心を自然に溶かす力が本当に羨ましいと思っています。 | ||||
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50歳を迎えてから出来た「親友」との関係にシミジミ。 自分もこんな50歳になりたい、と読み進めながら思いました。 | ||||
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先日の新聞で、本書が映画化されるという宮本輝さんと成島出監督の対談を読み、興味を覚え、文庫本を買ってきました。 物語に引き込まれ、一気に読んでしまったので、初めて投稿してみます。 「大人の童話」というのが、わたしの第一印象です。 連載小説(毎日新聞)だったせいでしょうか、ある程度まで読み進めてゆくと、俄然テンポがよくなり、ぐいぐい物語に引き込まれてしまいます。食事の準備も忘れて・・・。 中年男性ふたりの友情がメインです。 そこに、主人公が思いを寄せる骨董品店の美人のオーナー、母親に虐待されて育った小さな男の子がからんでくると、一気に面白くなります。 その4人が、ある種の「癒し」を求めて、「世界最後の桃源郷」と呼ばれるフンザ(パキスタン)の大自然へと旅します。 そのラスト・シーンはとっても感動的でした。 「だれが日本をだめにしたんだ?」「官僚と政治家が悪いんや」といった類のセリフが繰り返し出てくるのが「なんだか紋切型」と感じられて、ちょっと辟易しました。 でも、この小説が書かれたのが、あの阪神大震災の後だったと知ると、減点も少なくなります。 阪神大震災では、著者の宮本さんご自身、壊滅的な被害を受けられたそうですし、昨年の東日本大震災に際しても「政治家が悪いんや」と感じた人は多いでしょうから・・・。 そうしたことは別にして、人の「エゴ」や「優しさ」や「苦悩」やらが、あまりどぎつくなく描かれていて、楽しめました。 映画も現在、フンザでロケを行なっているようです。 こちらのほうも、完成が楽しみです。 | ||||
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彼の小説の中でもかなり説教くさい部類に入ると思います。 同じこと何回言うんだってぐらいしつこいです。もう許してください。 しかし心に響く名言が山ほどあります。それだけでも読む価値ありです。 | ||||
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いいねェとしか言葉が出てこないけど、富樫と憲太郎、 この二人のような関係がいいんだよなぁ、羨ましい、 この小説のような友達がほしいなぁ、とつくづく思った いろいろ教えられ、考えさせられ、発見させられる。 いずれまた、何度か読み返してみたくなる小説ですね。 | ||||
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不景気、生活苦、少子高齢化、老老介護、予期せぬ災害・・・どんな世の中であろうと「おとな」がいればいつしか歪みは正され、失望は希望へと一転する。 作者は「おとな」とは・・・幾多の経験を積み、人を許すことができ、言ってはならないことは決して口にせず、人間の振る舞いを知悉していて、品性とユーモアと忍耐力を持つ偉大な楽天家でもある。・・・とあとがきで述べている。私自身「おとな」ではない。反省を促し「おとな」になる決意と希望を与えてくれる作品である。 | ||||
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これぞ、「小説」と言った作品だ。 殺人もセックスも全く無く、初老のおっさん二人のお話なのだが、 この二人の究極とも言っていい、素晴らしき人間性によって、 人生の尊さ、生きていく理由を伝えてくれた。 | ||||
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中年の入り口に立った自分のような人間には、とても心に滲みた作品でした。こんな小説を書いてくれた宮本輝さんに感謝したいと思います。 | ||||
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上巻の中盤くらいまでは、なんで読み始めちゃったかなぁ…とつまらなく感じてました。山場もなく、とにかく展開がスロー。まだ読むには年齢が追い付いてなかったかな?と。しかし、中盤が過ぎ始めたあたりから物語の温度も展開のペースも変わってないのに引き込まれ、物語の深さに感動し始めました。未熟者の私自身が世の中を語るにはまだ早いですが(若くもないですが)大人と呼ばれる人は是非読んで欲しい一冊だと思います。また、若い人も読んで欲しいです。色々考えさせられ、穏やかだけど強烈な刺激が与えられました。 | ||||
