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(短編集)
中国行きのスロウ・ボート
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【この小説が収録されている参考書籍】
中国行きのスロウ・ボートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全70件 1~20 1/4ページ
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『午後の最後の芝生』という一編だけでもお釣りがきます! | ||||
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池澤夏樹氏が編纂した「日本文学全集」の短編小説集に、ここに掲載されている「午後の最後の芝生」が選出されています。「日本文学全集」短編集の中でも、「午後の最後の芝生」はかなりの存在感があります。 しかし、「中国行きのスロウ・ボート」の中のほかの短編もこれに負けていません。80年代前半の作品集ですが、さすがはハルキ、かなりレベルが高いと思います。KINDLE化されてよかったです。 | ||||
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「午後の最後の芝生」が秀逸でした。(再々読) 学生時代の芝刈りのアルバイトから人生のさまざまな様相が自然と浮かび上がってきます、芝生の上に撒いた水のようにぼんやりと。その力量はあざとくなく見事です。 他は初期の村上を形成し成長していく上で興味深い作品の数々でした。 電子書籍化の英断を感謝します。 中央公論社には、レイモンド・カーヴァー等、まだまだたくさんの電子書籍化されていない宝がたくさんあり、今後の電子書籍化の推進を切に願います。 | ||||
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村上春樹さんの本は彼がデビューした当時から全部読んでいて、唯一買い損ねたのが中国行きのスロウ・ボートでした。単行本が欲しくて、買うタイミングを逸していたら廃刊となり、文庫に。文庫で買うのが嫌で、そのままになっていました。それがまさかの当時のままの復刻版の発売。アマゾンからおすすめの本としてダイレクトメールが来たときはすぐに買ってしまいました。このところ長編が多かったの村上さんの短編、吸い込まれるように読みました。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」はリチャード・ブローティガンの小説のようで、まるでエドワード・ホッパーの絵を文章にしたような短編小説は、海外でもファンが多いことにも頷けます。昔の短編を読んだことがない人にはおすすめです。 | ||||
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読み始める前ですが、ワクワクしてます。 中国語バージョンも読みたいと思ってます(笑) | ||||
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村上春樹の初めての短篇集。 今回(2024年)、長らく絶版になっていた村上春樹初の短篇集が単行本で復刻された。安西水丸さんとの初コラボということもあり、春樹も思い入れがあったのだろう。 まだ小説家としてデビューしてから間もなく、キャリア最初期のため、現在のように文体の洗練された感じはないが、とにかく面白い。『羊をめぐる冒険』を書くまでは、短篇においても「小説」という「入れもの」そのものを作品において問うようなところがあった。かといって、内容がないわけではない。 春樹は「都会的」だとか言われてきたが、キャリア初期のころからとても「政治的」だと思う。このことは読者にも評論家にもあまり理解されていないのではないか(中国、貧困、差別、マイノリティ、全共闘…)。 「中国行きのスロウ・ボート」春樹にとって中国問題はずっと切実だ。 「貧乏な叔母さんの話」は、春樹が自分で重要な作品であるとどこかに書いていたように思う。これなど『1Q84』に繋がる要素もあると思うが。 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は、一読するとまったくわけがわからない。だが、この小説のタイトルになった曲の歌詞を読むと、この作品を読むヒントが隠されているように思う。 「午後の最後の芝生」は、名作の多い春樹の短編の中でも屈指の出来だと思う。大柄の女の娘が死んでいるということを、読む人間は直接的に書かれていないが感じる。 そのほかの短篇も若いなりに頑張っているというか、実験的なところがあったり、ユーモアや笑いがあったりバラエティに富んでいて、いろいろと試行錯誤していてどれも面白い。 羊男も出てくるし! それにしても「ちゃーりー」好きだなあ。 | ||||
