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坂東蛍子、日常に飽き飽き
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坂東蛍子、日常に飽き飽きの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.45pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
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私は純文学ばかり読んできた人間で、こういった新しいタイプの小説は文章が肌に合わない気がしてなんとなく避けてきたのですが、この作品は本当に面白かったです。 文章そのものを味わう作品はたいてい物語にはあまり展開がなく、物語の楽しさを味わえる作品はたいてい文章が平易すぎるというイメージがあったのですが、それを見事に打ち砕いてくれました。 キャラクターやストーリーに魅力があり、かつ文章も魅力的で、それらが両立されているのがすごい。 妄想やファンタジーが大好きだけど文章にはこだわりがある。だから小説は専ら古典純文学を読みつつ小説でのファンタジーは諦めて漫画を読む・・・という生活だったので、素敵な文章でおもしろい話が読めることに感謝します。 急いでこの作者さんの別の作品も購入しました。 ちなみに当方、主人公よりだいぶ歳上のアラサー女性なのですが、蛍子の全力疾走なひたむきさに触れ、かっこいい先輩に出会ったような気持ちになりました。しかしユーモアのある物語展開のおかげで決して感傷的になりすぎることなく爽やかな読後感でした。個人的にはハードボイルドに憧れながらもコンビニで腹ごしらえばかりする三木杉が特にお気に入りです。 | ||||
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古川日出男さん著「Love」、ラノベ好きの人たちからすれば成田良悟さん著「バッカーノ」を想像してもらえれば、 本作の内容は伝わるかと。 青春群像劇です。 一発目のエピソードが組での立ち位置に不満を抱くヤクザもんたちによるキッドナップ(誘拐劇) ということもあり、展開に飽きがないです。 しかし、この作品の一番の魅力はやはり、唐突に挿入される人外たちの存在。 しっちゃかめっちゃかといえばそれまでですが、群像劇って、そういうもんでしょ?(笑) | ||||
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表紙がカゲプロの絵師さんの絵だったので、気になって読んでみました。 表紙もよかったけど、文も良かったです。 次々の展開や文に楽しさを感じられました。 買って、悔いもない本です!*\(^o^)/* | ||||
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少々傲慢かつ高飛車な美人の女子高生が非日常を渇望しながら、まるで台風の目のように実際にそれが起きていることに気付かないまま 周囲で巻き起こるイレギュラーな出来事や超自然的事象が奇妙な化学反応を起こしていくさまは、まるで宇宙人や未来人、異世界人、 超能力者に囲まれているにもかかわらず非日常を求めてエキセントリックな行動を取る『あの少女』の姿が頭をよぎるが、 物語に関わるすべての登場人物――人間のみならず人形や兎のぬいぐるみ、猫、鳩、宇宙人、武者の亡霊そして創造神たちの視点で描いた 群像劇として描くことによって差別化を図っている。 また、多視点の作品は往々にして読者の混乱を招くきらいがあるのだが、本作に関しては読者が混乱しないよう、文章にある程度の工夫が 為されているところも注目するべきところである。しかしながら、それがしっかりと機能しているかどうかは読み手の判断に委ねられるところだが。 『千代田区タクシー誘拐事件』 組織での一発逆転を狙って誘拐を企てるうだつの上がらないやくざ、タクシーの運転手のフリをしながら人質を連れまわす共犯者、 本来誘拐されるはずだった金持ちの少年、身代わりになった少年の友人の豆腐屋の息子、武者の霊、ぬいぐるみそして好奇心旺盛な 女子高生・坂東蛍子と、すべての人物の視点を章ごとに入れ替えさせることによって、登場人物ごとの考えや意図を読者に うまく伝える工夫がなされていると同時に、偽装タクシーを使った誘拐を群像劇に仕立て上げている。 