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毎日新聞に連載されていた当時(1997〜1998年)、宮本輝は 憲太郎や重蔵と同じく五十歳であった。 孔子にして「天命を知る」五十歳は人生の後半を強く意識し始める頃。 圭輔の出現によって憲太郎は自らの星である使命を知る。 重蔵は自らの会社の再編を決断し、自らを宇宙と呼ぶ。 男たちは真剣に人生と向き合い、関わる人たちを慈しむ。 本作の中で憲太郎も重蔵もことあるごとに日本という国を嘆く。 あとがきの中で作者自身が「一種異常なほどの「この国への憎悪」」を 感じながらそこに生きる「人間力のあるおとな」を描いたという。 この作品が発表されてから十年、日本は何も変わってはいない。 一般人が起こす凶悪事件は残虐さを増し、 その背景には驚くほど自己中心的な理由しか存在しない。 だからといって私たちは投げやりに生きているわけではない。 将来に不安は抱えながらも、この国で幸せに生きていくために 毎日を懸命に生きている。 もう少しだけ、あとほんの少しだけ他者への気遣いが増えれば ひとりひとりがその気持ちを心掛ければ 日本は良い国に再生できる。それは政治でも経済でもない。 ここに住む私たちの気持ちの問題なのだ。 希望と再生を考えるきっかけになった。宮本作品の本質である。 | ||||
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「人情のかけらもないものは、どんなに理屈が通ってても正義やおまへん」 物語の序盤に富樫重蔵の言葉を思い出すシーンがある。 孔子の言葉を富樫が自分の言葉として咀嚼した名言である。 私たちは生きていくうえで理屈ではわかっていても 納得のいかない出来事にいくつも直面する。 そこにほんのわずかでも人の情が垣間見れたのであれば 私たちはその納得のいかない出来事に対して少しは心を許すことができる。 人間の機微がわかるほど自分はまだ年齢を重ねてはいない。 だからこそ憲太郎や重蔵のように、人の痛みを分かち合える そうして自分の気持ちや欲望を抑制できる、いや抑制ではなく 品のある大人として自分を律することができる男になりたいと感じた。 何のために働くのか、などと考えるのは青臭いのか。 自分を大切にし、家族を大切にすることで仕事を大切にする。 そして自分に与えられた人生の使命を遂げていくのだ。 壮大なテーマなようであるが、一人一人の人生を もっともっと真剣に向き合おうと考えさせてくれる物語。 10年後、20年後、また違った気持ちで読み返すことができる作品である。 | ||||
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読んで1年後になってふと思い出してレビューを書いています。この小説は何か一つのテーマを追っているのではない。決してドラマティックに展開してはいかない。人間の周りをとりかこむ様々な環境、それこそが人生そのものであるという事だ。喜び、悲しみ、苦しみ・・・全ての物を受け入れて立ち向かってゆくのが人生、そしてそれを重ねていくうちに人生の意味が理解できてくる、そんな小説です。 | ||||
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最初に私事で恐縮だが、06年末から妻は病を得ている。その妻が入院先の患者向け図書として備置してあったこの『草原の椅子(上・下)』を読み、私に「とても心を動かされた小説だから…」と当書を勧めてくれた。私は、短編集である『胸の香り』を除き、宮本輝氏の長編作品についてはリリシズム溢れる名作『泥の河』や『螢川』以来久しく遠ざかっていたのだが、早速、本書を購入、味読した。結論から先に述べると、熟年男(?)である私の胸底にじんわり染みわたるような感動を与えた小説であった。 おそらく本書の「陰の主人公」は、中学校しか出ていないカメラ量販店のオーナー、富樫重蔵であろう。彼に作者の意想(というよりホンネ)が投射されている気がしてならない。真のヒーローは、本作品の主人公としての制約を免れ得ない遠間憲太郎ではなく、道化回し的なバイプレーヤーである富樫重蔵ではないだろうか。そして、この小説に通底するのは、たとえば富樫の洩らした「一所懸命働いている人間から、だんだん、だんだん、働き甲斐や生き甲斐を失くさせていくのが、この日本という国や」(上巻)といったような“日本(人)に対する落胆・失望”と、フンザの老人が発した「正しいやり方を繰り返しなさい」という“優れたおとなへの方向性(使命)”であろう。 宮本輝氏は、作中において遠間に「子供たちが尊敬できるおとながいなくなったんだ。いまどきの子供たちよりも、いまどきのおとなたちを問題にしなきゃあいけないんだ」(下巻)と語らせている。氏は「あとがき」で「『日本』に『おとな』がいなくなったことを痛切に感じ」、その「おとな」に関する氏なりの定義を述べた後、氏は「『草原の椅子』は、私自身が、優れたおとなたらんとして書いた小説かもしれない」と同書のモチーフ的なことを書している。そういった意味をも踏まえ、この『草原の椅子』は熟年男性向け傑作小説の一つとして数え上げても良いだろう。 | ||||