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一度読んだ本だがどっかにいってしまったのでまた買った。改めて読み返したが村上春樹の小説作法がよくわかるある意味習作のような作品集だと思った。娯楽小説とは違うので課題解決がはっきりしているわけではないが、その分読者に考える手がかりをたくさんくれる。よい体験ができると思う。 | ||||
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私が村上文学と20代で最初に出会った作品以来40年が経ちますが色褪せません❗️ | ||||
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こちらは紙の本。Kindleがないのだ。短編集。 「中国行きのスロウ・ボート」 なんだかスッキリしない、出口のない後味だった。近寄りたいし近寄れそうだけど、なんだか違うというようなちぐはぐさ。当時の中国という国に対する説明できない雰囲気が村上春樹的に料理されたというところかな。 「貧乏な叔母さんの話」 不思議系ストーリー。主人公から離れた貧乏な叔母さんは、帽子を弟から取り返して叱られた女の子の側にいるのかな。貧乏な叔母さんじゃなくなって。 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」 ずっと死のモチーフ。死がつきまとっている。最期の段落は差し迫った死。 「カンガルー通信」 なんだかほのぼのしているけど、大分危ない人だな(笑) 「午後の最後の芝生」 雰囲気がすごく素敵。芝刈りを丁寧にやる主人公の気持ちがなんだかわかる。その丁寧さに惹かれる人たちが来るのも。なにごともそういうことだよな。 「土の中の彼女の小さな犬」 死の匂いって消えないんだろうか。 「シドニーのグリーン・ストリート」 おお!羊男だ!世界中にいるのか・・・。 異なるテーマの短編だが、村上ワールドを満喫できる。 | ||||
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当方、もう50歳をゆうに過ぎてしまいましたので、数えてみれば36年ぶりの再読ということになります。さすがにこの年齢になって読み返してみると、そんなにおもしろくはないですね。ははは。でも、十代後半だったあの頃、熱にうかされたかのように読み耽った思い出がまざまざと蘇ってきました。この短篇集が出た頃はまだ『羊をめぐる冒険』も刊行されてなかったと思いますが、それより何より村上春樹といってもそんなに知ってる人もいなくて、それが今やノーベル賞うんぬんされる大作家ですから、びっくりです。四十年近く経ってもこんなに多くの人に読まれているなんて、ホント信じられない。そのうち消えちゃうんだろうなー、なんて当時、心の隅で思ってたもんですから。わたしは『風の歌を聴け』からこの頃までの作品が好きだったんですが、そういう人ってあまり多くないようです。久しぶりに同窓会に行って懐かしい旧友に再会した気分。あの頃の自分を思い出して、ちょっと恥ずかしくなったところもありました。 | ||||
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当時も確かそうだったけれど、「午後の最後の芝生」が一番好きだな。 村上作品の登場人物たちの誠実さをとても強く感じる。 あの頃のわたしも同じ気持ちで読んでいたのかな。 相手に対して周囲に対して自分自身に対して距離を置きながら/置いてこその誠実さ。 もしかすると、距離というのは村上さんの作風のキーワードかもしれないな。 距離が、ものの見方のスタンス、文章の間合い、と相俟って。 なんというか、そのあたりに切なさを感じてしまうのだ。 年をおいて読んだら冷静に接することが出来ると思いきや、また違う心持ちでジンときてしまったよ。 | ||||
