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(短編集)
中国行きのスロウ・ボート
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【この小説が収録されている参考書籍】
中国行きのスロウ・ボートの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全77件 21~40 2/4ページ
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初めて村上春樹の作品を読みましたが、どうもだめでした。 なんというか違和感というか不快な感じで途中でやめてしまいました。 一冊だけで判断はするべきではないと思いますが、また何年か経ったら別の作品を読んでみるかもしれません。 | ||||
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ハルキストなどと呼ばれる人たちとは縁遠い。ノーベル文学賞云々と聞いてもどうも納得がいかない。※ファンの方気を悪くなさらずに。 『貧乏な小母さんの話』これは良いと思った。 長編よりも短編の方が達者な小説家なのかも知れない。 | ||||
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1983年の村上春樹氏の初期の短編作品を読み返しました。 その後の長編に繋がるテーマと創作スタイルがほぼ完成していることに改めて驚きましたので内容をかいつまんでご紹介します。 【中国行きのスロウボート】 主人公の僕の半生を中国人とのエピソードとともに振り返る。 誇りを持つように諭す中国人小学校の教師、運命を嘆く中国人女学生、過去を忘れることができない中国人セールスマン。中国と日本の過去が一つの塊となって個人の心に影を落としている。 僕は加害者と被害者のかかえる記憶の違いに気付き、誤謬がもたらす問題に目を向ける。そしてささやかな誇りとともに真実に向き合うことを誓う。 【貧乏な叔母さんの話】 主人公の僕は「貧乏な叔母さん」という奇妙な概念に取り付かれる。 「叔母さん」は具体的な人物像をもたず、理由もなく存在し、見る者それぞれに意味を与える。そんな「彼女」は僕にとって完璧なテーゼなのだ。 郊外電車で見かけた少女の悲しみに触れたとき、不意に僕の心は癒され「貧乏な叔母さん」は僕から離れていった。 【ニューヨーク炭鉱の悲劇】 僕の周りで次々と同世代の友人が命を落としていった。革命とも戦争とも無縁な市井の人々の死。彼らにどのような鎮魂歌をささげればよいのだろう? パーティーで出会った女性は僕に死んだ彼氏の面影を見る。死者を見送る残された人々。慰めの言葉は彼らに届くのだろうか? 「生命の音」を求める声なき声が暗闇の中で救いを求めている。 【カンガルー通信】 大いなる不完全さを持つあなたの手紙が僕のこころを揺さぶる。 ゴタゴタ込み入った描写、感情のない文章、そして取り掛かる手がかりひとつ与えてくれないストーリー。その手紙に触発された僕は、「同時にふたつの場所で進行する心の物語」「個人を超えた原則の物語」を志す。 【午後の最後の芝生】 恋人を失った僕は芝生を刈るアルバイトを止めることにした。 最後のアルバイトの日、夫と娘を失った女性の家を訪れる。 かつての幸せな日々の名残を感じさせて物悲しいその家で僕の心に深い喪失感がこみあげてくる。 いつかこの悲しみを乗り越えたとき、僕は再び芝生を刈り始めるだろう。 【土の中の彼女の小さな犬】 ふとしたきっかけで死が体に取り付いてしまう。 ホテルで出会った女性は愛犬の死に再会した時に手に死の匂いがしみ込んでしまった。 僕は昔の記憶を思い浮かべながら彼女の気持ちにこころを重ね合わせる。 このあと別れたガール・フレンドを求めてダイヤルを回す。「生命の音」を求めて。 【シドニーのグリーン・ストリート】 架空の通りに住む架空の探偵が巻き起こすドタバタコメディー。 今ではお馴染みとなった羊男と羊博士の和解。精神分析の言葉が解決のカギ。 やはり最初の短編から「世界のハルキ・ムラカミ」だった! | ||||
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7つの短編集が収められており、どれも不思議な世界に引き込まれてしまった。 「午後の最後の芝生」は学生最後の夏休みでの芝刈りバイトの出来事が描かれており、自分の学生時代を思い出してしまった。 | ||||
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僕的に、村上作品の最高傑作。 世の中の評価としては、さほど高くないようですが。 切なく、甘酸っぱく、胸締め付けられます。 | ||||
