■スポンサードリンク
(短編集)
伝奇集
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
伝奇集の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全7件 1~7 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書は「世にも奇妙な」物語のようで、舞台は覗き込まれている「何か」、そして、 覗き込まれているものは何か<ゲームなるもの>をしている。 ——偶然の投入/シンメトリー・恣意的なルール・単調/逆行・分岐—— 回数は無限「亀との競争」/時間が無限に細分できればそれでたりるのだ ——くじびきは怪奇的な出来事・事件であるようにも見えてくる。 「余の八岐の園」と隠退迷路からの余の回数は、 極のくじびき回数とのシンメトリー(=断末魔)につながっているようで、 ・(~)が虚妄であることを証明するには、ただ一塊の「反復」で充分である ・「チェスが解答である謎かけの場合、唯一の禁句は何だと思いますか」 「(~)ということばでしょう」 ・ある語をつねに省略し、不適切な暗喩や分かり切った迂言法にたよるというのが(~) ・(~)を意味することばさえつかわれていない ・ここから例の小説の矛盾は生まれるのです ・見つけると失うという動詞は循環論法の誤りをともなっている/教祖・イコン (実質・即自・同一性の消滅/形相化) 殉教への誘惑に駆られながらの晩年のボルヘスさんとは対照的、といったものが本書の印象であり、 ニーチェやショーペンハウアーのそれを思わせるような内容ではあった。 ------------------------------------------------------------------------------------ 八岐の園(プロローグ) トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス アル・ムターシムを求めて 『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール 円環の廃墟 バビロンのくじ ハーバート・クエインの作品の検討 バベルの図書館 工匠集(プロローグ) 記憶の人フネス 刀の形 裏切り者と英雄のテーマ 死とコンパス 隠れた奇跡 ユダについての3つの解釈 結末 フェニックス宗 南部 ------------------------------------------------------------------------------------ (_物語) ・その多くの本が不安定な本が他の本に変わるという危険にさらされていて 錯乱した(~)のように一切を肯定し、否定し、混同する(~) ・図書館は、その厳密な中心が恣意的な(~)その円周は到達の不可能な球体である ------------------------------------------------------------------------------------ ・<反復>のアンソロジー ・<瞬間>のアンソロジー ・(~)われわれはわれわれの存在自体に虚構性がある ------------------------------------------------------------------------------------ (_円環の廃墟) ・地上の円環は遊戯の鏡である「」 ・時間が虚妄であることを証明するには、ただ一塊の「反復」で充分である ・すでに彼はあらゆる人間と同じように、盲人、啞者、痴愚、記憶喪失者だった (「余の八岐(やまた)の園」隠退迷路) ・「チェスが解答である謎かけの場合、唯一の禁句は何だと思いますか。」 「(~)ということばでしょう」 ・ある語をつねに省略し、不適切な暗喩や分かり切った迂言法にたよるというのが(~) ・(~)を意味することばさえつかわれていない ・ここから例の小説の矛盾は生まれるのです ・余はさまざまな未来—余の八岐 (_移) ・あらゆるゲームの本質的な特徴、シンメトリー、恣意的なルール、単調さなどを復権させた ・偶然の投入/逆行・分岐/くじびき/出来事・事件 ・くじびきの階数は無限である/「亀との競争」/時間が無限に細分できればそれでたりるのだ ・時間ということば(135) ・砂、ミスラ的 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
知り合いに進められて購入しました。 情景が全く想像できないけど、説明不足なだけな気がする。 「もしかしてこういうことか?」って思ったら、すごくしょうもない気分になりました。 内容について別の解釈を持ってる方や正解を知ってるひととは違う可能性はかなり高いと思います。 ただ自分にはこのタイプは合いませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私には難しかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
難解なのは作品の内容そのもののせい、あるいは注釈をあえて多くつけるそのスタイルにもあるのかもしれないが、 翻訳の仕方に問題があるのではないかと思う。 直訳チックな翻訳で、何を言っているのかよくわからない部分が多い。 それでも内容そのものは面白く、独特の作風にぐいぐい引き込まれていく。 ※ 最初は、注釈はあえて全部無視して一旦最後まで読んでしまうことをおすすめします。 解説と行ったり来たりすると集中力も切れますし、重要なのは注釈ではなく本文なので… | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ある本のコラムでボルヘスの「記憶の人、フネス」の一部を読んだ。そして、深い思いに捉われた。 それはこうだ。「しかし、私は彼はあまりものを考えることが出来なかったのではないかと思う。考えるということは物事の細かい違いを忘れることであり、一般化することであり、また抽象化することである。フネスの溢れるばかりの記憶の世界にはそれこそ実際にあったことほぼそのままの詳細しかなかったのである」。 そこで、全編を読みたくなり訳書を購入したが、インパクトが異なる。もう一つの訳書があったのでそれも購入したが、これも違う。 どうやら、コラムを書いた人が訳したようだ。 また、最近富士講六世食行身禄の伝記小説を読んだが知らないままがよかったという経験がある。 訳者、小説家が作家、人物の高みに達していないのだ。自己のレベルにおいてしか見えていない。 ジャック・ラカンもそのような状況にあると思う。ラカンの翻訳ものよりラカン派の秀でた日本人医者の著作のほうがよく解る。そういうものだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ボルヘスは難解だ。いや難解と言うより、作品自体の言いたいことがわからないときが多い。これは多分に読み手の無知に由来すると思ってみよう。この『伝記集』もこの20年来、版を変え訳者を変えて何度か読み返しているが、わからないものが少なくない。 本書中、やはり印象に残るのが「記憶の人・フネス」だ。フネスはほとんど世界文学界の象徴的登場人物、ラスコーリニコフやスタヴローギン、バートルビーやエイハブらに匹敵する存在感を示している。これを読むだけでも本書の価値はあろう。フネスは異常なる記憶力を持っているが、それは記憶力を絶対の武器とする『神聖喜劇』の東堂太郎とは異なり、記憶した物事を決して忘れることが出来ないという病的症状をもった人物なのである。「フネスの存在は何を意味するか?」などといった反応はひとまず措いておいたほうがよい。人間とは不可思議なものである。 倫理的・道徳的厳格を求める危ない教条に対しては、文学こそが生きる糧になるということを思い知ることが出来る。そういう(倫理的・道徳的教条を主張する)小説も決して少なくはないが・・・・。そうした事態をも指して『神聖喜劇』の作家は「俗情との結託」と述べたのであろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
原著が大傑作なのは本当。 間違いなくノーベル賞クラス(とってないけど)。 ただ日本語が…… 誤訳も多いけど、直訳的で文章になってない部分が多すぎます。 ボルヘスは詩人だから、単語レベルでリズミカルな所があって訳すのが大変なのは分かるんですが。 『幻獣辞典』の柳瀬さん辺りが新訳してくれればいいのに。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!