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何回読んだかわからない。村上さんの作品の中で一番好きだし傑作だと思う。ストーリーテラーとしての力量だけでなく場面設定の巧みさも見事。例えばいろんな温度差の対比表現(芝生、車内、室内、飲み物等々)が絶妙だし、そうした設定をうまく配置して主人公達の底流に流れるものを一気にスパークさせるながれは見事としか言い様がない。他にもよく練られていて、いつも読み進むのがもったいない。読む時は一行一行大切に大切に読む。 失恋の傷を負いながら、ひたむきに何かやる夏・・といった「かつてあったであろう時間のながれ」に自分を同化させたい時に、最近は手に取ることが多い。いつのまにか自分もクライアントのアル中おばさんの歳になったし、おばさんの気持ちに立って読めたりできるようになったのも面白いな。 | ||||
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初の短編集と言うことだが、別段内容に関連はなく、本当に初期作品を集めただけのようだ。どの作がと言うのでなく、オシャレでセンスの塊。特記すべき内容もなさそうだが、普通の人物しか登場せず、特別な事件が起こらないでも、面白い小説は書けるのだと言う主張を感じた。確かに後年の作品群につながるスタイリッシュな小品集である。 | ||||
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村上春樹最初の短編集。 個人的には収録順に面白くなっていった。 シドニーのグリーン・ストリートは大人向け絵本って感じでとても好き。挿し絵もついてるし。物語通してどこかコミカルなんだよなあ。村上春樹の長編でもクスッとくるところが結構あって、同じ種類のコミカルさだった。 やっぱり短編って作者のエッセンスが詰められてるんだなあって思う。 村上春樹の小説って音楽と酒とセックスは必ず出てくるけど、動物も準レギュラーかもと思った。動物園もけっこう出てくるし。 あと、人物の描写の仕方は作者が人をどう見てるかってところに繋がると思うのだけれど、村上作品って服装の描写が丹念だなあと思った。魅力的な人(特に女性)は品のいい着こなしをしていて、モブとかつまらない人は無難だったり品のない服を着ている傾向にある気がする笑 | ||||
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まだ学生だった頃、ある友人の下宿を訪れたことがあった。その友人は、法学部に在籍しているにもかかわらず、将来は小説家になりたいと考えているようだった。その彼がその夜、『小説を書くのだったら、現代の作家の作品も読まなくちゃね、例えば〇〇とか、村上春樹とか、さ……』と語ったのだった。余り文学に熱心でなかったのか、〇〇さんの方は残念ながらまったく記憶に残っていないのだが、不思議なことに村上春樹についてはおかしな表現だが、完全にフル・ネームで記憶していた。 そして、暫らくして、大学の生協の書籍部を訪ねてみると、このフル・ネームで憶えた作家の本が平積みになっている。その書名は、「中国行きのスロウ・ボート」であった。表紙は上半分が白で、書名と作者名が印刷されており、下半分はボートではなくて、皿に乗った2つの西洋梨が青い背景に印刷されている。だが現代作家だから、ひょっとして難解な小説なのではないか、と危惧して恐る恐る手に取ったように思う。だがパラパラとめくってみると、これまで自分が読んできた作家、夏目漱石や筒井康隆と大きく変わることはなさそうだと言うことは感覚的に理解できた。それが、村上氏との邂逅であった。ひょっとするとその友人が、村上氏について語ってくれなければ、村上氏の作品を知ることができた時期は、少なくとももっと遅くなっていたかもしれない。 本当に久しぶりに、その村上春樹氏の最初の短編集を再読している。そう、こんな話だったよね、と思い返しながら読んでいる。きっと気に入ったのだろう、それも、とっても……。こんな作家に会ったことはない、いや、もともと同時代の作家については、それほど熱心な読者ではなかったのは、先述のとおりである。そしてこの短編集を読んだ後、村上氏の初期3部作を文庫本で、ひょっとすると「羊をめぐる冒険」は、まだ文庫化されていなかったかもしれないけれども、たて続けに読んだように記憶している。はっきりとは記憶していないが、「中国行き……」を読み終えてから、まもなくすべてを読んだように記憶している。 これが村上氏のファンになった経緯であるが、まさかこんな世界的な作家になろうとは、まったく思っていなかった……。 | ||||