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【中国行きの貨物船】(短編) に関して: 著者は、この作品で(20年以上前の)、日本人の中国、もしくは中国人に対する評価 や振舞の根源的な心情を、ホントはこうなんじゃないですか(?)と、いくつかのエピソードを提示して我々に問うている。 海に浮かぶ氷山の10%の見えている部分では、中国人に対して可もなく不可もない、それなりの態度をとっているように見えるものの、氷の下、残りの90%での意識の根底にあるものは、蔑視とまでは言えないかもしれないが、ある意味より根深い固定観念が見え隠れしているのでは・・・・と、著者が日本人の心根を問うている作品のように感じました。 現在(2015)でも、著者がこの作品を書いた時代状況とは、少し違った意味合いで、中国もしくは中国人に対する印象は、お互いが負のループにハマり込んで、さらに固定化し、悪化している。 中国人が “日本を表現” するのに 「小日本」 という表現があるそうですが、日本はそれとは別の観点での “中国人に対する評価” として、 「劣中国人」 という心証を持っている人々は―――昔 (30-40年前) ほどではないにしても―――今でも、少なくないような気がする。 中国人も、日本人に、そのように思われていることに気がつているが、面と向かって 「日本人は、昔から (極端に言えば、607年:『日出づる処の天子、日没する処の天子に書をしたためる~』から) 、どうして中国人を尊敬はしないまでも、正当に評価しないのか」 と、・・・・・ただ、そのことを口に出すのも自身のプライドが許さず、鬱々とした気分になっているような気がする。 | ||||
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村上春樹大好きなので買いました。 文庫本なのでバッグにちょい。 春樹ちゃんの文体に惹かれます。 短編なのでちょこっとした時間に読めます。 それでいて味がある。 | ||||
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本の内容はともかく 1983年版の初版が帯付で購入できたことに 驚き。 32年前.... 午後の最後の芝生が自分のお気に入り 若いころの 暑い夏の日がよみがえってくるそんな文章です。 大事にしようと思います。 | ||||
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収録の短編「 中国行きのスロウ・ボート」は村上春樹の中でもかなり異色の短編ではないだろうか。後半の数ページでは珍しく作者の声のようなものが滲み出ている。 | ||||
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今まで村上作品を読んだことがなかったが、読んでみて、何だかフュージョン系のジャズを聴いた心地よさのような、何となく次の作品を読みたくなるような、癖になるような感覚になった。いろいろな解説書が出ているが、解説書で理解しようとする読み方よりも、感覚的に感じたままの読み方のほうが、自分には合っていると感じた。 | ||||
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「中国行きのスローボード」は、 村上春樹の入門書と言われている、春樹の短編集である。 まず、読み始めて、この短編集、まず何にビックリするかって、全体的に「心に余裕がないと読めない」ということだ。 村上春樹の短編って、人生に不満がない時や、心が穏やかな時しか読めない。いやマジで。 この短編で、収録されてる「ニューヨーク炭鉱の悲劇」なんか、要約すると「女と世間話して、友達とシャンパンを飲んだりする話」である。 もうこの時点で、ムカつくだろう。最後の方に収録されてる「土の中の小さな犬」ってやつなんか、「図書館で知り合った女の子と喋ってたら、昔のガールフレンドに電話をかけたくなった」である。そんなもん、なめんじゃねーぞ、って話だ。24歳で人生「どうしようかな」って思い悩んでる身空からすれば、こんなもん「ケンカ売ってんのか」って話である。 じゃあ、なぜそんな短編をお前はススメるのか。というと、それは、唯一ひとつだけ、ものすごーく好きな短編が、あるから。 それは、「カンガルー日和」。これはある男が、ひとりの女性にラブレターを送る、だけの話なのだが、これは、本当に面白い。というか、笑える。この短編集のなかで一番、面白いと思う。これはある意味、なんというか、この短編を、一言でまとめると、「世界で一番、人の神経を逆なでするラブレター」である。村上春樹が恋文を書いたら、ここまで、人をイラつかせるのか、という、物凄いラブレターである。一周回って名文だと思うのだ。ほんとうに意味がわからなすぎて、笑えてくる小品である。みんなもお暇なときに、ぜひ、読んでみて欲しい。すごいから。中国行きのスローボードでした。 | ||||
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このタイトル作は無意識の暴力を扱っている。 普通の人々の、どんな時でも人より優位に立とうとする、そのために人を貶める、あるいは自分を上げる頻度はスサマジイ。 ちなみに、 村上春樹さんは、ナルシストなのでしょうか? との問いに答えます。 ナルシストです。 人間だからね。 かんたんな三段論法だよ。 人間は誰しもがナルシストである。 村上春樹さんは人間である。 よって、村上春樹さんもナルシストである。 ってだけの話。 そんなことより、他人の無意識の暴力との闘い方さえ分かれば、、、 「本当の考え」と「偽物の考え」の違いさへ分かれば、、(宮沢賢治) 、、、つか、僕自身の無意識の暴力の発散具合を点検したほうが速いかも。 支離滅裂 | ||||
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は、間違いなく傑作だ…理由は解らないけど、読み返すのはこの話だけである。 名画のようなピンと張った空間…何も起こらないのにとても面白い。。 春樹の最高傑作だと思うし、色あせない。。 先頃、亡くなられた安西水丸さんの表紙も美しく秀逸。 | ||||