『ぬいぐるみは静かに踊る』 タクシー誘拐で汚れてしまったうさぎのぬいぐるみのロレーヌのメンテナンスを依頼すべく、人形師である元親友・結城満の祖父のもとを訪ねたものの、 彼の留守をいいことに、人形の国やぬいぐるみの国に繋がる秘密の地下道に足を踏み入れてしまい、それを阻止せんとするロレーヌはあれこれ策を 練るのだが。というのが簡単なあらすじ。 人間とのコミュニケーションを禁じられたぬいぐるみが如何にして蛍子を止めるのか、そして己の無力さを嘆くも、知識と知恵をフル回転させて 状況を打開させるかというロレーヌの孤軍奮闘ぶりが光っている。 『何故私が川内和馬のジャージを着るに至ったか』 自分の惑星の危機を救うという命により地球人の女子高生に扮して、危機の原因と思われる坂東蛍子のDNAの採取を狙う宇宙人・大城川原クマと、 クマの狙いを知ってか知らずかそれをかわす蛍子との邂逅による騒動を描いた話。表題の『何故私が川内和馬のジャージを着るに至ったか』は、 たまたまコンタクトレンズではなく眼鏡をかけていた蛍子が眼鏡を落としたことから端を発し、紆余曲折の末の状態を指すものであり、 そこまでに至った経緯や登場人物たちの思惑と行動を、読み手に極力混乱を与えないような形で綴られている。 『ウロボロス大作戦 板東蛍子、決して尻尾を放さない』 最終章は第三章との前後編の後編のような形を取っており、それのみならず、第二章で触れられていた結城満と袂を分けた経緯と、 登場人物(登場するのは人間だけではないが、ここでは敢えてそう表記しておこう)たちの思惑そして世界崩壊の危機が入り乱れ、壮大さと矮小さという、 矛盾したスケールの追いかけっこを成立させているところに凄さを感じる。 ウィレムはドアノブを取り戻すことができるのか、大城川原クマとその同胞たちは自分たちの住む惑星を崩壊の危機から防ぐことができるのか、 そして板東蛍子は結城満と和解できるのか。できるのだとしたらどうやってするのか、最後の最後まで引っ張りきったのは良かった。 | ||||
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ネットで公開されていたショートストーリー群を読み、面白かったのでこの本も買ってみました。 登場キャラクターが既に理解出来ていると、そんなに読みにくく無かったですね。 お話の雰囲気もちゃんと保たれているので、ネット版を気に入った人には、とてもオススメです。 | ||||
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ネット上の作品の書籍化は今に始まったことではなく、これまでに多くの作品が出版されてきました。 しかし、その中には読んでいて「これは出版物として妥当と言えるのだろうか」と首を傾げたくなるものがあったのも事実です。 それらを否定するわけではありませんが、読み手としてはやはり「読んで良かった」と思える本と出会いたいと思うものです。 その点、この作品は見事にそれを叶えています。 坂東蛍子という人物を軸に巻き起こる荒唐無稽な事件に、それに振り回される登場人物たち。 めまぐるしく変わる視点に違和感を感じてしまう人もいると思います。(私もそうでした) 確かに情報量の多さと物語の構成は、改良の余地があったように感じます。 が、それを差し引いてもこの物語には「エンターテイメント」が詰まっているといえます。 表紙のイラストも目を惹くデザインでなかなか可愛らしいですね。 (折り返しの部分でしづさんの名前を見つけた時は驚きました) ネットから始まるメディア展開の可能性を感じます。 出版社の方には今後もこのような「おもしろい作品」を出していただきたいですね。 | ||||