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中国から来た留学生です。 『ノルウェーの森』『風の歌を聴け』『海辺のカフカ』など読んだことがある。 『中国行きのスロウ ・ボート』はまだ読んでいないですが、「On a Slow Boat to China」という古い歌があって、その意味は確か「長い旅」です。また、村上さんのいろんな作品は歌と繋がっている感じ、「Norwegin Wood」とか「California Girls」とか。 さらに、「On the road」という小説を読んだことがある人分かるかもしれないが、その主人公が一番落胆した時、「俺の中国行きのスロウボートは何処にあるんだ」(こう翻訳していいかな ^_^)と言ったことがある。 村上文学ずっと前から好きだった。そのラベルの一つは孤独だった、多分僕もそいう人間だから、結構好きだった。彼の作品を読むと、いつも自分の人生を考える気がする。取り敢えずこれを読んでみる。 変な日本語が出たら申し訳ない。 | ||||
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ハルキストなどと呼ばれる人たちとは縁遠い。ノーベル文学賞云々と聞いてもどうも納得がいかない。※ファンの方気を悪くなさらずに。 『貧乏な小母さんの話』これは良いと思った。 長編よりも短編の方が達者な小説家なのかも知れない。 | ||||
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1983年の村上春樹氏の初期の短編作品を読み返しました。 その後の長編に繋がるテーマと創作スタイルがほぼ完成していることに改めて驚きましたので内容をかいつまんでご紹介します。 【中国行きのスロウボート】 主人公の僕の半生を中国人とのエピソードとともに振り返る。 誇りを持つように諭す中国人小学校の教師、運命を嘆く中国人女学生、過去を忘れることができない中国人セールスマン。中国と日本の過去が一つの塊となって個人の心に影を落としている。 僕は加害者と被害者のかかえる記憶の違いに気付き、誤謬がもたらす問題に目を向ける。そしてささやかな誇りとともに真実に向き合うことを誓う。 【貧乏な叔母さんの話】 主人公の僕は「貧乏な叔母さん」という奇妙な概念に取り付かれる。 「叔母さん」は具体的な人物像をもたず、理由もなく存在し、見る者それぞれに意味を与える。そんな「彼女」は僕にとって完璧なテーゼなのだ。 郊外電車で見かけた少女の悲しみに触れたとき、不意に僕の心は癒され「貧乏な叔母さん」は僕から離れていった。 【ニューヨーク炭鉱の悲劇】 僕の周りで次々と同世代の友人が命を落としていった。革命とも戦争とも無縁な市井の人々の死。彼らにどのような鎮魂歌をささげればよいのだろう? パーティーで出会った女性は僕に死んだ彼氏の面影を見る。死者を見送る残された人々。慰めの言葉は彼らに届くのだろうか? 「生命の音」を求める声なき声が暗闇の中で救いを求めている。 【カンガルー通信】 大いなる不完全さを持つあなたの手紙が僕のこころを揺さぶる。 ゴタゴタ込み入った描写、感情のない文章、そして取り掛かる手がかりひとつ与えてくれないストーリー。その手紙に触発された僕は、「同時にふたつの場所で進行する心の物語」「個人を超えた原則の物語」を志す。 【午後の最後の芝生】 恋人を失った僕は芝生を刈るアルバイトを止めることにした。 最後のアルバイトの日、夫と娘を失った女性の家を訪れる。 かつての幸せな日々の名残を感じさせて物悲しいその家で僕の心に深い喪失感がこみあげてくる。 いつかこの悲しみを乗り越えたとき、僕は再び芝生を刈り始めるだろう。 【土の中の彼女の小さな犬】 ふとしたきっかけで死が体に取り付いてしまう。 ホテルで出会った女性は愛犬の死に再会した時に手に死の匂いがしみ込んでしまった。 僕は昔の記憶を思い浮かべながら彼女の気持ちにこころを重ね合わせる。 このあと別れたガール・フレンドを求めてダイヤルを回す。「生命の音」を求めて。 【シドニーのグリーン・ストリート】 架空の通りに住む架空の探偵が巻き起こすドタバタコメディー。 今ではお馴染みとなった羊男と羊博士の和解。精神分析の言葉が解決のカギ。 やはり最初の短編から「世界のハルキ・ムラカミ」だった! | ||||
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7つの短編集が収められており、どれも不思議な世界に引き込まれてしまった。 「午後の最後の芝生」は学生最後の夏休みでの芝刈りバイトの出来事が描かれており、自分の学生時代を思い出してしまった。 | ||||
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僕的に、村上作品の最高傑作。 世の中の評価としては、さほど高くないようですが。 切なく、甘酸っぱく、胸締め付けられます。 | ||||
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