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(短編集)
中国行きのスロウ・ボート
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【この小説が収録されている参考書籍】
中国行きのスロウ・ボートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全70件 21~40 2/4ページ
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【中国行きの貨物船】(短編) に関して: 著者は、この作品で(20年以上前の)、日本人の中国、もしくは中国人に対する評価 や振舞の根源的な心情を、ホントはこうなんじゃないですか(?)と、いくつかのエピソードを提示して我々に問うている。 海に浮かぶ氷山の10%の見えている部分では、中国人に対して可もなく不可もない、それなりの態度をとっているように見えるものの、氷の下、残りの90%での意識の根底にあるものは、蔑視とまでは言えないかもしれないが、ある意味より根深い固定観念が見え隠れしているのでは・・・・と、著者が日本人の心根を問うている作品のように感じました。 現在(2015)でも、著者がこの作品を書いた時代状況とは、少し違った意味合いで、中国もしくは中国人に対する印象は、お互いが負のループにハマり込んで、さらに固定化し、悪化している。 中国人が “日本を表現” するのに 「小日本」 という表現があるそうですが、日本はそれとは別の観点での “中国人に対する評価” として、 「劣中国人」 という心証を持っている人々は―――昔 (30-40年前) ほどではないにしても―――今でも、少なくないような気がする。 中国人も、日本人に、そのように思われていることに気がつているが、面と向かって 「日本人は、昔から (極端に言えば、607年:『日出づる処の天子、日没する処の天子に書をしたためる~』から) 、どうして中国人を尊敬はしないまでも、正当に評価しないのか」 と、・・・・・ただ、そのことを口に出すのも自身のプライドが許さず、鬱々とした気分になっているような気がする。 | ||||
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村上春樹大好きなので買いました。 文庫本なのでバッグにちょい。 春樹ちゃんの文体に惹かれます。 短編なのでちょこっとした時間に読めます。 それでいて味がある。 | ||||
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本の内容はともかく 1983年版の初版が帯付で購入できたことに 驚き。 32年前.... 午後の最後の芝生が自分のお気に入り 若いころの 暑い夏の日がよみがえってくるそんな文章です。 大事にしようと思います。 | ||||
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収録の短編「 中国行きのスロウ・ボート」は村上春樹の中でもかなり異色の短編ではないだろうか。後半の数ページでは珍しく作者の声のようなものが滲み出ている。 | ||||
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今まで村上作品を読んだことがなかったが、読んでみて、何だかフュージョン系のジャズを聴いた心地よさのような、何となく次の作品を読みたくなるような、癖になるような感覚になった。いろいろな解説書が出ているが、解説書で理解しようとする読み方よりも、感覚的に感じたままの読み方のほうが、自分には合っていると感じた。 | ||||
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「中国行きのスローボード」は、 村上春樹の入門書と言われている、春樹の短編集である。 まず、読み始めて、この短編集、まず何にビックリするかって、全体的に「心に余裕がないと読めない」ということだ。 村上春樹の短編って、人生に不満がない時や、心が穏やかな時しか読めない。いやマジで。 この短編で、収録されてる「ニューヨーク炭鉱の悲劇」なんか、要約すると「女と世間話して、友達とシャンパンを飲んだりする話」である。 もうこの時点で、ムカつくだろう。最後の方に収録されてる「土の中の小さな犬」ってやつなんか、「図書館で知り合った女の子と喋ってたら、昔のガールフレンドに電話をかけたくなった」である。そんなもん、なめんじゃねーぞ、って話だ。24歳で人生「どうしようかな」って思い悩んでる身空からすれば、こんなもん「ケンカ売ってんのか」って話である。 じゃあ、なぜそんな短編をお前はススメるのか。というと、それは、唯一ひとつだけ、ものすごーく好きな短編が、あるから。 それは、「カンガルー日和」。これはある男が、ひとりの女性にラブレターを送る、だけの話なのだが、これは、本当に面白い。というか、笑える。この短編集のなかで一番、面白いと思う。これはある意味、なんというか、この短編を、一言でまとめると、「世界で一番、人の神経を逆なでするラブレター」である。村上春樹が恋文を書いたら、ここまで、人をイラつかせるのか、という、物凄いラブレターである。一周回って名文だと思うのだ。ほんとうに意味がわからなすぎて、笑えてくる小品である。みんなもお暇なときに、ぜひ、読んでみて欲しい。すごいから。中国行きのスローボードでした。 | ||||