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私はこの小説を面白いと思ったので、 たった一つの強烈な意見でバッサリと切り伏せられ新人作家の評価が決まってしまうのはあまりに忍びないと感じたため、 反対側の立場に立って意識的に感想を書いてみようと思います。 まずはじめに明言しておきたいのは、 この小説が「周囲の喧騒をガン無視しながら女子高生が落ち込んだり元気になったり小学生が勇気をもらったりする”ほっこりする話”」だということです。 元気で孤独な思春期の少女がささやかな(もちろん本人にとっては重大な)悩みを抱えて、それに苦しみ、そして再び元気になる話です。読むのに苦労するような話ではありません。 文学的に心を突き刺してこようとする類の話ではなく、大人が楽しむというよりは若い世代に楽しんでもらうために書かれたのだと思います。 (固い文語調の中にたまに混じる妙に可愛い擬態語や、「驚いて」を「びっくりして」と、これはわざと書き直しているのではと感じたりする文の書き方からもそれは感じました) なので、学生さんなら問題なく楽しめるんじゃないでしょうか。安心してオススメできます。 ここから以下暫くは感想というより、作品構造等に対する個人的な解釈が主なので、ここで一区切りとさせてもらいます。 先述の通り非常にシンプルな物語です。 しかしながら、シンプルな物語であるにも関わらず「ごちゃごちゃしている」「よく分からない」と思われてしまうのは、 "作者の技量の未熟さを抜くならば"次の理由があるように思われます。 それはこの話に対する捉え方が読み手側の中で上手く把握・処理出来ていないということです。 この作品は、作中で突拍子もないことが絶えず起こっていたり、登場人物が多い上に視点が短い間隔でバンバン切り替わったりするため 普通の文学作品としての文脈を期待して読み始めると作風の把握が追いつかないという状況に陥る可能性があるのは否定できません。 実際私自身も、文章は別段苦もなく読めましたが、この作風に関しては途中で発見するまで、読み始めの内は少々苦労しました。 私が本作を読んでまず感じたのが「銀河ヒッチハイク・ガイドっぽいな」ということでした。 アニメでいうなら「スペースダンディ」や「ギャラクシーエンジェル」っぽいなという感覚です。 SF系ばかり名前を挙げてしまいましたが、例えばハリーポッターなんかにもこういった空気感というのは見られます。 同映画で沢山の階段が根元からグワングワン動くシーンが描写される際、ハーマイオニーが「階段は動くのよ?(何驚いてるの、馬鹿じゃない)」と友人の無知を詰るようにさらっと言い放ちます。 本作もこの感覚で成り立っているわけです。 つまり、何が起きようが何が居ようが「そういうものである。それが全てである」という表現によって回りから無数に伸びているはずの論理的な節を全てぽっきりと折ってすっきりさせてしまう。 それによって諧謔味を生み出すという手法が確かに世界の表現の歴史にはあるわけですが、 この考え方を掴み損ねてしまう(あるいは共感出来ない)と恐らく「よく分からない」「詰め込みすぎ(て丁寧な論理が足りない)」となるんだと思われます。 (まぁ、もちろんコメディに関しては完全に好みの問題なので肌に合わなかったら徹頭徹尾面白くないわけですが) また、この作品はとにかく登場人物が多く群像劇じみており、視点切替もコンパクトなので「ごちゃごちゃしている」と印象を受けやすいのですが、 実際の話は先にも書いたように極めてシンプルで、作品構造自体もこれに合わせるように実際は単純なものになっています。 幾つもの視点があるように思えますが、実際にはそのどれもが ・坂東蛍子が悩んで、元気になる話 ・各話で起こっている大きな事件 のどちらか、あるいは両方を語っているにすぎないので(散発的な視点はあくまで全部脇役で、メインはメインで綺麗に一本筋が通っているので)、その辺の的を絞れれば普通に読んでいけますし、 細かい各区切りの中では登場人物は極めて少なく(大体2人)誰の台詞かわからなくなるという事はまずないと思います。 以上のような点を踏まえられれば、はじめに言ったとおりこの作品を「若々しい生き方にほっこりする微笑ましい話」として一喜一憂しながら読めるのではないかと思います。 読み終わってから気がついたのですが、表紙絵はカゲロウプロジェクトで話題になったしづ氏が描いているんですね。 マルチメディア展開にも期待出来る作品なのかもしれません。 | ||||
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