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日の名残り
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日の名残りの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全354件 121~140 7/18ページ
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テレビのダウントンアービーを見ていたので、執事の部分は理解できた。恋愛の部分は淡々と描かれていて難しい。 | ||||
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当方、カズオ・イシグロ氏についてはノーベル文学賞受賞をもってその名を知り、「私を離さないで」に続いてこの作品を読んだ、所謂新参者のミーハーな読者である。 そしていずれの作品を読んだ後も、その才能に疑い無き事を確信させられた。 ※以下ネタバレあり 物語の序盤においては、英国の伝統的な執事の人柄、そして古き良き英国情緒が淡々と語られ、悪くはないが地味な作品だと感じながら読み進めた。 しかし、半分を過ぎるころには、英国に興味が有る、或いは理解しようとする人間は勿論、そうでない人達も一読する価値の有る作品であると確信するに至った。 丸谷才一氏の解説について、違和感を抱いた部分について触れたい。 語り手であるスティーブンスが自らが信じる執事としての美徳をもって忠誠を捧げたダーリントン卿は、「戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物に過ぎなかった」し、その程度の人物に盲従していた「スティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、彼を恋ひ慕つてゐた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎない」ものであったと、作者カズオ・イシグロは突き放して見ているのか? 私はそうは思わない。 確かにダーリントン卿は、ベルサイユ条約の苛烈な処置により立ち直れないほどの窮状にあったドイツに対し同情し、救済の手を述べようとする紳士としての善意が、アメリカ人客ルーイスにより物語中に「ナイーブなアマチュア」として揶揄された通り、結果的にナチスに利用されることになった。 卿は他にも、時流に影響を受けユダヤ人執事を解雇し1年後にその間違いを悔いたり、物語中に間違いを起こしている。 故に、卿は愚かな三流の人物として唾棄されるべき存在なのか? 人は自ら考え、判断し、時に間違いを犯す。そして、再び自ら考え、判断し、その間違いを認め、悔いる。 間違いを犯さない人間が正しく美しいのであれば、ヒトラーに対して断固たる態度を取ったチャーチルもそれ以前の間違いにより、名誉挽回の機会は与えられなかったのではないだろうか? (更に言うと、卿の過ちが致命的で許されないとするなら、大戦中にナチスドイツと同盟を結んだ日本も「その程度の国家・民族に過ぎなかった。以上」という事になる) スティーブンスは主人に仕える執事としての本分を全うする事に人生を捧げた。 これを愚にもつかぬ主人に盲従し、思考放棄した愚か者と見るべきなのであろうか? 彼は、やはり執事であった実父の死に際より、自分に思いを寄せる女中頭より、何より、執事としての任務、品格を優先させた。 それ自体、他ならぬ彼自身の判断によるものである。 彼もまた、「品格ある」執事として生きる道を自らの人生として選んだ。 それでも、人生の夕暮れに差し掛かった時に、自らの人生を振り返り、あり得た別の人生を想い、涙を流すのである。 日の名残りが残る夕暮れの桟橋のラストシーンが心に迫り、スティーブンスの様な年齢に達した人は自らの人生を重ね、まだ若きものはその年齢に達した自分を思い描く。 間違いや後悔が無い人生はないだろうが、それでも老英国執事が最後に現在のアメリカ人の御主人の為に、ジョークを勉強しようと決意するところ、微笑ましく、また執事としてのプロフェッショナリズムに生きた彼の人生に他に選びようが無かった事を納得させる、秀逸な表現であると思う。 とても切ない物語であり、驚愕や号泣するものではないが、題名の通り、心に切ない名残が残る作品である。 | ||||
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ノーベル賞で話題なったので買ってみました 流石に面白いです ストーリーはいたってシンプルで 老執事が古い同僚に会いに行くだけなのですが とてもノスタルジックかつ情緒的で 素晴らしい世界観を味わえます 翻訳の土屋さんのおかげもあってかとても読みやすいです 良著です | ||||