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村上春樹、珠玉の初期短編集。 初さを感じた。春樹氏の短編集は名作揃いであり、この作品は今後の成熟や深みへと繋がるものである。 どの作品も、読後の空白や余韻みたいなものを読者に与えてくれる。それは走り抜けた後の青春のような、心地よくも切ない余韻である。 なかでも、「土の中の彼女の小さな犬」は独特のミステリアスな情景があり、僕はこういう作品を描いてこそ、彼の文才、タッチが活かされると思う。 「シドニーのグリーンストリート」では羊男が登場する。春樹作品ファンの僕は、思わず興奮してしまった。 | ||||
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もしもあなたが45歳以上で他に何もすることがなかったなら、わたしはこの短編集をおすすめします。20年くらい前の自分を思い出させてくれるに違いありません。そのころの空気を十分に吸い込んだリズミカルな文章は時間がたてばたつほどまた読みたくなります。私は村上さんの短編小説が大好きです。 | ||||
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とても話題になっている作家さんなので、試しに読んでみましたが、私にはその良さが全く解りませんでした。村上春樹さんは、ナルシストなのでしょうか?有名な長編「ノルウェイの森」でも読めば、何らかの感動を得られるのかもしれませんが、今のところ、この方の小説を読む気にはなれません。 | ||||
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表題作「中国行きのスロウ・ボート」最後の2ページ。 「中国」を「真理」に置き換えて読んでみて下さい。 これは、ゲーデルの「不完全性定理」ですよ。 こんな美しい文章、滅多にないと思います。 村上春樹は、神経質ではない健やかな人(ホメてるんです)には、分かりづらいかもしれません。 | ||||
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初版が1980年だった本書は、村上春樹さんの短編集のうち最も古いものです。 本作品には、中国行きのスロウ・ボート、貧乏な叔母さんの話、ニューヨーク炭鉱の悲劇、カンガルー通信、午後の最後の芝生、土の中の彼女の小さな犬、シドニーのグリーン・ストリートの七篇が収録されています。 私にとって村上さんの作品の最大の魅力は、レトリックや比喩の上手さです。この短編集に、すでに村上春樹らしさがとても良く出ています。不思議で観念的なお話が多く、どう解釈するかは読者によって異なってくるでしょう。 以下はあくまで私の解釈です(ねたバレ注意)。 <中国行きのスロウ・ボート>から私が感じたのは、「居場所のない感覚」のようなものでした。「僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない(p50)」。ここで言う「中国」とは実際の中国ではなく、もっと観念的な「自分とは生涯関係ないであろう、どこか遠くの場所」の暗喩なのでしょう。そして「スロウ・ボートを待とう」という記述は、主人公の没主体性とパッシブな運命論的世界観のあらわれだと捉えました。 <貧乏な叔母さんの話>における「貧乏なおばさん」とは、「死ぬ前から名前が消えてしまっているタイプ(p62)」のことだと書かれています。そして「僕」の背中には「貧乏なおばさん」が張り付いている。しかしそれは「僕の背中からいつの間にか消え去って(p86)」いる。私はこの「貧乏なおばさん」のお話は、若いうちの「何者でもない」未分化な状態から、社会的に定義されうる「何者か」に分化していくプロセスのメタファーではないかと考えました。 | ||||
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村上春樹さんの作品で後世にまで残るモノを挙げるとしたら、たぶんこういう短編集なんじゃないかと思います。特にこの作品は、これからも多くの読者に愛され続けることでしょう。作家として、身の回りにある全ての事象を自在な言葉で表現することが出来た時期に残してくれた珠玉の短編小説集です。 | ||||
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『中国行きのスロウ・ボート』は、私の初村上春樹作品である(恥ずかしながら)。 結論から言うと、(陳腐な表現だが)これまで読んでこなかったのを後悔してしまうくらい、良かった。 寂しさを感じさせる乾いた文章、平易だけれど巧みな表現方法、どこか異国を思わせる空気感、懐かしさを伴った幻想的な風景 ・・・。巷に溢れる村上春樹論に、目を通さず感じたままを述べるとこうなるだろうか。 特に私の琴線に触れたのは、突き放したような距離感だ。他者との間にある隔たりを、あえて乗り越えていこうとしない。あるがままを受け止める。そこに潔さのようなものが見える。私のような元来孤独な人間は、こういう距離のとり方に共感してしまうのだ。 収録作品は、タイトル作の他、「貧乏な叔母さんの話」、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、「カンガルー通信」、「午後の最後の芝生」、「土の中の彼女の小さな犬」、「シドニーのグリーン・ストリート」。 アメリカの小説のような「午後の最後の芝生」と、「土の中の彼女の小さな犬」が特に良かった。 | ||||
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