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読書からしばらく離れていた時期に人から薦められ読みました。宮本輝さんの作品にまたはまりだすきっかけとなった1冊でした。 題名からストーリーを想像することはできませんでしたが、読み終えたあと、宮本輝さんはなんて素敵なタイトルをつけられたのだろう、と思いました。主人公の憲太郎より、その友人である富樫の言葉や生きざまに大いに共感しました。 小さな存在だっていい、傷つこうが失敗しようが、ひたむきに生きていけばいいんだ、と勇気を与えられました。「月光の東」、「優駿」、「錦秋」などの宮本さんの名作と並び大好きな作品です。 | ||||
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夢がもてなくなったといわれるこのごろの世相 夢も希望も、反対に悪なるものも人の心という宇宙を作る星であり、どんな星を見いだしていくのかはその人次第 主人公が見いだした星は、実に平凡でオーソドックスで太古の昔から知られていたものじゃないでしょうか 存在しないはずの空想の世界のひとりの子供の幸せをこれほど願った読者は他にもたくさんいると思います 現代の青い鳥さがしは、時に苛酷で時に生々しい、でもきっと見つかるんだよね | ||||
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主人公憲太郎や篠原貴志子、そして富樫やみんなが5歳児圭輔にそそぐあくまでも暖かく、優しくそして愛にあふれたまなざしはこのキツイ日本の世の中にとってまさに一服の清涼剤かのようです。 5歳児を持つ親として、不況にあえぐ日本の国民として、殺伐とした人間関係に問題を感じるけれども何も出来ない〝おとな〟としてとても考えさせられる一冊でした。 作者あとがき欄で宮本 輝さんがおっしゃられていた本当の〝おとな〟の定義 がより心に染み入りました。 幾多の経験を積み、人を許すことができ、言ってはならないことは決して 口にせず、人間の振る舞いを知悉していて、品性とユーモアと忍耐力を 持つ偉大な楽天家。 今の日本に必要なのはこんな〝おとな〟だと感じ入った、私にとって価値ある一冊です。 | ||||
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人と人の出会いやその人々に起こる出来事には日常性は無く、むしろ世の中の出来事を寄せ集めしたかのような、ストーリー。”おいおい”といった感じすらします。 しかし、ひとつひとつの出来事や人に対する主人公の眼差しや感情が、とても自然で暖かさを感じることに安心感を覚えました。 何かを得るとか考えさせられるという感じはありませんが、なぜか癒される著作です。 読むのが、10年若い時期だったら、飽きてしまったかもしれません。 | ||||
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読んだ後に、なんだか元気がこみ上げてきて一生懸命生きようと思う。大きな感動というよりも小さな感動の積み重ね・・。 | ||||
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正直言って、大変がっかりしました。上巻で提出したテーマ、パキスタンのフンザで「貴方の瞳には三つの青い星がある。淫蕩と潔癖と使命である」と老人にいわれ「50歳になった自分にどんな使命が残っているのか」と苦悶する主人公は、下巻では再びフンザへ行き「俺は何者かに護られている。そうでなくてどうして、50才になるまで生きてこられるというのか」と宗教的啓示を受ける。 作者は何故小説という舞台のなかで、大きな構想を発展させる実験を行わなかったのか!現実でのみ格闘して日々を送っている人になにひとつメッセージを送っていないではないか! しかしそれでも、作者はなんてやさしい人なのだろうと思います。 小さいころ親に虐待された圭輔という子を見つめる眼が慈愛にあふれている。 貴志子という女性は肉感的装飾は取り払われやや無機質っつぽくあるが、理想的女性にかわりはない。 やさしい人ばかりで、読んでいても大変リラックスできる本です。 作者はストーリーの中より人物造型の中で,今の日本で失われた人物像を描くことで癒されているようです。 読者もストレス・緊張の多い昨今、この本を読んでいる時は唯一やすらぎのひとときを得ることができ、読後は自分にも他人にもやさしくなれるでしょう。 | ||||
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