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このタイトル作は無意識の暴力を扱っている。 普通の人々の、どんな時でも人より優位に立とうとする、そのために人を貶める、あるいは自分を上げる頻度はスサマジイ。 ちなみに、 村上春樹さんは、ナルシストなのでしょうか? との問いに答えます。 ナルシストです。 人間だからね。 かんたんな三段論法だよ。 人間は誰しもがナルシストである。 村上春樹さんは人間である。 よって、村上春樹さんもナルシストである。 ってだけの話。 そんなことより、他人の無意識の暴力との闘い方さえ分かれば、、、 「本当の考え」と「偽物の考え」の違いさへ分かれば、、(宮沢賢治) 、、、つか、僕自身の無意識の暴力の発散具合を点検したほうが速いかも。 支離滅裂 | ||||
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は、間違いなく傑作だ…理由は解らないけど、読み返すのはこの話だけである。 名画のようなピンと張った空間…何も起こらないのにとても面白い。。 春樹の最高傑作だと思うし、色あせない。。 先頃、亡くなられた安西水丸さんの表紙も美しく秀逸。 | ||||
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村上春樹、珠玉の初期短編集。 初さを感じた。春樹氏の短編集は名作揃いであり、この作品は今後の成熟や深みへと繋がるものである。 どの作品も、読後の空白や余韻みたいなものを読者に与えてくれる。それは走り抜けた後の青春のような、心地よくも切ない余韻である。 なかでも、「土の中の彼女の小さな犬」は独特のミステリアスな情景があり、僕はこういう作品を描いてこそ、彼の文才、タッチが活かされると思う。 「シドニーのグリーンストリート」では羊男が登場する。春樹作品ファンの僕は、思わず興奮してしまった。 | ||||
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もしもあなたが45歳以上で他に何もすることがなかったなら、わたしはこの短編集をおすすめします。20年くらい前の自分を思い出させてくれるに違いありません。そのころの空気を十分に吸い込んだリズミカルな文章は時間がたてばたつほどまた読みたくなります。私は村上さんの短編小説が大好きです。 | ||||
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表題作「中国行きのスロウ・ボート」最後の2ページ。 「中国」を「真理」に置き換えて読んでみて下さい。 これは、ゲーデルの「不完全性定理」ですよ。 こんな美しい文章、滅多にないと思います。 村上春樹は、神経質ではない健やかな人(ホメてるんです)には、分かりづらいかもしれません。 | ||||
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初版が1980年だった本書は、村上春樹さんの短編集のうち最も古いものです。 本作品には、中国行きのスロウ・ボート、貧乏な叔母さんの話、ニューヨーク炭鉱の悲劇、カンガルー通信、午後の最後の芝生、土の中の彼女の小さな犬、シドニーのグリーン・ストリートの七篇が収録されています。 私にとって村上さんの作品の最大の魅力は、レトリックや比喩の上手さです。この短編集に、すでに村上春樹らしさがとても良く出ています。不思議で観念的なお話が多く、どう解釈するかは読者によって異なってくるでしょう。 以下はあくまで私の解釈です(ねたバレ注意)。 <中国行きのスロウ・ボート>から私が感じたのは、「居場所のない感覚」のようなものでした。「僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない(p50)」。ここで言う「中国」とは実際の中国ではなく、もっと観念的な「自分とは生涯関係ないであろう、どこか遠くの場所」の暗喩なのでしょう。そして「スロウ・ボートを待とう」という記述は、主人公の没主体性とパッシブな運命論的世界観のあらわれだと捉えました。 <貧乏な叔母さんの話>における「貧乏なおばさん」とは、「死ぬ前から名前が消えてしまっているタイプ(p62)」のことだと書かれています。そして「僕」の背中には「貧乏なおばさん」が張り付いている。しかしそれは「僕の背中からいつの間にか消え去って(p86)」いる。私はこの「貧乏なおばさん」のお話は、若いうちの「何者でもない」未分化な状態から、社会的に定義されうる「何者か」に分化していくプロセスのメタファーではないかと考えました。 | ||||
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村上春樹さんの作品で後世にまで残るモノを挙げるとしたら、たぶんこういう短編集なんじゃないかと思います。特にこの作品は、これからも多くの読者に愛され続けることでしょう。作家として、身の回りにある全ての事象を自在な言葉で表現することが出来た時期に残してくれた珠玉の短編小説集です。 | ||||