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始めて読んだカズオイシグロ作品。静かに惹かれる芯の強い小説で、つい他作品も読み始めたところ。映画もみてみたい。 | ||||
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今では味わうことのできなくなってしまった遠い子供の頃を思い出す作品でした。近くの門構えの立派な家にいたあの人のことを懐かしむそんな作品でした。ゆったりとして縁側で陽光を浴びているような緩やかな時間があったことを脳裏から引き出せました。 | ||||
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アンソニーホプキンスが大好きで、映画は観たことがあった。 カズオ・イシグロがノーベル文学賞をとったと聞いて、俄然興味が湧き たまたま古本屋で手に取るまで、この本が原作だとは知らなかった。 映画同様、淡々と進んで往き、最後10ページくらいまでごくごく平凡の本 のように感じた。ところがラストの締め括りで、なんだろう、原作と映画とは 違うのかな?見事な描写、終わり方、とても秀逸だと感じた。 まさに余韻、名残である。不思議な本だった。 | ||||
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読後感は感動的だった。読み始めは平板な感じがしたが、次第に引き込まれていった。どの小説でも同じかもしれないが、本の中で、ある出来事が前の部分と関連しているので、前に述べられていた箇所をいちいち探し出さなければならない。たぶん著者は前もって綿密に筋を描いているのだろう。 では、感動した箇所を3カ所抜き書きし、個人的に説明してみる(→のところ)。いずれも小説の最後の方だ。 1 さよう、ミセス・ベン、私どもは、みな、いま手にしているものに満足し、感謝せねばなりますまい。 →「自分は幸福ではないとずっと思っていても、長いスパンで見ると案外幸せだったことが分かる。足るを知ることが大切だ」と主人公が自分の大切な女性に述べている。 2 夫婦にとって、引退後の生活こそ人生の華だと言います。 →勤めている間、変に気配りをしてしまう私だったが、退職後、自分の自由になる時間が大幅に増え、ストレスも半分以下になった。 3 しばらく前までこのベンチにすわり、私と奇妙な問答を交わしていったその男は、私に向かい、夕方こそ一日でいちばんいい時間だ、と断言したのです。 →古希を迎えた私は早朝の空気が好きだが、中学高校生時代は夕暮れ時が好きだった。勉強部屋から見える屋根のはるか向うに、夕日が沈んでいく光景が懐かしく思い出される。なにせ日が沈んでも、希望が感じられる明日が来ることをほとんど疑っていなかったのだから――私は幸せだったのだ、だがそれに気づいていなかった。 | ||||
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文体が心地良かった イシグロさんの書いた日本語なのか翻訳された日本語なのかは分からないけれど心地良い文体だった 執事のあるべき姿、人間としての感情2つがあり主人公の滅私奉公?(少し違うか)ぶりに、また歳の衰えに伴う悲しさ とにかく素晴らしかった | ||||
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イギリス人のストリクトなマインドを知ることができました。イギリス文学だと思いました。 | ||||
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老執事の思い出話を通じて人の記憶の儚い美しさを丁寧に描いていく小説です。 英国の美しい田園風景の描写と観念と理性の間で揺れ動く老執事の心情から人生の機微を味わい尽くせます。 様々な切り口から何通りにも読める秀逸な作品だと思います。 ラストの切ない美しさは流石としか言いようがありません。 | ||||
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品格とはなにか。人とはなにか。読み進める内に深く心に残りました。 | ||||
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気がつかないうちに、時間がたってしまう。。。 引き込まれる作品です。 | ||||
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第二次世界大戦前後、イギリスのとある邸宅での様々な出来事が、執事の回想形式で語られる。一般庶民には殆ど縁がないイギリス上流階級の生活ぶりも興味深いが、執事の個人的な感情の機微(というより、感情を抑えてばかりいるのだが)をイシグロはみずみずしく描いている。土屋政雄氏の名訳も光る。 | ||||
