(短編集)
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
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「伝奇集」等で知られる南米文学の巨人ボルヘスが書いた(共作)「本格探偵小説集」! しかも「2001 本格ミステリ・ベスト10」第一位との帯の言葉につられ(笑) ボルヘスも本格探偵小説も大好きな僕は迷わず購入。 同じように興味がある方は購入は義務です(笑) 本書は、いわゆる「安楽椅子探偵」ものですが、探偵は無実の罪で無期懲役になってるので「安楽」ではないかな? とにかく、以下読後の感想を。 第一作は、ごく普通(ボルヘスにしては)の本格探偵小説でトリック・合理的な解決で終わるので、かえって物足りない印象だった。 しかし、二作目からは大いに違う。 複数の証言者(依頼人も含む)は、各々やたら饒舌で話も相互に矛盾だらけ、そこに背景としてアルゼンチンの複雑怪奇な歴史や人物像があるから読者は、推理どころではない。 ある意味黒澤明監督の名作「羅生門」に影響されているのかもしれないが、より幻想的で迷宮に迷いこむことは必須である。 とは言え「羅生門」と違い本書では、唐突なくらい探偵による謎解きが入り物語は完結。 しかし探偵による謎解きも、これまた依頼人たち同様に、饒舌で意味不明。 さすがに「ボルヘス」らしい。 本書自体が、読者を迷宮に迷い込ませる不思議な小説である。 日本のミステリ三大奇書(ドグラマグラなど)とも異質の味わいが楽しめる。 その点もあり、普通の探偵小説が謎解きを読んだらおしまいになるのと違い、何度でも読み返しがきく点が興味深い。 是非、ミステリ好きならチャレンジして欲しい。 | ||||
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去年、たまたま南洋一郎訳のモーリス・ルブランの復刻本を何冊か読んだところ、これまたたまたま数日前に「ルパン」というフランス映画を見る機会があり、先行するテキストを利用して新たな物語を綴るといった類いの作品の面白さを堪能しました。そういった意味では逆の形になりますが、ルイス・フェルナンド・ヴェリッシモの「ボルヘスと不死のオランウータン」を読んで、その作品での目の見えないボルヘスの佇まいから、十年ほど前に読んだ本書の、無実の罪で牢獄に幽閉されたドン・イシドロ・パロディを思い出し再読しました。本書は解説にもあるように、「悲壮なもの、格言的な言い回し、バロック的なものが好き」なボルヘスと、「穏やかさと抑制」を好むカサレスとが天の配剤とでも言いたくなるような結びつきを見せ、それぞれの著作とはまた違った魅力が横溢しています。収められた六つの短編はいずれも、厳密な意味においていわゆる「探偵小説」なのかどうか、それを云々する素養は持ち合わせてはいませんが、いわく「哲学小説」とでも呼びたくなるような、読後、読むこちら側の現実認識にさえ影響を及ぼす、イシドロ・パロディの鮮やかな手腕を楽しむことができます。また、随所に出てくる「犬小屋を追われた乞食は自分の記憶の宮殿に住まう」とか「この楽園のような国で過ごした十四年間はこの上もなく過酷な拷問の一分間にあたる」といった、汎用性の高い「格言」も、本書の愉しみ所のひとつです。ただ、解説ですこし触れられているイシドロ・パロディの「聞き間違い」や、「タイ・アンの長期にわたる探索」等に見られる「原注」の意味するところは二回読んでも釈然としないことが多々あり、なかなか一筋縄ではいかない作品でもあります。 | ||||
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事件の関係者が入れ替わり立ち代わり出入りして饒舌をかましまくり,最後には探偵役の囚人が冷め切った表情で事件とその背景を解明する。 ボルヘスというと難解なイメージがありますが,これは探偵小説として純粋に楽しめる。 | ||||
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取りあえず一言。なんだこの小説は(笑) 『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』の冒頭にビオイと主人公(?ボルヘス)が「語り手が偏見を持ってたり矛盾した事を言うせいで読者には何だか分からない小説」の話が出てくるけど、きっとこれの事なんだろうなぁ。 とにかくいろんな読み方のできる小説で、デタラメを喋り倒す語り手の心理を探ってもいいし、イシドロ・パロディに感情移入してピンポイントで鬱陶しい連中にむかついてもいいし、もちろん普通に推理小説として読んでもオッケー(きついけど(笑))。推理小説を「書物」の一種として捉えた場合、これほどしゃぶり甲斐のある作品そうはあるまい。 考えてみれば1940年代といえば伝奇集書いてるボルヘスの全盛期なわけで、その裏で悪友ビオイと楽しいそうに馬鹿やってる姿が目に浮かぶようですねぇ。 | ||||
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ふたりの作家がここまでのめり込んで共作できるとはまさに奇跡的な収穫と言えるのではないでしょうか? 訳文も秀逸。いろんな書評が出ましたが、誤訳うんぬんという指摘はナンセンス。原文も読んでみましたが、翻訳は原文を忠実にうつしています。恐らく・・・、監獄に長い間収監されていた人が主人公であるというところからすると、主人公の「記憶違い」というのも、ボルヘスとビオイ=カサーレスが設定したシチュエーションなのでしょう。主人公のそういった実に人間的な設定も読みこなす、ということも著者が読者に求めている要素に思えてなりません。 | ||||
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