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『中国行きのスロウ・ボート』は、私の初村上春樹作品である(恥ずかしながら)。 結論から言うと、(陳腐な表現だが)これまで読んでこなかったのを後悔してしまうくらい、良かった。 寂しさを感じさせる乾いた文章、平易だけれど巧みな表現方法、どこか異国を思わせる空気感、懐かしさを伴った幻想的な風景 ・・・。巷に溢れる村上春樹論に、目を通さず感じたままを述べるとこうなるだろうか。 特に私の琴線に触れたのは、突き放したような距離感だ。他者との間にある隔たりを、あえて乗り越えていこうとしない。あるがままを受け止める。そこに潔さのようなものが見える。私のような元来孤独な人間は、こういう距離のとり方に共感してしまうのだ。 収録作品は、タイトル作の他、「貧乏な叔母さんの話」、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、「カンガルー通信」、「午後の最後の芝生」、「土の中の彼女の小さな犬」、「シドニーのグリーン・ストリート」。 アメリカの小説のような「午後の最後の芝生」と、「土の中の彼女の小さな犬」が特に良かった。 | ||||
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今の村上春樹の作品も良いが、初期の短編小説も読んでみるとよいと思いました。 | ||||
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1980年春から1982年夏にかけて発表された7つの短編。『1973年のピンボール』発表後に前半の4編。『羊をめぐる冒険』のあとに後半の3編書かれていて、4番目の『カンガルー通信』と5番目の『午後の最後の芝生』の間には1年近いブランクがあること。そして村上春樹さんにとって最初の短編集であることが、まえがきに記されています。 村上さんにとって一つの節目を挟んだ作品集と言えそうです。 それは専業作家としてのスタートを切った直前直後の作品が両方納められているということです。 これを意識して読むと、何となく感じられるものがあります。 村上龍さんとの対談集『ウォーク・ドント・ラン』の中で一番印象に残ったのが、村上春樹さんがお金のことを非常に気にしていた点です。 小説だけで経済的にやってゆけるのか。個人的には村上さんのこういうところがとても好きです。 まともだと思います。 経営するジャズ喫茶も軌道に乗っていた頃で、専業作家の道に進むには相当な決断があったのではないかと想像しています。 それが前半4つの作品と後半3つの作品に感じられます。 前半の4作品は、比較的無難な印象です。勿論随所に独特の比喩が散りばめられ魅力的ですが、ぶっちぎったような飛躍といいますか跳躍があまり感じられません。 それは後半の作品の方が強いです。 かなり先入観の入った感想ですが、何かをここで見つけたい短編集ではあります。 | ||||
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「中国行きのスロウボート」 共感できます。 「最後の午後の芝生」は情景描写がとてもキレイ。草の匂いや真夏のじりじりとした暑さが伝わってくるようです。 「カンガルー通信」「シドニーのグリーンストリート」は軽快でユーモラスでテンポよく読める。 春樹さんの短編の面白さは抜群。もう何度も読み返しています。 | ||||
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人との出会いが面白いです。 少し、ほろ苦かったりしても、何故か、いいなぁと思ってしまいます。 素晴らしい短編集でした。 僕もそんな出会いがしてみたいなぁなんて思っちゃいました。笑 | ||||
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北方謙三氏の純文学時代の短編を読み、その同時代のまだ若かった村上春樹氏の短編を20年ぶり以上経て読み返してみた。僕自身が若かった時には『巧い!面白い!』という印象だけが残っていたが、今改めて読むと-才能の輝きは間違いないが-完成度としてはまだ粗いレベルだった事を再確認した。あれほど緻密で重層的な印象があった文章もまだ描写が浅い。しかし、その分アメリカのポストモダン作家の影響下が強く残っている実験性を今更ながら発見した。特に『ニューヨーク炭鉱の悲劇』の実験性に撞着した。「これで出版できたなんて、当時の日本の純文学業界は懐が広かったんだな〜」と感慨深くなる。〜『ノルウェイの森』がメガヒットしたあとに出版されたムック本で「1973年のピンボールの鼠の部分はリアリズムで書いたが、今じゃ下手で読めない」と著者本人が公言している。だが、本作も含め、当時の作品には今の村上氏からは失われてしまった、良い意味でのチャレンジ精神と若さが満ち満ちている。本作以降の短編集は時系列でいくと『蛍、納屋を焼く〜』『回転木馬のデッドヒート』『パン屋再襲撃』となる。著者の才能が完全に開花し、実力が溢れるばかりに瑞々しかった時期の短編の変遷を改めて読み返してみたい。 | ||||
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村上春樹の最初の短編集ということで重要かもしれない。 村上春樹の小説は短篇を膨らませて、その後、いつか書こうとしている長編の下地になっているケースが多々あるからだ。ねじまき鳥しかり、蛍しかり・・・・・ 中国人小学校での模擬試験の試験監督、アルバイト先で出会った中国人女性、百科事典のセールスマンという3人の中国人が登場する表題作のほか6つの作品が収められているが、「シドニーのグリーン・ストリート」が面白い。村上作品の中では貴重なキャラ、羊男と羊博士が登場するからだ。 最近の某週刊誌の書評欄で小川洋子が絶賛していた短編集でもある。 | ||||
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