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昔読んだことがあり、英語版を購入して読みましたが、難しく、日本語版を購入して併読しました。日本語訳も素晴らし。一読を。 | ||||
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素晴らしい作品です。 カズオイシグロの作品の中で一番と言ってもよいくらいのものです。 | ||||
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Goodでした。所々の様子が映像として自然に描き出され、イメージとして記憶に残っています。 | ||||
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ストーリーの展開というより、情景や心理描写が細やかで、(土屋政雄さんの訳も素晴らしいと言える)ゆっくり文章を味わいながら読めた。私にとっては、しばらくしたらまた読み返したくなる愛読書系小説に違いない。余談だが、執事のスティーブンスと女中頭のミス・ケントンの「ココア会議」の部分では、英国ドラマ「ダウントン・アビー」の執事カーソンと家政婦長ヒューズが一日の終わりに紅茶やワインを飲みながら語り合うシーンを思い出し、当時はそういった使用人同士の習慣があったのだと納得した。 | ||||
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イギリスという階級社会に今も生き続けている(?)執事のストーリーは、そのまま私たち小市民の人生にほかならない。自然界の動植物が、一定の環境にしか生息できないのに似て、私たちもその階級に生まれ、(よほどの素質や能力がない限り)その階級の中で、人生をまっとうするのだろう。 主人公のミスタースティーブンスも、父子二代にわたる執事稼業に何の疑問もなく、その限られた環境の中で自らの能力を精一杯生かし、信用の厚い トップレベルの執事であることを周囲からも認められている。しかし、この執事の慇懃で丁寧でエレガントな口調で語られる物語は、自ら「品格」を追い求めながらも、その狭隘な視野や偏向した視点から、一小市民の日常から決して出ることはない。 彼が(自ら気づくことなく)品格を帯びるのは、彼なりに思慕を寄せていた女中頭のミス・ケントンに、数十年ぶりに再会する場面である。思いを打ち明けることもなく、悲しみを耐えるその姿に、読者は初めて品格の何たるかを知ることになる(何という構成の妙!) 品格は、追い求めて得られるものではなく、悲しみや苦しみを耐えるところに生まれ、次の瞬間に消え去るものなのだ。 最後の場面は何のために必要なのかと一瞬不思議な感じがしたが、これがないとおそらく画竜点睛を欠くのだろう。小市民はこうして絶望の中から這い上がり、日常を取り戻して生を続けるのである。 その昔、紫式部は宮廷言葉を使って、普遍的な人間性の物語を語ろうとした。尊敬語や謙譲語の複雑な綾錦。ふと思い至った。 翻訳独特の読みにくさがなく、すばらしい訳であることも付け加えたい。 | ||||
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日本には執事という職業についている人はいるのだろうか?それとも私の知らない上流社会で相変わらず活躍されて いるのだろうか?スティーブンスは偉大なるイギリスの紳士ダールトン卿に仕えることによって、能力や品格は申し 分のない一流の執事の仲間入りを果たした。がしかし、旅の4日目の事。カーライル医師が彼に尋ねるシーがある。 「どこかのお屋敷の召使いという・・・」と。結局医師というクラスからみれば所詮「召使い」にすぎない。 また数十年間共に仕事をしてきた女中頭の彼に対する気持ちを感じていなかったのだろうか?おそらく知っていたのだ と思う。一流の仕事をこなすプライドの高い男は、女性の扱いに慣れてない姿を曝すのが耐えられなかったのだろう。 (私の邪推かな) そんな堅物な男をアメリカ出身の新しい主人は彼に旅を勧める。広い世間を見てきなさいと。今のイギリスを見てきな さいと。氏の作品は何故にこうも静かな余韻を残すものが多い。 | ||||
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年齢を重ねるごとに主人公に感情移入してしまいます。60代はまだまだ先ですが、その時、この作品を読んで自分がどう感じるのか、楽しみのような怖いような。 | ||||
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